2026年2月11日水曜日

上野国・下野国の国名の由来に関して

 「下野国」は「しも+ケ+国」と分解できrる。その一方で、「上野国」があることで、「上+下」の二項対立でも理解されていたので、本質的に「上・下+ケ」国であると考えてよいだろう。

とすれば、この「ケ」とは何か・

ふと思い出すのは、『万葉集』巻1、38番歌の一節である。

「(幸于吉野宮之時柿本朝臣人麻呂作歌)

安見知之 吾大王 神長柄 神佐備世須登 芳野川 多藝津河内尓 高殿乎 高知座而 上立 國見乎為勢婆  疊付 青垣山々神乃 奉御調等 春部者 花挿頭持 秋立者 黄葉頭刺理 [一云 黄葉加射之]  逝副 川之神母 大御食尓 仕奉等 上瀬尓 鵜川乎立 下瀬尓 小網刺渡 山川母 依弖奉流 神乃御代鴨

やすみしし  わご大君 神ながら 神さびせすと 吉野川  激つ河内に 高殿を 高知りまして 登り立ち 国見をせせば 畳つく 青垣山 山神の 奉る御調と 春べは 花かざし持ち 秋立てば 黄葉かざせり [一云 黄葉かざし]  逝き副ふ 川の神も 大御食に 仕へ奉ると 上つ瀬に 鵜川を立ち 下つ瀬に 小網さし渡す 山川も 依りて仕ふる 神の御代かも

(右日本紀曰 三年己丑正月天皇幸吉野宮 八月幸吉野宮 四年庚寅二月幸吉野宮 五月幸吉野宮 五年辛卯正月幸吉野宮 四月幸吉野宮者 未詳知何月従駕作歌)」

や、あるいは同じく『万葉集』巻20,4360番歌の

天皇乃 等保伎美与尓毛 於之弖流 難波乃久尓々 阿米能之多 之良志賣之伎等 伊麻能乎尓 多要受伊比都々 可氣麻久毛 安夜尓可之古志 可武奈我良 和其大王乃 宇知奈妣久 春初波 夜知久佐尓 波奈佐伎尓保比 夜麻美礼婆 見能等母之久 可波美礼婆 見乃佐夜氣久 母能其等尓 佐可由流等伎登 賣之多麻比 安伎良米多麻比 之伎麻世流 難波宮者 伎己之乎須 四方乃久尓欲里 多弖麻都流 美都奇能船者 保理江欲里 美乎妣伎之都々 安佐奈藝尓 可治比伎能保理 由布之保尓 佐乎佐之久太理 安治牟良能 佐和伎々保比弖 波麻尓伊泥弖 海原見礼婆 之良奈美乃 夜敝乎流我宇倍尓 安麻乎夫祢 波良々尓宇伎弖 於保美氣尓 都加倍麻都流等 乎知許知尓 伊射里都利家理 曽伎太久毛 於藝呂奈伎可毛 己伎婆久母 由多氣伎可母 許己見礼婆 宇倍之神代由 波自米家良思母

皇神祖の 遠き御代にも 押し照る 難波の国に 天の下 知らしめしきと 今の世に 絶えず言ひつつ 懸けまくも あやに畏し 神ながら 吾ご大君の うちなびく 春の初は 八千種に 花咲きにほひ 山見れば 見のともしく 川見れば 見の清けく 物ごとに 栄ゆる時と 見し給ひ 明らめ給ひ 敷きませる 難波の宮は 聞し食す 四方の国より献る 貢の船は 堀江より 水脈引きしつつ 朝凪ぎに 楫引き泝り 夕潮に 棹さし下り あぢ群の 騒き競ひて 浜に出でて 海原見れば 白波の 八重折るが上に 海人小舟 はららに浮きて 大御食に 仕へまつると 遠近に 漁り釣りけり そきだくも おぎろなきかも こきばくも ゆたけきかも 此見れば うべし神代ゆ 始めけらしも」

の「大御食(於保美氣 Ofo +Mi+ケ」である。

要するに、(上・下+)「ケ」+野は食料生産地帯であり、天皇の重要な供御地であるという仮説に立つ。「御食国」であったと同一な視点から考察を加えたい。

しかしながら、この仮説を全面的に否定する相澤秀太郎氏(東北大学大学院文学研究科歴史科学専攻)の博士論文「 日本古代の国家と蝦夷」 にも関心を広げ、相沢氏の論に妥当性があるかどうかを検証してほしい。

「,東国地域,特に上毛 野,下毛野の地域には「御食(ミケ)」として設定されたという歴史的事実はなく,また 地名にも「ミケ」という語句はみられない。あくまで「毛(ケ)」であり「三毛(御食=ミケ)」ではないのである。もっとも「ミ(御)」は天皇に対する尊敬語句であるから, それが取り払われて「ケ」という音だけが残ったということもできるかもしれないが,古 代では一貫して「御食(ミケ)」であり,尊敬語句を外した表現は確認できない。以上の 理由から,東国地域が「御食(ミケ)」として設定され,そこから地域呼称「毛(ケ)」 が生み出されたと考えることはできないというのが私見である。」(2~3頁)

160926-Aizawa-506-0.pdf







2026年2月9日月曜日

焼畑は「苧麻生産のインフラ」

『万葉集』157番歌

神山之山邊真蘇木綿短木綿如此耳故尒長等思伎

三輪山の山辺真麻木綿かくのみ故に長しと思ひき

とある「短木綿」は苧麻であるとされている


今、人 類が最初に栽培 した繊維は亜麻であり、その後麻一亜麻 ・苧麻 と至り、 近世に至る迄の間にヨ ー ロッパでは亜麻、日 本 ・中国で 苧麻を繊維素材として広く使用したとするに教科書的理解は再論するまでもない。

ちなみに、日本の繊維製品に関する 家庭用品品質表示法(品質表示規程) では、「麻」)という単独の表示は “亜麻(flax / linen、1年生植物、明治7年北海道で栽培開始)” と “苧麻( ramie、)多年生植物” のみ に限定されている。

さて、「亜麻(flax / linen)にせよ“苧麻( ramie)にせよ両者に共通するのは靱皮繊維である。その繊維は植 物の茎の靱皮部に繊維東の形で存在している(高橋透「麻素材」『繊維と工業』ol. 42, No.8、1986年参照)。

 それぞれの収穫量は、 苧麻の場合は熱帯にあって年6回、温 地区では3 ~4回 の収獲が可能で地域により相当な差があるものの、

 苧麻……1 ha 当り1.5t~2.0t (剥皮後の靱皮部換算) 年間生産量は4万 ~6万t

 亜麻……1ha当 り平均459kg

だという(大川浩次「"麻(ラ ミー,リネン)"の構造と特性」『繊維機械学会誌』ol . 33 , No . 1 1980 年、77頁)


