2026年3月4日水曜日

古代日本における湯屋(サウナ)および湯船

 「写書所解案」(続々修 18 ノ6②、〈15) 14 ノ 391 ) 

写書所解 申請雑材事

 梁四枝 桁六枝丸 柱十枝小 古麻比木四□

 右、為作室温 、所請如件、

 四年潤四月十三日上 

「経所解案」(続々修 18 ノ6②(15)、 14 ノ 391 ~ 392

 経所解 申請釘事 

合陸拾捌隻各長四寸 

卅二隻平頭各長四寸 卅八隻打合各長

 右、為打温船二隻、所請如件

 天平宝字四年潤四月廾三日領上 

           小治 」


この「室温」は確かに湯屋を想起させるが、それに付随してサウナも併設されていたと考える

「芳宜評」の読みに関して

 荷札木簡「芳宜評」の読みに関して、

*「ハガ」なのか「ハギ」なのか

という両論があるという。

そもそも下野国には『和名類聚抄』によれば、足利郡・梁田郡・安蘇郡・都賀郡・寒川郡・河内郡・芳賀郡・塩谷郡・那須郡の9郡があり、足利郡には4郷・梁田郡に2郷・安蘇郡には4郷・都賀郡には10郷・寒川郡には3郷・河内郡には10郷・芳賀郡には14郷・塩谷郡には4郷・那須郡には11郷の62郷が所在していた。

とはいえ、『倭名類聚抄』20巻本に、下野国芳賀郷とあるので、

*「芳宜=芳賀」

という等式を設定し、「芳賀=ハガ」として、「芳宜=ハガ」だと結論付ける。


ところで、東大寺の造営・付属施設の建設、写経事業などを担った巨大な官営工房である造東大寺司は、天平20年(748)に設置されました。この官司が発給した文書が「造東寺司牒」である。この中で天平勝宝7年(755)4月21日付の「造東大寺司請経牒」が現存している。この文書は造東大寺司が230巻の経巻を興福寺に引き渡し、勘経(経文の校合)を依頼したものである。その「造東大寺司請経牒」は、経典の受け渡しや校合(勘経)の依頼、造営に必要な物資・人員の調達、寺領(封戸)に関する指示、各寺院・官司への業務分担の通知などを内容とする。注目するのは、天平勝宝4年(752)10月25日付けの封戸として、

芳賀郡石田郷五十戸/足利郡土師郷五十戸/梁田郡深川郷五十戸/都賀郡高栗郷五十戸/塩谷郡片岡郷五十戸

とあり、「芳賀」の漢字は確認できる。


カールグレン(Bernhard Karlgren)の上古音体系では、

要点:「賀」と「宜」とはまったく別の音価に復元されており、同じ系列には属さない

と判明する。

まず、「賀」のカールグレン上古音は次のとおりである。

賀(中古音:匣母・麻韻・去声 haH)

カールグレン上古音:gâ(去声は -s を付加 → gâ-s)

特徴

声母:有声軟口蓋音 g-

主母音:低母音 â

調類:去声 → 上古では語尾 -s を付加


次に「宜」のカールグレン上古音は次のとおりである。

宜(中古音:疑母・支韻・平声 ngje 系)

カールグレン上古音:ngjər(文献により ngjie 系の表記もあり)

特徴

声母:鼻音の軟口蓋音 ng-

主母音:前寄りの iə / jə 系

調類:平声 → 語尾なし


したがって、両者を比較すれば、次の差が認められる。

声母が異なる

賀:有声破裂音 g-ーー 宜:鼻音 ng-

韻母が異なる: 賀:低母音 âーー宜:上昇二重母音 iə / jə 系

調類が異なる: 賀:去声 → -s ーー 宜:平声 → 無終子音

 要するに、カールグレン体系では「賀」と「宜ngjər」は音韻的に全く別の系列に属すと考えるべきである。

 結論として、「芳宜(評)」は「ハギ」と読むと考えるのが私の仮説である。

<資料>

下野国芳賀郡芳賀郡
下野国芳賀郡古家
下野国芳賀郡広妹
下野国芳賀郡遠妹
下野国芳賀郡物部
下野国芳賀郡芳賀
下野国芳賀郡若続
下野国芳賀郡承舎
下野国芳賀郡石田
下野国芳賀郡氏家
下野国芳賀郡丈部
下野国芳賀郡財部
下野国芳賀郡川口
下野国芳賀郡真壁
下野国芳賀郡新田




