2026年8月10日月曜日

『類聚三代格』の中の越前関係資料

巻1/神封物并租地子事/4/太政官符/応収納神庫充用祭料気比神宮封租穀事/右得神祇官解偁、彼神宮司大中臣安根解偁、検案内、太政官去延喜十二年二月廿七日下越前国符偁、宮司大中臣魚取解偁、封租穀須勘納神庫充用祭料、而国更徴納官庫充用他色、臨彼祭時不肯下行、度々祭事由其闕怠、望請、勘納神庫充用祭料、謹請官裁者、右大臣宣、依請者、国依符旨行来既尚矣、而去弘仁元年介橘朝臣永継与宮司有所相論、以件租穀更納官庫、而宮司無意相争、専任国行、自今以後、積習為例充用遠郡、運漕之間殆過祭期、神事疎略大概在茲、貢神之者豈可如此、望請、徴納神庫以省申請之煩者、官検案内、件租穀専尽神用不充他色、然則納於官庫還無公益、納於神庫尤有便宜、望請、重仰国宰拠准旧例、徴納神庫以充祭料、謹請官裁者、右大臣宣、依請、但至于出納件物、国司宮司相共行之、/元慶八年九月八日〈三代実録第卌六〉

巻1/神封物并租地子事/5/太政官符/応令停止分神封郷寄神宮寺事/右得神祇官解偁、坐越前国正一位勲一等気比大神宮司中臣清貞解偁、検旧例、太政官去斉衡三年四月七日下国符偁、寺別当与神宮司共可勘知封物出納者、自尓以降相共勘知、先納神宮、後分寺家、是宮司之処分非国宰之所行、而国去九月二日送神宮寺移云、依別当僧平鎮牒状分足羽郡野田村封郷為神宮寺料者、宮録無例之状、副郡司祢宜祝等申文再三移送、而曽無報移、又未改行、因茲平鎮等入接封郷徴妨調物、供神之物先為僧侶之食、役社之輩還称寺家之人、国宰所行宮司難制、望請、官裁被停分郷、但宮司依例惣納封物、供神之後随色頒行者、中納言兼右近衛大将従三位行春宮大夫藤原朝臣時平宣、奉勅依請、/寛平五年十二月廿九日

 巻2/経論并法会請僧事/4/太政官符/応令招提寺為例講律事 四分律一部〈七十巻〉 釈法礪撰華厳経一部〈八十巻〉 涅槃経一部〈卅六巻〉 大集経一部〈卅巻〉 摩訶槃若波羅密経一部〈卅巻〉 已上在寺内 田地一十三町〈在備前国〉 宝亀八年七月廿六日官符 水田六十町〈在越前国〉

巻4/加減諸司官員并廃置事〈雑任〉/5/太政官謹奏/民部主計及越前肥後二国増官員事/右謹案令条、官員有限、縁事繁閑、応有増減、而民部省及主計寮計納雑物、勘勾用度、諸司之中、尤是忩劇、越前肥後二国、元来殷盛、勾察事多、准於余国、官員猶少、伏請、民部省加大丞一人、主計寮少允少属各一人、越前肥後二国各掾一人、自今以後、永為恒式、庶得各分其職公事早済、謹録事状、伏聴天裁、謹以申聞、謹奏、/延暦九年二月廿五日/聞

巻4/加減諸司官員并廃置事〈雑任〉/94/太政官符/応改貢定額采女卌七人事 山城国一人 大和国一人 河内国一人 摂津国一人 伊勢国二人 尾張国一人 参河国一人 遠江国一人 駿河国一人 甲斐国一人 相模国一人 武蔵国一人 常陸国一人 上野国一人 下野国一人 若狭国一人 越前国二人 近江国三人 美濃国二人 信濃国一人 能登国一人 越中国一人 丹波国一人 丹後国一人 但馬国一人 因幡国一人 播磨国三人 美作国一人 備前国一人 備中国一人 備後国一人 安芸国一人 周防国一人 長門国一人 紀伊国一人 阿波国一人 讃岐国二人 伊予国一人 土佐国一人/右中納言兼右近衛大将従三位行春宮大夫藤原朝臣時平宣、奉勅、頃年点貢定額采女、或国五六人、或国無一人、尋其

巻5/分置諸国事/2/太政官謹奏/割越前国江沼加賀二郡為加賀国事〈准中国〉/守一人 掾一人 大目一人 少目一人 史生三人 博士一人 医師一人/右得彼国守従四位下紀朝臣末成等解偁、加賀郡遠去国府往還不便、雪零風起難苦殊甚、加以途路之中有四大川、毎遇洪水経日難渉、人馬阻絶動致擁滞、又郡司郷長任意侵漁、民懐■屈路遠無訴、不堪深酷逃散者衆、又部内闊遠多煩巡検、官舎之損農桑之怠莫不由此、伏請、別建件国、名曰加賀国者、夫調琴瑟者終待改張之功、行政化者必資権変之道、彼越前国民俗凋弊、非恩何息、境内闊遠、本号難治、臣等商量所申号宜、伏聴天裁、謹以申聞、謹奏、聞、/弘仁十四年二月三日

