2026年9月10日木曜日

律令期浮浪人研究の再検討と「課役国家」の構造――岡崎玲子氏の所説に対する論評を契機として――

 

律令期浮浪人研究の再検討と「課役国家」の構造

――岡崎玲子氏の所説に対する論評を契機として――

 

はじめに――「浮浪人」は国家から離脱した人間だったのか

日本古代律令国家における「浮浪」「浮浪人」「浪人」の問題は、従来、戸籍・計帳制度からの離脱、あるいは本貫地からの逃亡という文脈のなかで理解されてきた。しかし、ここで一つ、根本的な問いを立ててみたい。

「本貫を離れた人間は、本当に「国家から離脱した人間」だったのだろうか。」

むしろ逆ではないかという視点でも考えても良いのではないだろうか。そもそも本貫という従来の所属地から離脱した人間を、律令国家は完全に放置したわけではない。所在地においてこれを捕捉し、一定の条件のもとで帳簿に登載し、調庸その他の負担との関係を設定し直そうとした。

もしわれわれの理解が無理でないならば、「浮浪人」は単なる逃亡者ではない。分析視点を変えるならば、

「浮浪人」とは、本貫という従来の国家との接続点を失った人間を、国家が所在地を変えることによって、あらためて行政的・財政的秩序へ再接続した存在だったとのではないか。」

本稿の基本的な作業仮説はここにある。

この視点から見ると、浮浪人問題は、単なる逃亡者対策でも、制度上の身分区分の問題でもなくなる。それは、移動する人間を律令国家がいかに把握し、いかに再び国家的負担の体系へ接続したかという、国家の行政技術そのものの問題として浮かび上がってくる。

この問題を考えるうえで、岡崎玲子氏の研究は重要な出発点となる。岡崎氏は、「浮浪」「浮浪人」「浪人」という語を安易に同一視せず、それぞれの用語が置かれた法令上・行政上の文脈を精密に追跡し、八世紀から九世紀にかけて国家による人間把握の方式が変化していく過程を明らかにした。とりわけ、天平八年格を画期として、「浮浪人」が所在地において把握され、一定の負担を課される存在として制度的に位置づけられていく過程を明らかにした点は重要である。

しかし、その重要な成果を認めたうえで、なお本稿では三つの問題を指摘したい。それは単なる細部の異論ではない。むしろ、岡崎氏の制度史的研究が精密であるからこそ、その分析枠組みの外側に残された問題である。

本稿では、これをあえて、岡崎説に残された三つの致命的欠陥と呼ぶことを許していただきたい。

一 岡崎説に残された三つの致命的欠陥

1 第一の欠陥――「なぜ制度を変えなければならなかったのか」が問われていない

岡崎氏の研究は、「浮浪」から「浮浪人」、さらに「浪人」へと用語や制度がどのように変化したかを精密に跡づけている。しかし、ここで改めて問わなければならない。

なぜ律令国家は、そもそも浮浪人をめぐる制度を何度も変更しなければならなかったのか。

制度が変化したということと、その変化を国家に迫った社会的・行政的条件を説明することは別の問題である。たとえば、国家が当初、本貫への帰還を原則としながら、しだいに所在地における把握と負担の設定へと比重を移していったとすれば、その背後には、単なる法術語の発展では説明できない現実の変化が存在したはずである。

人口移動。

逃亡。

飢饉。

疫病。

自然災害

生活基盤の変化。

そして、本貫地と現実の居住地との乖離。こうした現実の変動が、従来の戸籍・計帳を基礎とする人間把握の方式にどのような負荷を与えたのか。この問いを抜きにして、制度の変化だけを追うならば、我々は制度の「変化」を知ることはできても、国家がなぜその制度変更を必要としたのかを知ることはできない。

ここに第一の欠陥がある。

 

2 第二の欠陥――「本貫への所属」と「国家的負担」の分離が見えていない

岡崎氏の研究が示す最も重要な論点の一つは、本貫を離れた人間が、所在地において新たに把握され、調庸その他の負担との関係を設定されるようになることである。しかし、ここで本当に重要なのは、単に「所在地で浮浪人を把握した」という事実ではない。

問題は、

本貫に所属することと、国家的負担を担うこととが、必ずしも同じ場所で処理されなくなった

という点にある。律令国家の基本的な人間把握は、本来、

本貫

戸籍・計帳による把握

負担の賦課

という一体的な構造を持っていたと考えられる。換言すれば、

所属=把握=負担

である。ところが、人間が本貫を離れ、他国・他郡に移住すると、この構造が崩れる。人間は本貫にはいない。しかし、現実には別の場所で生活している。国家から見れば、その人間は本貫において把握されている可能性がありながら、現実の行政処理は所在地で行わなければならない。

ここに、

「所属の秩序」と「負担の秩序」の分離

が生じる。本稿が重視するのは、この点である。浮浪人問題とは、単に「所属を失った人間」の問題ではない。むしろ、

所属の秩序から外れた人間を、国家がどのようにして負担の秩序へ再び接続するか

という問題だったのではないか。岡崎氏の研究は、この再把握の制度を精密に追跡した。

しかし、その制度変化を、

国家による「所属」と「負担」の切り分け

として捉える視点は、なお十分に展開されていない。

これが第二の欠陥である。

 

3 第三の欠陥――「浮浪人帳」は何をするための帳簿か

岡崎氏の研究では、浮浪人帳は、所在地において浮浪人を把握するための行政上の帳簿として重要な位置を占める。しかし、ここでも一歩踏み込む必要がある。浮浪人帳は、単に「浮浪人の名前を書き並べる帳簿」だったのだろうか。帳簿は、単に人間を記録するために存在するのではない。行政帳簿は、ある情報を行政処理可能な情報へ変換する装置である。浮浪人帳についても同じことが言えるのではないか。現地には、他国・他郡から来た人間が存在する。行政側は、その人間を発見する。

誰なのかを調べる。

どこから来たのかを確認する。

どの程度の期間、そこに居住しているのかを調べる。

生活基盤を持っているかを確認する。

家族はいるか

現地で婚姻関係を結んだか

そして、その人間にどのような負担を課すことが可能かを判断する。この一連の作業を経て、はじめてその人間は行政帳簿上の存在となる。したがって浮浪人帳は、単なる「人口名簿」ではない。むしろ、

本貫という既存の行政接続点から外れた人間を、所在地という新たな接続点において、再び国家の把握・負担体系へ組み込むための情報処理装置

として理解すべきではないか。

ここに第三の欠陥がある。

 

岡崎氏の研究は、浮浪人帳がいつ、どのような制度上の意味を持ったかを明らかにした。しかし、

その帳簿が行政実務のなかで、どのような「再接続作業」を可能にしたのか

という問題は、なお残されている。

 

二 天平年間の危機と「所属の秩序」の動揺

この問題を考えるうえで、天平七年から九年にかけてのパンデミック(天然痘)流行を無視することはできない。もちろん、パンデミックのみをもって浮浪人問題のすべてを説明することはできない。また、「天然痘によって戸籍・計帳制度が完全に崩壊した」と断定することもできない。

しかし、大規模な人口減少と社会的混乱が、従来の人間把握の仕組みに重大な負荷を与えた可能性は考慮する必要がある。重要なのは、天然痘を「唯一の原因」とすることではないものの、むしろ、

本貫を基礎として人間を把握する制度と、人間が現実に生活する場所との乖離が、天平年間の大規模な人口・社会変動によって急速に拡大した可能性

である。

本貫地に登録された人間が、現実にはそこにいない。ある地域では人口が減少する。

別の地域では外部から流入した人々が生活する。このような状況において、従来の「本貫に人がいる」という前提そのものが揺らぐ。ここで国家は、一つの選択を迫られた。

人間を本貫に戻すことを最優先するのか。

それとも、現実に人間が存在する場所で把握し、負担を設定するのか。

この選択が、浮浪人をめぐる一連の制度変更の背景にあったのではないか。

 

三 霊亀・天平・延暦――国家の選択は何だったのか

浮浪人をめぐる法令を一連の流れとして見ると、そこには一つの方向性が見えてくる。

それは、

本貫への帰還を軸とする人間把握から、所在地における人間把握と負担設定への比重移動

である。もちろん、この変化は一直線ではない。時期によって制度の内容も異なり、法令の適用範囲や具体的な行政処理にも差があったはずである。しかし、長期的な動きを見るならば、国家が本貫から離れた人間を、所在地において把握し直し、負担との関係を再設定しようとする方向は明瞭である。

ここで重要なのは、

国家が「浮浪人を許容した」のではない。

ということである。

国家は、人間の移動を自由に放置したわけではない。むしろ逆である。

本貫という従来の接続方式が機能しなくなった場合、新しい方式によって、その人間を国家の行政体系へ組み込もうとした。ここに、浮浪人を「逃亡者」としてのみ理解することの限界がある。

 

