2026年8月19日水曜日

『出雲国計会帳』試論――天平期軍事化における地方行政の「時間」と「負荷」<Draft>

 

『出雲国計会帳』試論――天平期軍事化における地方行政の「時間」と「負荷」<Draft>

1)はじめに――静態的行政記録から「動態的行政ログ」へ―

 本稿の目的は、『出雲国計会帳』から、単に「律令制がどのように運用されたか」を確認することではなく、むしろ「天平期の軍事化という国家的非常事態が、地方行政の時間・人員・情報伝達をどのように変形させたのか」を解明することを通して、『出雲国計会帳』が「静態的な地方行政史料」ではなく、天平期における国家の軍事化と地方社会の接点を記録した、動態的な行政史料へと、その位置づけを大きく変えることにある。

 そもそも『出雲国計会帳』は、律令制下における地方行政の具体相、国衙の文書処理システム、ならびに古代の交通・情報伝達制度を解明するための第一級の史料として、これまでに精緻な研究が積み重ねられてきた。従来の制度史・交通史・文書行政史研究が明瞭にしてきたのは、律令国家における文書伝送の規程や、国府・郡家を中心とする定型的な行政処理の構造である。これら先行研究の膨大な蓄積によって、古代地方行政の「通常時の骨格」はほぼ解明されたといってよい。だからこそ、従来の問いが、

*「出雲国庁では、どのような行政文書が作成・処理されていたのか」

にとどまっていた。

 しかし、そうした優れた成果を踏まえたうえで、なお残される問いがある。それは、そこに記録された文書群を、天平期における国内外の政治・軍事的情勢――とりわけ山陰道および東アジア情勢を背景とした国家の軍事化――との動的な関わりの中でいかに捉え直すか、という点である。果たして『出雲国計会帳』は、外部の緊張関係から遮断された、静態的で平和な地方行政の処理記録に過ぎなかったのであろうか。

本稿の目的は、従来の「出雲国庁ではどのような文書が作成・処理されていたか」という制度史的問いから一歩を進め、「なぜこの時期の出雲国庁では、特定の文書が、特定の速度と順序で処理されねばならなかったのか」という動態的な問いを定立しながら、斯界にParadigm Changeを求めることにある。史料に刻まれた発信・到着の日付、人員の動員と交替、烽火(とぶひ)の試行、兵士の逃亡・死亡・傷病などを時間軸に沿って立体的に追跡するとき、天平期の出雲国庁が、中央政府の急激な軍事化要請に揺さぶられ、その対応と過負荷に追われていた実像が浮き彫りになる。すなわち、『出雲国計会帳』は単なる行政処理の記録ではなく、天平期の軍事化という衝撃が律令地方行政に及ぼした摩擦と負荷を計測する「動態的な行政ログ」として再定義されるべき史料だと提起したい。

2)「節度使」の設置と地方行政システムへの割り込み

天平4年(732)8月17日、聖武朝は多治比真人県守を山陰道節度使に任命した。同時に東海・東山二道、西海道にも節度使が置かれ、さらにその直後には管下諸国に対して、兵器・牛馬の域外移出禁止、軍団備品の補充、兵士の四分の一動員、兵器修繕、大型船(百石以上)の造営など、極めて具体的な軍事措置が立て続けに命じられた。

この節度使体制の発足は、単なる地方官職の追加ではない。通常の国衙業務には、租税、戸籍、交通、文書行政、人事など、年間を通じた定型的な行政処理が存在した。それに対して節度使体制は、兵器、軍馬、船舶、兵士、弩、烽火、軍団訓練など、通常とは異なる大量の軍事業務を短期間に地方へ投入し、上記した地方国衙の日常的な通常行政の基盤の上に、非常時の緊急軍事行政を力づくで上書き(オーバーライド)したことを意味する。いわば、「節度使」という国家の非常時緊急OSが、地方国衙の通常アプリに割り込んだ状態といえよう。問題の本質は、この非常時行政の割り込みが、現場の地方行政能力をどの程度圧迫したかである。その解明の手がかりとなるのが、『出雲国計会帳』に記録された文書往来の「時間」であると考える。したがって重要なのは、単に「遅れた」ということではなく、むしろ『出雲国計会帳』に残された日付を、

