2026年6月14日日曜日

9世紀の地震活動メモ:出雲地震と出羽地震

 *818年 関東北部地震

⇒堀口万吉「埼玉県北部でみられる古代の噴砂について」『歴史地震』第2号、9~14頁、1986年他

*830年2月3日(天長7年正月3日)出羽国地震(天長地震) 

⇒『類聚国史』巻173「災異部・地震」収録

史料原文(漢文)

「今日辰刻、大地震動、響如雷霆。登時城郭官舎并四天王寺丈六佛像、四王堂等、皆悉顛倒。城内屋仆、撃死百姓十五人、支體折損類一百餘人也。歴代以来、未曾有聞。地之割辟、或處卅許丈、或處廿許丈、無處不辟。又城邊大河云秋田河、其水涸盡、流細如溝。疑是河底辟分、水漏通海歟。吏民騒動、未熟尋見。添河・覇別河、兩岸各崩塞、其水汎濫。近側百姓懼當暴流、競陟山岡」 

 

p05_akita.jpg (1187×789)の転載

*841年:信濃地震

⇒『続日本後紀』

*841年:伊豆半島地震

⇒『続日本後紀』

⇒丹那断層発掘調査研究グループ「1980年丹那断層(名賀地区)のトレンチ調査」『活断層研究』3号、44~51頁、1986年

*850年:出羽国南部地震

⇒出典

①『文徳実録』第2巻、嘉祥三年(八五〇)

「十月庚申(十六日) (A)庚申。出羽國言上。地大震裂。山谷易處。 壓死者衆。」

および

②『日本三代実録』第50巻、仁和三年(887)十一月 二十三日(丙申)条

「 丙申,:  詔曰 紫極高映,運亭毒而不言.黃屋尊居, 播惠愛而無恃.故勛華繼躅,未隔於 勤勞禹履垂風,猶同於含育. 朕忝奉先訓,虔撫令圖,飡荼蓼以銷 神,睠蒸庶以剡思.而今至誠不暢, 小信未孚,陰德愆和,柔祇告譴. 

 出羽州壤,偏應銅龍之機.邊府黎甿, 空被梟禽之害.邑居震蕩,蹈厚載而 不安.城柵傾頹,想艱虞而益恐.(艱虞, 或本難虞)。咸須子視,或至於死傷.獨 作母臨, 

 何懈於拯救.宜馳星使,就展恩光.其 被災尤甚,不能自存,使國商量,蠲 免租調.并不問民狄,開倉糶廩,貸 振其生業. 

 莫使重困,崩墻毀屋之下.所有殘 屍露骸,官為收埋 

 .務申優恤,庶俾委凍者知挾纊之溫,阻飢者得廩牢之飽.

