2026年7月27日月曜日

「駿河」と「敦賀」ーー奇妙な音韻対応

1,要点:中古中国漢字音 -n → 古代日本漢字音 -r の対応

「駿河」という国名がある。

この「駿」は、Bernhard Karlgrenの中古漢字音復元によると、

 ①声母:知母(tɕ- 系)

等:三等

開合:合口

韻:諄韻(-jun 系)

声調:去声

である。したがて、 Karlgren の表記(GSR)に従えば、

tsy + un → tsyun

となる。ちなみに、

*王力はt͡ɕyn
*李方桂はt͡ɕwin
である。いずれにせよ、「駿」の末尾音は「N」である。
 ところで、本来中期中国漢字音は「N」であるにもかかわらず、日本では「駿河 Suru+Ga」にあてている(ちなみにR+uの語末母音<幹形成母音、あるいは語幹母音>uは、「行く(Ik+u)」とか「来る(Kur+u)」と同様である。
とすれば、中国語と日本語の対応が興味深く、「N⇒R」は奇妙な対応である。

その類例を探せば、
*敦賀(Turu+Ga)
もそうである。Bernhard Karlgrenによる中古漢語復元音『敦』は、

中古音:tuan(トゥアン)系 (端母 *t- + 元韻 *-uan)

である。この例にしても、駿河と同様に、「N⇒R」である。

この対応に関する語例を数多く採集する必要があるものの、その点は博雅の士のお力をお借りしたい。


********************

2。問題設定、なぜ 中古中国漢字音-n が 古代日本漢字音-r に化けるのか

仮説:奈良時代の日本語において

語末鼻音 *-n がまだ安定していない
語中鼻音も限定的
/r/ が「語中子音のつなぎ」として機能

したがって、外来語の語末鼻音は /r/ に転写されやすいとも考えられる。

つまり中古中国語音の *-n は、

1,完全閉鎖の鼻音ではなかった可能性
2,母音化した鼻音(鼻母音)に近かった可能性
のいずれかを想定できる。

したがって、日本語母語話者はこれを *「母音+軽い子音」= /r/ に近い音 として理解したとみて良いだろう。

さらに仮説を立てれば、古代日本語の /r/ は「軽い子音」であり、鼻音の代替になりやすいと推定してはどうだろうか。

つまり古代日本漢字音の /r/ の特徴は、

A,「たった」:一拍の軽い舌先音

B、/n/ と同じ「歯茎音」領域

C:「/t/音」と音韻的に近い音

であったとみなしえないだろうか、こうした我々の仮説に合理性があれば、

中古漢語 -n → 古代日本語 -r の対応

にも、鼻音の代償として転化したという音韻的合理性を見出せる

2026年7月17日金曜日

「古代陸奥国5郡の広域行政ネットワーク」論の試み

 議論の前提:陸奥国「磐城・行方・牡鹿・黒川・名取」の5郡は、相互に孤立した郡ではなく、城柵(多賀城)・国府文書体系・蝦夷支配・軍団制・移民政策・飢饉・疫病・地震等の非常時対応などを軸に郡司同士が連動する「国府媒介型広域行政ネットワーク」を形成していた。つまり、 国府を介した 在地豪族(郡司)同士の連携が不可欠であったからである。

論文要旨:従来、律令国家における広域支配は、官道・駅伝・城柵・軍団など、人員・物資の移動を中心として理解されてきた。しかし、これらの制度を実際に機能させた基盤は、各郡から国府へ継続的に提出された正税帳・計帳・郡稲帳・郡司解などの行政文書であった。国府はこれらを集約・照合・保管し、国全体の財政・人口・軍事・物流・災害情報を一元的に把握していたのである。すなわち、律令国家の広域支配は、道路網や駅伝網だけでなく、文書の作成・提出・保管・再配分によって形成された情報ネットワーク・データバンクの上に成り立っていたと考えられる。


以下は、その主なFramework。長文の論文は読まれることはないと予想するので、それは別掲する。

<1> 5郡の地理的配置と機能(ネットワークの前提)