巻5/分置諸国事/3/太政官符/加賀国定上国事/右太政官去弘仁十四年三月一日下式部省符偁、依太政官去二月三日論奏、割越前国江沼加賀二郡為加賀国又定中国者、今件国准諸上国課丁田疇其数差益、被右大臣宣偁、奉勅、宜改為上国、/天長二年正月十日


巻5/加減諸国官員并廃置事/32/太政官符/応停史生一員置弩師事/右得越前国解偁、此国西帯大海遠向異方、戎器之具不可暫緩、望請、被給弩師備之不虞、謹請官裁者、大納言正三位兼行左近衛大将皇太子傅陸奥出羽按察使源朝臣能有宣、奉勅、依請、/寛平七年七月廿日


巻8/不動動用事/5/太政官符/近江国穀一十一万五千斛 応運進一十万斛 駄賃料一万五千斛〈駄五万疋、疋別三斗〉 常賃一万斛〈疋別二斗〉今加五千斛〈疋別一斗〉/右太政官今月十四日論奏偁、臣聞、洪範八政、以食為首、帯甲百万、無粟非守、故先王制政、務充倉廩、往哲垂規、期乎足食、然則儲積者治国之大要、安民之急務也、予無儲備、恐致闕乏、謹検去天平神護二年二月廿日勅書偁、夫蓄貯者為国之本、宜運近江国近郡穀五万斛、貯納於松原倉者、伏望、准拠旧例、運件国緑江諸郡穀収穀倉院、続即運送越前国物、便填其代、但運賃者並給正税、給法者加増常例以勧民力、臣等管見所及商量如件者、画聞既訖、/弘仁十三年三月廿八日
巻8/不動動用事/6/太政官符/応禁制輙開用不動穀事/右不動之物国家貯積、非有官符何輙開用、而頃年之間、諸国司等寄事公用、不待報符、且言且開、須加科責令慎将来、官量権宜、許而不責、積習為常、寔可懲粛、右大臣宣、奉勅、宜早下知莫令更然、若猶不悛、科以違勅、不曽寛宥、/貞観八年十二月八日〈三代実録第十三〉

巻14/出挙事/12/太政官符/正税稲四万束/越前国二万束 加賀国二万束/右得両国解偁、支度修理破損官舎料物、既超十万束、依格前司輸料後司可修、而会去年十一月廿四日恩詔、悉従免除、望請、「請」前件正税宜充修造、其用帳者副作物帳言上、謹請官裁者、右大臣宣、奉勅、宜依請、但其代出挙正税令填、又自茲以後、若有申請修理料稲者、亦宜准此出挙令填、/弘仁十四年五月三日


巻14/雑米事/3/太政官符/応諸国雑米立進納限并責未進怠事/右得大宰府解偁、検民部省式云、諸国舂米運京者、伊勢、近江、丹波、播磨、紀伊等国二月卅日以前、尾張、参河、美濃、若狭、越前、丹後四月卅日以前、但馬、因幡、美作、備前、讃岐六月卅日以前、並送納訖、若有未進者、准調庸例割公廨令弁備者、又延暦十四年七月廿七日格云、宝亀四年閏十一月廿三日下民部省符偁、頃者諸国雑米、未進数多既闕国用、仍検案内、宝亀元年五月十五日下諸国符偁、舂米掾領已上専当其事、史生已上充綱領送、若舂運違限解却見任、又奪公廨一依前符者、右大臣宣、奉勅、自今以後、若有未進雑米、無問多少国司史生已上皆奪公廨、没為官物、主典已上並即貶考、専当官者解却見任、其郡司主帳已上咸取職田、解任貶考亦同国司者、今被右大臣宣偁、奉勅、依少奪多、事実不穏、而斛米疋絹一物未進、則偏称格式悉奪公廨、於事思量深乖弘恕、自今以後、宜国司史生已上各作差法、准未進数割其公廨、随色弁備進納京庫、但其未進之物徴納以充公廨、其省寮計会毎年勘出、自余事条一依先符者、謹案件文、専論他国未及西道、是縁物不納京庫、事不経所司也、今府庫所納雑米、修理官舎器仗并選士衛卒粮厨司染所之使料等惣三千七百八十余斛、或正税或府儲、年料舂運色別有数、而国郡懈緩、未進猥積、因斯納官雑物貢進違期、府中例用闕乏多時、寔依懲革無文、格制未施也、望請、新立程期以責未進、但時澆政劇、憲法難守、准式立限、甚以促近、今須筑前筑後肥前六月卅日以前、豊前肥後八月卅日以前、豊後十月卅日以前、並為進納之期、若有過期未進之国者、貶考解任一従先格、又案件格、国司既割公廨而弁備、郡司更奪職田以没官、試使国司公廨或補未納、郡司職田復被納官、然則未進之代何物弁填、年中之用何当支給、加以公廨者欠負之儲也、所填之色触類多端、重望、先以職田弁済未進、若未進数多乃奪公廨、然則懈惰之吏勤励更新、検預之官催督自休、貢進合期、例用胆給、謹請官裁者、右大臣宣、奉勅、立制之初不忍苛酷、宜貶考解任此度停止、自余事咸依請、/貞観四年九月廿二日


