大宰府を襲撃した「刀伊」とは何かを考えるときに、参考となる資料は次の通りである。
1,同一時期に、日韓海峡圏の向かい側を震撼させたのは、女真人であったこと
2,女真族の氏名に「曰押閒伊·曰惱一伊·曰排門異·曰佛徐逸·曰滿尹伊」とあり、「刀伊」の意味は不明とは言え、無関係とは思えないほどに語形の類似が想像できること
(1)『高麗史』卷四、世家 卷第四顯宗 2年(1011)8月
「東女眞百餘艘, 寇慶州」
(2)『高麗史』卷四、世家卷第四、顯宗 3年(1012)2月
「壬子 三年 春二月 甲辰 女眞酋長麻尸底, 率三十姓部落子弟, 來獻土馬, 三十姓, 曰阿干頓·曰尼忽·曰尼方固·曰門質老·曰弗遮利·曰居質阿·曰黏閒逸·曰尼質阿·曰耶邏多·曰邀揭囉·曰要悅逸·曰鬱唁·曰烏臨大·曰蒙骨拽·曰暈底憲·曰徒怠·曰耶兀逸·曰拏乙信·曰拏乙晏·曰冬骨逸·曰支闍逸·曰魚瑟殷·曰麽乙逸·曰塗沒尼·曰云突梨·曰押閒伊·曰惱一伊·曰排門異·曰佛徐逸·曰滿尹伊.」
(3)『高麗史』卷四、世家卷第四、顯宗 3年(1012)5月
「五月 己巳 東女眞寇淸河·迎日·長鬐縣. 遣都部署文演·姜民瞻·李仁澤·曹子奇, 督州郡兵, 擊走之.」
参考までに、『大鏡』中、道隆の条に
「かの国におはしまししほど、刀夷国の者、にはかにこの国を討ち取らむとや思ひけむ、越え来たりけるに、~~」
参考までに、『大鏡』中、道隆の条に
「かの国におはしまししほど、刀夷国の者、にはかにこの国を討ち取らむとや思ひけむ、越え来たりけるに、~~」
0 件のコメント:
コメントを投稿