<資料>

詳細

URLhttps://mokkanko.nabunken.go.jp/ja/MK005084000059
木簡番号0
本文下毛野国芳宜評□
寸法(mm)(134)
(10)
厚さ4
型式番号081
出典荷札集成-114(木研5-84頁-(59)・奈良県『藤原宮』-119)
文字説明 
形状下削り、上欠(折れ)、左欠(割れ)、右欠(割れ)。
樹種
木取り柾目
遺跡名藤原宮北辺地区
 
所在地奈良県橿原市醍醐・高殿町
調査主体奈良県教育委員会
 
発掘次数 
遺構番号SD145
地区名FG26-A
内容分類荷札
国郡郷里下野国芳賀郡下毛野国芳宜評
人名 
和暦 
西暦 
遺構の年代観 
木簡説明 
DOI

■研究文献情報


<資料>

下野国足利郡足利郡
下野国足利郡大窪
下野国足利郡田部
下野国足利郡堤田
下野国足利郡土師
下野国足利郡余戸
下野国足利郡駅家
下野国梁田郡梁田郡
下野国梁田郡大宅
下野国梁田郡深川
下野国梁田郡余戸
下野国安蘇郡安蘇郡
下野国安蘇郡安蘇
下野国安蘇郡説多
下野国安蘇郡意部
下野国安蘇郡麻続
下野国都賀郡都賀郡
下野国都賀郡布多
下野国都賀郡高家
下野国都賀郡山後
下野国都賀郡山人
下野国都賀郡田後
下野国都賀郡生馬
下野国都賀郡秀文
下野国都賀郡高栗
下野国都賀郡小山
下野国都賀郡三島
下野国都賀郡駅家
下野国寒川郡寒川郡
下野国寒川郡真木
下野国寒川郡池辺
下野国寒川郡努宜
下野国河内郡河内郡
下野国河内郡丈部
下野国河内郡刑部
下野国河内郡大続
下野国河内郡酒部
下野国河内郡三川
下野国河内郡財部
下野国河内郡真壁
下野国河内郡軽部
下野国河内郡池辺
下野国河内郡衣川
下野国河内郡駅家
下野国芳賀郡芳賀郡
下野国芳賀郡古家
下野国芳賀郡広妹
下野国芳賀郡遠妹
下野国芳賀郡物部
下野国芳賀郡芳賀
下野国芳賀郡若続
下野国芳賀郡承舎
下野国芳賀郡石田
下野国芳賀郡氏家
下野国芳賀郡丈部
下野国芳賀郡財部
下野国芳賀郡川口
下野国芳賀郡真壁
下野国芳賀郡新田
下野国塩屋郡塩屋郡
下野国塩屋郡山上
下野国塩屋郡片岡
下野国塩屋郡阿会
下野国塩屋郡散伎
下野国塩屋郡山下
下野国塩屋郡余戸
下野国那須郡那須郡
下野国那須郡那須
下野国那須郡大笥
下野国那須郡熊田
下野国那須郡方田
下野国那須郡山田
下野国那須郡大野
下野国那須郡茂武
下野国那須郡三和
下野国那須郡全倉
下野国那須郡大井
下野国那須郡石上
下野国那須郡黒川

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2026年3月1日日曜日

「伊看我評」:東野治之・犬飼隆説「イカルガ」に反対し、「いかが」(直木幸次郎説)に賛同し、「木簡庫」説と歩調を合わせたい

犬飼隆氏の「有韻尾字による固有名詞の表記」『木簡研究』第11号、1989年、156~169頁によると、 「伊看我評」の読み関する議論があったという。

*「イカガ」(直木孝次郎説)か「イカルガ」(東野治之・工 藤力男説)のいずれの読みが妥当か?

