2016年7月19日火曜日

蔵司地区は倉庫であったか?

昭和8年、大宰府市蔵司地区は別荘地として開発されることとなり、地面が掘り返された。その時に数々の礎石が出現したために、古代の建築址であると判明したが、はたしてそれがいかなる機能を持つ建物であったのかは不明であった。多くの方は、その名から「蔵」、つまり倉庫群だと推測しがちであるが、現段階の発掘の成果では、必ずしも倉庫跡だと推測することは出来ないという。「SB5000」と称される建物址は「身舎が桁行9間、梁行2間、南北に廂がある2面廂付きの建物であった。

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