2017年12月4日月曜日

鄭夢周、太宰府へ行く

鄭 夢周(1337-1392)は1377年に来日し、九州探題であった今川了俊との交渉を通して、倭寇をコントロールして、高麗人の解放に努めた。彼は、九州探題が置かれた太宰府を訪問した。その時の詩が次の通りである。

*遊観音寺
 野寺春風長緑苔、来遊終日不知回、園中無数梅花樹、尽是居僧手自栽

とある。

2017年11月18日土曜日

太宰府にチャイナタウン?

太宰府にチャイナタウンが存在した。
平安時代後期の歌人源俊頼の自選和歌集『散木奇歌集』(総1622首。大治3 (1128) 年頃成立)巻第6「悲嘆部」には、
*帥大納言つくしにてかくれ給にけれは夢なとの心地してあさましさにかかる事は世の常のことそかなしとおもひなくさむれとこれは旅のそらにてものおそろしさもそひ人の心もかはらいたるようにてわか身もたひらかにとりつかんこともありかたかりむへきやうに覚てほけすくる程にをのつから涙の障に覚えける事をわさとにはあらぬとあきをきたる中にきぬの色なとかへける次によめる」(『群書類従』15(和歌部)巻254、38頁)
の序詞にあるように、帥大納言/源経信が永長2年(1097)に逝去した折に、残された歌群の一首に、
*たらちねに別ぬる身は唐人のこととふさへも此世にはにぬ
の詞書きには、「はかたにはへりける唐人とものあまたまうてきてとふらひけるによめる」とある。


2017年11月17日金曜日

『中右記』長承元年(1132)7月28日条の太宰府

「件の宋客弟、貨物を持ち、太宰府の間に来着し、人をして殺害され、唐房を焼かれし事」
この唐房がどこに位置したかは不明なままであるが、私見では、「太宰府市通古賀(とうのこが)」に比定したい。とうのこが=唐の古賀(「空閑地」=荒れ地)と解釈したいからである。

太宰府と蒙古襲来

学校では、蒙古軍が日本に押し寄せた時、彼らの目的地がどこであったか明記されていない。それはズバリ、九州の政治の中心地
*太宰府
であった。日本海に面する海岸の攻防を、教科書で「神風」として蒙古襲来を学習するだけにいかにも福岡を攻略すると錯覚しがちであるが、それは今風の読み方。彼らにとって、敵の本拠地である太宰府は蒙古軍が進撃したかった都市であった。

2017年10月22日日曜日

逢いたいはずなのに、「逢いたい」と言わない恋の歌1首(万葉集)

565番歌 賀茂女王の歌1首

大伴の見つとは言はじあかねさし 照れる月夜に直に逢へりとも

⇒「大伴の」は「見つ」にかかる枕詞。大阪の難波津の別名は「大伴の御津(三津)」。この地名を念頭においた知的コラージュ。

⇔「見つ」(逢いたい)と言いますまい。さきほど、あかねさす月夜の下で直接にお会いしたのに、それでも「もう一度、逢いたい」と言わないでおきます。

⇔いつの時代でも、「恋の炎」に身を焦がせば、「盲目」状態。「逢いたい、会いたい」。
本歌のように理性を働かせるのが良いか、それとも破滅的行動ともなろうとも行きつくところまで行くのが良いか。

⇒後に後悔しない選択をすべきだと愚考する。人生は1度きりだから。

⇒賀茂女王に関する説明は、後刻。



太宰府で歌われた恋の歌4首(万葉集)

太宰大監大伴宿禰百代の恋の歌4首

559番歌
事も無く生き来しものを老なみにかかる恋にもわれは会へるかも

560番歌
恋ひ死なむ時は何せむ生ける日のためこそ妹を見まく欲りすれ

561番歌
思はぬを思ふといはば大野なる三笠の社の神し知らさむ

562番歌
暇無く人の眉根をいたづらに掻くかしめつつも逢はぬ妹かも


2017年8月8日火曜日

960番歌の「次田(すきた)温泉(ゆ)」

*961番歌
「湯の原に鳴く蘆鶴はわがごとく妹に恋ふれや時わかず鳴く」
の帥大伴卿の、次田の温泉に宿りて、鶴が音を聞きて作る歌とある添え書きに
*「すき(次)た(田)」温泉の註に、我が恩師は、
*「福岡県築紫郡二日市町。武蔵温泉という。和名抄「御笠郡次田」。太宰府郊外の温泉であるから、役人は時々行ったであろう」
と記すが、大宰府と武蔵温泉との距離がいくらかをご存じでない。武蔵温泉で楽しんだ酔客が歩いて夜道を大宰府に帰るほどに近接している。

なお、「次」を「すき」と読むのは、
*島根県木次(き+すき)
に同一例を見る。


万葉集957番歌の「朝菜」とは?