從四位上-清原真人-瀧雄,為治部 大輔. 授正六位上-安墀宿禰-良棟,外從 五位下.」

③『三代実録』第50巻、仁和三年五月廿日 条

「 式部省奏諸國銓擬郡司擬文,天皇不 御前殿,右大臣奉勅,於宜陽西廂, 令從五位上守左少辨兼行式部少輔藤 原朝臣佐世讀其擬文。大臣点定更奏。 

 先是,出羽守從五位下坂上大宿禰茂 樹上言。國府在出羽郡井口地。即是, 去延暦年中陸奥守從五位上小野朝臣 岑守,拠大將軍從三位坂上大宿禰田 村麻呂論奏,所建也。

 去嘉祥三年,地大震動,形勢変改, 既成窪泥。  加之,海水漲移,迫府六里所, 大川崩壞,去隍一町,兩端受害,無 力堤塞。堙没之期,在於旦暮。 

 望請。遷建最上郡大山郷保寶士野, 拠其険固,避彼危殆者。 

 太政大臣,右大臣,中納言兼左衞門 督源朝臣能有,參議左大辨兼行勘解 由長官文章博士橘朝臣廣相,於左仗 頭,召民部大輔惟良宿禰高尚,大膳 大夫小野朝臣春風,左京亮藤原朝臣 高松等,問彼國遷國府之利害,所言 參差,同異難定。更召伊豫守藤原朝 臣保則,以高尚等詞問之。保則言, 國司所請,非无理致。保則・高尚 等,元任彼國吏,応知土地之形勢故 召問之。太政官因國宰解状,討覈事 情曰。避水遷府之議,雖得其宜,去 中出外之謀,未見其便。何者,最上 郡地,在國南辺,有山而隔,自河而 通。夏水浮舟,纔有運漕之利,寒風 結凍,曾无向路之期。況復秋田雄勝 城,相去已遥,烽候不接。又擧納秋、饗,國司上下,必有分頭入部,率衆 赴城。若沿水而往,泝水而還者,徴 發之煩,更倍於尋常,逓送之費,將 加於黎庶。晏然无事之時,縦能兼濟, 警急不虞之日,何得周施。以此論之, 南遷之事難可聽許。須択舊府近側高 敞之地,閑月遷造,不妨農務。用其 舊材,勿労新採。官帳之數,不得増 減。勅。宜依官議,早令行之」

⇒論文『日本三代実録』仁和三年五月廿日条の地震記述について ― 出羽国府周辺で起きた自然災害の検討 ―」

著者:松岡祐也
掲載誌:『歴史地震』第26号(2011年)
種別:歴史地震研究会講演要旨
⇒都司嘉宣・今井健太郎・畔柳陽介・木南孝博「嘉祥三年(850)六月出羽地震とその津波について」 『津波工学研究報告』第41号(2024)/Research Report of Tsunami Engineering Vol.41 (2024)33 ~ 45 頁

*868年8月3日(貞観2年9月29日「):播磨地震

*878年11月1日(元慶2年9月29日)」相模・武蔵地震

*880年11月23日(元慶4年10月14日)出雲地震

⇒『日本三代実録』巻四十七、元慶四年十月十四日条

「十四日丁未。出雲國地大震。百姓廬舍及官舍佛寺,多有顛倒。壓死者衆。地拆裂。或廣數丈。沙石湧出。橋梁道路往往壞敗。」

⇒この地震の特徴  ①「地拆裂(地割れ)」②「沙石湧出(液状化現象を思わせる噴砂)」③「橋梁道路壊敗(インフラ破壊)」④「圧死者衆(人的被害)」

⇒地震学的推定 ①震源:島根半島~宍道湖・中海周辺、②規模:M7クラス前後、③被害:出雲国を中心に甚大



*887年8月26日(仁和3年7月30日:京都地震





上野三碑「多胡碑」に見る「羊」に関するメモ

 




上野三碑の一つ 多胡碑(和銅4年=711) の碑文に、

「給羊以成多胡郡」(羊に給いて多胡郡と成せ)

とある。この「羊」が人名であるとは通説化している。 

ちなみに高崎市の説明によると、

多胡碑は、奈良時代初めの和銅[わどう]4(711)年に上野国の14番目の郡として、多胡郡が建郡されたことを記念して建てられた石碑です。

建郡に際しては、「羊[ひつじ]」という渡来人[とらいじん]とおもわれる人物が大きな役割を果たし、初代の郡長官になったようです。碑を建てたのも、この「羊」であると考えられ、碑の後段には当時の政府首脳の名を挙げて権威付けをはかっています。」https://www.city.takasaki.gunma.jp/site/cultural-assets/4463.html

ちなみに、高崎市による調査報告書は、https://www.city.takasaki.gunma.jp/uploaded/attachment/30366.pdfに見る。

