2016年8月29日月曜日

大宰府市南谷に有智山寺之址

「(大宰府)南谷
村の北、四町にいにしへ保僧坊ありし址とて田圃の中に礎石多く残れり。文化14年3月農民〔清助といふ者)講堂跡といふ所にて鍍金の独鈷を掘出せり。今は楞伽院にあり。是上にいへる有智山寺之址なり。又其北を中堂谷といふ。薬師堂一宇あり。是昔時の中堂の址なりといふ。此左右の野にも礎石残れり。鐘楼址といふもあり」

2016年8月27日土曜日

大宰府のこと(北九州の大和家の伝承)

「右の隆景公大宰府天満宮御神廟御建立有といへり、天文十九年に御社だん炎焼して二十七・八年にあたり、天正六年に隆景公御神廟むかしのことくなき事を御いとみなみ、御建立有りて、弐百町の御神田を付られたりし、時に中納言ハ年老て御子秀秋に御代をゆすり備後に退居し給也、」

大宰府850年祭の記事

「〔宝暦2年)宰府天満宮八百五(「十」脱か)年之御忌御座候事、右同年申ノ二月十一日より同二十五日迄、参詣之者遠国よりも近表よりも引続、老若男女五人有之候ヘハ有切参詣仕候、天道より山口大石・本道寺道筋壱丁頭程ニ酒店いろいろ之みセ打申候、宿借申者ハ道筋ニ打迎ニ出申候而、相待居申候、宰府高てうちん・小てうちん事おひただしく、御上よりハ壱万灯之御寄進有り申候、惣体三月中比迄ハみセも引不申、参詣之者(多)御座候」
(『万年代記帳』、536頁、福岡県史近世史料編年代記(1)、平成2年、福岡県)

⇒『萬年代記帳』(正徳4年午ノ二月吉日、鞍手郡新山崎村庄屋甚吉代)、

2016年8月21日日曜日

大宰府の条坊制

周知の通り、大宰府の初見は 『日本書紀』推 古17年 (609) 4月4日 条の記 事に見る「筑 紫大宰」である。

〔ポイント1)
①7世紀後半頃建造の第I期,
② 8世紀の第1四半期頃建造の第II期,
③ 天慶4年 (941) の藤原純友の乱における焼亡のあとの再建と考えられる第III期

〔ポイント2〕

鏡山猛先生が推定したのでは「方4町の政庁域」であったが、考古学的事実から判明するのは,「 東西が約900m程であり, 一部南に凸型に張り出した府庁域」を推定すべきであるという。

〔ポイント3)
尺度として使用されているのは, 第II期政庁の創建期の尺,すなわち大宝令の大尺である。令の大尺の1尺は、35.3ないし35.5cm

〔ポイント3〕

大宰府の坊は面積8段, 1辺約100m

(ポイント4)

金田章裕先生の説

①「以上の推論からすれば, 大宰府の条坊プランは, 905年以後, 975年までの間に完成したこと
になる。従来から漠然と想定されていた時期に比べると, これは著しく遅い年次である。」(427頁〕」

②「(3) 大宰府の機構の変遷と条坊プラン これまでの検討によって, 左・右郭各22条・12坊の条坊プランは, 一辺約100mの坊を基本区画として成立していたこと, その完成時期が905~975年の間に推定されることが判明した。」〔428頁〕

③「大宰府の条坊プランが, 都城の条坊プランとは異なり, 条里プランと全く同様の機能を第一義とするものであったとした先の推定の傍証ともなろう。」〔433頁〕








大宰府の観光戦略

(1)大宰府天満宮の聖地巡礼化
(2)

2016年8月15日月曜日

門前町の比較ーー大宰府と日光東照宮

門前町とは、宗教施設を核として形成される都市・村落であり、 世界各地で一般的にみられる都市のー形態である。

建立の年月日は大きく異なるものの、互いに「門前町」を形成している。
(1)門前町は、神社から駅までの一直線のみで、縦横に発展していないこと
(2)大宰府が「梅ヶ枝餅」、日光が「あげ饅頭」のみが名物であること
(3)両都市共に、ホテルは1カ所のみであること。ただし、日光は金谷ホテルという老舗あり。
(4)観光客の流れは,地形からして上下一直線であり、横道にそれることはないに等しい。駅もしきは駐車場から神社へと人々は移動する。
(5)


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必要なのは、空き家探しと物件探しから、設計・施工、運営管理までサポートする体制。

参拝客,参詣者,観光客,地元客の用語
①.参拝客は信仰心で訪れる者とし,講社による参拝,戦勝祈願,近世の参拝などを指す
②.参詣者は参詣することを目的として訪れる者を指す。
③観光客は参拝や参詣を除いて天満宮や門前町を訪れる者を指し団体旅行の立ち寄りやトランジット客などを含む
④地元客は門前町に買い物を目的として来訪する。

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これまで門前町の研究は地理学をはじめとして歴史学ほか多様な分野から行われてきたが、地理学から門前町の形態や発達過程・位置、分布などが中心課題であった。




筑前国分寺(古絵葉書)

説明を追加

西鉄太宰府駅(古絵葉書)

説明を追加

竈門神社〔古絵葉書)

榎寺〔古絵葉書)

2016年8月10日水曜日

CAFÉ「観音」へ

大宰府でlaunchを!!

大宰府の観世音寺前に、「CAFE 観音」がある。
観音ランチがお勧め。





福岡県太宰府市観世音寺1の8の1。電話092(921)0305。火、水曜定休。


2016年8月8日月曜日

古代、京から大宰府までの道

古代、京から大宰府までの道筋を考えたい。

下関の赤間から九州へは船で渡ったろうが、さて、その上陸地はどこか?
九州の起点は轟灘の対岸である小倉であるが、その小倉のどこか?近世であれば、「大里」だろうが、果たして古代に遡れば、どこか?

大伴旅人や山上憶良らが最初に記した足跡はどこか。ましてや東国の防人らが朝鮮半島での戦闘のために徴用されて、はるばると到来した地はどこか?


『延喜式』などを参考にして、そのルートを考えれば、

社﨑⇒到津⇒独見⇒夜久⇒鳴門⇒津日⇒席打⇒夷守⇒久爾(もしくは美野)⇒大宰府

ではなかったと推測される。

今、改めて言うまでもなく、西海道つまり九州に於いて、すべては大宰府を起点として6街道が発していた。



2016年8月6日土曜日

 梅ヶ枝餅ストリートは激戦区

一般的に「激戦区」と呼ばれる地区のスイーツは、激しい競争の中で少しでも進化し、差別化なくしては生き残れない。

ところが、天満宮前の「梅ヶ枝餅」ショップ群は、いずこもほぼ同一である。形も味も値段も全店ほぼ等しい。つまり、梅ヶ枝餅の「販売」激戦区でありながらも、見た目にいずれのお店の「梅ヶ枝餅」に変わりがない。こう書けば、すぐに反論が予想される。「梅ヶ枝餅」は一つである、と。
そうだとしても、「カレーパン」にしても「コロッケ」にしても、人気店や行列の出来るお店のオーナーの創意工夫は尋常ではない。それぞれが何か工夫がある。

大宰府の「次の名産品」が出現することを期待したい。