分析視点:陸奥国の太平洋側に連なる5郡は、多賀城(国府)を中心に、国府を介した放射状・機能分担型広域行政ネットワークを結んでいた

<1> 多賀城を中核とする五郡の機能分担

多賀城(国府・鎮守府)は、陸奥国の政治・軍事・財政・情報の中枢として機能した。その広域支配を支えたのが、磐城・行方・牡鹿・黒川・名取の五郡であり、それぞれが異なる行政機能を担いながら、国府を中心とする一体的な広域行政ネットワークを形成していたと考えられる。

(1)磐城郡 ― 南部軍事・境界情報の拠点

国府への主な機能

  • 陸奥国南端における軍事防衛
  • 東海道北端としての陸上交通管理
  • 関東系移民の受け入れ・統括
  • 軍団兵・軍事物資の供給
  • 南部境界情報の国府への報告

軍事・移民・境界情報を担う前線郡

(2)行方郡 ― 海上交通・物流の拠点

国府への主な機能

  • 常陸・磐城・多賀城を結ぶ海浜交通
  • 海上交通路の維持・監視
  • 製塩・海産物の供給
  • 調物の海上輸送

海上物流・海浜交通を担う郡

(3)牡鹿郡 ― 北方海域との接点

国府への主な機能

  • 三陸沿岸航路の管理
  • 海獣・魚類など海産資源の供給
  • 蝦夷海上勢力との接触・情報収集
  • 北方海域情報の集約

北方海域との情報・物流拠点

(4)黒川郡 ― 内陸交通・兵站の拠点

国府への主な機能

  • 玉造・加美・大崎方面への交通結節点
  • 内陸物資の集積・中継
  • 軍団兵の供給
  • 北方城柵への兵站基地
  • 在地勢力との調整

内陸物流・兵站・交通の中核郡

(5)名取郡 ― 国府直轄行政の基盤

国府への主な機能

  • 多賀城の日常行政支援
  • 徭役・調庸・物資供給
  • 国府官人への人的・物的支援
  • 国府直轄地としての行政運営

国府行政を支えるバックヤード


以上のような機能分担は、各郡が独立して遂行したものではない。各郡で生み出された軍事・財政・人口・物流・海上交通などの情報は、郡司解・正税帳・計帳・郡稲帳などの行政文書として国府へ集約され、国府はそれらを照合・管理することによって国全体の行政を統括していた。したがって、五郡を結び付けていた実体は、道路や駅伝だけではなく、文書の作成・提出・保管・再配分によって形成された広域行政情報ネットワークであったと考えられる。


 <2> 郡司ネットワークの構造的研究

軍事ネットワーク(蝦夷支配・軍団制)

  • 磐城・黒川は 軍団兵士制の主力供給郡

  • 名取は 鎮守府(多賀城)への兵士・物資供給

  • 行方・牡鹿は 海上監視・蝦夷海上勢力の情報収集

  • 天平5柵などをはじめとする蝦夷対策用城柵などの武器調達・兵士の軍事訓練

郡司は多賀城を介して軍事情報を相互に共有し、蝦夷境界の監視を分担した。

行政ネットワーク(城柵・国府文書体系)

  • 多賀城官衙は 郡司文書の集約拠点

  • 名取郡司は国府と最も密接に連動

  • 黒川・行方・牡鹿は 城柵官衙(名生館・赤井) と連動

  • 磐城郡司は南方の蝦夷境界情報を国府へ送達

郡司は国府文書体系を媒介として、各郡の行政情報は相互に結び付けられ、郡境を越えた行政情報ネットワークを形成した。

移民ネットワーク(部民制・屯倉制の残存)

  • 7世紀後半〜8世紀前半、関東・畿内からの移民集団が各郡に配置され、郡司は移民集団の管理を通じて互いに連動した。同時に、古代のエミシ移配政策とその展開

例:

  • 磐城=東国系移民

  • 名取=畿内系移民(存擬)

  • 黒川=古墳時代以来の在地勢力

  • 行方・牡鹿=漁労系集団

郡司は移民集団の管理を担い、加えて移民の保護や支援、夷俘と移民との間に予想されるトラブル防止など、国府を中心とする人口管理体制が形成された可能性がある。

④ 正税倉を中心とした物資供給ネットワーク(調庸・蝦夷饗給)

  • 名取:国府への調庸物の中心

  • 行方・牡鹿:海産物(調物)

  • 黒川:内陸物資(木材・雑物)

  • 磐城:軍事物資(干魚・布・馬)