四 「所属の秩序」と「負担の秩序」

ここで、本稿の基本概念を整理しておきたい。律令国家は、人間を本貫地に所属させ、その所属を戸籍・計帳によって把握し、その把握を基礎として国家的負担を課した。

この状態を、我々は

所属の秩序

と呼び、一方、その人間が国家に対して調・庸・雑徭その他の負担を担う関係を、我々は

負担の秩序

と呼びたい。本来、この二つは一致していた。しかし、人間の移動によって、

所属地=A
現在地=B

という状態が生じる。すると、国家には二つの選択肢がある。

第一は、Aへ帰還させ、所属と負担を再び一致させる。

第二は、Bにおいて人間を把握し、Bを通じて負担との関係を設定する。

仮に後者が採用されるなら、ここで初めて、

所属の秩序と負担の秩序は分離する。

重要なのは、国家が所属を完全に放棄したということではない。国家は、

従来の所属を回復できない場合でも、人間そのものを負担の体系から離脱させない方法を探った

のである。ここに律令国家の現実主義がある。

 

五 浮浪人とは何者だったのか――「離脱者」から「再接続者」へ

ここで、本稿の中心仮説を明確に提示したい。従来、

浮浪人とは、本貫から離脱した人間

と理解されてきた。この定義に誤りはないとしても、この定義では、その後に国家が行った行政処理が説明できない。

    本貫を離れた

    しかし、国家はその人間を探す。

    調査する。

    帳簿に記載する。

    所在地を確認する。

    そして負担との関係を設定する。

これは何を意味するのか。本稿では、次のように取り扱う。

「浮浪人」とは、国家から離脱した人間ではない。

本貫という従来の国家との接続点を失った人間を、国家が所在地を変更することによって、あらためて国家の行政的・財政的秩序へ再接続した存在である。

この場合、「浮浪人」は固定的な身分概念としてのみ理解することはできない。むしろ重要なのは、

国家との接続状態

である。本貫にいる通常の戸籍人は、

本貫=所在地=把握=負担

という状態にある。一方、浮浪人は、

本貫所在地

となる。そこで国家は、

所在地把握帳簿負担

という新たな接続経路を設定する。この意味で浮浪人とは、

「国家との接続方式を変更された人間」

であると言っても誤りではない。

 

六 「浮浪人帳」は再接続の装置だった

この視点から見ると、浮浪人帳の意味も変わる。従来の理解では、

浮浪人帳とは、浮浪人を記載した帳簿

である。しかし、それだけでは不十分であることは、上記した通りである。

浮浪人帳は、

人間の所在情報を、国家の行政情報へ変換する装置

であったと考える。確かに本貫から外れた人間は、既存の行政帳簿の枠組みだけでは処理しにくい。そのため所在地の行政機関は、その人間について新たな情報を作り出さなければならない。

誰か。

どこから来たか。

いつから住んでいるか。

生活の基盤を持つか。

誰と関係を持つか。

どのような負担を課すことが可能か。

こうした情報を確認し、記録し、帳簿へ再編成する。ここには、

把握記録分類負担設定徴収

という一連の行政処理が存在する。この観点から見るなら、浮浪人帳は、単なる「身分帳」ではない。

本貫から外れた人間を、所在地を通じて国家へ再接続するための行政装置

として理解すべきことを教える。この問題は、単に浮浪人帳の存在を確認するだけでは終わらない。今後は、

誰が情報を収集したのか。

どの段階で浮浪人帳へ登載されたのか。

その前段階にはどのような現場記録が存在したのか。

浮浪人帳の情報は、国府・中央へどのように伝達されたのか。

という、行政実務そのものの復元が必要になるだろう。

 

七 「課役国家」という作業仮説

以上の議論を踏まえ、本稿では律令国家について、

「課役国家」

という作業仮説を提示したい。ただし、この概念は、

「古代国家は課役しか徴収できなかった」

という意味ではない。また、「課役」を律令上の厳密な法的カテゴリーとしてのみ用いるものでもない。本稿で問題にするのは、

国家が、人間をいかに把握し、その人間をいかに国家的負担の体系へ接続し続けることができたのか

という問題である。律令国家にとって、人間を本貫に固定することは重要だった。しかし、それ以上に重要だったのは、人間を国家的負担の体系から完全に失わないことではなかったか。

人間が移動する。

本貫から離れる。

既存の戸籍・計帳の処理から外れる。

このとき、国家が本当に恐れたのは、人間の移動そのものではない。

その人間が国家の負担体系から完全に消えること

だったのではないだろうか。

だから国家は、所在地においてその人間を捕捉し、新しい帳簿へ登載し、再び負担との関係を設定した。この意味において、

律令国家とは、人間を把握し、その人間を国家的負担へ接続し続けることによって、自らを維持・再生産した国家

として理解できる。本稿では、この側面を強調するために、あえて「課役国家」という概念を提唱する。

 

八 「浮浪人」を中心とした国家接続のカテゴリー

この仮説を採用すると、浮浪人だけではなく、律令期に存在したさまざまな人間集団を、

国家との接続状態

という共通の軸で再分類できる可能性がある。

たとえば、第一に、

 本貫・所在地・負担が一致する人

通常の戸籍人である。本貫=所在地=国家的把握=負担

という、もっとも安定した状態にある。

第二に、

 移動したが、既存または公的な方法で国家との接続を維持する人

移住先において国家による把握が可能であり、負担との関係も維持される。

ここでは、「移動」そのものは国家からの離脱を意味しない。

第三に、

 本貫から離れ、所在地において新たに捕捉される人

これが浮浪人の典型である。本貫という接続点は弱まる、あるいは機能しなくなる。

しかし所在地で新たな把握が行われる。

第四に、

 所在地に定着し、所在地を通じて国家的負担へ接続される人

ここでは、本貫への帰還よりも所在地での行政処理が重視される。

第五に、

 既存の帳簿体系から外れ、新たな行政処理を必要とする人

帳外者などの問題は、このカテゴリーとの関係で再検討する必要がある。帳簿から外れることは、ただちに国家から消えることを意味しない。むしろ、

既存の接続方式では処理できなくなった人間

と考えることができる。

そして第六に、

 複数の異なる接続状態を含む「浪人」

九世紀になると、「浪人」の対象は多様化する。岡崎氏自身も、八世紀の浮浪人とは異なる原因・存在形態を持つ人々が「浪人」の範疇に含まれることを指摘している。この事実を、本稿の仮説から見るならば、「浪人」とは単一の身分ではなく、

通常の所属・所在地・負担の接続関係から外れた、さまざまな人間を行政的に処理するカテゴリー群

として理解できると岡崎氏に提案したい。ここに、

浮浪浮浪人浪人

を単なる用語の変化としてではなく、

国家による人間の接続方式の変化と多様化

として理解する可能性が生まれる。

 

九 「所属の国家」から「再接続する国家」へ

以上の議論から、律令国家像そのものを再考してみたい。従来の律令国家像では、国家は人間を本貫に所属させ、戸籍・計帳によって管理し、その所在を固定的に把握する国家として描かれやすい。しかし、現実の人間は動く。

逃げる。

移住する。

結婚する。

生活のために別の土地へ移る。

疫病や飢饉、さらには自然災害などによって、従来の生活基盤を失う。

国家は、この現実を完全に停止させることはできなかった。そこで国家は、人間の移動を完全に防ぐことではなく、

移動した人間をいかにして再び行政の網へ接続するか

という問題に直面した。ここで浮浪人というカテゴリーが登場すると考えられないだろうか。したがって、

浮浪人制度とは、国家から離脱する人間を単純に処罰する制度ではない。

それはむしろ、

国家の既存の人間把握から外れた人間を、所在地という新しい接続点を用いて、再び国家の行政・財政体系へ組み込むための制度的装置

だったと言い換えておきたい。

このように考えるなら、律令国家は「所属を固定する国家」であるだけではない。同時に、

所属が揺らいだとき、新しい接続方法を作り出す国家

でもあった。

 

十 「崩壊」と「再編」をどう見るか

この視点は、「律令制の崩壊」という問題にも新しい角度を与える。浮浪人の増加を、単純に戸籍制度の崩壊として理解することは容易である。しかし、それだけでは、国家がその後に行った行政処理を説明できない。

既存の制度が機能しなくなる。

人間が本貫から外れる。

しかし国家は、その人間を新たな方式で把握しようとする。ここには、

崩壊する制度

と、

それを補修し、代替しようとする行政実務

が同時に存在する。重要なのは、律令制が崩れたか、維持されたかという二者択一ではない。むしろ、

何が崩れ、何が最後まで維持されようとしたのか

を問うことである。本稿の仮説に立脚すれば、崩れつつあったのは、

人間を本貫に縛り付け、固定する「所属の秩序」

である。一方、国家が新しい行政方式によって維持しようとしたのは、

人間を国家的負担の体系から完全に失わない「負担の秩序」

だった。ここに、「課役国家」としての律令国家像が見えてくる。

 

おわりに――浮浪人とは

本 稿は、岡崎玲子氏の浮浪人研究に対して、単なる異説を提示することを目的としたものではない。岡崎氏が明らかにした制度的・概念的変化を手がかりとして、その背後にあった国家の行政原理を考え直そうとするものである。岡崎氏の研究には、三つの致命的欠陥が残されている。