さて、本歌を理解する上に、新井清氏の「古代詩歌に現れた精錬と漂白」(『奈良大学文化財学報』第2号、1-7頁、1983年)は必読論文である。

新井氏の論文に教わったことであるが、

まずは、苧麻栽培は南魚沼市HPを参考としてよいだろう。

栃窪集落の苧麻畑 - 南魚沼市

そして、『万葉集』3351番歌の「雪かも降らる否をかも愛しき児ろが布(にの)乾さるかも」に関する箇所は、その状況が目に浮かぶ。


「さて、国指定重要無形文化財・ユネスコ無形文化遺産である南魚沼市の「越後上布」に関する情報を念頭に置くとよいだろう。

つまり、新井氏が指摘するように、「苧麻の布の雪晒し」の情景を思い浮かべて、歌を理解したい。

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<参考情報>

越後上布の雪ざらし - 南魚沼市

春の風物詩 越後上布の雪ざらし

朝のあかあかと昇て、玉屑平上に列たる水晶白布に紅英したる景色、ものにたとへがたし。
かかる光景は、雪にまれなる暖国の風雅人に見せたくぞおもはるる。
【『北越雪譜』 巻之中 縮(ちぢみ)を曬(さら)す】

雪ざらしをする様子

雪ざらしは、国の重要無形文化財「小千谷縮・越後上布」の指定要件の一つで、越後上布を製作する上で欠かせない重要な工程です。

冬の間に織り上げられた越後上布は、仕上げの工程にまわされます。

仕上げの工程では、製作過程でついてしまった汚れやシミ、糸を扱いやすくするためにつけた糊など落としながら、布を柔らかくし、布目を詰まらせる「足ぶみ」という工程が行われます。

その後、さらに白くする製品はよく晴れた日中、まっさらで平らな雪の上に広げます。この工程のことを「雪ざらし」といいます。雪ざらしは、太陽の熱によって雪が溶けて水蒸気になるときに、殺菌・漂白作用のある「オゾン」が発生し、これが布目をとおるときに化学反応が起きて繊維が漂白されるという効果を利用したもので、汚れやシミなどを落とし漂白し、柄をより鮮明に浮き立たせるために行われます。色や柄にもよりますが、1反の布を雪ざらしする期間は3日~10日程度です。

この雪ざらしは3月ころに行われる工程のため、古くから南魚沼地域のの春の風物詩とされてきました。

越後上布の里帰り

(写真)雪にさらされた上布

製品として人の手に渡った越後上布が、再びこの地に戻ってくることがあります。長年着用してしみついた汚れを、雪ざらしできれいにするためです。
これを、昔のひとびとは愛情をこめて「越後上布の里帰り」と呼びました。

長年着てしみついた汗ジミや、うっかり付けてしまったしょうゆジミも、雪ざらしをすることで不思議なくらいきれいに落ちます。
雪ざらしは、絹織物にはできない、麻織物ならではの天然のお洗濯なのです。

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なお、焼畑は「苧麻生産のインフラ」である。焼畑文化圏を背景にして、万葉集3351番歌理解が求められることに注目したい。


<参考資料①>

柳沢 幸男・市川 尚武・田口 亮平「 苧麻の生育に及ぼす日長の影響」『日作北陸会報』 3号、31〜33(1969)

<参考資料②>
奥山 誠義 「考古資料からみた植物性繊維の利用実態の解明」『作物研究』

2017 年 62 巻 p. 57-63

2026年2月6日金曜日

日本古代の紙

 

写経用の紙は、「年料紙条」の冒頭で、紙の大 きさ(広=ヨコ 2尺 2 寸 (35.5cm ),長=タ テ 1尺 2寸(65、2 cm ))で ある と定められている。

いま、古代の製紙技術を説明する論文に、

大川昭典・益田勝彦「製紙に関する古代技術の研究」『保存科学』No20.、43-56頁

が詳しい。

なお、大川昭典、増田勝彦「製紙に関する古代技術の研究(3)」『保存科学』24号、17頁によると、

「現在の伝統的手漉和紙を製造する際には、楮などの靭皮を長いまま、煮熱、手打ちして抄紙前の準備作業としている。それに対して、筆者らの行った研究によれば、奈良時代は原料繊維を2~3ミリ目^取るに切断した後、長時間臼搗叩解を行って、抄紙したと推定される」

とある。


<資料①>『延喜式』

13/図書寮/13/凡年料所造紙二万張、〈広がく二尺二寸、長一尺二寸、〉料紙麻小二千六百斤、〈一千五百六十斤穀皮、一千卌斤斐皮、並諸国所進、〉藁五百圍、〈河内国所進、〉絹一疋二丈、〈篩四口料、〉紗一疋一丈七尺、〈数漉簀料、〉簀十枚、〈漉紙料、長二尺四寸、広一尺四寸、八枚漉例紙料、長二尺四寸、広一尺五寸、二枚模本面背紙料、〉調布五端四尺、〈絞紙料二端一丈、篩四口料二丈、造紙手四人袍袴料二端一丈六尺、〉砥一顆、鍬二口、小刀六枚、〈四枚切麻料、各長一尺二寸、二枚切紙端料、各長七寸、〉木連灰十六斛、〈直、〉明櫃八合、東筵十枚、調筵四枚、漉形五具、毎年十二月上旬預請来年所須調度、但食米月別請受、〈一人米四斗、塩四合、小月亦同、作物不減、〉其漉紙槽四隻、〈各長五尺二寸、広二尺一寸、深一尺六寸、底厚一寸三分、〉洗麻槽一隻、〈大同上、〉淋灰槽一隻、〈長三尺五寸、広三尺三寸、深一尺六寸、底厚一寸三分、〉臼櫃八合、〈各長二尺五寸、広二尺三寸、深一尺五寸、底厚七分、〉瓼四口、由加四口、乾紙板六十枚、〈各長一丈二尺、広一尺三寸、厚二寸五分、毎年移木工寮削之、〉並随損請換、造紙畢年終進内蔵寮、若臨時造紙者、並以年料内造進、〈模本裏紙背紙褾紙等類、〉

13/図書寮/14/凡年料所造墨四百廷、〈長五寸、広八分、〉絹七尺八寸、〈篩墨料、〉綿八両、〈拭墨料、〉調布一丈六尺、〈袋并覆料、〉紺布四端、阿膠小六斤八両、席一枚、食薦二枚、〈並干墨料、〉長上一人、造手四人、給衣服、各庸布一段、其食人別日米一升六合、塩一勺六撮、海藻二両、醤滓一合、惣単九十三人、