国府を介して、正倉を中心に集積・再配分各郡の物資が集積・再配分され国府の財政を支える「広域物流ネットワーク」を形成した。

 <3> 郡司ネットワークの「通信・情報伝達」モデル

 ① 斥候(蝦夷監視)

郡司は蝦夷の動向を互いに共有し、国司の「斥候」権限を補助した。

 ② 継文(文書の連絡)

郡司は木簡・継文を用いて、郡境を越えた情報伝達を行った(正倉院文書)。

③ 国府への報告

国司・国衙官人が中心となり、他郡の情報を国府へ集約して送達した。

駅鈴・駅馬

 <4>まとめに代えて: 多賀城を中核とする広域支配システム

多賀城は 郡司ネットワークのハブであり、郡司は以下の機能を通じて国府と連携した。

  • 軍事(鎮守府)

  • 財政(調庸・出挙)

  • 行政(郡司解・計帳・正税帳・郡稲帳などの文書行政、飢饉・疫病・地震等の非常時対応)

  • 交通(駅伝制)

  • 蝦夷支配(饗給・斥候・征討)

  • 情報ネットワーク:木簡・郡司解・駅伝・急使

郡司ネットワークは「多賀城を中心とした広域支配圏」であった。

2026年7月15日水曜日

万葉集における鳥声表現と鈴木俊貴先生

東京大学先端科学技術研究センターの鈴木俊貴准教授は、シジュウカラという身近な鳥が独自の「単語があったり、単語を組み合わせて文章を作ったり、ジェスチャーまで」を持つことを世界で初めて証明した。

これは独創的で、画期的な研究で、世界で最初であった、

興味深いことに、単にシジュウカラではないものの、古代人が万葉集において鳥声表現を観察し、その体系化(例:来継ぐ・響く・木声など)を調査しなおすと、鈴木先生の補足資料を提供できる可能性を秘めている。

万葉人の耳も鋭い。

だから、郡司も忙しいーー伊勢国安濃郡の文書体系一覧(第1稿)

 第1稿である。今後、第2稿以降で、適宜、修正・増補・補綴を加えるつもりである。

(1)安濃郡の文書体系一覧

系統文書名作成主体主な内容・役割
租税系正税帳郡司・郡書生租税全体の基本台帳
調帳郡司・郡書生調(絹・布・特産物)の記録
庸帳郡司・郡書生労役・代納の記録
官田地子帳郡司・郡書生官田・ミヤケ田の地子・収穫
出挙帳郡司・郡書生稲の貸付・返済の記録
戸口・田地系計帳郡司・郡書生戸口・課丁・田地の総合台帳
郷戸課丁帳郷長→郡郡司郷ごとの戸数・課税対象者
田租帳郡司・郡書生田地ごとの租税額
貢調・神領系調進帳郡司・郡書生調の中央進上分の整理
貢物帳郡司・郡書生伊勢特産物(塩・アワビ(熨斗鮑=のしあわび)鮨鮑(すしあわび:発酵加工品)ツオ(煮堅魚・麁堅魚:乾燥加工品)海藻類(ワカメ・アラメなど)の貢納
神戸帳度会氏・神戸司外宮神領の戸口台帳(戸籍+計帳)
神田帳度会氏・神戸司神領田の土地台帳(田地台帳+田租帳)
官人・行政系考文国司→郡司郡司・在地官人の勤務評定
国符国司安濃郡への命令文書
庁宣国司実務的指示・通達
進上・往復系公文目録郡司・郡書生伊勢国府へ送る文書の一覧
遊牒国司・隣国司国境・往来・物資確認
返抄中央→国司受領・照合の返信
技術・地理系(安濃郡固有)条里地割図郡書生安濃川中流域の条里プラン
水利帳郡司・郡書生安濃川の堰・溝・灌漑管理
土木帳郡司・郡書生堤防・道路・橋梁の維持記録

(2)伊勢国府と安濃郡の文書流通経路(再構成)

1. 下から上へ(安濃郡 → 伊勢国府 → 中央)

  • 農民・部民 → 郷長・里長

    • 内容: 戸口・田地・収穫量・納税状況

    • 形式: 口頭+簡易記録

  • 郷長・里長 → 郡司・郡書生(安濃郡)

    • 内容: 郷戸課丁帳・田租帳の素材

    • 結果: 郡司・書生が 計帳・正税帳・調帳・庸帳 を作成

  • 郡司・書生 → 伊勢国府(国司)