*発信 → 移動 → 到着 → 受理 → 処理 → 回答・上申

という行政過程の「時間軸」として読むことで、天平期の地方行政がどのような速度で動いていたのかを論じることにある。

例えば、天平6年2月5日発の節度使符が出雲国庁に到着したのは3月23日であり、発信から到着までに46日という著しい日数を要している。勿論、この46日を一概に出雲国庁の機能停止と断定することはできない。節度使側での発給後の滞留、山陰道各国の順達経路、使者の移動条件など、複合的な要素を考慮する必要がある。しかし、制度史研究が解明してきた通常時の公文書伝送速度と比較するとき、この数値は明らかに検証すべき変調を示している。

さらに注目すべきは、天平6年4月6日発の烽火関係の急ぎの符が4月12日に到着している例である。緊急を要する軍事命令でありながら、出雲国庁への伝達にはなお6日間を要している。ここには、「軍事情報の迅速な伝達を目指す命令でありながら、その命令自体を伝達する文書行政は数日のタイムラグを免れない」という二重の速度構造が存在する。

『出雲国計会帳』の日付を「発信→移動→到着→受理→処理→上申」という一連のタイムライン(時間軸)として読むことで、中央からの苛烈な軍事要求が地方の情報通信システムにどのような負荷と遅延をもたらしていたかを具体的に計測することが可能となるのである。

3)「烽」の「相試」に見る情報通信の二重構造と現場の実証過程

天平6年3月から4月にかけて、出雲国・隠岐国・節度使の間では、烽火の設置と試行に関する文書が相次いで交わされている。3月3日の隠岐国からの「置烽」解状に始まり、節度使からの「応置烽」の下符、さらに3月25日発・4月1日着文書に見える「置烽期日辰放烽試互告知隠伎相共試状」を経て、5月3日には「盛置烽解状」「烽相試状」が函に収められて中央へ送付されている。

一連の過程(置烽 → 放烽 → 相互確認 → 試験結果の文書化 → 中央報告)は、山陰道における烽火ネットワークが単に机上で完成していたのではなく、実際に機能するか否かを検証する「現場の実証実験(プロトタイピング)」のプロセスであったことを物語る。

ここで重要なのは、海上視認の成否という結果論のみに注目するのではなく、「律令国家自身が、烽火による情報伝達の実効性を担保するために『相試』という実験的検証作業を必要とした」という事実そのものである。ここに古代情報伝達の興味深い二重構造が観察できる。

  • 即時的情報伝達(高速系): 視覚的・空間的に信号を飛ばす烽火

  • 追認的行政確認(低速系): 信号が正しく視認されたかを数日かけて確認する文書行政

即時性を追求する軍事情報システムを導入しようとすればするほど、そのシステムが正しく作動したかを担保するための低速な文書行政の往来が増大する。天平期の出雲国は、中国的な即時軍事通信システムを地方社会へ移植・適用していく際の、まさに「実作動に伴う摩擦と検証の現場」であったことが理解される。

4)「人的損耗」の補充がもたらす二次的行政負荷

軍事化が地方社会に与えた影響は、文書処理の遅延や実験コストにとどまらない。『出雲国計会帳』後半の解文には、衛士や兵士の交替に関する記事が頻出する。

  1. 「出雲積首石弓等参人替事」

  2. 「勝部臣弟麻呂逃亡替事」

  3. 「私部大嶋死去替事」

  4. 「勝部建嶋二目盲替事」

逃亡、死亡、失明(傷病)などによって生じた欠員の補充記録は、国家による軍事動員が現場の兵士に強いた苛烈な負担(人的損耗)を生々しく示している。そして見落としてはならないのは、この補充作業に伴って発生する二次的・三次的な行政的・組織的コストである。

史料には、代替要員の提出・確認に際し、意宇軍団の二百長・出雲臣広足、神門軍団の五十長・刑部臣水刺、熊谷軍団の百長・大私部首足など、地域軍団の幹部層が深く関与している様子が記録されている。

仮にこれらの軍団幹部が部領使として自ら補充兵を率いて上京していたとすれば、地域防衛の指揮官が現場を離れるという直接的な防衛能力の低下(防衛の空白)をもたらしたことになる。また、仮に上京まで至らず国内での手続や引き渡しにとどまっていたとしても、「欠員の把握→代替者の選定・審査→確認文書の作成・署名→上申」という煩雑な手続自体が、軍団幹部層の日常的な行政リソースを過剰に消費していたことは疑いない。

すなわち、軍事動員は単に「兵士数を確保する」という一方向の強化策ではありえない。

【軍事動員の多重負荷循環】

衛士・兵士の動員 ──→ 逃亡・死亡・傷病の発生(人的損耗) ──→ 代替兵の選定・確認 ──→ 軍団幹部の関与・部領 ──→ 軍団幹部の本来業務からの摩耗・地域防衛の空白 ──→ 補充報告のための更なる大量の文書発給