13/図書寮/15/凡年料装潢用度絹五尺、〈篩糊料、〉大豆五斗、〈糊料、〉大竹廿株、〈褾紙料、〉小刀四枚、〈切紙端料、〉砥一顆、

13/図書/16/凡年料染造紙花二百六十八筥、〈御料十八筥、最勝王経「并」斎会料二百十筥、東寺国忌料廿筥、崇福寺国忌料廿筥、〉所須紙一千四百九十張、〈白九十九張半、雑色千三百九十張半、〉紅花大四斤、〈三斤染紙二百張料、一斤支子下染料、〉黄蘗大五斤、〈三斤染紙二百張料、二斤藍下染料、〉支子三斗、〈染紙二百張料、浅【クサカンムリ+補】萄汁一斗、〈染紙二百八十張料、〉黄櫨大二斤、〈染紙二百五十張料、〉紫草小十斤、〈染紙百廿張半料、〉藍二圍、〈染紙一百卌張料、〉酢六升五合、綿小三両、藁三圍、椿灰一斗三升、水麻笥二口、杓二柄、籮一口、薪卌二斤、毎年六月上旬具注用度申請、九月内付書司令染、其染所雑使等食、臨時申請内侍

13/図書寮/17/凡兎毛筆一管、写真行書一百五十張、注一百張、墨一廷書三百張、鹿毛筆一管界六百張、

13/図書寮/18/凡写経功傭、以布一端充紙卌張、〈注経卅張充一端、〉校以一端充一千張、〈注経亦同、〉装潢以一端充四百張、〈謂黏擣界截及著褾安帯軸、〉題以一端充一百巻、

13/図書寮/19/凡造紙者、調布大一斤、斐皮五両、造色紙卅張、穀皮斐皮各一斤、造上紙各卅張、

13/図書寮/20/凡写書者、発首皆留二行、巻末留一行空紙、然後題巻、其装裁者、横界之外上一寸一分、下一寸二分、惣得九寸五分、

2026年2月4日水曜日

日本のおける唐尺の平均値ば0.296㎝

  新井宏氏の研究によると(『まぼ ろ しの古尺』吉川弘文館、1992 年、203−217 頁)。、唐 尺は O.29−・〔).3 であるが, 目本の唐尺の平均値は0.296mとする ものが 最多だそうだ。

2026年2月3日火曜日

山形県東置賜郡川西町出土木簡に墨書された『観世音経』に関する仮説

 道伝遺跡

 所在地  ´山形県東置賜郡川西町大字下小松字道伝前

・四天王〈〉\○合三百卅□〔部ヵ〕/観世音経一○精進経一百八○十一面陀一百十/多心経十六○涅般経陀六十五○八名普密陀卅∥・□」

(長さ51.2cm×幅3.4cm×厚さ0.7cm。011型式。 SD1第IV層出土。上端から13cmと26cmの箇所に木クギが残存している。板目材。)

一緒に出土した木簡に「寛平八年(892)」の官物計収した木簡もあることから、ほぼ同一時期か。(報告書。73頁)

6306_3_道伝遺跡発掘調査報告書.pdf

<『木簡研究』第2号、49頁>


本稿の問題の所在:山形県東置賜郡に位置した置賜郡衙に存在しただろう各種経典は、いつ、どこで、だれが写経して、その経典の形態はいかがであったか、そしてその書誌的情報はどのようであったかなどを具体的に検討することにある。当然ながら経典それ自体が未発見であるので、あくまでも推測の範囲内にとどまり、正答は将に期待していることを予告しておきたい。

 周知のとおり、『延喜式』によると、古代出羽国の管下には最上・村山・置賜・雄勝・ 平鹿・山本・飽海・河辺・田川・出羽・秋田の郡名が記載されている。これらの中で山形県に位置するのは最上・村山・置賜・飽海・田川・出羽の6郡であったと推定される。道伝遺跡が位置する現置賜地方は『延喜式』置賜郡に比定して異論ないだろう。諸先学の指摘にあるように置賜郡の郡衙跡こそ、川西町の道伝遺跡であると比定する考えを支持して大きな誤りを犯すことはない。従来置賜郡衙の位置は高畠町小郡山と南陽市郡山に比定する両説も提出されていたが、出土した木簡資料から考えて道伝遺跡が置賜郡衙であると考える説に賛成する。

 律令時代の郡衙と寺院は、発掘資料からして行政と宗教が結合し、地域支配の可視化・正統化を担う「Twin統治装置」だと言えよう。我々の関心を置賜郡にあえて限定すれば、郡内の政治的権威を郡衙が、宗教的権威を寺院(寺院名は不明)が受け持ったと考えられる。

したがって、現在までの出土状況からだけの判断で、この経典類が郡衙でのみ使用されたと考えるのは早計である。当然の推測として郡衙に併設された寺院との関連性を考慮しても良いだろう。

さて、通説によれば、日本への仏教到来は7世紀半ばに百済経由であったという。この公伝を否定する根拠はない。しかしながら仮説として、ワンルートだけであったと即断するのも、教科書式に正解を一つに求めたいからであろう。卑見によると、敬愛する故木村武夫先生(神戸女子大学教授)のご教示も踏まえて、その時期も異なり、またルートそのものも異論があるが、本論とは無関係であるので、他所で小見を開陳したい。

 文献資料によると、『日本書紀』持統天皇三年(689)正月三日の記事に、

  「丙辰、務大肆陸奧國優𡺸曇郡城養蝦夷脂利古男、麻呂與鐵折、請剔鬢髮爲沙門。詔曰「麻呂等、少而閑雅寡欲。遂至於此、蔬食持戒。可隨所請、出家修道。」

とある。この記事は城養蝦夷に対する仏教拡布を物語る。観点を変えれば、その時点までに陸奥国に配置された郡衙を取り巻く地域に居住した城(柵)養蝦夷の目に、最先端の文化として映っていたに違いない。


(1)写経に関して

 正倉院文書研究が進展するにつれて、皆川完一先生(『正 倉院文書と古代中世史料の研究』吉川弘文館,2012年)・吉田孝先生(『律令国家と古代の社会』岩波書店,1983年)や山下有美氏などによって、8世紀を中心とした国家的写経の実態が相当程度具体的に解明されている。そして造石山寺所文書については,岡藤良敬氏(『日本古代造営史料の復原研究』、法政大学出版局,1985年)が詳しい。今、その研究史は山下氏の著書『正倉院文書と写経所の研究』(吉川弘文館,1999年)などに委ね、、ここでは割愛する。

 日本に現存する写経類の大部分は和紙を用い、「巻物仕立(巻子本)」であり、糊で紙を連接させた粘葉装である。今さらながら『古事記』応神天皇条に記述された朝鮮半島由来の『論語』10巻や『千字文』1巻を思い浮かべるまでもなく、日本に百済から将来された書物が巻物仕立てであった。『令義解』(813年)巻1、職員令「中務省図書寮」に詳しいが、大宝律令 (701 年)で 定め ら れた中務省図書寮 は 図書 ・文書の保存、国史編纂、仏典仏像や紙・筆・墨・糊など文具類の 制作 ・管理 ・収蔵などを目的に設置された。