    • 内容:

      • 計帳・税帳類

      • 調進帳・貢物帳

      • 神戸帳・神田帳(神領分は度会氏経由で国司へ)

    • 形式: 公文目録 にまとめて進上

  • 伊勢国府 → 中央(太政官・民部省など)

    • 内容: 国単位に集約された計帳・税帳・貢調帳

    • 結果: 中央で受領・照合 → 返抄 により受領通知が国司へ戻る

2. 上から下へ(中央 → 伊勢国府 → 安濃郡)

  • 中央 → 伊勢国府(国司)

    • 内容: 律令・格・詔勅・年次の課税方針

    • 形式: 詔書・太政官符など

  • 伊勢国府(国司) → 安濃郡(郡司)

    • 内容: 課税額・調・庸の割当、神領の扱い、考課方針

    • 形式: 国符・庁宣

  • 安濃郡(郡司・郡書生・案主・鎰取・駆使・伝馬長・徭丁など) → 郷長・里長

    • 内容: 実際の徴税・調進・労役の割当

    • 形式: 在地レベルの指示(口頭+簡易文書)

3. 安濃郡固有の「横の流れ」(技術・神領)

  • 郡書生・案主・鎰取・駆使・伝馬長・徭丁など←郡司(大領・少領・主政・主帳)

    • 内容: 条里地割図・水利帳・土木帳

    • 役割: 課税・灌漑・治水の技術的基盤を提供

  • 度会氏・神戸司 → 国司・郡司(大領・少領・主政・主帳)

    • 内容: 神戸帳・神田帳・神税帳

    • 役割: 神領と国衙領の境界・税制調整

2026年7月13日月曜日

単龍環頭大刀は物部氏、双龍環頭大刀は蘇我氏の配布品 だとする仮説[清水みき1986)への注目

7世紀前半から出土する単龍環頭大刀は物部氏、双龍環頭大刀は蘇我氏の配布品 だとする清水みき氏の仮説に注目したい。丹後半島最大級の横穴式石室を持つ円墳である湯船坂2号墳(京都府京丹後市久美浜町)から出土したこんどうそうそうりゅうかんとうぎんそうけいとう刀発掘に従事した清水氏が発掘報告書に投稿した論文に載録された仮説である。

清水みき 「付載3:湯舟坂2号墳出土環頭大刀の文献的考察」久美浜町教育委員会『湯舟坂2号墳』1986年 ) 

その仮説は実証されたとは言いがたいが、しかしその見通しの提示に刮目したい。

 そもそも日本列島出土の龍鳳文環頭大刀は朝鮮半島から持ち込まれた品だとするのが通説である。その際に、龍鳳文環頭大刀 は伽耶系(さらに付記すれば、百済系の意匠に伽耶系の技術が加わった品か)、三累環頭・三葉環頭大刀は新羅系だと推定しても良いだろう。

ここでの問題は、輸入品【舶載品)と国内生産品とのスイッチの時期であろう。

双龍環頭大刀研究に関しては、例えば

①小倉田古墳(福知山市夜久野町今西中915番地)資料

②島根県かわらけ谷横穴墓資料

などの類似品からも、清水説の可能性を想定させる。専門外ゆえに断定的な判断は避けるが、少なくとも全面否定は不可能ではないだろう。

b_28_016.pdf

ちなみに、単龍鳳環頭大刀の分類と編年に関しては、新納泉氏と町田章氏の先行研究があり、その編年は現在の標準となっていると聞く。


<参考文献>

穴沢味光・馬目順一 「龍鳳文環頭大刀試論 一韓国出土例を中心として-」 『百済研究』第7輯、229-263頁、 忠南大学校百済研究所、1986年

穴沢味光・馬目順一 「日本における龍鳳環頭大刀の製作と配布 一一つの試論-」 『考古学ジャーナル』 266、 16-22頁、ニューサイエンス社 、1986年

新納泉 「単竜・単鳳環頭大刀の編年」 『史林』第65巻第4号110-141頁、史学研究会 、11982年

新納泉 「戊辰銘大刀と装飾付大刀の編年」 『考古学研究』第34巻第3号、47-64頁、考古学研究会、1987年 

 町田 章「環頭大刀二三事」 『山本清先生喜寿記念論集山陰考古学の諸問題』 277-300頁、山本清先生喜寿記念論集刊行会、1986年

2026年6月28日日曜日

正倉院に残る反故文書一覧(籍帳、税帳など)