このように、軍事力を維持・増強しようとすればするほど、それを下支えする地方国衙・軍団の行政・人的コストは幾何級数的に増大していくという矛盾した構造が存在していたのである。

5)軍事化の負荷と地方国衙の苦悶

以上の視点を統合するとき、天平期の出雲国庁の姿は、中央の命令をただ滞りなく機械的に処理する「静的な行政機関」という従来のイメージから大きく変容する。そこには、以下のような負荷の増幅回路が存在した。

  • 中央政府の緊迫(対新羅情勢・軍事的緊張・防衛網再編)

  • 節度使の設置と軍事命令の集中(非常時緊急OSの割り込み)

  • 兵器・軍船・烽火・動員等、軍事業務の地方投入

  • 文書伝達の遅延・滞留と情報確認の二重構造(低速確認と高速通信の摩擦)

  • 軍事動員に伴う逃亡・死亡・傷病の発生と軍団幹部による補充対応

  • 行政的・人的過負荷の日常化と報告文書作成の増大

したがって、『出雲国計会帳』に見られる「異常な文書到達日数」「烽火の相試記録」「兵士の交替記事」を、それぞれ独立した個別記事として扱うべきではない。これらはすべて、天平期における国家の急激な軍事化が地方国衙に及ぼした多重の負荷と摩擦を、異なる側面から記録した一連の「作動ログ」として総合的に理解されるべきものである。

6)おわりに――史料論的インプリケーション――

本稿が試みた視座の転換は、従来の研究が積み上げてきた制度史・交通史・文書行政史の堅固な成果を否定するものではなく、むしろそれらを基礎とすることで初めて可能となったものである。通常時の行政手続きや伝達速度の「基準」が明らかになったからこそ、史料に刻まれた「時間の乱れ」や「補填のコスト」を変調のシグナルとして読み解くことが可能となったからである。

『出雲国計会帳』を「時間を持った史料」として読み直すとき、そこには単なる制度の完成図ではなく、「天平期の軍事化という国家的非常事態が、地方行政の時間・人員・情報伝達のあり方をいかに変形させ、現場の官人や軍団にいかなる苦悶を強いたか」という動態的な歴史事実が浮かび上がる。

要するに、古代律令国家の地方支配を考証するうえで、『出雲国計会帳』は静態的な「制度の記録」から、国家と地方社会の接点において軍事化の現実が刻み込まれた、極めて動態的な「実動行政ログ」へと、その歴史的価値を一段と高めるにちがいない。

ここに至っても、残された課題は多いが、以下の実証データは明日にでも発表したい。

A)文書伝達日数の比較表: 『計会帳』内の全文書から「通常行政文書の平均日数」と「節度使・軍事関係文書の日数」を抜き出した比較一覧表。

B)山陰道関連の年表: 天平4年(節度使設置)〜天平9年(天然痘猛威・諸道節度使停止)に至る政治・外交情勢のクロノロジーと、『計会帳』の記載時期の対比。



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『出雲国計会帳』調査メモ

1) 本稿は、私の調査メモに過ぎず、新鮮味のないことは言うまでもない。ご了解いただきたい。

従来、『出雲国計会帳』は、

「出雲国府に、一年間にどのような公文書が入り、どのような公文書を外へ出したか」を記録した文書管理台帳

だと理解されてきた。それを比定する考えはなく、正解だと思う。

しかしながら、少しばかり観点を変えると、別な側面が見えてくるのではないだろうか。

試みに私のつたない仮説は次の通りである。その前提となる課題は「全国60か国×大量文書」ではなく、「中央が文書をどう管理可能な情報に変換したか」である。

『出雲国計会帳』をみるだけでも、出雲一国で、

  • 太政官
  • 民部省
  • 兵部省
  • 節度使
  • 隣国
  • 大宰府
  • 中央諸官司
との間に、移・符・解・公文・帳簿などが大量に往来している。しかも出雲国計会帳は、単なる「文書の控え」ではなく、「いつ、どこから、何の文書が、何通来たか/何を送ったか」を時間軸に沿って記録している研究史をたどれば、すでに出雲国計会帳に記録された中央官司と出雲国との一年間の文書授受記録数を数えた研究も存在する。
 だからこそ、我々は、単に視野を出雲国のみに限定するのではなく、必要な手続きとして全国60数か国全体をカバーすることであり、                                                       *文書そのものを管理するシステムと、文書の内容を行政情報として再編成するシステム      の二重構造に着目しなくてならないと考える。