第一に、なぜ国家が浮浪人をめぐる制度を繰り返し変更しなければならなかったのか。

第二に、本貫への所属と国家的負担との関係が、どのように分離していったのか。

第三に、浮浪人帳が、現場の行政実務において、何を可能にする情報処理装置だったのか。

本稿は、この三つの問題を考えることによって、「浮浪人」を従来とは異なる位置に置こうとした。すなわち、

「浮浪人」とは、国家から離脱した人間ではない。

本貫という従来の国家との接続点を失った人間を、国家が所在地を変えることによって、あらためて行政的・財政的秩序へ再接続した存在だったのではないか。

この仮説に立てば、「浮浪人」は固定的な身分ではなく、

国家との接続状態を示す行政的カテゴリー

として理解できる。そして、その視点をさらに広げれば、「浪人」「帳外」「留住」など、従来は個別に論じられてきた人々についても、

人間が国家の既存の把握体系からどのように外れ、国家がそれをどのような方式で再接続しようとしたのか

という共通の問題として再検討できないだろうか。そこから見えてくる律令国家は、単に人間を本貫に固定する国家ではない。現実の人間が移動し、従来の帳簿体系から外れたとき、国家はその人間を再び探し出し、記録し、分類し、新しい接続点を設定した。そして最終的には、その人間を国家的負担の体系へ接続し直そうとした。この意味で、律令国家とは、

「所属を管理する国家」であると同時に、「所属から外れた人間を再接続する国家」

と定義づけても、必ずしも妥当性を欠くとは言えないのではないだろうか。さらに言えば、国家が最後まで失いたくなかったものは、人間の本貫そのものではなく、

その人間との国家的負担関係

だった可能性さえがある。本稿では、この側面を

「課役国家」

という作業仮説によって表現した。

もちろん、この仮説には今後、個別史料による検証が必要である。しかし、もし「浮浪人」を「逃亡者」ではなく、

「国家が接続方法を変更してまで捕捉し続けた人間」

として理解することができるならば、浮浪人研究は大きく姿を変える。問題は、

「浮浪人とは何者だったのか」

だけではない。むしろ、

「律令国家は、移動する人間をどのように国家へ再接続したのか」

という問いこそが、これからの浮浪人研究の中心問題となるべきではないだろうか。浮浪人とは、律令国家の網から逃げ出した人間ではなかった。その逆に、網の目から外れた人間に対して、国家が新しい網目を作ろうとした、その痕跡だった。

2026年9月8日火曜日

正税帳から律令国家の実像を考える――ポスト・権限・利害・情報処理からみた律令国家の実像

 

正税帳から律令国家を考える

――ポスト・権限・利害・情報処理からみた律令国家の実像


 我々の前提

正税帳を読んだ人間が何を考え、何を疑い、何を命じ、何を確認し、そして何を「処理済み」としたのか

 

1)はじめに――正税帳を誰が読んだのか

これまで、我々は正税帳を読む際、そこに記された数字そのものに注目してきた。

租・調・庸・正税・出挙稲・利稲・支出・残高――。

これらの数字が正しいか、計算が合っているか、帳簿相互の数字が一致するか。そして、制度上どのような帳簿であり、どの官衙に提出されたのか。もちろん、これらは正税帳研究の基本である。しかし、ここで一歩立ち止まってみたい。

その正税帳を読んだ人間は、何を考えたのだろうか。

帳簿を受け取った中央官僚は、そこに書かれた数字を単純に「読む」だけだったのだろうか。数字を見て、

何を確認したのか。
何を疑ったのか。
何を問い返したのか。
何を「問題なし」と判断したのか。
何を「処理済み」としたのか。

そして、その判断によって、

誰に責任が生じ、誰が評価され、誰が次のポストを得たのか。

この問いを導入すると、正税帳は単なる「地方財政の決算書」ではなくなる。そこには、古代国家の行政情報が、人間によって作られ、人間によって確認され、人間の判断によって処理されていく過程が存在していた可能性がある。

本稿は、その可能性を「現場のロジック」から考察する試みである。

Ⅰ 「誰が、どのポストを、誰に与えたのか」

律令国家を理解するとき、通常は、

   中央 → 国司 → 郡司 → 郷・里

という行政組織と命令系統を想定する。この見方は制度史として正しい。しかし、これだけでは、そこに生きていた人間の姿が見えてこない。そこで、問いを逆転させてみたい。

「誰が、どのポストを、誰に与えたのか。」

この問いから出発すると、これまでとは異なる問題が浮かび上がる。たとえば、

  • どのポストが有利だったのか
  • どのポストが大きな権限を持っていたのか
  • どのポストが物資に接触できたのか
  • どのポストが人を動員できたのか
  • どのポストが情報を先に入手できたのか
  • どのポストが数字を作成・集計できたのか
  • どのポストが数字を照合・確認できたのか
  • どこに裁量が存在したのか
  • そのポストを誰が推薦・任命したのか
  • 任期を終えた人物はどこへ移動したのか

という問いである。ここで重要なのは、我々が「古代官僚も私利私欲があっただろう」という単純な性悪説を採用しようとしているのではないということである。むしろ問題にしたいのは、

制度上の役割と、人間の利害がどこで重なるのか。

ということである。官人は制度上の役割を果たす。しかし同時に、一人の人間でもある。したがって、

ポストには、行政上の機能だけでなく、利益・権限・責任・リスク・情報・人的関係へのアクセスが付随していたのではないか。

という可能性を、必然的に検討することとなる。

Ⅱ 「利害」と「私欲」

ここでいう「利害」とは、必ずしも私腹を肥やすことではない。むしろ、

利害=そのポストに付随する利益・権限・責任・リスク・資源へのアクセス

と定義付けたい。例えば、ある官人が倉庫を管理していたならば、

  そこには稲・穀物などの物資へのアクセスがある。

  出挙に関係する人物ならば、元本と利稲の管理に関与する。

  逓送に関係する人物ならば、交通と人員、物資の移動に関与する。

  帳簿作成に関与する人物ならば、情報を数字に変換する過程に関与する。

  検査する人物ならば、その数字を「正しい」「疑わしい」と判断する権限を持つ。

したがって、同じ「官人」であっても、

何にアクセスできるポストにいたのか

によって、その社会的位置は大きく違った可能性がある。この視点を導入すれば、「官職名」だけを見る研究から、

ポストそのものが持つ経済的・行政的価値を分析する研究

へ進むことができる。

Ⅲ 正税帳の数字の背後

この視点から正税帳を見ると、数字の意味も変わってくる。例えば、

「帳簿上の数字が合わない。」(アウトライアーoutlier=異常だが、意味を持つ可能性がある値)

    ⇒正税帳でいえば、 ①郡司家の利害操作②国司交代時の数字の書き換え③村落側の

     負担調整④物資の横流し⑤特定氏族の勢力変動など

という事実があったとする。従来なら、

「誤記ではないか。」( mis-record: 欠損・記録漏れ・誤記・失敗意味を持たない可能性が高い値(または値の欠如)

    ⇒ 正税帳で言えば:①書記の単純な記載ミス②行政処理の混乱による欠損③紙背の

     剥落④破損による読めない部分⑤計会帳との照合で明らかに矛盾する数字など

と考える。しかし、もう一つの別な問いを置いてみる。

「なぜ、この数字になったのか。」

さらに、

「この数字を作成したのは誰か。」

「誰が集計したのか。」

「誰が確認したのか。」

「誰が訂正できたのか。」

「誰がその数字について説明責任を負ったのか。」

と問う。そして最後に、

「この数字によって、誰が利益を得、誰が不利益を受ける可能性があったのか。」

と問う。ここで重要なのは、最初から不正を想定しないことである。「数字を書き換えた」と断定するのではなく、

誰が数字を作成・集計・照合・訂正する裁量を持っていたのか

をまず確認する。その上で、不自然な数字が発見されたならば、

「単なる誤記では説明できない可能性はないか」

と検討する。つまり、

   不正を探すのではなく、裁量の所在を探す。

この方法ならば、「古代官僚は腐敗していた」という先入観からも、「古代官僚は公正無私だった」という両極端な先入観からも自由になる。

Ⅳ 「帳簿は人間の行政行為」

正税帳には、基本的に人間の感情や人間関係は書かれていない。そこにあるのは数字のみである。しかし、その数字は人間の行政行為から生まれた。

  ①誰かが稲を数えた。

  ②誰かが収納した。

  ③誰かが運んだ。

  ④誰かが支出した。

  ⑤誰かが計算した。

  ⑥誰かが帳簿に記した。

  ⑦誰かが照合した。

  ⑧誰かが確認した。

したがって、いささかくどい説明となるが、

帳簿は人間を消しているように見えて、実は人間を完全には消し切れていない。

数字の背後には、行政行為を行った人間がいる。そして、その人間の存在は、

  業務の痕跡 → 権限の所在 → 責任の所在 → 資源へのアクセス → 利害の可能性

という形で、間接的に復元できる可能性にチャレンジできるかもしれない。ここに、正税帳研究の新しい可能性がある。

Ⅴ 『越前国郡稲帳』と「ポストの価値」

この問題を具体的に考えるために、我々は『越前国郡稲帳』を事例として取り上げたい。ここでは丹生・足羽・敦賀・江沼を、単なる四つの行政区画として見るのではなく、

「それぞれの郡は、何を握っていたのか」

という視点から見るという思考の導入である。現段階での仮説ではあるが、例えば、

  • 足羽――出挙・財政資源
  • 敦賀――交通・逓送・外部との接続
  • 丹生――物資の集散・再配分
  • 江沼――境界・物資・対外的接点

という機能差が想定できるとしたい。もし、この差異が史料的に確認できるならば、極めて重要な問題が発生する。それは、

「郡司になった」だけでは、その人物の地位を評価できないのではないか。

ということである。問うべきなのは、

「どこの郡司になったのか。」

である。同じ「郡司」というポストでも、そこからアクセスできる資源、情報、交通、人員、物資(マネー)が異なっていたならば、ポストそのものに価値の差が存在したことになる。これは、