そもそも写経が実施されるためには、

1,発願者(スポンサー)

2,経典の底本

3,紙

4,筆

5,墨

6,写手

7,校合手

8,紙の裁断師

9,装幀師

などの諸条件の整備が不可欠である。

  具体的に写経という作業手順を、次に概説しておきたい。『令義解』(833)巻1、職員令「図書寮」条に

 「頭一人、掌経籍。図書。(中略)修撰国史、(中略)内典、仏像、宮内礼仏、(中略)校  写、装潢(中略)、功程、給紙筆墨事、助一人、大允一人、小允一人、大属一人、小属一人、写書手二十人、掌校写書史、装潢手四人、掌装潢経籍。造紙手四人、掌造雑紙、造筆手十人、掌造管、造墨手四人、掌造墨、使部二十人、直丁2人、紙戸」

とあり、図書寮における諸作業における人員配置を知る。つまり「経籍。図書」を掌握し、校写、装潢(中略)、功程、給紙筆墨事」を担当するとある。

『延喜式』巻13、図書寮の項目を見ると、その職務はさらに多様多彩にわたっている。校写・装潢・造紙・造筆・造管筆・造墨にとどまらず、曝書・仏具の管理・造花などに及ぶ。『延喜式』を見ると、

13/図書寮/21/凡写書、上穀紙大字長功日写一千七百言、中功日一千五百言、短功日一千三百言、小字長功日写二千三百言、中功二千言、短功一千七百言、其麻紙書各減穀紙一百言、上穀紙義疏長功日写二千言、中功日一千八百言、短功日一千六百言、麻紙書各減穀紙一百言、

13/図書寮/22/凡摸書、長功日九十言、内墨卌言、中功八十言、内墨卅八言、短功七十二言、内墨卅二言、

13/図書寮/23/凡校麁書、長功日六十紙、中功五十紙、短功卌紙、再校各加初校十紙、注書長功日卌六紙、中功卅九紙、短功卅二紙、再校各加初校五紙、

13/図書寮/24/凡装潢、長功日黏紙七百張、擣紙二人日百廿張、麁闌界四百卌八張、〈張別廿七行、〉界長七寸二分、広七分、注闌界四百八十三張、〈張別廿四行、〉界長同上、広八分、横界五百八十八張、装書四百廿張、〈截端及著褾紙安帯軸、〉」

とあり、書写のスピードにも及ぶ。そして「模本」にしても「装潢」にしても同様である。その時に注目するのは、「、〈張別廿七行、〉界長七寸二分、広七分、〈張別廿四行、〉界長同上、広八分、〈截端及著褾紙安帯軸、〉」である。この記述によって、書籍の書誌情報を知る。すなわち装幀では、

①糊で紙を繋ぎ合わせる

擣紙、つまり紙を打って、柔らかくする

③普通(行注のない)の本文

  1,罫線を引く

  2,1張、27行取り 

  3,罫の長さ(界長七寸二分

  4,罫と罫の間は広七分

④双行注のある本文

  1,罫線を引く

  2,1張、24行取り

  3,罫の長さは界長七寸二分

  4,罫と罫の間は広七分

横界(上下各2線)を引く場合

装書

⑦紙の両端を裁断し、紐をつけて結び、紙の終わりを軸に著ける

という一連の作業が明示されている。


この小見では、<資料⑥>を参照していただくにとどめ、紙・墨・軸などに言及しない。


(1)観世音経

この経典に関しては、千葉県HPに記載された那古寺蔵(館山市那古1125)の類本研究情報が貴重であるので、それからスタートしたい。

 観世音経は、「妙法蓮華経」の一部で、正確には「観世音菩薩普門品第二十五」のこと。4枚の楮紙(ちょし)を貼り継いだ全長175.3cmの巻物で、後世の表具(ひょうぐ)が付いている。4世紀頃、現在の中国ウイグル自治区に生まれた鳩摩羅什(くまらじゅう)が漢字に訳したものを書写したものであるが、本文最後の偈頌(げじゅ)(漢詩)は付いていない。細身の線の謹厳な楷書体で、やや扁平な字の書風から、奈良時代前期の書写であると考えられる。軸首(じくしゅ)は、11~12世紀前半に制作された算盤玉形で、精巧な蓮華文を線刻している。」観世音経・孔雀王咒経/千葉県 2026年1月30日アクセス

ただし、この蔵の観世音経は普門品に偈頌が存しない本文を有している。したがって鳩摩羅什訳『妙法蓮華経』の古い形を留めた本文であると推定される。現存する観世音経写本で偈頌を有しないのは那古寺本と聖衆来迎寺本の2本だけである。ちなみに唐招提寺蔵本には当該の偈頌が存していることから現行流布の鳩摩羅什訳『妙法蓮華経』の類本だと言える。


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<参考情報>

妙法蓮華経普門品第二十五(大津市妃悦治2丁目所在)

妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五』は観音信仰の根本経典で、『観音経』『観世音経』として単独で書写される場合もある。本巻でも、首題は「妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五」としているのに対し、尾題は「観世音経」と記されている。黄紙四紙を継ぎ、一紙に二十八行、一行に十七字で書写されている。界線をほどこしていない点が注目される、奈良時代前半の写経である。

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①正式名「観世音菩薩普門品第二十五」

②書式:巻子本。4枚の楮紙を貼り継いだ全長175.3cm

③「細身の線の謹厳な楷書体で、やや扁平な字の書風」だったか。

紙本墨書(楮紙)、巻子本(一軸 全四紙)、縦26.2cm 全長175.8cm、奈良時代前期」

(中略)

料紙は、穀紙(こくし)(「楮紙」の古名)を丁寧に打紙し、更にその表面を猪牙等で磨いたものと考えられる。界線(淡墨界)は全紙に施されており、界高 19.5cm、界幅1.85cmで、一紙28行、一行17字である。」(宇都宮啓吾氏調査 那古寺蔵『観世音経』について 宇都宮啓吾(大阪大谷大学教授) -観音巡礼と那古寺 那古寺観音堂平成の大修理記念 | たてやまフィールドミュージアム - 館山市立博物館

内容:難・三毒・二求両願・三十三身十九説 法という分類。仏教の修行体系説明

⑤救済者である観世音菩薩の霊験談を説明しつつ、初歩的ある いは基礎的な仏教入門書



己亥,敕四畿內七道諸國曰、比來,緣筑紫境有不軌之臣,命軍討伐。願依聖祐,欲安百姓。故今國別造觀世音菩薩像壹軀,高七尺,并寫觀世音經一十卷。」『続日本紀』」』天平12年(740)9月己亥条
に見るように、ここで注目したいのは、天平12年(741年)段階での「観世音経」写本1部は巻子体であった事実である。

