『 朝 野 群 載』 巻 20 「 異 国」
「 高 麗 国 禮 賓 省 牒 大 日 本 国 大 宰 府
貴 国 有 能 理 療 風 疾 医 人。 今 回 商 客 王 則 貞 廻 皈 故 郷、 回 便 通 牒、 及 於 王 則 貞 処、 説 示 風 疾 縁 由、 請 彼 処、 選 擇 上 等医人、 於 来 年 早 春 発 送 到 来、 理 療 風 疾、 若 見 功 定 不 輕 酬 者。 今 先 送 花 錦 及 大 綾 中 綾 各 11 段、 麝 香10 臍、 分 附 王 則 貞、 賚 持 將 去 知 大 宰 府 官 員 処、 且 充 信 儀。 到 可収 領 者。」
とある。
『高麗史』文宗27年7月丙午の条には、
「東南海都部署奏、日本國人王則貞松永年等四十二人來、請進螺鈿‧鞍橋‧刀‧鏡匣‧硯箱‧櫛書案‧畵屛‧香爐‧弓箭‧水銀‧螺甲等物、壹歧島勾當官、遣藤井安國等三十三人、亦請獻方物東宮及諸令公府、制、許由海道、 至京」
とある。しかし、日本人にしても、「王」氏を名乗るのは奇妙であり、高麗人たちにしても、不思議だと感じたはずである。
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