957番歌
「いざ子供香椎の潟に白妙の袖さへぬれて朝菜摘みてむ」

この「朝菜」とは何だろうか。香椎の潟で「袖さへ濡らしつつ」摘む「朝菜」とは何だろうか?

2017年8月7日月曜日

万葉集675番歌の「草香江」は?

675番歌
*草香江の入江に求食る芦鶴のあなたづたづし友無しにして

我が恩師は、この「草香江」を

*大阪府枚方市日下町

だと解しているが、事実だろうか。

思いつきであるので、恩師の怒りを買いそうであるが、むしろ福岡市の草香江に比定すべきではないだろうか。


2017年8月6日日曜日

336番歌の「綿(わた)」とは?

336番歌の
*しらぬひ築紫の綿はつけていまだは著ねど暖かに見ゆ
に見える「綿(わた)」は何か?

*木綿=アオイ科の植物「ワタ」からとれる繊維で、英語ではcotton
*真綿(まわた)=絹の一種で、蚕で作った繊維

のいずれか?

正解は、真綿。

ところで、小椋佳の歌「真綿色したシクラメンより」という歌詞の「色」は、白。

大宰府の「筑前国蘆城の駅家」

『万葉集』巻4
*大宰府「筑前国蘆城の駅家」における送別宴
1,「蘆城」=今と成っては、その場所を特定できないが、「筑紫野市立阿志岐小学校」付近
2,「駅家=うまや」
3,餞=うまのはなむけ=馬の鼻向け

〒818-0011 福岡県筑紫野市阿志岐の地図


大伴旅人送別の宴
1,み﨑廻の荒磯に寄する五百重波たちても居てもわが思へる君
2,韓人の衣染むとふ紫の情に染みて思ほゆるかも
⇒「韓人」は「辛人」
⇒「なぜ、韓国と紫色とが直結するのか?」
⇒送別の宴で、この「韓人」が登場するのか?



2017年7月20日木曜日

大宰府の「梅の花」32首解釈

 正月立ち春の来らばかくしこそ梅ををきつつ楽しき終へめ 大弐紀卿(815)

⇒「正月」(「武都紀」=むつき)
⇒「かくしこそ」=「しこそ」とあるかぎり、逆説の意を持たない。
⇒「をきつつ」=「招き寄せて」
⇒「おへめ」=極めよう

  梅の花今咲けるごと散り過ぎず我が家の園にありこせぬかも 少弐小野大夫(816)
⇒「我が家」とは「わがFe]と読む。=「和我覇」と書く。wagaiFe→wagafe→wwagiFeと転。


  梅の花咲きたる園の青柳は縵(かづら)にすべく成りにけらずや 少弐粟田大夫
  春さればまづ咲く屋戸の梅の花独り見つつや春日暮らさむ 筑前守山上大夫
  世の中は恋繁しゑやかくしあらば梅の花にも成らましものを 豊後守大伴大夫
  梅の花今盛りなり思ふどち挿頭(かざし)にしてな今盛りなり 筑後守葛井大夫
  青柳梅との花を折り挿頭し飲みての後は散りぬともよし 某官笠氏沙弥 
  我が園に梅の花散る久かたの天より雪の流れ来るかも 主人
  梅の花散らくはいづくしかすがにこの城の山に雪は降りつつ 大監大伴氏百代
  梅の花散らまく惜しみ我が園の竹の林に鴬鳴くも 少監阿氏奥島
  梅の花咲きたる園の青柳を縵にしつつ遊び暮らさな 少監土氏百村
  打ち靡く春の柳と我が屋戸の梅の花とをいかにか分かむ 大典史氏大原
  春されば木末(こぬれ)隠りて鴬ぞ鳴きて去ぬなる梅が下枝に 少典山氏若麻呂
  人ごとに折り挿頭しつつ遊べどもいやめづらしき梅の花かも 大判事舟氏麻呂
  梅の花咲きて散りなば桜花継ぎて咲くべく成りにてあらずや 薬師張氏福子
  万代に年は来経(きふ)とも梅の花絶ゆることなく咲きわたるべし 筑前介佐氏子首
  春なればうべも咲きたる梅の花君を思ふと夜寐も寝なくに 壹岐守板氏安麻呂
  梅の花折りて挿頭せる諸人は今日の間は楽しくあるべし 神司荒氏稲布
  年のはに春の来らばかくしこそ梅を挿頭して楽しく飲まめ 大令史野氏宿奈麻呂
  梅の花今盛りなり百鳥の声の恋(こほ)しき春来たるらし 少令史田氏肥人
  春さらば逢はむと思(も)ひし梅の花今日の遊びに相見つるかも 薬師高氏義通
  梅の花手折り挿頭して遊べども飽き足らぬ日は今日にしありけり 陰陽師
  春の野に鳴くや鴬なつけむと我が家の園に梅が花咲く 算師志氏大道
  梅の花散り乱(まが)ひたる岡びには鴬鳴くも春かたまけて 大隅目榎氏鉢麻呂
  春の野(の)に霧立ちわたり降る雪と人の見るまで梅の花散る 筑前目田氏眞人
  春柳かづらに折りし梅の花誰か浮かべし酒坏の上(へ)に 壹岐目村氏彼方
  鴬の音聞くなべに梅の花我ぎ家の園に咲きて知る見ゆ 對馬目高氏老
  我が屋戸の梅の下枝に遊びつつ鴬鳴くも散らまく惜しみ 薩摩目高氏海人
  梅の花折り挿頭しつつ諸人の遊ぶを見れば都しぞ思ふ 土師氏御通
  妹が家に雪かも降ると見るまでにここだも乱(まが)ふ梅の花かも 小野氏国堅
  鴬の待ちかてにせし梅が花散らずありこそ思ふ子が為 筑前拯門氏石足
  霞立つ長き春日を挿頭せれどいやなつかしき梅の花かも 小野氏淡理