さて、下記の木簡に見る「羊」を人名だと考えると、「羊」の2例目にあたる。当然ながら完文ではないので、それは推測でしかない。


 ■詳細

URLhttps://mokkanko.nabunken.go.jp/ja/MK019196000038
木簡番号0
本文・豊前門司卅斤枚一・□部□〔羊ヵ〕三月功\○上□
寸法(mm)132
34
厚さ6
型式番号032
出典木研46-133頁-1-(4)(木研19-196頁-(38)・長登木簡展図録-140)
文字説明
形状
樹種ヒノキ属
木取り板目
遺跡名長登銅山跡
所在地山口県美祢郡美東町大字長登字大切、(現山口県美祢市美東町長登)
調査主体美東町教育委員会 (当時、現美祢市教育委員会)
発掘次数第Ⅲ期第1年次
遺構番号南北大溝②
地区名3C4TA
内容分類付札
国郡郷里豊前国豊前門司
人名□部(羊)
和暦3月
西暦3(月)
遺構の年代観
木簡説明銅付札木簡。「豊前門司」は銅の送り先(木研46)。
DOI
関連URL
画像利用条件

■研究文献情報

「三毛郡」「熊毛郡」の地名語源説を論じて「上野国」「下野国」に関する仮説へ至る

九州各地には、

『延喜式』に、

22/民部上/8/西海道筑後国上〈管〉〈御原 生葉 竹野 山本 御井 三瀦 上妻 下妻 山門 三毛

とある。

『倭名類聚抄』に、

9・国郡部第12・豊前国第127・上毛郡・14丁裏7行目        上毛郡   

9・国郡部第12・豊前国第127・下毛郡・14丁裏9行目        下毛郡    

8・国郡部第12・周防国第117・熊毛郡・20丁裏8行目                         熊毛[久万介

9・国郡部第12・大隅国第132・熊毛郡・21丁裏7行目        熊毛郡    

などに見る「毛」郡が存在する。これに関して、我が仮説は「毛(ケの乙類=け=食べ物)」の等式を想定したい。

 なお、この延長線上に、「上野国(上+ツ+け)」「下野国(下+ツ+け)」に共通する「け」がある。

 「け〔食〕(名)食物。「大御気に仕へまつる とをちこちにいざり釣りけり」(万4360)「五十鈴(イスズ)の宮に御気(ケ)立つと打つなる瓢(ヒサ)は宮もとどろに」(皇太神宮儀式帳)「吾妹子が裳引の姿朝に食(ケ)に見む」 (万767)「う飼(ケ)飯(ヒ)て寝(ネ)れど」(万767) 「食ヶ」(名義抄)【考】霊異記に「綾君之家、為所乞食、日々不闕、餔〈計古止〉時而逢」(中一六話)のようにケコ トの例があるほかは、接頭語ミを冠し たものばかりであるが、第三例のよう に「食」の字を乙類のケの仮名に借りることがあり、「餔」は第四例のように「飯」を伴ってケヒを写すのに用いられている」(『上代語辞典』三省堂、279頁)


したがって、「三毛」とは「御+食べ物」であり、下記の辞典の説明の通り「熊毛」とは「熊+毛⇒クマ+ケ⇒神に供える食べ物」の意味である。

くま〔奠}】(名)神に供える物。「適殯宮 而慟哭焉、於是奉奠奏楯節舞 」(持統紀二年)「彼稲伊佐波登美神乎為弖、 抜尓令抜、皇太神乃御前尓懸久真尓懸奉始支」(倭姫世記)「糈久万之禰、精 米所以享神也」(和名抄)【考】「奠」の字は神に祭りのための品物を出す意。第2例のカケクマは右の例から考えて、稲の穂のついたままのものをいうらしい。兵庫県北部から鳥取東部地方にかけて行われるイナグマは、稲などを積み重ねたものをさすが、その名残化とみられる。また、神に供える稲を作る田をクマシロという。地名として 「石見国邑知郡神稲(久末之呂)・淡路国三原郡神稲(久万之呂)」(和名抄廿巻本)がある。「三吉野に有りし熊志禰」(続後紀嘉祥二年)のタマシネは人名であるが、「味稲(ウマシネ)」(万385)「美稲(ウマシネ)」(懐風藻) とも伝えられていて、シネは稲であり、奠稲(クマシネ)という語の存在が推定される。」(『上代語辞典』269頁)