東野・工 藤両氏のみならず犬飼隆氏も「イカルガ」説に賛同している。それは正しい解答であろうか。

いつものように、

Bernhard Karlgrenの上古音再構では

「看」= kʰan-s ( 声母は kʰ-、韻は -an、去声は -s )

である。もう少し詳述すれば、「看」は

①切韻

② 溪母・寒韻・去声 に属す

③声母:kʰ-(無声 aspirated 軟口蓋破裂音)

④韻:-an(寒部)

⑤声調:去声(上古では -s 付加)

したがって、カールグレンの上古音は一般に「kʰan-s」となる。なおこのカールグレン上古音推定は、中古音で kʰanH(去声)であるので、これとも矛盾しない。

ちなみに

*Baxter–Sagart (2014):kʰˤan-s

*Zhengzhang Shangfang (鄭張尚芳):kʰan-s

*李方桂:kʰan-s

であるので、4者は一致する。

中古音の声母・韻尾をよく保存している漢越音は

*看 → khán(去声 → sắc)

と復元でき、同じ中古音層を借用した古代韓国語は、

+간 kan

である。

犬飼氏が的確に指摘している通り、

*「ツルガの「賀」、ハリマの「磨」、ヘ グリの「平」など

の例に見る「韻尾 N」の「R音」化はその傍証となるだろうか。

例えば、「播磨」の「播」である。

Bernhard Karlgrenは、漢字「播」の上古音(Archaic Chinese)を *pʷâ と復元している。つまり、

*声母:pʷ-(唇音+円唇化)

*韻母:(開音節の低母音)

*入声などの終子音なし(平声字扱い)

カールグレンによると、「播」の中古音(広韻系)pa 系であり、円唇化した唇音をもつ形として再構した。

なお、William H. BaxterLaurent Sagartによる Baxter–Sagart(2014)上古音体系では、

「播」の上古音:*pˤaj-s

つまり、

*p-:無声両唇破裂音(幫母系)

ˤ:咽頭化(いわゆる type A 音節)

-aj:主母音 a に終音 -j を伴う韻

-s:接尾辞 -s(古代の去声形成接辞)

  • 中古音では「播」は去声(博箇切)

  • 『広韻』反切:博箇切

  • 『広韻』声母:幫母(p-)

  • 『広韻』韻部:戈韻

  • 等呼:一等

  • 声調:去声

  • 一般的な現代的中古音再構:paH(H は去声を示す符号、上古 -s 由来)

 さらにWilliam.Baxter 1992 では、去声を -H で表記して

*上古音:*paH

  • 幫母=単純な p-

  • 韻母は -a

  • 去声は -H


  • Laurent SagartWilliam H. Baxter(2014)では、

*pˤaj-s

  • p-:幫母

  • ˤ:咽頭化(A型音節)

  • -aj:主母音+滑音

  • -s:去声形成接尾辞

であるとする。

さらに、鄭張尚芳体系では:

*paːs

  • 長母音 -aː-

  • 去声由来の -s

  • 円唇化は認めない

ここでの問題は、犬飼隆氏の上古音や中古音の理解度である。いったい、いつの時代の日本漢字音「播=ハン」と想定しているのだろうか。

結論を言えば、私の考えは

*「伊看我(評)」=「いかが」(直木孝次郎説)

に賛成である。東野氏などのように「ル」を設定することは不可能であり、失考であると考える。むしろ「木簡庫」のように(資料①)、「イカガ」説を積極的に採用して、「「伊看我評」は、『和名抄』の丹波国何鹿郡にあたる」とすべきであるまいか