2)「古代の行政データベース」の5層構造
『出雲国計会帳』を通して、私たちが確認したいのは、
第1層 原文書:

(1)中央から各国府へ
  • 太政官符
  • 民部省符
  • 兵部省符
  • 節度使符
  • 勅符
  • 移文 など
 (2)各国府から中央へ、
  • 進上公文
  • 歴名
などが一年中、絶え間なく往来していた事実である。
(2)第2層 「受発信ログ」
『出雲国計会帳』の作成目的が、この「受発信ログ」である。
例えば、
○月○日 移太政官下符壱道〈……〉
という記録。つまり、
日付+発信元+文書種別+件名+数量
という非常に規格化されたメタデータ化されている。これは現代的に言えば、
document ID / date / sender / document type / subject / quantity
を持つ「文書管理台帳」である。このメタデータに注目するのは、
 *本文を毎回コピーする必要はない点
にある。
「何月何日に、どこから、何という文書が、何通来た」
だけを各計会帳に登録すれば、原文書そのものを検索・確認できるシステムである。
(3)第3層「公文目録」

幸いにも、我々に残された天平6年8月20日作成の『出雲国計会帳』には、
「進上公文十八巻三紙」
として、天平6年版の
  • 大帳
  • 郷戸課丁帳
  • 括出帳
  • 走還帳
  • 放奴婢帳
  • 逃亡満六年帳
  • 神亀五年以来逃亡帳
  • 割付奴婢帳
  • 争戸帳
  • 遭服人帳
  • 高年及残疾以上帳
  • 計会帳
  • 大税出挙帳
  • 郡稲出挙帳
  • 公用稲出挙帳
  • 九等戸帳
  • 麦帳
  • 主当調庸国司并郡司帳
  • 主当地子交易国司歴名帳
  • 無国司造家帳
と、公文そのものを一覧化している
これはまさに「データベースの目録テーブル」である。
観点を変えれば、中央官衙にとって重要なのは、
「出雲国から何が来たか」
だけではなく、
「本来来るべきもののうち、何が来たか」
に着目して、毎年の報告をチェックしていたにcがいない。
4)中央官衙側では「受領管理」と「提出予定管理」を統合した帳簿の存在
中央の太政官ほか、民部省など各官衙では、
 ①何を提出させるか⇒ ②いつまでに提出させるか⇒ ③どの国から来たか⇒ ④来るべき文書が来たか⇒ ⑤内容を審査したか⇒ ⑥各種の不備・問題があれば返却・再提出を要求する
という管理が必要になる。つまり、「文書受領簿」だけでは行政は動かない。
その背後に、提出予定一覧+到着確認+内容審査+未提出管理のラインが存在していたに違いない。
もう少し、具体的に説明すれば、つぎの3ケースが想定される。

1. 形式要件の不備(公文の形式・書式の違反)

古代の公文書(解・牒・移など)は、差出人・宛先の官制上の関係によって厳格な様式・書式(公文の形式)が規定された。

  • 印章の押し忘れ・鮮明度の不足: 官印が押されていない、または判読できない場合。

  • 位署(署名)の欠落・誤記: 責任者(国司や主典・判官など)の署名や位階・官職名の記載順序の誤り。

  • 公文の様式違い: 宛先と差出人の上下・対等関係に応じた文書形式(例: 下位から上位への「解」、対位機関への「牒」など)の選択ミス。

2. 内容要件の不足(記載内容の実質的欠陥・計帳等の計算違い)

国衙から中央へ出される公文(正税帳、大帳、算帳、調庸帳など)は、数値や事実に高い正確性が求められた。

  • 勘会(監査)での不一致・計算不備: 正税帳や郡稲帳(例えば越前国)など各国衙で作成された帳簿類の数値整合が取れていない場合、和銅・養老期の公文監査(帳簿監査)で厳しく指摘され、修正・再提出(「改帳」)命令が出されたと十分に予想される。  ⇒例えば『養老令』牧令第十 「駒犢條:凡在牧駒犢。至二歲者。每年九月。國司共牧長對。以官字印印左髀上犢印右髀上並印訖。具錄毛色齒歲為簿兩通一通留國為案。一通附朝集便申太政官。」                                   には、厳格な書類作成の一端を垣間見る。