官職研究から「ポスト研究」へ

という発想を移行させることである。

Ⅵ ポストは「資源へのアクセス権」

この視点をさらに一般化すると、官職とは単なる行政機能ではなく、例えば、

ポスト → 権限 → 資源へのアクセス

という関係を認めなくてはならない。そして、

資源へのアクセス → 人的ネットワーク

が生まれる。さらに、

人的ネットワーク → 次のポスト

へとつながる道も開ける。そこで、作業仮説として、次の循環を設定してみたい。

任官

任地

権限

資源・情報へのアクセス

人的ネットワーク

評価

次の任官

これを本稿では、「利害循環モデル」と呼ぶこととしたい。これは、古代官僚が腐敗していたという意味では決してない。その可能性も一概に否定しないが、

人間が制度の中でポストを得、そのポストを通じて権限・資源・情報・人的関係を獲得し、それが次の人事につながる道への連続/不連続

を制度として考えるモデルである。

Ⅶ 「中央集権国家」の見方

このモデルを採用すると、「律令国家は中央集権国家だった」という説明も、少し違った角度から見直す要求に迫られるに違いない。従来のイメージでは、

中央 → 国司 → 郡司 → 地方社会

という一方向の支配が想定されやすい。しかし、中央が実際に地方を統制する方法は、必ずしも日々の行政を直接操作することではなかったのではないか。それどころか、

誰をどこに置くか。

誰にどの権限を与えるか。

誰に資源へのアクセスを認めるか。

を中央が統制する。そうであるならば、

中央集権とは、中央が地方のすべてを直接動かすことではなく、地方を動かすポストの配分権を中央が握ることだった

という国家像も考えられる。ここから、さらに大胆な仮説が導かれる。

ポストの配分は、人事政策であると同時に、権限・資源・情報・人的ネットワークの配分政策でもあったのではないか。

Ⅷ だから、正税帳

では、この人事・権限・資源の循環を、我々はどこから観察できるのか。ここで正税帳が重要になる。正税帳は、本来、地方財政を報告する帳簿である。しかし、その数字が、

収納 → 保管 → 出挙 → 収益 → 支出 → 残高

という行政活動の結果として形成されたものであるならば、その数字には、それを作り出した行政組織の痕跡が残る。したがって、

正税帳は利害循環そのものを記録しているのではない。

しかし、

本来は財政管理のために作成された帳簿が、その作成・確認・提出・訂正の過程を通じて、官人の権限配置、責任関係、資源へのアクセスの痕跡を結果的に残している。

この意味で、正税帳を「利害循環の痕跡」として読むことが可能になる。

Ⅸ 尾張国正税帳――「中央の役人の見方は」

ここで、『尾張国正税帳』を具体的に考えてみたい。問題は、

「尾張国正税帳には何が書かれているか」

だけではない。むしろ、それは当然として、我々の観点からすれば、重要な見方は

「中央の役人は、この帳簿をどのような順番で読んだのか」

である。現存する正税帳は完成された一冊の帳簿として我々の前に残っている。しかし、それが中央官衙に届いた瞬間には、そこに「読み、確め、計算する人間」がいた。その人間は帳簿を最初から最後まで眺めて、OKサインを出してはいないだろう。間違いない手続きとして、一連の業務上の順序が存在した。現段階では作業仮説として、次のような情報処理を想定したい。

第一段階――形式確認

最初に確認するのは、

「この帳簿は決算書として成立しているか」

である。

 1,必要な項目が揃っているか。

 2,国全体と郡別の数字が接続するか。

 3,前年からの繰越と当年の収納・支出・残高がつながるか。

 4,関連帳簿との照合が可能か。

つまり、細かな数字以前に、

「この帳簿を検査できる状態にあるか」

である。

Ⅹ 第二段階――数字は合っているか

次に、

「数字は合っているか。」

を見る。

収納高、残高、出挙、利稲、支出などを相互に照合する。ここで重要なのは、

「尾張国が報告している数字」

「尾張国が保有しているはずの数字」

の一致である。したがって、「正税帳」という名称についても、

「正税の帳」という意味だけではなく、中央がその正当性を検証できる帳簿

という側面から考えても、良いのではないだろうか。

Ⅺ 第三段階――「なぜ、この数字か」

数字が合っていても、中央の作業は終わらない。例えば、

「今年は出挙利稲が少ない。」

とする。大前提は、「計算そのものは正しい」である。しかし、

「なぜ少ないのか。」

という疑問が生じたときとか、逆に、

「この郡だけ利稲が異常に多い。」

なら、

「なぜ、この郡だけなのか。」

と問う。ここで初めて、「異常値」(アウトライアー)という概念が登場する。中央が必要としていたのは、単なる「正しい数字」だけではなく、

その数字が生まれた理由を説明できる情報

だった。したがって、

異常値こそ、中央官僚がその次に着手すべき情報だった

という仮説が成立する。

Ⅻ 第四段階――数字から行政行為へ

ここまで来ると、正税帳は単なる財務資料ではなくなる。ここで求められるのは、「異常値(アウトライアー)とスクリーニングと行政実務のリアリティ(行政合理性)」というコンセプトである。例えば、

  • 収納は十分だったのか
  • 出挙は適切だったのか
  • 損失は発生していないか
  • 支出は過大ではないか
  • 災害や損田はなかったか
  • 国司は必要な調査を行ったか
  • 逓送やその他の行政活動は適切だったか

という問いが生まれる。つまり、

財務報告書 → 行政活動報告書

という転換が起こる。数字を読むことによって、その数字を生み出した行政活動が逆算される。そして、さらにその先に、

「この国司は地位と能力に見合った仕事をしているのか。」

という問いが、中央各官衙の間に現れる。

ⅩⅢ 正税帳と国司評価

ここまで至って、我々は重要な作業仮説を設定できる。

正税帳 → 国司評価 → 人事

という回路である。中央は尾張国の財政状態だけを見ていたのではない。

その背後にいる、

「尾張国を誰に任せておくべきか」

という人事問題にも、関心を持ったはずである。もちろん、現段階で、

「正税帳は国司の勤務評定表だった」

と断言することはできない。それを直接証明する史料は、今のところ確認されていない。

したがって、これはあくまで、

正税帳が国司評価のための情報源として利用された可能性

を検証する作業仮説として置くだけである。しかし、もしこれが確認できれば、正税帳の性格は大きく変わる。

ⅩⅣ 「評価」とは何か

 太政官をはじめとする中央各官衙が各国を評価するとき、それは単純な「良い/悪い」ではなかっただろう。むしろ、行政上のリスクを分類するような判断があった。それは、国内がパンデミックなどの大きな自然災害がなかった年などに区分された

A――安定国:収納・出挙・支出・残高が概ね正常。

B――注意国:数字は合っているが、収益率・支出等に異常がある。

C――問題国:欠損・未納・不整合などが確認される。

D――要調査国:数字だけでは説明できない異常がある。

という通常分類である。これはあくまで分析モデルであるものの、全国の国々を毎年、同じ濃度で調査することが現実的でない以上、

問題のない国は通す。

異常のある国に調査資源を集中する(センサー)。

という行政合理性は十分に考えられる。ここで正税帳は、

中央が地方行政の「異常」(アウトライアー)を発見するためのセンサー(screening mechanism)

として理解できる。換言すれば、

  • 郡レベルでの一次記帳

  • 国司レベルでの二次検証

  • 中央レベルでの最終監査

この三段階を通して、 異常値検出(outlier detection)システムが正税帳の本質であったともいえよう。そのセンサーによって、利害の痕跡を確認できたならば、太政官などの政治的判断として、訂正⇒黙認⇒監査⇒国司罷免⇒郡司の再編へと移る。その認識に立つならば、正税帳は単なる財政帳簿ではなく、「中央のセンサーが反応した痕跡の集積」でもあり、

中央が地方の利害操作を検出するための“監査装置”

であると言っても、間違いはない。

ⅩⅤ そして「処理済み」

我々が以前から注目してきたのが、この問題である。帳簿が中央に届く⇒中央官僚がそれを確認する。⇒問題がなければ、大半は

「処理済み」

として次へ送る。問題があ発見されれば、

「説明せよ」

となる。さらに、

欠損・未納・損失がある

「誰が補填するのか」

という問題が生じる。そこには、

責任の所在

が現れる。そして、その先に、

「この人物を次も使うか。」

「別の国へ回すか。」

「中央へ引き上げるか。」

「より重要なポストを与えてよいか。」

という人事判断が存在した可能性がある。ここで、太政官らによる

   正税帳 → 勘会 → 評価 → 是正・責任 → 人事

という回路を想定できる。


ⅩⅥ 正税帳の再定義

以上の議論から、正税帳を単純に、

「地方財政の決算書」

と定義するだけでは、その機能を十分に捉えられないのではないだろうか。より広く定義付ければ、

正税帳とは、地方で発生した「カネ・物・労働・行政行為」を数字として中央に送り、太政官らがそれを読み取り、「正常/異常」「許容/不許容」「信用/要調査」などの行政判断へ変換するための情報装置だったのではないか。

