大宰府学の勧め
2016年7月8日金曜日
第二期太宰府政庁建設
第二期太宰府政庁を建設した時のリーダーは、和銅元年
(706)に
太宰帥の中納言粟田真人。
和銅年間
(708-715)
に造営がスタートし、霊亀年間
(715-717)
には完成していたと推定されている。その広さは東西約111.6
m
、南北約211
m
。
(ちなみに藤原宮の広さは東西約925m,南北約907m)
しかしながらその第2期大宰府政庁は、
天慶4年
(941)
に、藤原純友によって焼き討ちされ完全に焼失する。
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