大学寮・陰陽寮・主計寮・主税寮・内匠寮・木工寮・近衛府・衛門府・兵衛府などの人事情報
| 系列 | 主な対象官職 | 件数 |
|---|---|---|
| 大学寮 | 大学頭・大学助・大学員外助 | 21 |
| 陰陽寮 | 陰陽頭・陰陽助 | 9 |
| 主計寮 | 主計頭・主計助 | 28 |
| 主税寮 | 主税頭・主税助 | 33 |
| 内匠寮 | 内匠頭・内匠助・員外助 | 15 |
| 木工寮 | 木工頭・木工助 | 22 |
| 近衛府 | 大将・中将・少将・将監等 | 16 |
| 衛門府 | 督・佐 | 17 |
| 兵衛府 | 左右督・左右佐・員外佐 | 32 |
| 合計 | 193 |
① 大伴宿禰潔足
宝亀11(780)4月20日
左兵衛督↓ 5年後
延暦4(785)8月14日
近衛中将↓ 3年後
延暦7(788)3月21日
衛門督
つまり、
左兵衛督 → 近衛中将 → 衛門督
である。
しかも三つとも今回の「軍事・警衛系」9系列である。
② 紀朝臣木津魚
延暦8(789)8月12日
右兵衛督↓
延暦9(790)3月26日
内匠頭同日
衛門督
つまり、
右兵衛督 → 内匠頭+衛門督
である。兵衛府 → 内匠寮 → 衛門府という、軍事系官司と宮廷技術・生産系官司を跨ぐ人事移動が見えてくる。「軍事官司の人間は軍事官司だけ」という単純な専門職モデルでは説明できない事例である。
③ 宍人朝臣継麻呂
こちらはもっと単純に
宝亀元(770)12月28日
主計頭↓ 7年後
宝亀8(777)1月25日
主税頭
つまり、
主計頭 → 主税頭
である。主計寮と主税寮は、制度上別の官司ですが、少なくともこの人物については両者を経験するキャリアが確認できる。「主計」と「主税」は制度上分離されているが、人間はその境界を越えて移動した。現在でも財務省内の人事は同様である。
④ 安都宿禰真足
宝亀3(772)4月20日
大学助↓
延暦元(782)6月20日
大学助↓
延暦2(783)11月12日
主計頭
つまり、
大学寮 → 大学寮 → 主計寮
であるが、大学助を二度就任している。ここでは単なる「転任」ではなく、
同じ官司での再任 → 別の専門官司へ
というキャリア構造である。
⑤ 石川朝臣公足
延暦3(784)10月26日
主計頭↓ 約1年
延暦4(785)10月12日
主税頭
すなわち、
主計頭 → 主税頭
である。宍人継麻呂と合わせると、
主計頭 → 主税頭
が二人の人物について反復しています。「制度化された人事ルート」と呼ぶには早い。
しかし、
主計頭 → 主税頭
という人事移動が一人ではなく複数人物について現れる。私はここに「人事異動ルート」というラベルを付けてよいと思っている。
⑥ 紀朝臣広名
天平18(746)4月11日
大学頭↓ 3年余り
天平勝宝元(749)8月10日
主税頭
つまり、
大学寮 → 主税寮
である。先ほどの「大学寮 → 主計寮」の安都真足とは別に、
大学頭 → 主税頭
も確認できる。
大学寮
から、
主計寮
主税寮
という財政系寮へ移る人物が存在する。この人事情報を「官司の職掌」だけでは説明しにくい人事ネットワークである。
⑦ 藤原朝臣刷雄
延暦7(788)6月8日
大学頭↓ 3年
延暦10(791)7月4日
陰陽頭
つまり、
大学寮 → 陰陽寮
である。「大学で学問を担当したから陰陽へ」という説明は、可能であろうか。しかし、
大学頭 → 陰陽頭
という人物移動が実在することは確認できる。大学寮と陰陽寮の間にも人事上の接続点がある。
⑧ 賀茂朝臣大川
これは職人・技術系の接続である。
神護景雲元(767)7月10日
内匠助↓ 4年
宝亀2(771)9月16日
木工助
つまり、
内匠寮 → 木工寮
である。通説通りに、複数官司を経験する人事であるものの、この場合は技術職のトップの人事である。
① 同系統内の移動
主計 → 主税
兵衛 → 近衛 → 衛門
② 隣接専門領域への移動
内匠 → 木工
③ 異なる専門領域への移動
大学 → 主計
大学 → 主税
大学 → 陰陽
兵衛 → 内匠
という三種類の人事移動ルートが確認できた。
| 見えてくる現象 | 仮説上の意味 |
|---|
| 主計頭→主税頭が複数人 | 財政系官人の移動単位 |
| 兵衛府→近衛府→衛門府 | 衛府官人の移動単位 |
| 大学頭→陰陽頭 | 学識系官人の移動単位 |
| 内匠助→木工助 | 技術系官人の移動単位 |
| 同じ官職への再任 | 「 人物」だけでなく「ポスト」の管理 |
| 同日複数官職 | 一枚の人事情報だけでは処理できない |