  • 証拠・付随文書の不足: 申請内容を証明すべき副状(添え状)や裏付け文書が不足している場合。

  • 記載内容の虚偽・疑問点: 内容に不明瞭な点があり、主税寮・主客寮などの担当官衙から照会(問状・覆牒)が行われ、再調査の上で提出し直すケース。

3. 誤送付・誤分類(管轄・送付ルート・文書仕訳の不備)

行政機構の管轄権や文書伝達ルートの不備に起因するもの。

  • 管轄官衙の誤り: 本来経由すべき省庁(太政官経由、式部省経由など)を通さず直接別官衙へ届いた場合や、直轄権限のない官衙への送付。

  • 類聚・仕訳の誤り: 複数の事項をまとめて送付する際、公文の分類・整理が不適切で受理が拒否される場合。

  • 伝達ルート・駅伝の誤配: 文書使(公文使)や駅伝伝路での取り違えによる誤送


したがって、我々が忘れてならないのは、律令行政の実際の運用では、主税寮や主客寮による「帳簿監査(勘会)」や、太政官での「弁官による公文検克(審査)」のプロセスで厳格に処理されたと想定できることである。特に、正税帳や計帳などの帳簿類で不備・誤りが発見された場合、中央から「返牒」「問事(問状)」が発せられ、国衙が不備を修正して再提出する(「改帳」)というやり取りが日常的に行われていたはずである。
5)「計会帳」の本来の作成目的
従来は、「計会帳=文書の授受を記録する帳簿」だとと説明してきたが、我々の観点でもう少し踏み込めば、
計会帳=国府が「中央との通信状態」を管理するための通信管理台帳
だと考えたい。例えば、「送った」だけではなく、
いつ送った → どこを経由した → いつ到着した → 返抄が来た
という追跡可能性が重要だと強調したい。たしかに、先行研究に
*天平年間には国司の逓送について遊牒・返抄による確認システムが整備されていた
との研究がある。これは現代の
tracking number + delivery confirmation
にかなり近い発想である。
6)中央官衙における「案」
中央における太政官以下の各官衙において、毎年の文書の流れは、
       60余国
        ↓
    ① 文書が中央へ到着
        ↓
   ② 受領・受付・分類
        ↓
   ③ 公文目録との照合
        ↓
   ④ 担当官司へ配分
        ↓
   ⑤ 内容審査・決裁
        ↓
   ⑥ 必要なら返符・下符
        ↓
   ⑦ 案(控え)として保存
        ↓
   ⑧ 目録によって検索可能化

ある。言い換えれば、律令国家の文書体系モデルにおける「案」は、

草案層(案)

  • 起草段階の文書

  • 書生・主典など下級官人が作成

  • 内容の検討・修正・変更可能

  • 例:奏案・牒案・状案・案文草

審議層(案文)

  • 複数官司の合議を経た「ほぼ確定」文書

  • まだ正式押印はない

  • 例:太政官符案・民部省案・式部省案

成文層(正本)

  • 押印・署名を備えた正式文書

  • 公的効力を持つ

  • 例:太政官符・官符・牒・状・奏

この三層構造は、現代官庁の「起案→決裁→公布」に対応するが、律令国家では案層が極めて厚く、正本化は限定的という特徴に、我々の着眼点がある。従来の日本古代史家の研究の特徴がこの「正本」(天皇などの決裁を経た最終版)による政治行動に焦点を当てていたことである。なるほど、それももっともなのは、最終決定でなく、初案の段階での政策論議を交わしても、政治家がよく使用する「いかがなものでしょうか」となるだけである。

 公式令には、成立した案について「納目」を作り、案を整理して納庫する趣旨の規定があり、

公式令八二 案成條:凡案成者。具條納目皆案軸。書其上端云。其年其月其司納案目。每十五日納庫使訖。其詔敕目。別所案置。」

の通りである。

また、同じく公式令「案成条」によって、

公式令八二 案成條:凡案成者。具條納目皆案軸。書其上端云。其年其月其司納案目。每十五日納庫使訖。其詔敕目。別所案置。

公式令八三 文案條:凡文案。詔敕奏案。及考案。補官解官案。祥瑞財物婚田良賤市估案。如此之類。常留。以外。年別檢簡。三年一除之。具錄事目為記。其須為年限者。量事留納。限滿准除。