を参考にすればよい。つまり、「クマ」は「神への供える米」の意味である。

なお、この仮説は筆者の創見ではなく、すでに『角川日本地名大辞典』などでも記述されていることを付記したい。


2026年6月13日土曜日

全国の「 大野[於保乃]郷」

 (山城国愛宕郡大野郷

(参河国額田郡大野郷

(駿河国志太郡大野郷

(甲斐国山梨郡大野郷

6・国郡部第12・甲斐国第81・山梨郡・21丁表1行目                           大野[於保乃已上五郷為山梨西郡]

(上総国海上郡大野郷

⇒海上郡家の位置は東庄町今郡周辺か

(常陸国信太郡大野郷

(飛騨国大野郡大野郷

(上野国山田郡大野郷

7・国郡部第12・上野国第92・山田郡・11丁表7行目                           大野[於保乃

(下野国那須郡大野郷)

(陸奥国菊多郡大野郷

(越中国礪波郡大野郷

7・国郡部第12・越中国第100・礪波郡・22丁裏8行目                         大野[於保乃

)(丹後国丹波郡大野郷

(因幡国巨濃郡大野郷)

(出雲国秋鹿郡大野郷)

(播磨国飾磨郡大野郷

8・国郡部第12・播磨国第111・餝磨郡・11丁表4行目                         大野[於保乃

(美作国英多郡大野郷

(紀伊国名草郡大野郷

)(阿波国那賀郡大野郷

9・国郡部第12・阿波国第121・那賀郡・4丁裏2行目                           大野[於保乃

(讃岐国香河郡大野郷

9・国郡部第12・讚岐国第122・香川郡・5丁裏3行目                           大野[於保乃

)(讃岐国三野郡大野郷

9・国郡部第12・讚岐国第122・三野郡・6丁裏5行目                           大野[於保乃]

(土左国吾川郡大野郷

(筑前国怡土郡大野郷

9・国郡部第12・筑前国第125・怡土郡・10丁表7行目                         大野[於保乃

)(筑前国御笠郡大野郷

(豊前国築城郡大野郷

(豊後国大野郡大野郷

(豊後国速見郡大野郷

(加賀国加賀郡大野郷

7・国郡部第12・加賀国第98・石川郡・21丁裏7行目                           大野[於保乃

(美作国苫西郡大野郷

美作国苫田郡大野郷

(佐渡国賀茂郡大野郷

(備後国深津郡大野郷

)(周防国玖珂郡大野郷

豊前国天平二年郡稲未納帳

 

詳細

URLhttps://mokkanko.nabunken.go.jp/ja/6AFJQP65000166
木簡番号0
本文豊前国天平二年郡稲未納帳(木口)
寸法(mm)長(127)
径19
厚さ
型式番号061
出典木研34-7頁-(3)(城41-11上(81))
文字説明木口に墨書。
形状上切断後削り調整、下欠(折れ)。
樹種
木取り
遺跡名平城京左京三条一坊一・二坪
Heijō Capital (Left Capital, Third Row, First Ward, First and Second Block)
所在地奈良県奈良市二条大路南三丁目
調査主体奈良文化財研究所都城発掘調査部
Department of Imperial Palace Sites Investigations, Nara National Research Institute for Cultural Properties
発掘次数478
遺構番号SE9650下段C
地区名6AFJQP65
内容分類棒軸
国郡郷里豊前国
人名
和暦天平2年
西暦730(年)
遺構の年代観765-790
木簡説明
DOIhttp://doi.org/10.24484/mokkanko.6AFJQP65000166
関連URL
画像利用条件調査主体が奈良文化財研究所(奈良国立文化財研究所含む)であれば、どなたでも複製、公衆送信、翻訳・変形等の翻案等、自由に利用できます。商用利用も可能です。申請不要です。詳細は利用条件をご確認ください。高解像度画像がColbaseに掲載されている場合がありますので、Colbase(https://colbase.nich.go.jp/?locale=ja)でもご確認ください。

