現段階の発掘調査報告によると、
「2.蔵司A・B・F区における重点調査成果
今年度の調査成果としては、丘陵南東部の倉庫群の配置が確定したこと、その西
側で掘立柱の柱穴列を発見したこと、さらに丘陵南端で大量の瓦や礎石建物、掘立
柱建物の柱穴列を各1棟新たに発見したことなどが注目されます。
★今年度の調査成果のポイント
①昨年度、丘陵南東部のA・C区で奈良・平安時代の礎石建物群がコ字状に配置され
ていたことを確認していました。今年度、A区北西側を調査したところ、その場所
には、礎石建物が存在しないことが判明しました。
⇒このことにより、礎石建物群は北・西・南側にそれぞれ2棟、合計6棟により、「コ」
の字形に建物群(倉庫)を配置し、中央の空閑地を広場とする構造であることが最
終的に確定しました。
②今回、A・B区で礎石建物に先行すると考えられる柱穴列1棟を新たに発見したこ
とから、蔵司丘陵では大宰府成立期(7世紀末前後)から建物群が配置され、大宰
府政庁とともに計画的な官衙の造営が行われた可能性がさらに高まりました。
③丘陵南端(F区2トレンチ)で密集した状態の瓦を大量に確認しました。また同じ
場所で、礎石も確認することができました。これらのことによって、礎石建物等の
重要施設が存在することが明らかとなりました。
④この大量に出土した瓦は、その出土状況から、礎石建物等の施設が焼失等により倒
壊した、あるいは解体された痕跡と推測されます。
⑤西側のトレンチ(F区1トレンチ)では、東西に並ぶ柱穴4基を確認しました。」
だという。
遺跡の概要:
大宰府は、西海
道諸国の統治や対外交渉な
どを担う地方最大の官衙かんが
(役
所)で、「遠とお
の朝廷みかど
」とも呼
ばれました。中心となる政庁
の周辺には、大宰府の諸機能
を 司つかさど
る官衙群が置かれま
した。政庁西側の丘陵には、
「蔵司」の地名や礎石群があ
ることから、大宰府の財源を
管理する「蔵司」が存在し、
倉庫群があったと考えられ
てきましたが、実態は不明な
ままでした。そこで、当館で
は蔵司地区の解明に向けた
発掘調査を実施してきまし
た。
蔵司地区には政庁正殿を
上回る規模の礎石建物跡
SB5000 が見つかっていま
すが、調査により南北に廂ひさし
を持つ二面廂建物であるこ
とが判明しました。また、そ
の南側に礎石建物跡より古
い時期の掘立柱建物跡が見
つかり、蔵司地区の展開を考
える上で重要な成果を得る
ことができました。
注:「SB5000」と称される建物址は「身舎が桁行9間、梁行2間、南北に廂がある2面廂付きの建物で
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