とあり、この「案」が文書保管制度の基本規定であるという先行研究を、今ここでも再確認すれば、「案」の4機能に逢着する。

1, 起草(drafting)機能:書生・主典が原案を作成し、上級官人が修正する。

→ 官司内部の意思形成の痕跡が残る。

2、合議(deliberation)機能:複数官司が案文を回覧し、修正意見を付す。

→ 太政官の合議制と密接に連動。

3,証跡(trace)機能:正本化されない案の残存・保管

⇒政策形成過程の内部構造が復元可能


7)興味深いのは、「全国約60か国を一つの巨大台帳に入れなかった」可能性の存在
 我々の観点からすれば、太政官や中央官衙政府が、毎年、全国から殺到する膨大な公文書を「全国60余国の全行政文書を一冊に集約したと考えにくいと考えている。あふれるほどの文字と数字と絵地図などのビジュアル情報などを、1つのデータベース(1冊の帳簿)に仕上げることは不可能だと想定するからである。たとえ現代の最新大型コンピュータが完成していたとしても、毎年の作業は今でも困難であるのに、紙などのアナログ情報での作成は全く想定しがたい。
むしろ、国別に、
出雲国
越前国
尾張国
伊勢国 など
そして、官司別に、
民部省
兵部省
刑部省
中務省 など
さらには、文書機能別に、

戸籍
兵役
駅伝
人事
寺社
物資
馬牛
船舶 など
多次元分類を採用した方がはるかに合理的であった可能性が高い。
つまり現代的に言えば、
リレーショナル・データベース
に近いだろう。
一つの文書が、
「出雲国」
「天平六年」
「民部省」
「逃亡仕丁」
「下符」
という複数の属性を持つ。
この属性文書であれば、全国60か国から中央官衙に殺到しても処理可能だと想定する。その微証が、我々の手ある「出雲国計会帳」ではないだろうか。

8.約80種類の国府文書の機能
したがって、本稿の論者の仮説は、単に「文書の一覧」といったレベルの理解ではなく、
律令国家が地方行政を把握するために設定した「データ項目」の一覧
だと考えたい。
例えば、大税出挙帳であれな
  • 元本
  • 利稲
  • 貸付
  • 返納
  • 未納
  • 死亡百姓
  • 免稲
というデータを、そして兵士歴名簿であれば、
  • 人名
  • 年齢
  • 軍団
  • 兵役状態
というデータを、さらに駅馬帳であれば、
  • 馬数
  • 馬種
  • 使用状況
  • 補充
などなど。つまり、
国府の80種類の帳簿 ≒ 中央政府が地方から回収したい行政データの80カテゴリー
という仮説が成立すると考えている。
9)律令行政の観点を「文書行政」から「情報行政」へのparadigm shift
従来の視点は、日本の官僚組織論を踏まえて、
律令国家=文書によって地方を統治した
と説明してきた。それは正当な考えであると100%認定するとしても、もう一段深くし、paradigm をChangeするならば、
律令国家=地方で発生する情報を定型化し、帳簿化し、中央へ集約し、比較可能なデータへ変換する国家
だったと考えられにだろうか。だからこそ
国府文書群約80種⇒国府の計会帳⇒中央官司の公文目録⇒中央の案・納目
という連鎖の復元さえできれば、我々の仮説も一歩前に進むと予想する。

10 まとめに代えて:我々のチャレンジ
各国衙から中央の太政官、民部省などへの京進文80種類を数えるだけにとどめるのではなく、
「出雲国から中央へ送られた公文を、一件ずつデータベース化す
することで、例えば、
日付
発信主体
宛先
文書
件数
内容
関係帳簿
天平5.8
出雲国
中央
調帳
4巻
調
調帳系
天平5.8
出雲国
中央
運調脚帳
1巻
調運搬
貢調系
天平5.8
出雲国
中央
匠丁帳
2巻
匠丁
労役系
天平5.8
出雲国
中央
大帳
2巻
戸籍
計帳系
一年分データを作ることが可能となる。この試みに最終ゴールは、
「一国から中央へ、一年間にどれだけの行政情報が上がっていたのか」
である。次に、
出雲 × 越前 × 伊勢
を比較する。
そうすると、
「一国の国府が年間に処理した情報量」
が推定できます。
そこから60余国へ拡張すれば、
「律令国家中央政府が年間に処理した行政情報量」
という調査が進展すれば、「国府文書群」→「正税帳」→「郡稲帳」を全部一本につなぐことができまとともに、例えば、出雲国計会帳は、そのための「通信ログ」として極めて優秀な史料であるだけに、「中央⇄出雲」の文書通信を全件データ化する設計表が完成する。ただし、天平6年度分だけであるが。
その設計表は、近日中に提供したい。