2026年6月12日金曜日

木簡「・□□〔決明ヵ〕子+桃+桂心+白芷+車前子+防風+柏実+右九物

 本木簡で重要な視点は、

*律令国家における薬方物流システム

である。7世紀末の日本列島が東アジア交易圏と国内流通網を統合していた史料だからである。


『延喜式』『延喜式』巻37「典薬寮・諸国進年料雑薬」記載の貢納国一覧


生薬名現在の植物主な貢納国
決明子エビスグサ種子美濃・近江・播磨・讃岐など
桃仁(桃)モモの種子大和・河内・山城・近江など
桂心ニッケイ樹皮主として輸入品・大宰府経由
白芷ヨロイグサ類根山城・近江・丹波など
車前子オオバコ種子大和・山城・近江・美濃・下総など17国
防風ボウフウ根丹後・若狭・出雲・石見など日本海側諸国
柏実コノテガシワ種子三河・遠江・駿河・伊豆・甲斐の5国

特に重要なのは


詳細

URLhttps://mokkanko.nabunken.go.jp/ja/6AJLDB64000108
木簡番号1722
本文・□□〔決明ヵ〕子四両桃四両桂心三両白芷三両\○□○車前子三両防風三両・/○□両/柏実一両∥○右九物
寸法(mm)173
25
厚さ4
型式番号011
出典藤原宮4-1722(木研11-33頁-2(3)・飛9-11上(68))
文字説明裏面「柏」は異体字「栢」。
形状上切断後粗い削り、下削り、左削りヵ、右削りヵ。裏面下端部は墨を塗っている。
樹種ヒノキ科#
木取り板目
遺跡名藤原宮跡西面南門地区
Fujiwara Palace Site (West Side of the South Gate Sector)
所在地奈良県橿原市四分町
調査主体奈良国立文化財研究所飛鳥藤原宮跡発掘調査部
Department of Asuka and Fujiwara Palace Sites Investigations, Nara National Research Institute for Cultural Properties
発掘次数藤原宮第58-1次
遺構番号SD1400
地区名6AJLDB64
内容分類文書
国郡郷里 
人名
和暦
西暦
遺構の年代観694-710
木簡説明上端切断後粗い削り、下端削り、左右両辺削りか。裏面下端部は墨を塗っている。薬物の支給に関わる文書ないし薬物の処方に関する文書であろう。元来、表面二行目と裏面一行目の判読できない箇所に一つずつ薬名が記されていたとすれば、九種類の薬名が記されていたことになり、「右九物」の記載と品数は一致する。「決明子(ケツメイシ)」は、マメ科の一年草ケツメイ(和名コエビスグサ)の成熟した種子に比定される。『本草集注』草木中品、『本草和名』草上・『医心方』に「衣比須久佐」、内閣文庫本などの『延喜式』典薬寮に「エヒスクスリ」(58武蔵年料雑薬条)とみえ、『延喜式』典薬寮に、駿河など十箇国の年料雑薬としてみえる(54駿河年料雑薬条など)。「桃(トウ)」は、後掲「桃人(トウニン)」(一七五二)を参照。「桂心(ケイシン)」は、クスノキ科の常緑高木肉桂(ニッケイ。和名ケイ)の幹皮と枝皮に比定される。『本草集注』草木上品に「桂」、『本草和名』木上、『和名抄』に「桂女加豆良」とみえる。藤原宮跡北辺地区から「桂心一両二分」(奈良県『藤原宮』八一号)、飛鳥池遺跡北地区溝SD一一一〇(第八四次調査)から「桂心二両」(『飛鳥藤原京木簡』一―七一一)と記した木簡が出土している。