という再定義を提出したい。ここで重要なのは、正税帳そのものが意思決定をするのではないということである。意思決定するのは、当然ながら人間である。したがって、

正税帳=情報

官僚=情報を読む人間

勘会=情報を検証する手続

評価=情報を判断に変換する行為

人事・是正=判断の結果

という構造を抽出できる。

ⅩⅦ 正税帳と「中央官僚の意思決定フロー」

この視点から、尾張国正税帳を再度、読解する。問題は、

「何が書いてあるか」

ではなく、

「この帳簿を受け取った官僚は、どこから見たのか」

である。現段階では、次のような作業仮説を置くことができる。

① 形式確認

② 総額確認

③ 国―郡間の突合

④ 前年度・当年度の比較(センサー)

⑤ 異常値(アウトライアー)の発見

⑥ 異常の理由確認

⑦ 国司・郡司の行政活動の評価

⑧ 補填・是正・返却等の処理

⑨ 次年度の行政・人事判断への利用

もちろん、この順番が史実として確定しているわけではない。この順序で正税帳を読んでみれば、帳簿の各項目が、

「中央官僚の頭の中で何を意味したのか」

を具体的に検討できることに気づくだろう。

ⅩⅧ 誰が最初に正税帳を読んだのか

ここで、さらに重要な問題が発生する。

「誰が最初に読むのか。」

本当に最初から太政官が読むのだろうか。

それとも、

国 → 正税帳使 → 民部省 → 主税寮 → 勘会 → 必要に応じて太政官

という情報処理の階層を想定すべきなのだろうか。もし複数の官衙が関与していたのであれば、それぞれの官衙が同じ帳簿を同じ目的で読んだとは考えにくい。

例えば、

主税寮――数字・計算・帳簿の整合性を見る。

民部省――国の財政状態・租税行政を見る。

太政官――必要に応じて、それを政治的・行政的判断へ変換する。

という役割分担があったはずである。この点は史料によって慎重に検証しなければならない。しかし、もし立証できるなら、研究対象はさらに一段進む。それは、

「正税帳という情報が、古代国家の意思決定システムの中をどのように移動したのか」

という一連の課題に直面する。

ⅩⅨ 「ポスト」と「情報」

ここで、冒頭の「誰が、どのポストを、誰に与えたのか」という問いに立ち戻りたい。

  ポストは権限を生む。

  権限は、特定の資源へのアクセスを生む。

  そしてポストは、情報へのアクセスも生む。

例えば、

現場に近い者は、最初に情報を得る。

   郡司は郡内の状況を知る。

   国司は複数の郡を比較できる。

   中央官僚は全国の国々を比較できる。

つまり、同じ数字であっても、

どの位置にいる人間が見るか

によって、その意味が変わる。

この点から見ると情報そのものもまた権力資源だったといっても、誤りではない。そして、

ポスト → 情報へのアクセス → 判断能力 → 次のポスト

という新たな循環が浮かび上がる。

ⅩⅩ 最終的な作業仮説――「正税帳の向こう側に人間を見る」

ここまでの議論をまとめるならば、我々の問題意識は次のようになる。

従来、正税帳は、

地方財政の決算書

として読まれてきた。

我々は、それを否定するのではないが、その上にもう一つの層を重ねたい。正税帳とは、

地方行政の結果を数字として中央に伝達する情報装置

であり、さらに、

その数字を作成・確認・承認・処理した人間の行政行為の痕跡

でもあると。したがって、

正税帳を読むとは、数字だけを読むことではない。

その数字が、

誰によって、どのような業務過程を経て作られ、

誰によって確認され、

誰が訂正する権限を持ち、

誰が責任を負い、

そして、その情報が最終的に誰の判断へ接続されたのか

を逆算することである。この意味で、「正税帳の数字の背後には、人間がいる」と書けば、お叱りを受けるかもしてない、あまりにも文学的な表現であるから。

  誰が集めたのか。

  誰が運んだのか。

  誰が計算したのか。

  誰が確認したのか。

  誰が責任を負ったのか。

そして、我々の関心は

誰にとって、その数字が「正しい数字」である必要があったのか。

を論じることに逢着した。

おわりに――「律令国家とは」

ここまで来ると、我々が問うているのは、単なる正税帳の読み方ではない。それは、

律令国家を、制度ではなく、人間が制度を動かす現場として捉え直すこと

である。そこにいるのは、「律令国家」という抽象的な主体だけではない。

  ポストを与える者。

  ポストを得る者。

  権限を持つ者。

  物資を管理する者。

  人を動かす者。

  数字を作る者。

  数字を確認する者。

  責任を負う者。

  そして、その結果を評価する者。

彼らはそれぞれ異なる立場にあり、それぞれ異なる情報と資源へのアクセスを持っていた。したがって、古代官僚を「善良で公平無私な行政官」として扱うことも、逆に「腐敗した官僚」として扱うことも、出発点として適切ではない。必要なのは、

「制度上の役割」と「人間の利害」が、どこで重なったのか

を史料から探ることである。その意味で、我々は次のような循環を仮説として提示できる。

任官

任地

ポスト

権限

資源・情報へのアクセス

行政活動

帳簿・数字

勘会

評価

是正・責任

人事

次のポスト

この循環が実際にどこまで機能していたのか。それを解明することが、次の課題となる。

 我々の次の課題は、

尾張国正税帳の各項目を一つずつ取り上げ、そこに記された数字が「誰の、どの業務」によって生み出され、その数字を中央の誰が、どのような目的で確認したのかを具体的にシミュレーションすることである。

そこからさらに、

その業務を担った人物は誰だったのか。

その人物はどのポストにいたのか。

そのポストは何を握っていたのか。

そして、その仕事の結果は、その人物の次の人事にどのようにつながったのか。

を追跡する。そうすれば、正税帳は単なる「国家財政の決算書」ではなくなる。それは、古代国家の中を流れた情報の痕跡であり、その情報を作り、読み、判断し、処理した人間の痕跡でもある。そして最後に残る問いは、極めて単純である。

誰が、どのポストを、誰に、なぜ与えたのか。

この問いから、律令国家をもう一度読み直してみた結果は、近い将来に発表する。

Proposing the “Cinnabar Road” Rethinking Yayoi-Era Interaction between China and the Japanese Archipelago

 

Proposing the “Cinnabar Road”

Rethinking Yayoi-Era Interaction between China and the Japanese Archipelago

I would like to propose a hypothesis here, which I will provisionally call the “Cinnabar Road.” The term refers to a trade and interaction route through which cinnabar may have been brought from the Chinese mainland to the Japanese Archipelago during the late Yayoi period.

The idea was prompted by an article I happened to come across while searching for studies on ancient interactions between Japan and China: Hidehiko Shimazaki, “The Homeland of Ancient Cinnabar,” Resource Geology 59-1 (2009), pp. 73–76. Until then, I had had very little opportunity to read research by geologists and economic geologists, including scholars specializing in ore deposits. In that sense, this accidental encounter was a fortunate one.

What makes Shimazaki’s study particularly intriguing is his attempt to identify the source of the cinnabar used in the Japanese Archipelago during the late Yayoi period by means of a natural-scientific method, namely sulfur isotope analysis.

According to Shimazaki, cinnabar excavated from several late Yayoi sites on the Japan Sea coast and in northern Kyushu—including Nishitani Tomb No. 3 in Shimane Prefecture, Kamikodani-Monokamitani Tomb No. 1 in Tottori Prefecture, Ofuro-Minami Tomb No. 1 in Kyoto Prefecture, and the Kasuga-Tateishi site in Fukuoka Prefecture—shows sulfur isotope ratios of approximately +7 to +8‰.

These values do not correspond to those of the major cinnabar deposits known in Japan. Nor, moreover, did they correspond to the cinnabar deposits of Hunan and Guizhou provinces in China, which had previously been regarded as likely sources.

A remarkable development occurred in 2007. When Shimazaki and his colleagues conducted field investigations of mercury deposits in the Qinling Mountains of China, they found that the cinnabar from the Seidougou (Qingtonggou) mine and the Gongguan area showed sulfur isotope ratios of approximately +8‰. These values were remarkably close to those of the cinnabar excavated from late Yayoi sites in Japan.

Of course, an isotopic match alone does not allow us to conclude immediately that cinnabar was transported from China to Japan. Other deposits may produce similar isotope ratios, and the processes of mining, ore dressing, processing, and transportation also require careful consideration. Nevertheless, the evidence is highly significant. There are materials that are difficult to explain simply as cinnabar obtained from within Japan, while the cinnabar deposits of the Qinling Mountains have emerged as a plausible candidate for their source.

Equally important, in my view, are the geographical conditions.

According to Shimazaki, traveling northward from the Seidougou–Gongguan area leads toward Chang’an (present-day Xi’an), the capital of the Qin and Han empires, while traveling southward leads to the Han River. The Han River connects with the Yangtze River near present-day Wuhan, opening up the possibility of a waterborne transportation network extending from the Yangtze basin toward the East China Sea and, ultimately, the Japan Sea.

Shimazaki himself, with such a route in mind, discusses the possibility that cinnabar was transported to the Japanese Archipelago during the late Yayoi period as a trade commodity exchanged with political groups along the Japan Sea coast and in northern Kyushu.

Building on this observation, I would like to propose a working hypothesis: the “Cinnabar Road.”

When considering interactions between the Japanese Archipelago and the Chinese mainland during the late Yayoi period, rather than treating them simply as an abstract process of “Chinese culture being transmitted to Japan,” I suggest that we should approach the question from the perspective of concrete material logistics.