そして、時代は少し遡るけれども、
(『続日本紀』養老6年<722年>11月)
に注目したい。蛇足ながら、この「觀世音經二百卷」とは観世音経1巻を200部写本し、その経典は鳩摩羅什訳『妙法蓮華経』現行流布本(8巻本)ではなく、鳩摩羅什訳『妙法蓮華経』の古い形を留めた1巻本であり、普門品に偈頌が存しない経典であったに違いない。
1、巻物仕立ての1巻本
2,鳩摩羅什訳『妙法蓮華経』の古い形を留めた、普門品に偈頌が存しない経典を底本とした。
3,那古寺本観世音経と同一本であると推測し、「料紙は穀紙(「楮紙」の古名)、有界線、、界高 19.5cm、界幅1.85cmで、一紙28行、一行17字であり、全長175.8cm」であった。
4,「凡写書者、発首皆留二行、巻末留一行空紙、然後題巻、其装裁者、横界之外上一寸一分、下一寸二分、惣得九寸五分」(『延喜式』巻13、図書寮)
5、底本は元正天皇によって配布された「観世音経200部の一つ」(『続日本紀』養老6年<722年>11月)であるか、それを転写した経典の流れ写本
6、出羽国衙で書写した後、各郡衙へ配布したらしい。

だと推測しておきたい。





(2)精進経以下に関しては、別に発表する。

藤田美術館所蔵経典を参考にすると、
*巻子(巻物)形式縦27.3㎝、長さは約10m。
程度の情報に留まる。



<資料①>

詳細

URLhttps://mokkanko.nabunken.go.jp/ja/MK028193000006
木簡番号0
本文・←薩無数○志固精進○於仏智慧○皆不退転・←其数不○不也世尊○諸比丘○是→
寸法(mm)(137)
16
厚さ1
型式番号081
出典木研28-193頁-(6)
文字説明 
形状上欠、下欠。
樹種 
木取り 
遺跡名観世音寺跡南門前面域
 
所在地福岡県太宰府市大字観世音寺字堂廻
調査主体九州歴史資料館
 
発掘次数109 , 111
遺構番号SD3200
地区名
内容分類こけら経
国郡郷里 
人名 
和暦 
西暦 
遺構の年代観 
木簡説明本文表面「授記品第六」の一節「巻第三第二一三行」、裏面「化城喩品第七」の一節「巻第三第二二七行」。
DOI
URLhttps://mokkanko.nabunken.go.jp/ja/MK035037000214
木簡番号0
本文土故常勤精進教化衆生漸漸
寸法(mm)(164)
25
厚さ0.2
型式番号081
出典木研35-37頁-2(14)
文字説明 
形状上欠、下欠。
樹種
木取り 
遺跡名相国寺旧境内
 
所在地京都府京都市上京区相国寺門前町・岡松町・玄武町・新北小路町
調査主体同志社大学歴史資料館
 
発掘次数6
遺構番号
地区名
内容分類こけら経
国郡郷里 
人名 
和暦 
西暦 
遺構の年代観 
木簡説明「妙法蓮華経巻第三妙法蓮華経五百弟子受記品第八」。
DOI
URLhttps://mokkanko.nabunken.go.jp/ja/MK026108000004
木簡番号0
本文・於大衆中有所演説出深妙声能入其心皆・次常精進若男子善女子受持是経若
寸法(mm)210
10
厚さ1
型式番号011
出典木研26-108頁-(4)
文字説明 
形状頭部山形に浅く尖る、下部平ら。頭部一部欠損。
樹種 
木取り 
遺跡名神明遺跡
 
所在地埼玉県行田市大字長野字原・鶴巻
調査主体行田市遺跡調査会
 
発掘次数4
遺構番号
地区名
内容分類こけら経
国郡郷里 
人名 
和暦
代観 
木簡説明 
 
西暦 
遺構の年
DOI








































孔雀王咒経は













































































13/図書寮/1/凡元日、大極殿前庭左右設火爐榻一脚、官人四人各著礼服、分自東西廊門、当爐榻相封立、開御帷訖、主殿先進発火爐、寮官人左右各一人進就榻下、共焼香一挙、畢即共復本列、所須香小六斤十二両、〈盛奩、〉預前請受、〈香奩爐榻及礼服、並在寮家、〉

13/図書寮/2/凡暴凉仏像経典者、起七月上旬、尽八月上旬、其所須綿紙并鋪設等、臨時請受、

13/図書寮/3/正月最勝王経斎会堂装束盧舎那仏并脇侍菩薩壇像一龕、〈仏座暈繝錦褥一条、〉金字最勝王経一部、〈納金銅函一合敷錦、〉経嚢一口、〈納黒漆金銀泥絵細筥一合、在白綾縫立、〉墨字最勝王経廿部、〈分十部置案、立仏座壇左右、〉白銅火爐三口、〈一口仏前料、二口行香料、〉白銅奩八合、同匕十六枚、〈並行香料、〉金銅花盤四口、〈二口盛紙花、二口盛莽草葉、〉金銅仏器一具、〈鉢一口、加輪、花盤四枚、鐃四口、箸一具、〉玉磬一枚、〈備槌台、〉金銅鐘一口、〈備台杵、〉金銅大花瓶四口、〈敷緑帛小褥四条、置仏座四角、挿柳梅花、〉紫帛帯十六条、〈結著柳梅、〉幡五十二旒、〈大卌四旒殿母屋料、小八旒高座料、〉花蔓代卅枚、〈大廿二枚殿母屋料、小金輪小八枚高座料、〉緋綱十一条、〈懸幡料、〉経台廿五基、赤漆鷺足円机四脚、〈花瓶料、〉黒漆案一脚、〈仏供料、〉【巾+巴】一条、帯二条、絵別足高案八脚、〈二経案、二花盤案、二散花、二行香案、〉雑色褥八条、〈二条経案、二条花盤案、二条散花案、二条行香案、〉白羅繍【巾+巴】二条、〈経案料、〉赤紗【巾+巴】二条、〈散花案料、〉雑色綴組帯八条、〈経案散花案別二条、〉細布二条、〈行香案地敷料、〉□…□四具、〈置仏座壇下四角、備漆榻四脚、短帖四枚、青両面褥四条、漆案四脚、青両面褥四条、【巾+巴】四条、帯八条、白銅火爐四口、奩四合、金銅鉢四口、加輪、盤十六枚、鐃十六口、漆絵花盤十六口、箸四具、〉聖僧座一具、〈塗丹榻一脚、短帖一枚、白褥一条、漆案一脚、【巾+巴】一条、帯二条、金銅鉢一口、盤四枚、鐃四口、箸一具、〉高座二具、〈蓋二条、天井二枚、柱八枚、令内匠寮構立、帽額二条、幡八旒、短帖二枚、蓮華座二枚、赤両面褥二条、漆案二脚、褥二条、前垂二条、大床二脚、但講師加案并塵尾、〉礼版座二具、〈漆案二脚、短帖二枚、褥二条、〉輿二具、〈白蓋二枚、綱四条、茵二枚、〉敷土料調布卅六端、〈敷仏座壇下、〉三寳布施細屯綿十屯、〈大蔵省裹緑帛畢日進之、寮官人置高案衆僧布施之時供奉、〉香三斤、〈浅香七両、薫陸香七両、青木香二斤二両、奏請内蔵寮、〉紙花二百十筥、〈一七日料、日別卅筥請受書司、〉梅柳雑花、〈諸衞採進、〉仏聖供、〈内膳弁備之、但仏器案等従寮度之、〉燈油、〈主殿寮供之、〉火爐火、〈主殿寮弁備、寮堂童子供之、但始終之日寮官人供之、〉堂内鋪設、〈掃部寮敷儲、〉香水瓫二口、斎会始日分置堂前左右、灑堂上人、終日亦同、〈主水司儲之、但度者香水寮儲之、〉其御薬、八日始充之、楊枝置絵案二脚、並納御薬櫃所司儲備、又年分度人所須雑香、并木火爐一口、木奩二合、磬一枚、紙花五筥、絵高案二脚、〈一香、一花、〉【巾+巴】一条、帯二条、褥二条、幡四旒、懸幡桙四枚、斎会畢日儲而供之、右仏像雑具、並収寮庫、臨事出用、官人二人、史生四人、供火爐火堂童子十二人、〈用寮雑色人、〉各給潔衣一領、袴一腰、袜一両、手巾一条、料調布三丈一尺、〈袍二丈、袴七尺、袜三尺、巾一尺、〉紅花大二両、〈染衣料、〉毎年前会請受、但駕輿丁当色紺布衣十二領、袴十二腰、随損請換、