桂心は、『延喜式』典薬寮の諸国進年料雑薬にみえず、国内で自給できなかったらしい。天平勝宝八歳(七五六)六月二十一日献物帳(種々薬帳〈正倉院文書北倉158二巻の内。『大日本古文書』四―一七三頁〉)にみえる大仏に献納された正倉院薬物の桂心は、華南を産地とするものであり、また、奈良時代には新羅との交易で入手した例が知られる(天平勝宝四年六月十五日中臣伊勢連老人買物解〈尊経閣文庫所蔵文書。『大日本古文書』二十五―四五頁〉など)。「白芷(ビャクシ)」は、セリ科の多年草興安白芷(コウアンビャクシ。和名ヨロイグサ)などの根に比定される。『本草集注』草木中品、『本草和名』草中に「加佐毛知、佐波宇止、与呂比久佐」、『医心方』に「加佐毛知、与呂比久佐、佐波宇止、佐波曽良之」、内閣文庫本などの『延喜式』典薬寮に「ムマクサ」(21近衛府雑薬条)、「ミラネクサ」(50伊勢年料雑薬条)とみえ、『延喜式』典薬寮に、大和など十八箇国の年料雑薬としてみえる(46大和年料雑薬条など)。藤原宮跡北辺地区から「白芷二両」(奈良県『藤原宮』七四号)と記した木簡が出土している。「車前子(シャゼンシ)」は、オオバコ科の多年草車前(シャゼン。和名オオバコ)などの種子に比定される。『本草集注』草木上品、『本草和名』草上に「於保波古」、『医心方』に「於保波己」とみえ、『延喜式』典薬寮に、大和など十七箇国の年料雑薬としてみえる(46大和年料雑薬条など)。藤原宮跡北辺地区から「車前子一升」(奈良県『藤原宮』七五号)と記した木簡が出土している。「防風(ボウフウ)」は、一七二一。「栢実(ハクジツ)」は、ヒノキ科の常緑高木側柏(ソクハク。和名コノテガシワ)の種子に比定され、「栢子仁(ハクシジン)」に同じ。『本草集注』草木上品、『本草和名』木上に「比乃美、加倍乃美」、『医心方』に「比乃美」とみえ、『延喜式』典薬寮に、参河など五箇国の年料雑薬としてみえる(52参河年料雑薬条など)。
DOIhttp://doi.org/10.24484/mokkanko.6AJLDB64000108
関連URL
画像利用条件調査主体が奈良文化財研究所(奈良国立文化財研究所含む)であれば、どなたでも複製、公衆送信、翻訳・変形等の翻案等、自由に利用できます。商用利用も可能です。申請不要です。詳細は利用条件をご確認ください。高解像度画像がColbaseに掲載されている場合がありますので、Colbase(https://colbase.nich.go.jp/?locale=ja)でもご確認ください。

■研究文献情報

丹波国から貢納された「当帰」の薬能

 木簡庫 奈良文化財研究所:詳細

丹波国何鹿郡伊看我評〉出土の木簡:「・伊看我評・当帰五斤」とある。

この木簡に関する概略は、下記のノートで判明するが、しかしながら、これでは隔靴搔痒の感多く、全くの情報不足である。

(1)刈米達夫著『最新生薬学 第 6 改稿版』(1990)によると,薬能として,

*鎮痛,鎮静,強壮, 通経薬・温薬で,血を補い,古い血を去る働き(補血)

が あるという。

(2)田中 重雄, 星野 千恵子, 池城 安正, 田端 守, 木島 正夫共著「各種当帰の抗侵害作用について」『薬学雑誌』 97 巻 1 号 p. 14-17、1997年