In other words, we should ask:

Where was a particular material produced?
Who collected and controlled it?
Which river systems and maritime routes did it pass through?
Which communities received it?
How was it used there?
And what social, ritual, or political significance was assigned to it?

From this perspective, the “Cinnabar Road” should not be understood as a single, linear trade route.

Rather, it may have constituted a wide-ranging interaction network, linking multiple riverine, coastal, and maritime routes:

Cinnabar-producing regions of the Qinling Mountains

Han River system

Yangtze River basin

East China Sea

Japan Sea

Northern Kyushu · San’in · Wakasa · Kinai

What I would like to pursue one step further is the possibility of viewing the “Cinnabar Road” not merely as a route for the movement of a mineral resource, but as a network through which cultural elements also moved.

I have long been interested in the Camellia Forest Culture theory (Shōyōjurin Bunka-ron) proposed by scholars such as Sasuke Nakao. When considering similarities among cultural elements distributed across the broad evergreen-broadleaf forest zone of East and Southeast Asia, I have wondered whether it is sufficient to understand them simply in terms of “cultural diffusion.” It may be more productive to regard them as part of an interaction sphere in which people, goods, technologies, beliefs, and rituals moved together in complex ways.

If this perspective is applied to cinnabar, we can consider the possibility that cinnabar did not travel from China to Japan as an isolated commodity. Rather, the cinnabar itself may have moved together with the ritual, funerary, and symbolic practices that created a demand for it—including practices associated with mortuary rites, ritual authority, and the representation of political status.

There is, of course, no conclusive evidence for such an interpretation at present. But that is precisely why I believe there is value in proposing the “Cinnabar Road” as a working hypothesis.

The important point is not to conclude simply that “Chinese culture was transmitted to Japan.”

Rather, the questions are:

Where was the cinnabar mined?
Who acquired and controlled it?
By what routes was it transported?
Which political groups or communities received it?
Why did they require such quantities of cinnabar?
And what kinds of cultural, religious, and technological information may have moved together with the cinnabar?

These questions should be examined one by one against archaeological, geological, historical, and geographical evidence.

Seen in this light, the “Cinnabar Road” is more than a trade route for cinnabar. It may provide a window onto the movement of people, goods, information, and beliefs in East Asia during the late Yayoi period.

This is a small idea that began with an article I happened to read by chance. Yet if we reconsider Yayoi-era interaction between Japan and China not simply in terms of “cultural transmission,” but from the perspective of the movement of materials, this seemingly small substance—cinnabar—may turn out to point toward a surprisingly large historical process.

2026年9月7日月曜日

「正税帳」研究の「一歩先」を考える

 

正税帳研究の「一歩先」を考える

――中央官衙の文書処理と、失われた行政記録をめぐる作業仮説――

1)はじめに

従来の正税帳研究史を振り返ると、その研究の主軸は「正税帳そのもの」であった。

すなわち、

  • なぜ正税帳を作成したのか
  • どのような情報が記載されているのか
  • どのような会計構造を持っているのか
  • 地方官衙ではどのような業務を経て正税帳が作られたのか
  • 正税帳は中央政府に対して何を説明しようとしたのか

という課題を多くの専門家が取り組んだ。その過程を経て、正税帳を単なる「地方から中央への報告書」と見る理解から離れ、我々は、これを、

地方官衙で発生した多様な現実を、中央政府が理解・照合・判断できる行政情報へ変換する「情報インターフェース」

として捉える独自の作業仮説を提出した。これに対する検証は終わっていないものの、我々の観点を支えるのは、次のような分析視点である。なるほど正税帳には、単なる数字の集計だけではなく、身死による免稲、不用馬の売却、酒・滓、雑用、運夫粮料、倉庫の状況など、地方行政の現場で発生する多様な問題が記載されている。だからこそ、正税帳は、

地方行政の現場で発生した「制度では予定しきれない現実」を、数量・分類・会計・法的カテゴリーへ変換し、中央に対して説明可能にする装置

であった可能性の存在である。それを踏まえて、我々の考察をさらに先に進めるならば、新たな問題に直面する。換言すれば、

「正税帳が中央へ上進された」

ところで終わらず、むしろ、

「中央は、上進された正税帳をその後どう処理したのか」

という課題である。律令に規定されているから上進された正税帳であった。それはまちがいない。しかしながらその正税帳の行きつく先で、その正税帳がどのように取り扱われたかを解明しなくては、律令制の本質の片面を見落としていないだろうか。本稿は、その立場の表明に重点を置くことにある。

2) 「上進」で正税帳の仕事は終わったのか

従来の史料の見方では、概略的には、

地方官衙

正税帳作成

中央へ上進

という一方向の流れを想定する。しかしながら、現実の行政実務を考えると、この理解には大きな空白がある。中央政府には、全国約60か国から大量の文書が届く。自然な理解として、送達先の中央官衙の官人らが、単に「受け取りました」と言って、受領印を押して、それぞれの帳簿をそのまま文書保管所に置いたままにしたとは考えにくい。

当然、

  • 受け取ったか
  • どの国の文書か
  • 何年度のものか
  • 必要な帳簿が揃っているか
  • 数字に矛盾がないか
  • 他の報告と一致しているか
  • 異常な数値はないか
  • 説明を必要とする事項はないか
  • 地方に問い合わせる必要があるか
  • 既に処理が終了したか

といった行政上の仕事が発生する。したがって、正税帳の上進は行政過程の「執着点」ではなく、

中央官衙における新しい行政処理の「起点」

であったと想定しても、何も不合理ではないはずである。

3) 「中央で何をしたのか」という問い

ここで、我々の想定が妥当だとすれば、次の発想を許していただけるだろう。それは、

「もし正税帳が中央官衙に送達された時点から、実際に文書処理が進行するにつれて、どんな文書が新たに作成されたのか」

を、今後予測することで、我々の視野は大きく拡大するに違いない。これは、「こんな文書があったはずだ」と勝手に想像することとは違う。重要なのは。

行政業務から必要文書を逆算する

という発想の逆転である。たとえば、現代の行政組織と比較しただけでも。最低でも

   ①大量の書類が届けば、受領記録の必要が生じる。

   ②処理すべき案件が多数あれば、一覧表の必要が生じる。

   ③問題を発見すれば、問題点を記録する必要が生じる。

   ④相手に訂正を求めれば、その指示を残す必要が生じる。

   ⑤回答が届けば、それを受領したことを確認する必要がある。

   ⑥再確認すれば、その処理結果を記録する必要がある。

   ⑦未処理の案件があれば、それを次の担当者へ引き継ぐ必要がある。

の事務手続きがスタートして、行政が実際に動けば、その動きしたがって、何らかの文書的痕跡が伴うことは、だれしも、どこでも、いつでも容易に想起できる。この発想が本稿の主軸にある。

4) 予測される「文書の連鎖」

 中央各官衙が正税帳を実際に処理した時点から、一冊の帳簿だけではなく、複数の文書・記録が連鎖することは言うまでもない。その第一段階として、次の十種類のプロセスを容易に推定できるだろう。

1 受領の痕跡

地方から正税帳が「到達」した瞬間、その担当官衙内部では ①収受(到達確認)→②文書管理簿登載→③形式審査→④実質審査開始 という4段階の事務処理が即時にスタートしたに違いない。具体的には、

  • 何国から
  • 何年度の
  • 何という帳簿が
  • いつ到着したか

を記録する何らかの受領記録作成を必要となっただろう、文書管理簿への記載(差出人・件名・到達日・経由機関名)⇒文書余白への収受印押印もしくは署名⇒一時保管用文書番号付与は最低限でも存在したと推定するのは、たとえ単純な「受付簿」であったにせよ、その膨大な数量の帳簿整理なくして、次の形式審査に迎えるはずがない。我々にとって重要なのは名称ではなく、

「中央各官衙が、その文書を受け取ったことを管理していた痕跡」

である。今、長屋王邸から出土した無数の木簡から類推して、それは紙媒体ではなく、木片であった可能性も十分に想定しておくべきだろう。

2 進上文書の目録

さらに大量の文書を処理するためには、

「どの国から、どの文書が提出されたか」

を一覧化する必要があったと考えて、不自然ではない。そうであれば、

   進上文書目録

の存在を仮説として提案したい。これは何も正税帳だけの一覧表とは限らない。『出雲国計会帳』から判断して、

  各国から送達された租税関係、戸籍・計帳、考課、貢進物、その他の解・牒・符など

をまとめた中央側の文書管理記録であった。強調したいのは、我々が探すべきものは必ずしも「正税帳目録」ではない。

「中央に集まってくる地方文書を管理する仕組み」

そのものである。

5)中央による点検・審査

 正税帳が保存書庫に直送される単なる保存用の文書ではなく、行政上の認識を成立させるための情報インターフェースであったならば、中央官衙側では当然に、形式書類審査の項目として典型である 

  • 様式の適合性(最新様式か)
  • 記載漏れ・押印漏れ
  • 添付書類の有無
  • 前年度との比較
  • 国・郡別の合計
  • 他帳簿との一致
  • 法令上の提出要件(期限など)
  • 誤送付・誤分類の有無

などを審査したはずである。形式不備がある場合は補正指示を行い、補正後に「受理」へ進む。ここでは「中央官衙がすべてを精査した」と即断してはならない。むしろ重要なのは、