13/図書寮/4/春秋二季御読経装束盧舎那仏并脇侍菩薩像一龕、墨字大般若経一部、白銅火爐三口、白銅奩八合、匕十六枚、金銅花盤二口、〈盛花料、〉鉄磬一枚、金銅鐘一口、金銅大花瓶二口、幡五十二旒、〈大卌四旒、小八旒、〉花蔓代卅枚、〈大廿二枚、小八枚、〉緋綱十一条、赤漆小机百脚、〈安経料、〉赤漆鷺足円机二脚、〈立大花瓶料、〉案七脚、〈一香花、一仏供、一聖供、二散花、二行香、〉聖僧座一具、礼版座二具、仏布施細屯綿十屯、〈大蔵省裹緑帛結願日進之、寮官人置高案立仏前、〉右二八月択吉日、請百僧於大極殿、三箇日修之、其堂内装餝并官人等潔衣、大體准御斎会、臨時御読経亦同、但於紫宸殿及御在所転読之時、随便供奉、

13/図書寮/5/御潅仏装束金色釈迦仏像一躰、〈備金銅盤一枚、〉山形二基、〈一基立青龍形、一基立赤龍形、〉金銅多羅一口、〈受水料、〉黒漆案四脚、〈一脚御料、金銅杓二柄、安同盤、人給料黒漆杓二柄、一脚白銅鉢一口、銀鉢四口、各加輪、並五色水料一脚花盤二口、盛時花、金銅火爐一口、加蓋、一脚散花筥五枚、盛時花、〉茵一枚、〈導師料、〉磬一枚、〈加台槌、〉右四月八日供備御在所、

13/図書寮/6/御仏名装束御持仏一龕、蒔絵案一脚、〈已上在内裏、便供奉、但寮供紙花香料、金銅花盤二口、火爐一口、〉平文案二脚、〈一脚立左奉案置裁物仏一基、水精塔形一基、一脚立右牙仏一基、〉仏供案一脚、〈加褥并【巾+巴】帯、〉金銅花瓶二口、菊削花二枚、〈左右近衛各進一枚、寮受供之、〉一万三千仏像二鋪、十六仏名経一部、平文案三脚、〈一脚経案、一脚散花案、並加褥并【巾+巴】帯、一脚行香案、〉聖僧座褥一条、聖供案一脚、〈加褥并【巾+巴】帯、〉幡十六旒、仏供、〈内膳弁備、但仏器并案寮度之、〉礼版一基、磬一枚、〈加槌、〉拜経案一脚、錫杖四枚、如意一柄、〈已上二種請蔵人所、〉右十二月三箇夜、〈始十九日、〉礼仏供備御在所、

13/図書寮/7/講説仁王般若経装束釈迦牟尼仏并菩薩羅漢像一鋪、〈榻并褥一具、〉仁王般若経一部二巻、〈経嚢一口、経台一基、経櫃一合、〉五大力菩薩像五鋪、〈榻五脚、加褥、〉花案一脚、〈褥及【巾+巴】各一条、帯二条、花筥二枚、花瓶一口、〉香案一脚、〈褥一条、香二両、火爐一口、奩二合、〉仏供案一脚、〈褥及【巾+巴】各一条、帯二条、〉燈台一基、五大力菩薩供案五脚、〈褥及【巾+巴】各五条、帯十条、〉行香案一脚、〈褥一条、火爐一口、奩四合、匕八枚、〉布施案一脚、〈褥及【巾+巴】各一条、帯二条、〉鎮子鉄卌廷、敷地料調布廿端、右一代一講仁王会、大極殿装束如件、自余雑具如正月御斎会、紫宸殿准此、供奉臨時亦同、〈事見玄蕃式、〉

13/図書寮/8/凡宮中礼仏三宝布施者、収納寮庫、聴官処分、

13/図書寮/9/凡国忌斎会五位一人、六位已下一人、史生一人向寺、率諸司史生四人行事、冬月用紙花、〈東西寺廿筥、崇福寺廿筥、〉余月採時花供之、〈便令寺採、〉其香毎寺十二両、〈浅香二両、薫陸二両、青木八両、〉

13/図書寮/10/凡写年料仁王経十九部、各二巻用紙七百一十張、〈計年中日数一日充二張、但有閏月者准日加之、自余雑物亦同、〉褾紙十九張、半損料紙廿七張、兎毛筆七管、鹿毛筆二管、〈堺料、〉墨三廷半、〈堺料亦在此中、〉紙六十張、〈雑用料、〉軸卅九枚、〈直、〉綺五丈八尺五寸、〈直、〉黄蘗大七斤、〈直、〉書手七人、〈日写七張、〉装潢手一人、校生一人、〈日校廿張、再校、〉各給浄衣絁四丈、〈汗衫并褌料、〉調布四丈五尺、〈衣袴并湯帷手巾袜料、〉頭巾一条、絲一両、駈使丁一人衫袴料、庸布一段、食料人別日米二升、〈駈使丁本粮、〉大豆小豆塩醤未醤各一合、酢芥子各三勺、海藻滑海藻海菜各二両、紫菜海松各一両、生菜廿七束七把、〈直、〉水麻笥二口、杓二柄、薪卅五荷、〈直、〉油一升、〈菜料、〉折薦帖十二枚、毎年請受、三月以前写訖、収於寮蔵、