今、この田中らの論文に従って、この「当帰」に関して補足説明をするならば、
①薬能は鎮痛作用。
②「The crude drug Toki used in Japan is classified largely into "Yamato Toki" and "Hokkai Toki", which are prepared from the roots of Angelica acutiloba var. acutiloba KITAGAWA and A. acutiloba KITAGAWA var. vugiyamae HIKINO, respectively. Anti-nociceptive effect of these crude drugs of Toki was assayed by the acetic acid-induced writhing test on mice. 」だという、この木簡の場合、当然に「大和当帰「である。


(3)さらに、林元英「紫根および当帰の薬理学的研究(第3報) 一 エキスおよび紫雲膏局所適用の炎症反応におよぼす影響」『日薬理誌』73、205~214、1977年
によれば、この論文で判明した事実は、創傷治癒における「当帰」の薬能である。
「紫根エキスは局所適用において,炎 症性の血管透過性充進ならびに浮腫を明らかに抑制し, 局所の発熱に対しても有意な抑制効果を示し,急 性炎症反応に対して抗炎症作用を有することが認められた.他 方亜急性慢性炎症反応としての肉芽増殖を主体とした創傷治癒に対しては,明 らかな治癒促進作用を示し,い わ ゆる抗炎症薬とは異なった効果を呈した.そ していずれの作用においても0・2%前 後の濃度が最も顕著な効果を 呈した.当 帰エキスは血管透過性充進ならびに急性浮腫を概して抑制したが,起 炎物質によっては抑制効果のな い場合 もあり,ま た濃度的にも一貫した効力を示さず,さ らに炎症性発熱および創傷治癒に対しては作用を全く 示 さなかった.従 って当帰は急性炎症反応に対して抑制傾向を有する程度のもので,積 極的な効果は期待しにく い ものと思われた・この両者を併用した紫雲膏は紫根エキスと同様急性炎症反応を有意に抑制し,創 傷治癒を明 らかに促進した.そ の効力は紫根と同等か多少強力であった.当 帰エキスとの配合意義については充分な説明が 出来ないが,当 帰にも軽度な抗炎症作用があり紫根エキスに協力するかもしれない.」

という点である。

(4)一方で、木村容子・杵淵彰らの研究によって、主に女性患者の月経困難症や月経前の排卵期や月経前半の頭痛やめまい、むくみなどに当帰芍薬湯の効果が期待されるという。木村容子ほか4名「当帰芍薬湯が有効な頭痛の症例について」『日東医誌』62巻6号、627-6333頁、2011年

だと指摘する。

(5)総合的な見解は、
*柳沢清久「 日本薬局方に見られた向精神・神経薬の変遷(その22) 当帰の成分研究経緯に関する史的考察」『 薬史学雑誌 』54巻2号、104-111、2019年
に詳しい、一読をこう。
当帰の精油のエーテル可溶性成分の中で,ligustilideが 有効成分として,また水溶性成分の中で,ferulic acidが 有効成分として,それぞれ証明され,またそれらの薬理作 用も解明された.このことで,従来の当帰の鎮痛,鎮静, 鎮痙,通経,補血などの伝統的,経験的効果が科学的に立 証された.」


<木簡庫>
上端切断の後表裏から面取り、下端・左右両辺削り。「当帰(トウキ)」は、セリ科の多年草トウキ(和名カラトウキ)の根に比定される。『本草集注』草木中品、『本草和名』草中に「也末世利、宇末世利、加波佐久」、『医心方』に「宇末世利、也末世利、於保世利、加波佐久」とみえる。『延喜式』典薬寮に、丹波国が当帰を貢納する規定はみえないが(78丹波年料雑薬条)、隣国の但馬国に「当帰十斤」の規定があるなど十七箇国の年料雑薬としてみえる(80但馬年料雑薬条など)。奈良県飛鳥京跡苑池遺構から「当帰二両」(奈良県立橿原考古学研究所『史跡・名勝飛鳥京跡苑池(一)』五一号)と記した木簡が出土している。