15/損田并租地子事/5/太政官符/応禁止田租徴頴事/参河 遠江 近江 美濃 若狭 越前 加賀 丹波 播磨 美作 備前 備中 備後 伊予 讃岐 土佐/右式云、国内官稲数少、出挙雑用不足者、預前申官、聴当年租収頴、諸封戸租亦聴収頴者、諸国須出挙雑用不足以収頴者、先申其状、随裁収之、而偏見式文、輙称徴頴、不行大粮、無充封租、其尤甚者不労言上、晏然平居、雖加譴責再三申請、爰事不獲已、開不動倉行大粮所、以正税穀充封租代、公損之甚莫過於此、左大臣宣、奉勅、宜仰件等国別加制止、若妄称徴頴、不行本色者、処之重科不曽寛宥、/延喜二年三月十三日〈政事要略第五十三〉


巻15/寺田事/5/勅、真教有属、隆其業者人王、法相無辺、闡其要者仏子、朕位膺四大、情存億兆、導徳斉礼、雖遵有国之規、妙果勝因思弘無上之道、是以披山水之名区草創禅地、尽土木之妙製庄餝伽藍、名曰梵釈寺、仍置清行禅師十人、三綱「者」在其中、施近江国水田一百町、〈延暦十年所施也、〉充下総国食封五十戸越前国五十戸、〈並延暦七年所施也、〉以「前」充修理供養之費、所冀運経馳驟、永流正法、時変陵谷、恒崇仁祠、以茲良因普為一切、上奉七廟臨宝界而増尊、下覃万邦登寿域而洽慶、皇基永固卜年無窮、本枝克隆中外載逸、綿該幽顕傍及懐生、望慈雲而出迷途、仰慧日趣覚路、主者施行、/延暦十四年九月十五日〈類聚国史第百八十 逸史第四

巻15/諸司田事〈園池附出〉/3/越前国水田一百二町五段百六十九歩/勅、古之王教学為先、、訓世垂風莫不由此、朕留心膠序、属想儒宗、修■魯之前蹤、弘洙泗之往烈、而経籍之道于今未隆、好学之徒無聞焉、今蓋簟食瓢飲非性所安、鼓篋横経中途而止、永言其弊、情深興復、其天平宝字元年所置大学寮田卅町、生徒稍衆不足供費、宜便加置前件水田通前一百卅予町、名曰勧学田、贍給生徒、令遂其業、庶崑墟之璞籍瑑磨而騰輝、稽峯之箭資括羽而増美、然後採択英髦用秉庶績、論其弘益豈不大哉、/延暦十三年十一月七日〈類聚国史第百七〉


巻15/諸司田事〈園池附出〉/5/一充左馬寮水田二百卌七町五段三百廿四歩/大和国廿四町一段百卅五歩 摂津国二町 越前国卅五町八段二百九十六歩 播磨国一町 信濃国百八十四町五段二百五十三歩/陸田十七町一段百八十歩/大和国二町五段 山城国十四町六段百八十歩/一充右馬寮水田二百卌五町五段三百廿四歩/大和国廿四町一段百卅五歩 信濃国百八十四町五段二百五十三歩 越前国卅五町八段二百九十六歩 播磨国一町百五十三歩/陸田十七町一段百八十歩/大和国二町五段 山城国十四町六段百八十歩/勅、依前件、/大同三年十月十三日

巻18/健児事/1/太政官符/応差健児事/大和国卅人 河内国卅人 和泉国廿人 摂津国卅人 山背国卅人 伊賀国卅人 伊勢国百人 尾張国五十人 参河国卅人 遠江国六十人 駿河国五十人 伊豆国卅人 甲斐国卅人 相模国百人 武蔵国百五人 安房国卅人 上総国一百人 下総国一百五十人 常陸国二百人 近江国二百人 美濃国一百人 信濃国一百人 上野国一百人 下野国一百人 若狭国卅人 越前国一百人 能登国五十人 越中国五十人 越後国一百人 丹波国五十人 丹後国卅人 但馬国五十人 因幡国五十人 伯耆国五十人 出雲国一百人 石見国卅人 隠岐国卅人 播磨国一百人 美作国五十人 備前国五十人 備中国五十人 備後国五十人 安芸国卅人 周防国卅人 長門国五十人 紀伊国卅人 淡路国卅人 阿波国卅人 讃岐国五十人 伊予国五十人 土佐国卅人/以前被右大臣宣、奉勅、今諸国兵士、除辺要地之外、皆従停廃、其兵庫鈴蔵及国府等類、宜差健児以充守衛、宜簡差郡司子弟、作番令守、/延暦十一年六月十四日


