2016年7月24日日曜日

那津はどこに?

継体天皇21年(527)6月に、加羅国救援にむかうために近江毛野臣に率いられた6万の軍勢が博多津に集結した。その時に勃発したのが、著名な筑紫君磐井の乱である。それが終息し、継体天皇22年12月に磐井の子葛子は糟屋屯倉を大和朝廷に献上した。そのことで糟屋屯倉の名が登場する。後の糟屋郡であると推測して良いものの、その位置は正確に把握しがたい。
さて、磐井の乱から9年後である宣化元年(536)5月に、那津宮家(「那津の口に設けた宮家」)の地名も出現する。

この糟屋屯倉と那津宮家との関係は不明であるとはいえ、那津宮家は比恵遺跡(福岡市博多区博多駅南五丁目付近)に比定して無理はない。

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