中央が何を、どの程度、どの方法で確認したのか

という認識である。

6) 疑義事項のメモ

ここから、さらに興味深い問題が出てくる。

もし審査・点検によって、

「この数字は何か」
「なぜこの支出が発生しているのか」
「この減少は何によるのか」
「この免除は認められるのか」
「この数量の計算は正しいのか」

という疑問が生じたなら、中央官僚はそれを記憶だけで処理できない。まずは補正指示(返戻)の内容は

  • 不備の具体的指摘(例:添付書類不足、記載漏れ)

  • 補正すべき箇所の明示

  • 補正方法(再提出・追加資料提出・訂正印など)

  • 補正期限の設定(行政手続法 §7 に基づく)

などが推定されるが、その瞬間に

疑義事項を記録する何らかのメモ、控え、一覧、付箋的記録

が存在しただろう。ここでも、必ずしも「正式な文書」である必要はない。木簡、紙片、帳簿の余白、控え、付札など、極めて簡便な作業記録だった可能性も十分に想定できる。この手続きは、「作業原簿」の観点に立てば、地方官衙でも適用された仕組みであろう。例えば、

中央官衙にも「作業記録」が存在したのではないか。

という見込みである。他方で、到達後に直ちに行われる管理処理として、

  • 文書の分類(行政文書ファイルへの編入)

  • 保存期間の設定(1年〜30年、または永久)

  • 保存期間満了後の移管・廃棄の予定設定(レコードスケジュール)

など、「書類審査」とは別系統の、一般的な文書管理体系の自動起動である。

7) 地方への指示

疑義が発生すれば、次の段階は地方への問い合わせ・指示である。例えば尾張国正税帳に不備が発見されたと仮定すれば、

中央各官衙は、

「この部分について説明せよ」=不備の具体的指示
「数字を再確認せよ」
「誤りがあるので訂正せよ」
「必要な根拠資料を添付・提出せよ」

   「補訂期限の設定」 

などの補正指示(返戻)を尾張国司に送ったはずである。ここで注意すべきは、

   「正税帳に不備がある」

ということと、

   「その不備を中央がどう処理したか」

は別問題だということである。これまでの研究史をたどると、前者に重きを置いて検討を重ねてきた傾向は否めない。その視点を逆な方向へも向けたいと提唱したい。

8) 地方からの回答・再上進

中央から指示が出れば、地方はそれに回答する。したがって、

地方 → 中央

という一方向の通信ではなく、

地方

正税帳上進

中央点検

疑義

中央指示

地方回答

再上進

という循環型の行政通信が想定される。この構造が確認できれば、我々がこれまで構想してきた「通信モデル」は、単なる比喩ではなく、古代行政の実務構造を説明するモデルへ一歩近づく。単に回答が到着しただけでは、行政処理は完了したといえない。

中央は、

「指示した事項について補正期限内に回答があったか」

を確認し、

「回答によって疑義が解消されたか」

を再確認する必要がある。ここに、

   再点検・再確認

という行政行為を想定できる。もしこのような過程が存在したなら、正税帳は一度提出して終わる「報告書」ではない。むしろ、

地方と中央との間で、情報を何度も往復させながら行政上の認識を成立させる媒体

だったことになる。

9) 処理完了の記録

さらに、中央では、収受印が正式に確定し、標準処理期間が再起動し、内容審査(実質審査)が開始し、さらに決裁ルートへ起案可能となる。そのレベルに達した後、

「この案件は処理済みである」

という状態管理が必要になる。全国から多数の文書が届く以上、

  • 未処理
  • 処理中
  • 回答待ち
  • 再確認中
  • 処理完了

といった状態を何らかの形で管理していた可能性がある。

ここで想定されるのが、

「処理完了記録」(仮称)

である。もちろん、そのような名称の帳簿が存在したと断定することはできないし、管見の限りではいまだ発見に至っていない。しかし、

行政処理が存在したなら、処理状態を管理する何らかの仕組みが必要だったのではないか

という疑問いは残る。

10) 未処理案件の持越し

これは、さらに現実的な問題である。すべての案件が一日、一月、一年のうちに処理されるとは限らない。

  自然災害などが理由で遅れることもある。

  担当者が交代することもある。

  中央で判断を要する案件もある。

したがって、

「まだ処理が終わっていない案件」

を次の担当者・次の処理期間へ持ち越すための記録が存在した可能性もある。もしこのような記録があれば、それは古代国家行政の意外に高度な側面を示すことになる。すなわち、古代官僚制は単に文書を「作成」していたのではなく、

案件を発生させ、処理し、保留し、再開し、完了させる「ワークフロー」を管理していた

という側面に気づくはずである。

11) 処理済み文書の廃棄・再利用

そして最後に、本稿の目的に立ち返るならば、中央で行政処理が完了した文書は、その後どうなったのかという疑問を呈したい。我々が三つの可能性を区別したい。

A 重要文書として保存された

中央政府が、「重要である」と判断して長期間保存の指示。

B 行政上の必要性がなくなり、廃棄された

処理が完了し、もはや行政上の利用価値を失ったため、廃棄の指示。

C 別用途に再利用された

不要となった文書が、紙そのものの価値によって別の官衙・写経所などで再利用の指示。

改めて言及するまでもないが、現在、我々の手に残されている正倉院文書の性格を再考してはどうだろうか。

12)「残った史料」から「失われた史料」へ

 それゆえに、本稿では別な角度から発想したアイディアを提出したい。周知のごとく我々が見る正税帳は、奈良時代に作成された正税帳の全体ではない。むしろ、

作成された大量の正税帳のうち、何らかの文書のライフサイクルを経て、現在まで残ったものだけ

である。したがって、これまでのように「なぜこの正税帳が残ったのか」という問いだけでは不十分である。その一方先に立ち、

「なぜ、ほとんどの正税帳は残っていないのか」

を問うべきではないだろうか。この逆転の思考を大切にしたい。

13) 「中央による選別保存」という大胆な仮説

ここでも、仮定の上に仮定を重ねる式であると重々知りつつ、一つの大胆な作業仮説を置くことができる。

現在われわれが読むことのできる正税帳は、奈良時代に作成された正税帳の「代表標本」ではない。中央政府による行政的処理と、その後の文書選別を通過して生き残った「選択された残存物」なのではないか。

さらに大胆に言えば、

正倉院文書に残った正税帳は、「偶然保存された帳簿」なのではなく、中央政府の文書管理・廃棄・再利用の過程を経た結果として、今日まで残った帳簿なのではないか。

ただし、この段階では、これは事実認定ではなく研究仮説である。我々の狙いは「偶然な残存」という通説から脱却し、「偶然性」を「必然性」に転換させることである。

そして、この仮説には反証可能性を認めたい。もし本当に中央による選別が存在したならば、現存正税帳には、現場に残す痕跡(trace evidence)として俗にいう「指紋もしくはDNA」が残存していたと考えたい。

14) 「史料の指紋」を探す

中央による選別や行政処理があったなら、現存史料に偏りが現れるはずである。例えば、

  • 特定の年代に集中している
  • 特定の地域の正税帳が多い
  • 特定の帳簿類だけが残る
  • 一つの国について複数の関連文書が残る
  • 数字の異常や特殊な行政処理を含む文書が残りやすい
  • 中央で問題になった可能性のある事項を含む文書が残る
  • 再利用された紙の状態に共通性がある
  • 行政処理終了後、比較的早期に再利用された形跡がある

などである。観点を変えれば、

「何が残ったか」ではなく、「残ったものにどのような偏りがあるか」

のPattern Evidenceを探すことである。文書選別の存在を逆算できる可能を探すことである。

15)もう一つの可能性

先ほどの「中央が重要文書を選んで保存した」という作業仮説だけに固執するのではなく、逆の可能性も同時に検討する心構えが求められる。

中央で行政処理が完了したからこそ、文書としての行政的生命が終了し、廃棄・再利用されたのではないか。

この場合、正倉院文書に残った正税帳は、「重要だから保存された文書」ではなく、

「行政上の役割を終えたため廃棄・再利用された文書」

であったと考えることである。今後、我々の調査の前提は

  保存選別

  廃棄選別

  再利用選別

を区別することになる。

16)「ないもの」を予測する

従来の史料研究では、一般的に「残っている史料から何が分かるか」に注力してきた。その逆に言えば、「史料に記述されていないことは、語らない」式のトレーニングであった。しかし、これだけでは不十分であることは、上述した通りである。我々は一歩先に立ち、

「この行政システムが本当に存在したなら、どんな文書が存在しなければならないのか」

を予見する。そして、その予測と現存史料を比較する。

例えば、

行政行為予測される文書的痕跡
文書を受け取る受領記録(仮称、以下同様)
大量の文書を管理する進上文書目録
帳簿を確認する点検・勘検記録
疑問を発見する疑義事項メモ
地方に命令する指示書・符・牒等
地方が回答する回答・再上進文書
再確認する再点検記録
処理を終了する処理完了記録
処理が終わらない未処理案件の管理記録
文書を廃棄する廃棄・再利用の痕跡