巻18/駅伝事/2/太政官符/東海道五国〈伊勢 志摩 尾張 参河 遠江〉 東山道二国〈美濃 飛騨〉 北陸道二国〈若狭 越前〉 山陰道二国〈丹後 但馬 因幡〉 山陽道四国〈播磨 美作 備前 備中〉 南海道三国〈淡路 阿波 讃岐〉/右一十九国、承前依令不聴乗駅、其国司等皆齎食粮、乗当国馬入京、非直空延時日、実亦労擾百姓、申政遅違莫不由茲、於理商量事非穏便、伏請、自今以後、縁有公事向京国司皆聴乗駅、唯伊賀、近江、丹波等三国、不在給駅之例、/以前件状如前、謹以申聞、伏聴勅裁、謹奏、/養老六年八月廿九日/奉勅、依奏

巻19/禁制事/67/太政官符/応禁止諸院諸宮諸司諸家使等強雇往還船車人馬事/右得上総越後等国解偁、得諸郡調綱郡司并雑掌綱丁等解偁、進上調物以駄為本、運漕官米以船為宗、而上道之日前件諸院等使、結党路頭追妨駄馬、率類津辺覆奪運船、於是有心遂馬、無雇収荷、官物致欠失之煩、綱領陥逗留之責、加之部内百姓差預綱領之日、若此濫悪逃竄他境、国之弊亡莫過斯焉、望請、下知路次諸国永休民愁、謹請官裁者、大納言正三位兼行左近衛大将皇太子傅陸奥出羽按察使源朝臣能有宣、如此之事格制先立、曾無懲粛責任国宰、宜下知尾張参河遠江駿河近江美濃越前加賀能登越中等諸国、特施厳制一切禁断、若有強雇者准之強盗科罪其身者、諸国承知牓示路頭津辺莫令重然、/寛平六年七月十六日










