 

西暦 和暦   史料名
702年大宝2年 御野国本■郡栗栖太里戸籍
702年大宝2年 御野国肩縣郡肩々里戸籍
702年大宝2年 御野国味蜂間郡春部里戸籍
702年大宝2年 御野国各年(務)郡中里戸籍
702年大宝2年 豊前国上三毛郡塔里戸籍
702年大宝2年 豊前国仲津郡丁里戸籍
721年養老5年 下総国葛飾郡大嶋郷戸籍
721年養老5年 下総国釬托郡少幡郷戸籍
730年天平2年度伊豆国正税帳
730年天平2年度越前国正税帳〈A帳〉
730年天平2年度越前国正税帳〈B帳〉
730年天平2年度越前国義倉帳
730年天平2年度尾張国正税帳
730年天平2年度紀伊国正税帳
730年天平2年度出雲国大税賑給歴名帳
731年以前天平4年度以前播磨国郡稲帳
732年天平4年度佐渡国正税帳
732年天平4年度隠岐国正税帳
732年天平4年度越前国郡稲帳
733年天平5年右京計帳手実
734年天平6年度尾張国正税帳
734年天平6年度周防国正税帳
735年天平7年度相模国封戸粗交易帳
736年以降天平8年度以降佐渡国正税帳
736年天平8年度摂津国正税帳
736年天平8年度伊予国正税出挙帳
736年天平8年度薩麻国正税帳
737年天平9年度豊後国正税帳
738年天平10年度左京職正税帳
738年天平10年度筑後国正税帳
738年天平10年度駿河国正税帳
738年天平10年度周防国正税帳
739年天平11年度備中国大税負死亡人帳
740年以前天平12年以前阿波国計帳

**********************

 養老5年下総国葛飾郡大嶋郷戸籍

 養老5年下総国釬托郡少幡郷戸籍


天平4年度佐渡国正税帳 

天平4年度隠岐国正税帳


 天平2年度越前国正税帳< A帳>

 天平2年度越前国正税帳< B帳> 

天平2年度越前国義倉帳 

天平2年度尾張国正税帳

 天平2年度紀伊国正税帳

 天平4年度越前国郡稲帳

 天平6年度尾張国正税帳 

天平6年度周防国正税帳

 天平7年度相模国封戸粗交易帳

 天平8年度以降佐渡国正税帳

 天平8年度摂津国正税帳

 天平8年度伊予国正税出挙帳 

天平8年度薩麻国正税帳 

天平10年度左京職正税帳 

天平10年度筑後国正税帳 

天平11年度備中国大税負死亡人帳

大宝2年御野国本■郡栗栖太里戸籍

 大宝2年御野国肩縣郡肩々里戸籍 

大宝2年豊前国上三毛郡塔里戸籍 

大宝2年豊前国仲津郡丁里戸籍

 天平12年以前阿波国計帳 


税帳類

天平4年度以前播磨国郡稲帳 

天平9年度豊後国正税帳 

天平10年度駿河国正税帳 

天平10年度周防国正税帳


大宝2年御野国味蜂問郡春部里戸籍 

大宝2年御野国各年郡中里戸籍

 天平5年右京計帳手実 

 天平2 年度伊豆国正税帳

 天平2 年度出雲国大税賑給歴名帳


略字の例「各」ーー額田部の「額」(弘法も筆の誤りか)

奈文研提供のデータベース『木簡庫』は有益なツールである。

偶然にヒットした項目が、次の木簡である

本文・戊寅年十二月尾張海評津嶋五十戸・韓人部田根春〔舂〕赤米斗加支各田部金
URLhttps://mokkanko.nabunken.go.jp/ja/MK025048000052

この奈文研の判読は一か所修正しなくてならない。それは

*「 田部金」

と判読した箇所であるが、それは木簡記載の自体そのままを記述したからだろう。
やはり、解説の部にでも。
田部+金
と説明した方が親切だろう。

 さて、この木簡は「(戊寅年)天武7年<678>12月」に作成された荷札に墨書されたのが、
韓人部田根
であった。この「韓人部」をいかに読めばよいだろうか。それは別稿で論じる。