2016年7月26日火曜日

大宰府に立ち寄った唐人

630年の第1回遣唐使から最後の894年にいたる間に15回の遣唐使が派遣されたが、
1,第1回632年--高表仁
2,第12回761年--沈惟岳
3,第14回778年--趙宝英
の三回には、唐人が付き従って来日した。
当然ながら、彼等は大宰府に日本最初の足跡を残した。

「○辛卯。唐使之行。左右建旗。亦有帯仗。行官立旗前後。臣等稽之古例。未見斯儀。禁不之旨。伏請処分者。唯聴帯仗。勿令建旗。又奏曰。往時遣唐使粟田朝臣真人等発従楚州。到長楽駅。五品舍人宣勅労問。此時未見拝謝之礼。又新羅朝貢使王子泰廉入京之日。官使宣命。賜以迎馬。客徒斂轡。馬上答謝。但渤海国使。皆悉下馬。再拝舞踏。今領唐客。准拠何例者。進退之礼。行列之次。具載別式。今下使所。宜拠此式勿以違失。」(《宝亀十年<779>)4月辛卯)

ところで、この記事に照らし合わせると、大宰府から畿内までの行列はどのようなものであっただろうか。


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