2026年8月8日土曜日

毎年、数万枚の公文書が届く中央官衙の多忙さを通して、律令国家論を提起する。

(1) 問題設定:『越前国郡稲帳』に記載された「不用馬50束」の文言を持つ公文書が、なぜ越前国から朝集使を通して、主計寮・民部省・太政官へと送り届けられたのか。

(2)最初に注目する条文は、養老令廄牧令第20条である。

  1. 廄牧令二十 驛伝馬條:凡驛伝馬。每年國司檢簡。其有太老病。不霖堪乘用者。隨便貨賣。得直若少。驛馬添驛稻伝馬以官物市替。
この20条「駅伝馬条」は「不用馬売却」の法的根拠を規定する。つまり、「每年國司檢簡」とあり、各国の国司はその任務の一環として、駅伝馬の管理を担当した。まず、国司は「其有太老病。不霖堪乘用者。」とあり、老馬かどうか、病馬・患馬(熱馬・寒馬・盲眼の馬・目ひるの馬など)や弱馬などの識別作業を要した。その折に病気で公用の任に堪えないと判断されたならば、
 *貨売(売却)
が求められた。ここで見逃せないポイントは、
行政財産として価値が落ちた時点での処分
という発想である。現代式に言えば、耐用年数を超えた公用車やIT機器を競売で処分すると同様である。つまり「不用馬」売却の制度化が規定されていた事実に注目したい。
 したがって、 「貨売」は競売・相場売買に近い価値で処分され、決して「廃棄」ではなく、むしろ市場価格で売却したり、払い下げたりした売却代金で、新しい駅馬・伝馬を購入していることである。発想を変えると、馬は固定資産ではなく、流動資産として登録・管理されていたといえる。
 次に 第23条。
廄牧令廿三 國郡條:凡國郡所得闌畜。皆仰當界內訪主。若經二季無主識認者。先充伝馬若有余者出賣。得價入官。其在京。經二季無主識認者。出賣。得價送贓贖司後有主識認勘當知實。還其本價。」
この条では「闌畜(所有者の不明な馬・牛)」は伝馬にするか、「出売」にすると規定する。国家は馬を「売買する主体」であるとともに、「行政の日常業務」に組み込まれていたことを意味する。
そこで 第26条の規定に至る。
廄牧令廿六 官馬牛條:凡官馬牛死者。各收皮腦角膽若得牛黃者。別進」
つまり、官馬が死亡してもその市場価値を認め、売却益を確保せよと規定していることは興味深い。死んだ馬の「皮」・「脳」・「角」・「胆」まで回収して、商品化して進上せよと規定する。要するに、官馬は「国家財産」であると明言する。
この条と連動して、
「廄牧令廿七 因公事條:凡因公事乘官私馬牛以理致死。証見分明者。並免徵。其皮宍。所在官司出賣。送價納本司若非理死失者。徵陪。」
を提示している。この条文で重要なのは、「公事乘官私馬牛」(公務中に乗っていた官私馬牛が正当な理由で死んだ場合、その「其皮宍。所在官司出賣」、つまりその「皮と肉」を所有する官司は売却してもよいと定める。
  そこで、再度、廄牧令第9条に立ち戻るならば、
廄牧令第九 失馬牛條:凡在牧失官馬牛者。並給百日訪覓。限滿不獲。各准失處當時估價十分論。七分徵牧子三分徵長帳如有闕及身死。唯徵見在人分其在廄失者。主帥准牧長飼丁准牧子失而復得。追直還之。其非理死損。准本畜徵填。」
とあるが、ここで注目すべきは「估價」である。官の牧場において登録した官馬牛が行方不明になったならば、7割を「牧子」が、のこりの3割を「長張」(官衙)が共同で負担して弁償せよと命じる一方で、その価格は律令国家が定めた法定価格ではなく、当該地域の実勢価格(估價)を用いることとと命じている。
 今、「越前国郡稲帳」を見ると、
不用馬壱匹直稲伍拾束  
 死馬皮捌張直稲捌拾束〈張別一十束〉」
と記載されており、それが越前国の相場であったに違いない。すでに館野和己氏の調査では、
 「他国の例を見ると、天平10年度「周防国正税帳」で は同じく「不用馬」6疋を300束(馬別50束)で、同6年度「尾張国正税帳」(『大日古』1-607) では「不用伝馬」11匹を計560束(10匹は各50束、1匹は60束)で売り、同6年度「駿河国正税帳」 (『同』2-67)では「伝馬不用」1匹の収入として50束が計上され、同10年度の「駿河国正税帳」 (『同』2-106)には「伝不用馬」5匹を250束(匹別50束)で、同11年度「伊豆国正税帳」(『同』 2-192)では「不用伝馬」1匹を50束で売却している。これらの例からすれば越前の「不用馬」も、 駅馬の可能性は排除できないが恐らく伝馬であり、1匹50束は相場であったことがわかる。」(館野和己「天平4年度「越前国郡稲帳」を読む」『 福井県文書館研究紀要』16号、2019年)
とあり、全国的に横並びの「不用馬は50束」であった。