13/図書寮/11/凡御書及図絵者、六年一度暴凉、勅使弁官簡差諸司判官以下及舎人学生等堪事者分番検凉、其雑使取散位位子等、駈使充左右衛士各十人、掃部寮設座席、所司朝夕給百度食、衛士人別日飯二升、若御書并雑調度有損破者、仰所司令繕補、事訖之後、惣取諸番日記、勅使署名奏進、其蔵鑰者、寮申内侍奏請、検凉之間、勅使封鑰納寮、

13/図書寮/12/凡行幸従駕御研案一具、〈研一口、筆十管、銀小瓶一口、墨四廷、雑色紙数不定、〉和琴二面、〈御一面、凡一面、〉柳筥一合、〈納赤地両面袋、〉地図一巻、〈以細布為之、納赤地両面袋、〉儲幕四条、〈二絁、二布、並随破請替、〉官人二人率番上二人、令仕丁五人担之、各著紺布衫、布袴、布帯、〈事畢返収寮家、随損請換、〉其応御和琴者、官人以袖執琴尾而擎、転於書司進之、給侍臣者、執琴首直趨就座後授之、

13/図書寮/13/凡年料所造紙二万張、〈広二尺二寸、長一尺二寸、〉料紙麻小二千六百斤、〈一千五百六十斤穀皮、一千卌斤斐皮、並諸国所進、〉藁五百圍、〈河内国所進、〉絹一疋二丈、〈篩四口料、〉紗一疋一丈七尺、〈数漉簀料、〉簀十枚、〈漉紙料、長二尺四寸、広一尺四寸、八枚漉例紙料、長二尺四寸、広一尺五寸、二枚模本面背紙料、〉調布五端四尺、〈絞紙料二端一丈、篩四口料二丈、造紙手四人袍袴料二端一丈六尺、〉砥一顆、鍬二口、小刀六枚、〈四枚切麻料、各長一尺二寸、二枚切紙端料、各長七寸、〉木連灰十六斛、〈直、〉明櫃八合、東筵十枚、調筵四枚、漉形五具、毎年十二月上旬預請来年所須調度、但食米月別請受、〈一人米四斗、塩四合、小月亦同、作物不減、〉其漉紙槽四隻、〈各長五尺二寸、広二尺一寸、深一尺六寸、底厚一寸三分、〉洗麻槽一隻、〈大同上、〉淋灰槽一隻、〈長三尺五寸、広三尺三寸、深一尺六寸、底厚一寸三分、〉臼櫃八合、〈各長二尺五寸、広二尺三寸、深一尺五寸、底厚七分、〉瓼四口、由加四口、乾紙板六十枚、〈各長一丈二尺、広一尺三寸、厚二寸五分、毎年移木工寮削之、〉並随損請換、造紙畢年終進内蔵寮、若臨時造紙者、並以年料内造進、〈模本裏紙背紙褾紙等類、〉

13/図書寮/14/凡年料所造墨四百廷、〈長五寸、広八分、〉絹七尺八寸、〈篩墨料、〉綿八両、〈拭墨料、〉調布一丈六尺、〈袋并覆料、〉紺布四端、阿膠小六斤八両、席一枚、食薦二枚、〈並干墨料、〉長上一人、造手四人、給衣服、各庸布一段、其食人別日米一升六合、塩一勺六撮、海藻二両、醤滓一合、惣単九十三人、巻13/図書寮/15/凡年料装潢用度絹五尺、〈篩糊料、〉大豆五斗、〈糊料、〉大竹廿株、〈褾紙料、〉小刀四枚、〈切紙端料、〉砥一顆、

13/図書/16/凡年料染造紙花二百六十八筥、〈御料十八筥、最勝王経「并」斎会料二百十筥、東寺国忌料廿筥、崇福寺国忌料廿筥、〉所須紙一千四百九十張、〈白九十九張半、雑色千三百九十張半、〉紅花大四斤、〈三斤染紙二百張料、一斤支子下染料、〉黄蘗大五斤、〈三斤染紙二百張料、二斤藍下染料、〉支子三斗、〈染紙二百張料、浅【クサカンムリ+補】萄汁一斗、〈染紙二百八十張料、〉黄櫨大二斤、〈染紙二百五十張料、〉紫草小十斤、〈染紙百廿張半料、〉藍二圍、〈染紙一百卌張料、〉酢六升五合、綿小三両、藁三圍、椿灰一斗三升、水麻笥二口、杓二柄、籮一口、薪卌二斤、毎年六月上旬具注用度申請、九月内付書司令染、其染所雑使等食、臨時申請内侍巻13/図書寮/17/凡兎毛筆一管、写真行書一百五十張、注一百張、墨一廷書三百張、鹿毛筆一管界六百張、13/図書寮/18/凡写経功傭、以布一端充紙卌張、〈注経卅張充一端、〉校以一端充一千張、〈注経亦同、〉装潢以一端充四百張、〈謂黏擣界截及著褾安帯軸、〉題以一端充一百巻、

13/図書寮/19/凡造紙者、調布大一斤、斐皮五両、造色紙卅張、穀皮斐皮各一斤、造上紙各卅張、巻13/図書寮/20/凡写書者、発首皆留二行、巻末留一行空紙、然後題巻、其装裁者、横界之外上一寸一分、下一寸二分、惣得九寸五分、

13/図書寮/21/凡写書、上穀紙大字長功日写一千七百言、中功日一千五百言、短功日一千三百言、小字長功日写二千三百言、中功二千言、短功一千七百言、其麻紙書各減穀紙一百言、上穀紙義疏長功日写二千言、中功日一千八百言、短功日一千六百言、麻紙書各減穀紙一百言、

13/図書寮/22/凡摸書、長功日九十言、内墨卌言、中功八十言、内墨卅八言、短功七十二言、内墨卅二言、13/図書寮/23/凡校麁書、長功日六十紙、中功五十紙、短功卌紙、再校各加初校十紙、注書長功日卌六紙、中功卅九紙、短功卅二紙、再校各加初校五紙、

13/図書寮/24/凡装潢、長功日黏紙七百張、擣紙二人日百廿張、麁闌界四百卌八張、〈張別廿七行、〉界長七寸二分、広七分、注闌界四百八十三張、〈張別廿四行、〉界長同上、広八分、横界五百八十八張、装書四百廿張、〈截端及著褾紙安帯軸、〉中功粘紙六百張、擣紙二人日一百張、麁闌界三百八十四張、注闌界四百張、横界四百九十張、装書三百六十張、短功粘紙五百張、擣紙二人日八十張、麁闌界三百廿張、注闌界三百卌五張、横界三百九十二張、装書三百張、

