(1)『
百
練
抄』
寛
治
6
年
(1092)6月27
日
条
「
諸
卿
定
申
本
朝
商
客
渡
契
丹
事」
(2)
『
中
右
記』
同
日
条
「
有
陣
定、
是
大
宰
府
解
状
也、
唐
人
隆
現
為
商
客、
初
通
契
丹
国
之
路、
銀
宝
貨
等
持
来、
子
細
見
解
状」
(3)
『
中
右
記』
同
年9
月13
日
条
「
検
非
違
使
等
於
左
衛
門
府、
勘
問
商
人
僧
明
範、
件
明
範
越
立
趣
契
丹
国、
経
数
月
帰
朝、
所
隨
身
之
宝
貨
多
云
々、~中略~
契
丹
者
本
是
胡
国
也、
有
武
勇
聞、
僧
明
範
多
以
兵
具
売
却
金
銀
條、
己
乖
此
令
歟
(4)『
後
二
條
師
通
記』
同
年10
月22
日
条
「昨
日
陣
定
事
~中略~
被
定
最
初
契
丹
事~中略~
或
随
勅
定、
或
猶
可
被
拷
明
範
僧
也、
或
明
範
陳
詞、
可
被
問
帥
者」
大宰府権帥藤原伊房が「 商人僧 明範」を代理として契丹国に対して「以 兵 具 売 却 金 銀 條」とある。今風に言えば、武器輸出である。
なお、『遼史』道宗本紀、大安7年9月己亥の条には、「
日
本
国
遣
鄭
元
鄭
心
及
僧
応
範
等
二
十
八
人
来
貢」とある。
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