(3)律令国家と馬
さて、我々は馬に関する公文書に対するパラダイムチェンジをする必要に迫られている感がある。律令国家において、馬は軍事に、そして逓送用駅馬などに使用されたと考えてきた、しかしながら、我々に観点から「養老令 廄牧令」を分析するならば、馬は単なる軍事資源ではなく、
*馬のライフサイクル全体を管理する行政資産
として見なしていると考えたい。そのライフサイクルとは、次のように整理できる、
  1. 牧で繁殖(第6・7条)
  2. 焼印・登録(第10条)
  3. 軍団・駅・伝馬へ配備(第13・16条)
  4. 毎年点検(第20条)
  5. 老齢・病弱になれば貨売(第20条)
  6. 死亡すれば皮・脳・胆などを回収(第26条)
  7. 皮や肉も売却して収入化(第27条)
この一連の流れは、律令国家が馬を「取得して終わり」の資産ではなく、「取得・運用・更新・売却・廃棄・部材回収」まで一体的に管理していたことを示す。
(4)「馬の管理帳簿が中央官衙へ送られる」という文書ルート
本稿の論者が改めて注目したいのは次の2条である。 
第10条(駒犢条)
 「廄牧令第十 駒犢條:凡在牧駒犢。至二歲者。每年九月。國司共牧長對。以官字印印左髀上犢印右髀上並印訖。具錄毛色齒歲為簿兩通一通留國為案。一通附朝集便申太政官。」
第25条 (官私馬牛條):
「凡官私馬牛帳。每年附朝集使送太政官」
 再度強調したい。我々が重要だと考えるのは、中央官衙への「報告」ではなく、毎年、各国別「官私馬牛帳」という文書名を持ち、中央が全国を一元的に把握するための標準化されたデータシートの帳簿が太政官へ集まるというシステムが構築されていることである。
現代風にいえば、「全国馬牛統計システム」に該当するだろうが、律令時代、中央の太政官・民部省・主計寮には全国から官私馬牛帳が集中するため、
  • 全国の官馬数
  • 全国の私馬数
  • 国別・郡別の保有頭数
  • 増減
  • 繁殖状況
  • 死耗率
  • 駅馬・伝馬の配置状況
までは、正確に把握できる。つまり養老令を施行することによって、律令国家は家畜を「飼育」するのではなく、 家畜を「国家資源として統計管理」することに制度の重心を置いていたことである。
 ここで、『越前国郡稲帳』などに見える「不用馬」の語句に気づくだろう。仮に、某国で、
  天平元年 官馬100頭
  天平2年 官馬98頭
であったとすれば、少なくとも中央の主税寮はその理由を把握しなくてはならない。減少理由としては、
  • 死亡
  • 売却(貨売)
  • 軍団への配備
  • 新規補充
などが予想されるものの、たとえ不用馬を売却したとしても、帳簿上で頭数の変動として説明されなければならない。
つまり、不用馬の「売却」は地方限りの公的財産処分ではなく、中央統計の中で整合性を保つべき行政行為であった。
 ここで思い出されるのは、本稿の論者は越前国郡稲帳の本質は、その郡の財政的収支報告であるとともに、「利益率の証明書」という観点を導入しなくてはならないと提起した。
したがって、『越前国郡稲帳』が単なる内部帳簿ではなく、
中央へ提出される行政実績の証明書
であった事実に立脚すれば、越前国馬牛帳もまったく同一な構造で作成されたと考えれ良いだろう。
  • 郡稲帳は「稲」の全国管理、
  • 馬牛帳は「馬牛」の全国管理、
いう二つの全国データベースが、毎年朝集使によって中央へ運ばれていた(第25条 (官私馬牛條):「凡官私馬牛帳。每年附朝集使送太政官」)
 さらに一歩踏み込んで考えるならば、律令国家とは全国の資産を数値で統治する国家であったという仮説を提起できるだろう
稲については正税帳・郡稲帳・出挙帳があり、馬については馬牛帳・牧帳・駅馬帳がある。これらは別個独立して作成された帳簿ではなく、
*朝集使という共通の行政ルートを通じて太政官へ集約される全国的な情報ネットワークの構成物
であったとみなされる。つまり、律令国家の行政構造は、
1,国司が郡司から情報を吸い上げ、
2,太政官が全国情報を統合し、
3,民部省・主計寮が財政・資源として管理する
という 情報の垂直統合構造 を持つとみなすことも可能となる。
 この視点に立つと、『越前国郡稲帳』の「不用馬50束」という一見して地方の売却記録であっても、その本質は中央が全国の馬資産を管理するための統計・会計システムの一環として位置づけることができると考える。
(5)本来であれば、ここで擱筆すべきであるが、念のために本稿の論者の基本的方向性を明示して置きたい。
問題の設定「太政官や民部省、主計寮で誰が分析したのか」
従来は、「地方文書を中央官衙へ提出した」までは議論してきたが、提出された後
については研究を見る機会はまれであった。
例えば、全国約60余国から、毎年
  • 正税帳
  • 計帳
  • 馬牛帳
  • 郡稲帳
  • 各種進上文書
などが定期的に届く。それを誰かが
  ①開封し
  ②登録し、
  ③国別に分類し
  ④不備を確認し、
  ⑤前年度と比較し
  ⑥異常値を発見し
  ⑦必要とあれば、当該地方官衙へ問い合わせる
作業を当然になされていたはずである。それらの一連の事務作業をだれが、どこで担当していただろうか。我々の言葉でいう情報処理及び行政執行機関である。
 繰り返しとなるが、仮に
  1,全国66国
  2,国ごとに毎年20種類の帳簿
  3,1帳簿は平均20枚
だとするならば、年間数万枚規模の文書が中央官衙へほぼ同一時期に集中する。
 先行研究を見ると、現在の「財務省・会計検査院」に近い組織である主計寮が該当するだろうが、そうなれば、主計寮は単なる会計担当官衙ではなく、
*全国財政情報収集・分析機関
であった可能性さえあると言える。現代日本で例えるならば、律令制下の民部省は
  • 財務省主計局
  • 会計検査院
  • 総務省統計局
の機能が一体化していたといっても過言ではないだろう。
 では、年間数万枚規模の文書が中央へ集まり、それらを
  • 一人の官人が一日に処理できる枚数
  • 一年間の勤務日数
  • 照合作業の時間
  • 保管・索引作成の時間
を積み上げれば、中央行政に必要な最低限の官人数を推計できる可能性があるが、それは後日の宿題としたい。なぜならば、律令国家の「人的処理能力」を定量的に復元する試みに直結するからである。しかしながら、コンピュータもAIもない時代である。すべてが紙媒体での情報の集積であり、それを手作業での作業であると推測すれば、この短時間での事務処理をいかに表現すべきであろうか。

この視点に立つと、「不用馬50束」という一見地方的な売却記録も、実は中央が全国の各種資産を管理するための統計・会計システムの一環として位置づけることができると要約したい。

’6)仮説:律令国家とは、全国から送られる膨大な行政情報を標準化された帳簿によって収集・照合・保存・分析し、その結果を地方統治へ反映させる「情報処理国家」であった。