である。そして、

「この中で現存するものは何か」

を探す。さらに、予知を進めて、

「存在したはずなのに、なぜ残っていないのか」

を検討する。これが、未来の新しい史料批判の方法ではないだろうか。「ナイナイと嘆き続けるのではなく、あったとするならば」という発想の逆転である。

17) 「ない」ことと「あったはず」

「予測した文書が見つからない」からといって、「存在しなかった」と即断してはならない。

「行政上必要だったはずだから、必ず存在した」

と断定することも、それもむやみにしてはならないのは「偽書」の恐れと至るからである。

そこで、少なくとも次の六つの可能性を識別してはどうだろうか。

  1. そもそも存在しなかった
  2. 存在したが、短期間で廃棄された
  3. 存在したが、紙ではなく木簡など別媒体だった
  4. 別の帳簿・文書に吸収された
  5. 断片として現存しているが、それと認識されていない
  6. 現在まで残っているが、別の名称・分類の下に置かれている

正倉院文書の残存状態を知る限り、特に第5・第6の状態で伝来してきたに違いない。

つまり、「ない」のではなく、「それだと認識していなかった」という認識の下、江戸時代後半まで至った。

18) 「正税帳研究」から「正税帳を扱った人々の仕事研究」へ

この視点に立つと、研究対象そのものが変わる。これまでは、

正税帳に何が書かれているか

を研究してきた。だからこそ

正税帳を誰が、いつ、どのように読み、どこを確認し、どことどこを計算し、何を問題とし、誰に何を指示し、その回答をどう処理したのか

などへの着目であった。とりわけ先行研究者の努力が断片の連続性と全体像の復元であった。「正税帳研究」の重心を「正税帳をめぐる行政実務研究」へと移行してもよい時期に至ったと提案したい。かなり大きな転換であるのは、正税帳が一枚の完成した文書ではなく、その背後には、

作成する人

点検する人

上進する人

受領する人

検査する人

疑義を発見する人

指示する人

回答を作成する人

再確認する人

処理を完了する人

最後に文書を保存・廃棄・再利用する人

という、巨大な行政労働の連鎖があったと推測されるからである。

19)「通信モデル」

これまで我々が考えてきた「通信モデル」は、

地方 → 中央

という単純な通信ではなかった。こんごは、

   現場情報の発生

作業原簿・中間記録

地方官衙での照合・集計

正税帳への再編成

中央への上進

中央での受領・目録化

点検・勘検

疑義事項の抽出

地方への指示

地方からの回答・再上進

中央での再点検

行政的認識の成立

処理完了

保存・廃棄・再利用

という循環的な情報処理システムを構想したい。そのためには、正税帳は「報告書」であるとともに、行政処理の途中に置かれた媒介文書だという前提に立つことになる

20) 尾張国正税帳を「中央側から」読み直す

われわれの「現場モデル」を具体化するうえで、尾張国正税帳を取り上げたい。非常に重要な材料になるはずである。たとえば、

  • 不動穀
  • 動用穀
  • 正税穀
  • 郡稲
  • 出挙
  • 身死免稲
  • 不用馬売却
  • 皮の売却
  • 雑用
  • 運雑物夫粮料
  • 倉庫の状況
  • 酒と滓
  • 「病」
  • 「向京」

などの記載を見るとき、これまでは、

「なぜこの情報が記載されたのか」

を考えてきた。さらに、

「中央官僚がこの数字を見たとき、何をチェックした可能性があるか」

と問う視点も導入してほしいと強調した。

例えば、

出挙の元本と利稲

利率の確認

あるいは、

古稲

造穀・得穀

数量関係の確認

あるいは、

身死による免稲

債権減免の根拠確認

あるいは、

不用馬売却

資産処分の妥当性確認

というように、正税帳の各項目を「中央のチェック項目」として逆向きに読むことである。

21) 「サンプリング」という新しい問題

さらに本稿の議論を前提とすれば、もう一つ重要な問題に気付く。中央は本当に正税帳の全項目を詳細に確認したのかという疑問である。

異常値や重要項目だけを抽出して確認したのか。

これは現代的な意味での「サンプリング」法であるが、現在と完全に同じだったと断定する必要はない。

大量の行政情報を処理するには、どこを重点的に見るかを決める必要がある

という問題は古代でも変わらない。

もし中央が、

  • 前年度との差
  • 大幅な増減
  • 特殊な免除
  • 資産売却
  • 出挙利率
  • 大規模な支出
  • 特異な数量
  • 他帳簿との不一致

などを重点的に確認していたなら、正税帳そのものの記載構造に「中央がチェックしやすいように作られた構造」が現れている可能性がある。

22) 正税帳は「地方で作成された完成品」か

第一の作業仮説は、

現存する正税帳は、何らかの選別を経て残ったのではないか。

第二の作業仮説は、

中央官衙には、正税帳を処理するための受領記録・点検記録・指示書・再提出管理記録などが存在したのではないか。

しかし、この二つは実は一つのコインの裏表である。それというのも、

「正税帳には、我々がまだ見ていない文書的な前史と後史があるのではないか」

というフェーズである。

正税帳が突然、「地方で作成された完成品」として現れ、「中央へ提出され、そのまま正倉院に残った」わけではないと仮定するか、そうでないかで見解は大きくことなる。県史や市町村史に多く見られるように「偶然に残った」とすれば、読書の疑問はその時点で遮断されてきた。しかしながら、多くの読者の不満は、正税帳作成には、

   作成・集計・照合・上進

という作業があり、その後には、

   受領・点検・疑義・指示・回答・再点検・処理完了・保存・廃棄・再利用

があったと想定するならば、「偶然だ」との説明の論拠を失いかねないだろう。我々が現在見ているのは、その巨大な行政過程の一断面にすぎないからだ。

23) 今後の史料調査

したがって、今後の史料探索では、「正税帳」という語だけを検索してはいけない。

むしろ、

① 受領:受領、到来、進上、納入など、文書が中央に到着したことを示す表現。

② 点検:勘、勘検、検校、校合、照合など、文書を確認したことを示す表現。

③ 疑義:不備、誤り、疑問、未詳、勘申を要求する表現。

④ 指示:符、牒、移、下知など、中央から地方へ命令・問い合わせを伝える文書。

⑤ 回答:勘申、解、請、返答、再提出など、地方から中央への応答。

⑥ 再確認:再勘、再検、校合、確認済みなどの処理。

⑦ 処理終了:案件が終了したことを示す痕跡。

⑧ 未処理:保留、未進、未勘、後日処理などの痕跡。

⑨ 文書管理:案、控、目録、付、具注など、文書そのものを管理した痕跡。

⑩ 廃棄・再利用:反故、裏面利用、裁断、再利用など、文書の第二の生命を示す痕跡。

こうした語彙を横断的に調査することで、我々の目的に近づくと予感する。

正税帳という名称を持たない文書の中から、

「正税帳を処理するための文書」

が浮かび上がる。

24) 「史料がない」ことは研究の終点か

最終的に中央側の「チェックリスト」や「処理簿」が一枚も発見されなかったとしても、研究はそこで終わらない。むしろ、

「なぜ、存在した可能性のある中央側の実務記録が残っていないのか」

を次の問題にする。その理由として、

  • 一時的なメモだった
  • 木簡だった
  • 行政処理終了後に廃棄された
  • 正式文書に転記された後に廃棄された
  • 他の帳簿に統合された
  • 写経所などで再利用された
  • 文書名が異なるため、現在の史料分類では発見できない

などを検討することになる。したがって、

史料の不在そのものを史料批判の対象にする。

25)おわりにかえて――「正税帳の向こう側」へ

本稿の目的は、正税帳研究のさらなる問い掛への旅立ち宣言である。従来の常識での問いは、偶然に正倉院に残存した断片から

「正税帳には何が書かれているのか」

だった。その次に、

「なぜ、そこまでして正税帳を作ったのか」

が生まれた。ここで我々の問題設定は、では

「中央政府は、それを受け取って何をしたのか」

へ進んだ。そしてその疑問の先へ進め、

「中央政府が本当に正税帳を処理していたなら、その仕事を記録するために、どのような文書を必要としたはずなのか。」

そこから、

受領の痕跡

進上文書の目録

点検・勘検

疑義事項の記録

地方への指示

地方からの回答・再上進

再点検

処理完了

未処理案件の管理

保存・廃棄・再利用

という「文書の連鎖・循環」を予測した。この連鎖のどこかには、現在の正倉院文書、木簡、正税帳断簡、解・牒・符その他の行政文書と接続する痕跡が残っているというかすかな期待の上にある。そして、もしその痕跡が見つからなかったとしても、問題は消えない。

「なぜ存在したはずの文書が残っていないのか。」

この問いを次に追究することによって、正税帳研究は、

「残された帳簿を読む研究」

から、

「帳簿が作られ、送られ、読まれ、処理され、指示が出され、回答が返され、最終的に保存・廃棄・再利用されるまでの、文書の全生命史を復元する研究」

へと必然的に転換する。そして、この視点に立ったとき、正倉院文書に残る正税帳は、もはや孤立した古文書ではない。

それは、

古代国家という巨大な情報処理システムの中で、地方と中央の官僚が実際に仕事をした痕跡

となるはずである。もはや我々の視点は、正税帳の「前」と「後」に向かることになる。

そして最も重要なのは、その「後」にある。なぜなら、そこには、

正税帳を読んだ人間が何を考え、何を疑い、何を命じ、何を確認し、そして何を「処理済み」としたのか

という、これまでほとんど見えていなかった古代官僚制の本質を解析できる豊穣の大地が開けるからである