13/図書寮/25/凡造紙、長功日截布一斤三両、舂二両、成紙一百九十張、中功日截一斤、舂二両、成紙一百七十張、短功日截十三両、舂一両、成紙一百五十張、長功日煮穀皮三斤五両、択一斤十両、截三斤五両、舂十三両、成紙一百九十六張、中功日煮三斤四両、択一斤九両、截三斤四両、舂十二両、成紙一百六十八張、短功日煮三斤二両、択一斤七両、截三斤二両、舂十両、成紙一百卌張、長功日択麻一斤三両、截一斤七両、舂二両、成紙一百七十五張、中功日択一斤、截一斤四両、舂二両、成紙一百五十張、短功日択十三両、截一斤一両、舂二両、成紙一百廿五張、長功日煮斐皮三斤五両、択一斤二両、截三斤五両、舂八両、成紙一百九十張、中功日煮三斤四両、択一斤、截三斤四両、舂七両、成紙一百卌八張、短功日煮三斤二両、択十五両、截三斤二両、舂五両、成紙一百廿八張、長功日択苦参一斤五両、截一斤十二両、舂二両、成紙百九十六張、中功日択一斤二両、截一斤八両、舂二両、成紙一百六十八張、短功日択十五両、截一斤四両、舂一両、成紙一百卌張、

13/図書寮/26/凡造筆、長功日兎毛十一管、〈狸毛上同、〉鹿毛卅管、中功日兎毛十管、鹿毛廿五管、短功日兎毛八管、鹿毛廿管、

13/図書寮/27/凡造墨、長功日焼得烟一石五升、煮烟一斗五升、〈二日二夜乃得熟、中功短功亦同、〉成墨九十三廷、〈長五寸、広八分、料膠一斤、〉中功日焼得烟九斗、煮烟九升、成墨八十廷、短功日焼得烟七斗五升、煮烟七升五合、成墨六十六廷、                                                                                                                           13/図書寮/28/凡太政官長案料紙、留年料内三百張、毎年打進、其料物者用寮家不仕料、

13/図書寮/29/凡弁官長案料紙、便留月料内二百張、毎月打進、左右各一百張、其堺法者、縦用麁堺横上四下一、但其食料白米一斛三斗、〈大炊寮、〉酒三斗九升、〈造酒司、〉海藻十三斤、雑魚二斗六升、塩一升三合、〈大膳職、〉毎年十二月請受来年料、

13/図書寮/30/紙筆墨充諸司、神祇官紙卌張、筆一管、斎宮寮紙七十張、筆三管、勅旨所紙五百張、筆五管、供御紙一百張、内侍司紙三百張、筆四管、蔵人所紙一千八百張、〈年料、〉薬司紙一百五十張、〈季料、〉太政官紙五千五百張、〈年料、〉筆十五管、左弁官紙一千二百六十張、筆廿管、右弁官紙一千七十二張、筆十二管、中務省紙四百三張、筆十二管、内記紙二百張、筆十管、監物紙一百五十張、筆三管、主鈴紙六十三張、〈年料、〉筆一管、典鑰紙六十三張、筆二管、〈年料、〉中宮職紙一百廿張、筆二管、大舎人寮紙十張、筆一管、図書寮紙七十五張、筆一管、内蔵寮紙卅張、筆一管、縫殿寮紙卅張、筆一管、陰陽寮紙一百張、筆一管、内匠寮紙百張、筆二管、式部省紙一百十張、筆三管、大学寮紙五十張、筆一管、治部省紙一百七十張、筆二管、雅楽寮紙八張、筆一管、玄蕃寮紙五十張、筆一管、諸陵寮紙五張、筆一管、僧綱所紙八張、筆一管、民部省紙六百七十三張、筆十管、主計寮紙六十六張、筆二管、主税寮紙一百六十八張、筆一管、〈年料、〉兵部省紙一百張、筆二管、隼人司紙十張、筆一管、刑部省紙二百張卌、筆二管、〈判事料在此内、〉囚獄司紙十張、筆一管、大蔵省紙二百五十張、筆八管、織部司紙五十張、筆一管、宮内省紙五百張、筆十管、大膳職紙一百張、筆二管、木工寮紙二百五十張、筆一管、大炊寮紙一百張、筆二管、主殿寮紙卌張、筆二管、掃部寮紙五十張、筆二管、典薬寮紙卅張、筆二管、正親司紙四張、筆一管、内膳司紙九十張、筆二管、造酒司紙廿張、筆一管、采女司紙八張、筆一管、主水司紙卅張、筆一管、弾正台紙卅張、筆一管、左右京職各紙五十張、筆一管、東西市司各紙十五張、筆一管、勘解由使紙一千張、〈年料、〉筆十六管、斎院司紙五十張、筆二管、左右近衛府各紙百張、筆二管、左右衛門府各紙廿張、筆一管、左右兵衛府各紙廿張、筆一管、左右馬寮各紙卅五張、筆一管、兵庫寮紙卌八張、筆四管、春宮坊紙一百八十張、筆四管、内教坊紙一百張、筆二管、右月料紙筆、具依前件、本司預受、八月一日依例頒充、其年料季料亦准例充之、神祇官墨一廷、斎宮寮三廷、勅旨所一廷、〈月料、〉供御十二廷、〈毎月進一廷、〉内侍司十二廷、〈毎月一廷、〉太政官十二廷、左弁官卅一廷、右弁官廿四廷、中務省卅廷、内記六廷、監物五廷、主鈴一廷、典鑰一廷、中宮職五廷、大舎人寮二廷、図書寮三廷、内蔵寮三廷、縫殿寮三廷、陰陽寮三廷、内匠寮五廷、式部省十廷、大学寮二廷、治部省四廷、雅楽寮二廷、玄蕃寮二廷、諸陵寮一廷、僧綱所二廷、民部省十四廷、主計寮六廷、主税寮二廷、兵部省六廷、隼人司一廷、刑部省九廷、囚獄司一廷、大蔵省十二廷、織部司二廷、宮内省十二廷、大膳職四廷、木工寮三廷、大炊寮三廷、主殿寮二廷、典薬寮四廷、掃部寮五廷、正親司一廷、内膳司四廷、造酒司二廷、采女司一廷、主水司二廷大半、弾正台三廷、左右京職各二廷、東西市司各一廷、左右近衛府各四廷、左右衛門府各三廷、左右兵衛府各二廷、左右馬寮各二廷、兵庫寮五廷、春宮坊一廷、〈月料、〉勘解由使十二廷、斎院司二廷、内教坊卌八廷、右年料墨、具依前件、正月惣充、但月料八月一日依例充之、