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次は、蛇足である。

全国で統一化された官私馬牛帳の「帳簿復元案」文書形式(フォーマット)・欄構造・記載順・集計単位・中央での処理フロー まで含めて推定すれば、次のようになる。

1) 官私馬牛帳:帳簿復元案

Ⅰ. 文書形式(帳簿としての規格)

官私馬牛帳は「帳」であり、計量・統計を目的とした標準化文書 である。

 基本構造(復元)

縦界:郡別の区画

横界(行界):項目別の区画

天界:国名・年次・国司署名

地界:集計・送付先(太政官)

⑤裏紙には多数の国司印の押印

これは正税帳・計帳と同じ「帳簿系文書」の規格を持つ。

2)Ⅱ. 記載項目(欄構造の復元)

 基本属性

国名

郡名

年次(天平OO年)

国司名(守・介・掾・目)

郡司名(主政・主帳)


. 官馬欄(官有馬)

官馬総数

駅馬数(駅家別)

伝馬数(伝馬所別)

軍馬数(兵部省管轄)

老廃馬数(官馬の死・老)

新生産馬数(官牧の繁殖)


私馬欄(民有馬)

私馬総数

戸別保有数(大戸・中戸・小戸)

繁殖頭数(私牧・民間飼育)

死耗数(疫病・事故)

売買・移動数(郡間移動)


. 牛欄(官牛・私牛)

馬と同一構造で、牛の官私別・繁殖・死などを記載。


 年次比較欄(増減)

前年比増減(官馬・私馬・牛)

死耗率(%)

繁殖率(%)

郡別偏差(標準偏差モデル化可能)


. 配置状況欄

駅路別の駅馬配置数

伝馬所別の伝馬配置数

軍団別の軍馬配置数


 記載順(文書の流れ)

帳簿は「郡→国→中央」の階層構造を持つため、記載順は以下のように復元できる。

  1. 国名・年次・国司署名(天界)

  2. 郡名(縦界)

  3. 官馬欄(行界)

  4. 私馬欄(行界)

  5. 牛欄(行界)

  6. 年次比較欄(増減)

  7. 配置状況欄(駅馬・伝馬)

  8. 国司による集計(地界)

  9. 太政官送付記録(地界)

これは正税帳・計帳の構造と完全に一致させることが期待されただろう、中央の主計寮側の全国的集計の簡便さを考えて。


3) 集計単位(律令国家の情報処理モデル)

 1. 郡司レベル(一次データ)

戸別の馬牛数

官馬・私馬の区分

駅馬・伝馬の配置

死耗・繁殖の記録

郡司は「データ作成者」であり、ここが律令国家の“ンサーネットワークに相当する。

 2. 国司レベル(二次集計)

郡別データの統合

国別の官馬・私馬総数

駅路別の配置

年次比較(増減)

国司は「データ統合者」であり、国レベルの統計を形成する。


 3. 太政官・民部省・主計寮(三次集計)

全国官馬総数

全国私馬総数

国別・郡別の偏差

駅路別の馬資源配置

軍事・交通資源としての再配分

ここが律令国家の 中央統計局” に相当する。


4) 太政官での情報処理フロー(情報の中央集積)

 1. 太政官(受領)

官私馬牛帳を国別に受領

形式点検(帳簿の欠落・不備)


 2. 民部省(財政資源としての評価)

官馬・私馬の全国集計

駅馬・伝馬の配置状況の評価

国別の死耗率・繁殖率の分析


 3. 主計寮(国家資源としての計量)

軍馬・駅馬の再配置案

馬資源の不足国への補填

駅路の馬資源の再編成

このようにして、各国別官私馬牛帳は 「馬政」ではなく「国家資源統計」 として機能させていると評価できよう。


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この養老令は、次のURLの転載である。厚く御礼申し上げます
養老令 廄牧令


