2016年7月2日土曜日

大宰府と契丹

(1)『 百 練 抄』 寛 治 6 年 (1092)6月27 日 条
「 諸 卿 定 申 本 朝 商 客 渡 契 丹 事」

(2) 『 中 右 記』 同 日 条
「 有 陣 定、 是 大 宰 府 解 状 也、 唐 人 隆 現 為 商 客、 初 通 契 丹 国 之 路、 銀 宝 貨 等 持 来、 子 細 見 解 状」

(3) 『 中 右 記』 同 年9 月13 日 条
「 検 非 違 使 等 於 左 衛 門 府、 勘 問 商 人 僧 明 範、 件 明 範 越 立 趣 契 丹 国、 経 数 月 帰 朝、 所 隨 身 之 宝 貨 多 云 々、~中略~ 契 丹 者 本 是 胡 国 也、 有 武 勇 聞、 僧 明 範 多 以 兵 具 売 却 金 銀 條、 己 乖 此 令 歟

(4)『 後 二 條 師 通 記』 同 年10 月22 日 条
「昨 日 陣 定 事 ~中略~ 被 定 最 初 契 丹 事~中略~ 或 随 勅 定、 或 猶 可 被 拷 明 範 僧 也、 或 明 範 陳 詞、 可 被 問 帥 者」

大宰府権帥藤原伊房が「 商人僧 明範」を代理として契丹国に対して「以 兵 具 売 却 金 銀 條」とある。今風に言えば、武器輸出である。

なお、『遼史』道宗本紀、大安7年9月己亥の条には、「 日 本 国 遣 鄭 元 鄭 心 及 僧 応 範 等 二 十 八 人 来 貢」とある。

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