2016年7月9日土曜日

大宰府の大庄屋

福岡藩では、江戸初期から「触口」と呼んできたが
*享保8年(1723)4月3日から
「大庄屋」に改称された(「大庄屋留書」『九州文化史研究所史料集』第4巻、2000年)。
しかし、
*慶応4年(1868)6月から
再び「触口」に戻されたが、
*明治4年(1871)から明治5年6月までに廃止されるまで
またまた「大庄屋」が復活した。

大宰府の場合、高原家・竹森家・大賀家などが著名である。

なお、寛延2年(1749)から大庄屋は脇差帯刀が許されている。

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