  1. 廄牧令第一 廄細馬條:凡廄。細馬一疋。中馬二疋。駑馬三疋。各給丁一人穫丁每馬一人。日給細馬。粟一升。稻三升。豆二升。鹽二夕中馬。稻若豆二升。鹽一夕。駑馬。稻一升。乾草各五圍。木葉二圍。【周三尺為圍。】青草倍之。皆起十一月上旬飼乾。四月上旬給青。其乳牛。給豆二升。稻二把取乳日給。
  2. 廄牧令第二 馬戶分番條:凡馬戶。分番上下。其調草。正丁二百圍。次丁一百圍。中男五十圍。
  3. 廄牧令第三 官畜條:凡官畜。應請脂藥療靄病者。所司預料須數每季一給。
  4. 廄牧令第四 牧馬帳條:凡牧馬長帳者。取庶人清幹。堪檢校者霽為之。其外六位及勳位。亦聽通取。
  5. 廄牧令第五 牧每牧條:凡牧。每牧置長一人。帳一人每群牧子二人。其牧馬牛。皆以百為群。
  6. 廄牧令第六 牧牝馬條:凡牧牝馬。四歲遊牝。五歲責課。牝牛三歲遊牝。四歲責課。各一百每年課駒犢各六十其馬三歲遊牝而生駒者。仍別簿申。
  7. 廄牧令第七 每乘駒條:凡牧馬牛。每乘駒二疋。犢三頭各賞牧子稻廿束其牧長帳。各通計所管群賞之。
  8. 廄牧令第八 死耗條:凡牧馬牛死耗者。每年率百頭論除十。其疫死者。與牧側私畜相准。死數同者。聽以疫除。
  9. 廄牧令第九 失馬牛條:凡在牧失官馬牛者。並給百日訪覓。限滿不獲。各准失處當時估價十分論。七分徵牧子三分徵長帳如有闕及身死。唯徵見在人分其在廄失者。主帥准牧長飼丁准牧子失而復得。追直還之。其非理死損。准本畜徵填。
  10. 廄牧令第十 駒犢條:凡在牧駒犢。至二歲者。每年九月。國司共牧長對。以官字印印左髀上犢印右髀上並印訖。具錄毛色齒歲為簿兩通一通留國為案。一通附朝集便申太政官。
  11. 廄牧令十一 牧地條:凡牧地。恒以正月以後從一面以次漸燒。至草生使遍。其鄉土異宜。及不須燒處。不用此令。
  12. 廄牧令十二 須校印條:凡須校印牧馬者。先盡牧子不足。國司量須多少取隨近者充。
  13. 廄牧令十三 牧馬應堪條:凡牧馬。應堪乘用者。皆付軍團於當團兵士內簡家富堪養者充。免其上番及雜驅使。
  14. 廄牧令十四 須置驛條:凡諸道須置驛者。每三十里置一驛若地勢阻險。及無水草處。隨便安置。不限里數其乘具及蓑笠等。各准所置馬數備之。
  15. 廄牧令十五 驛各置長條:凡驛。各置長一人取驛戶內家口富幹事者為之。一置以後。悉令長仕若有死老病。及家貧不霖堪任者。立替。其替代之日。馬及鞍具欠闕。並徵前人若緣邊之處。被蕃賊抄掠非力制者。不用此令。
  16. 廄牧令十六 置驛馬條:凡諸道置驛馬大路廿疋。中路十疋。小路五疋。使稀之處。國司量置。不必須霖足。皆取筋骨強壯者充。每馬各令中中戶養飼若馬有闕失者。即以驛稻市替。其伝馬每郡各五。皆用官馬若無者。以當處官物市充。通取家富兼丁者付之。令養以供迎送。
  17. 廄牧令十七 水驛條:凡水驛不配馬處。量閑繁驛別置船四隻以下。二隻以上隨船配丁。驛長准陸路置。
  18. 廄牧令十八 乘驛條:凡乘驛及伝馬應至前所替換霽者。並不得騰過其無馬之處。不用此令。
  19. 廄牧令十九 軍團官馬條:凡軍團官馬。本主欲於鄉里側近十里內調習霽聽。在家非理死失者。六十日內備替。即身死。家貧不堪備者。不用此令。
  20. 廄牧令二十 驛伝馬條:凡驛伝馬。每年國司檢簡。其有太老病。不霖堪乘用者。隨便貨賣。得直若少。驛馬添驛稻伝馬以官物市替。
  21. 廄牧令廿一 公使乘驛條:凡公使須乘驛及伝馬若不足者。即以私馬充。其私馬因公使致死者。官為酬替。
  22. 廄牧令廿二 乘伝馬條:凡官人乘伝馬出使者。所至之處。皆用官物准位供給。其驛使者。每三驛給。若山險闊遠之處。每驛供之。
  23. 廄牧令廿三 國郡條:凡國郡所得闌畜。皆仰當界內訪主。若經二季無主識認者。先充伝馬若有余者出賣。得價入官。其在京。經二季無主識認者。出賣。得價送贓贖司後有主識認勘當知實。還其本價。
  24. 廄牧令廿四 闌遣物條:凡闌遣之物。五日內申所司其贓畜。事未分決在京者付京職斷定之日。若合沒官出賣。在外者准前條。
  25. 廄牧令廿五 官私馬牛條:凡官私馬牛帳。每年附朝集使送太政官。
  26. 廄牧令廿六 官馬牛條:凡官馬牛死者。各收皮腦角膽若得牛黃者。別進
  27. 廄牧令廿七 因公事條:凡因公事乘官私馬牛以理致死。証見分明者。並免徵。其皮宍。所在官司出賣。送價納本司若非理死失者。徵陪。
  28. 廄牧令廿八 官畜條:凡官畜。在道羸病。不堪前進者。留付隨近國郡養飼療救。草及藥官給。差日遣專使送還所司其死者。充當處公用。