<資料①>

■詳細

URLhttps://mokkanko.nabunken.go.jp/ja/6AJLDB64000103
木簡番号1727
本文・伊看我評・芎窮八斤
寸法(mm)90
24
厚さ4
型式番号032
出典藤原宮4-1727(荷札集成-148・木研11-33頁-2(5)・飛9-9下(34))
文字説明 
形状上削り、左削り、右削り。下端切断後表裏から面取り。
樹種ヒノキ科#
木取り板目
遺跡名藤原宮跡西面南門地区
Fujiwara Palace Site (West Side of the South Gate Sector)
所在地奈良県橿原市四分町
調査主体奈良国立文化財研究所飛鳥藤原宮跡発掘調査部
Department of Asuka and Fujiwara Palace Sites Investigations, Nara National Research Institute for Cultural Properties
発掘次数藤原宮第58-1次
遺構番号SD1400
地区名6AJLDB64
内容分類荷札
国郡郷里丹波国何鹿郡伊看我評
人名 
和暦 
西暦 
遺構の年代観694-710
木簡説明上端・左右両辺削り、下端切断の後表裏から面取り。「伊看我評」は、『和名抄』の丹波国何鹿郡にあたる。「芎窮(キュウキュウ)」は、川芎(センキュウ)ともいい、セリ科の多年草センキュウの根茎に比定される。『本草集注』草木中品、『本草和名』草上・『医心方』に「於无奈加都良久佐」、内閣文庫本『延喜式』典薬寮に「オウナカツラクサ」(3中宮朧月御薬条)とみえ、『延喜式』典薬寮に、丹波など十二箇国の年料雑薬としてみえる(78丹波年料雑薬条など)。
DOIhttp://doi.org/10.24484/mokkanko.6AJLDB64000103

■研究文献情報


<資料②>

詳細

URLhttps://mokkanko.nabunken.go.jp/ja/6AJLDA64000101
木簡番号1728
本文・伊看我評・当帰五斤
寸法(mm)94
23
厚さ4
型式番号032
出典藤原宮4-1728(荷札集成-149・飛20-28上・木研11-34頁-2(6)・飛9-9下(35))
文字説明 
形状下削り、左削り、右削り、上端切断の上表裏ともに面取りする。下端左右両角を削り落とす。
樹種ヒノキ科#
木取り板目
遺跡名藤原宮跡西面南門地区
Fujiwara Palace Site (West Side of the South Gate Sector)
所在地奈良県橿原市四分町
調査主体奈良国立文化財研究所飛鳥藤原宮跡発掘調査部
Department of Asuka and Fujiwara Palace Sites Investigations, Nara National Research Institute for Cultural Properties
発掘次数藤原宮第58-1次
遺構番号SD1400
地区名6AJLDA64
内容分類荷札
国郡郷里丹波国何鹿郡伊看我評
人名 
和暦 
西暦 
遺構の年代観694-710
木簡説明上端切断の後表裏から面取り、下端・左右両辺削り。「当帰(トウキ)」は、セリ科の多年草トウキ(和名カラトウキ)の根に比定される。『本草集注』草木中品、『本草和名』草中に「也末世利、宇末世利、加波佐久」、『医心方』に「宇末世利、也末世利、於保世利、加波佐久」とみえる。『延喜式』典薬寮に、丹波国が当帰を貢納する規定はみえないが(78丹波年料雑薬条)、隣国の但馬国に「当帰十斤」の規定があるなど十七箇国の年料雑薬としてみえる(80但馬年料雑薬条など)。奈良県飛鳥京跡苑池遺構から「当帰二両」(奈良県立橿原考古学研究所『史跡・名勝飛鳥京跡苑池(一)』五一号)と記した木簡が出土している。
DOIhttp://doi.org/10.24484/mokkanko.6AJLDA64000101

■研究文献情報