位至三公鏡(双頭龍文鏡)は、後漢末〜六朝前半に中国北部で流行した鏡である。
例えば、この 位至三公鏡(双頭龍文鏡)を中国故宮博物館所蔵品で、以下に紹介したい。
出典:「位至三公」鏡 - 故宮
「位至三公」鏡
銅器
東漢晚期至魏
直徑9.8公分
圓形鏡,半球鈕,連珠紋座。鏡背飾兩個相對的變形動物紋,中夾有「位至三公」銘文,外圍一周斜線紋。鏡緣寬闊平素。鏡身薄。 此鏡鏡銘的排列方式打破了漢代銅鏡流行的重環式佈局,將主紋以直行方式排列。相似的銅鏡多出土於西漢晚期及魏晉時期的墓葬中。
| 文物統一編號 | 故銅001960N000000000 |
| 品名 | 「位至三公」鏡 Weizhi sangong mirror |
| 分類 | 銅器 |
| 時代 | 東漢晚期至魏 西元3世紀 |
| 尺寸 | 直徑9.8公分 |
| 說明 | 圓形鏡,半球鈕,連珠紋座。鏡背飾兩個相對的變形動物紋,中夾有「位至三公」銘文,外圍一周斜線紋。鏡緣寬闊平素。鏡身薄。 此鏡鏡銘的排列方式打破了漢代銅鏡流行的重環式佈局,將主紋以直行方式排列。相似的銅鏡多出土於西漢晚期及魏晉時期的墓葬中。 |
いつ、いかなるルートで、だれが中国から日本に搬入したかは不明であるが、現在は東京国立博物館所蔵の山口県山口市・赤妻古墳出土品で、その一つを紹介しておきたい。
- 出土、東博蔵)共通、 位至三公鏡(「 <文字>位至三公</文字>」、完形8.8cm)、倭製五弧内行花文鏡(完形7.4cm)、捩文鏡(完形10.9cm)、 伴出、碧玉製管玉+メノウ製管玉+硬玉製勾玉+メノウ製勾玉+ガラス製切子玉+ガラス製小玉+櫛+鉄製針+鉄刀+鉄鏃+人骨+有孔貝製品、 その他、赤塚古墳出土と伝えるものに、倭製六弧内行花文鏡(銘文なし、完形7.4cm、1908年出土か、山口県立山口博物館蔵)がある。発掘概要 :その他概要 : 〈全国遺跡地図_位置〉d4/〈全国遺跡地図_旧番号〉915/〈全国遺跡地図_県番号〉13-19/<全国遺跡地図番号>11-74。<25000分の1地形図>NI-52-3-11-2。 91map13-19。若林勝邦「周防国山口附近赤妻村の古墳及び発見品」『考古学雑誌』2-7(1898)。和田千吉「周防国吉敷郡赤妻の古墳」『考古界』8-5(1909)。 弘津史文「周防国赤妻古墳並茶臼山古墳(其1)」『考古学雑誌』18-4(1928)。同『防長漢式鏡の研究』(1928)。『図解考古学辞典』1959(「赤妻古墳」)。樋口隆康『古鏡』(1979)、歴博報56(1994)。
データ管理機関 : 山口市 - 山口県遺跡名:赤妻古墳
所在地:(山口市赤妻町所在)
- 副書名 :巻次 :シリーズ名 : 山口市埋蔵文化財調査報告シリーズ番号 : 67編著者名 : 古賀 真木子発行(管理)機関 : 山口市 - 山口県発行機関 : 山口市教育委員会発行年月日 : 19970331世界地域 : 日本作成日 : 2019
https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/469679?utm_source=copilot.com
「三公」とは中国後漢〜魏晋期の中央官制における最高位の三職を指す語であり、一般に太尉(軍事最高責任者)・司徒(民政・教育)・司空(土木・建設)を示す。したがって、「三公に至る」とは、皇帝に次ぐ役職に至ったことを物語り、栄職への称賛の文言であった。
銘文は以下のような祝願句を持つ:
出世祈願(昇進・繁栄)
贈答品としての祝福文句
権威の象徴としての装飾性
したがって、位至三公鏡は単なる日用品ではなく、身分・権威・吉祥を象徴する呪具的性格がある。しかも中国製鏡の輸入品またはその模倣品であるために、 その所有は政治的地位・宗教的威信を強化する象徴であった。それを墳墓に埋葬することは、被葬者の権威を裏付ける副葬品となった。
西村俊範によると、1983年現在での調査で、日本国内における位至三公鏡出土例は22であると報告している。
<西村俊範「双頭龍文鏡(位至三公鏡)の系譜」『史林』66巻1号、1983年。95-115頁>
本稿の目的は、西村氏の調査に1例を追加するに過ぎない。
『全国文化財総覧』奈良文化財研究所編
この古城山古墳に関しては、残念ながらこれ以上の情報を提供できないが、少なくとも奈良文化財研究所編『全国文化財総覧』に依拠する限り、その出土例を確認できる。