大宰府の大伴旅人(1)

当時、66歳であった大伴旅人は大宰府の帥。旅人の館(不詳)において、天平2年正月13日に、風流を楽しむ。

*春さればまづ咲く宿の梅の花独り見つつや春日暮らさむ(巻5、818番歌)
⇒宿(「耶登」=「登」は異例。本来であれば、甲類のドであるべきだが、その清濁の乱れ有り)
⇒「くらさ」=「くらすことであろうか」の意。

*わが園に梅の花散るひさかたの天より雪の流れ来るかも(巻5,822番歌)
⇒「ひさかたの天より雪の流れ来るかも」=「空より雪が流れ来るのであろうか」の意。

2017年7月17日月曜日

万葉集549番歌研究

万葉集549番研究

「太宰大監」をどう読むべきか?

「太宰大監」とは、一般的に「ダザイダイカン」と呼称されているが、

*「ダザイノダイゲム」

と読むべきだと知るべきである。


2017年4月3日月曜日

お勧めの大宰府名物--都府楼樹輪

大宰府と言えば、「梅ヶ枝餅」。確かにそうだが、おっと忘れていませんか。大宰府に名菓あり。
*「都府楼樹輪」

太宰府に、フランス菓子ジャン・ドゥあり。陶山忍シェフの自信作。

パイ生地に胡麻を練り込んだ絶品。

お勧め、

これ以外にも、ジャン・ドウには、いくつかの名菓有り。

http://www.jean-doux.jp/start/dazaifumeika.html

2017年3月29日水曜日





(2)『朝野群載』巻二十・異国承暦四年(一〇八〇)三月五日大宰府解 大宰府解申請官裁事。言上高麗国牒壹通状。右商人往二返高麗国一、古今之例也。因レ茲去年当朝商人王則貞、為二交 関一罷二向彼州一之間、礼賓省牒壹通、相二副錦綾麝香等一所レ進也。是則聞下医師経二廻鎮西一之由上。牒送旨、件則貞所 レ申也者。異国之事為レ蒙二裁定一、未レ検二知件錦綾麝香等一。何况不二請取一。先相二副牒状一言上如レ件。謹解。

大宰府のおすすめのお店「松井」--絶品な「天丼」

看板もないのにも拘わらず、抜群の集客力をほこるレストラン、いや食堂は絶品のメニューが提供され、地元の人々の舌を満足させるからである。
そのお店の一つが、太宰府市役所横の「松井」。
とにかく看板も、メニューを記載した張り物も何も見あたらない。よもやここが食堂とは、と怪しんでしまうほどである。そのお店でおすすめが「天丼」。

お上さんの言によると、浅草の大黒屋の味を強く意識したベースだそうで有るが、それを越えている。

メディア取材も一切拒否。

お上さんを信じれば、天丼以外のメニューもあるそうだが、他のお客様が天丼以外の品を食べている姿を見ていない。

*800円

絶品


2017年3月26日日曜日

大宰府の鷽替え行事

鷽替え行事
絵は斉藤秋圃。

福岡大学所蔵資料
"http://www.lib.fukuoka-u.ac.jp/e-library/tenji/wabi/wabi-html/ten/pa3-1-big.jpg">

鷽替【うそかへ】見開き写真

2017年2月19日日曜日

水城から木樋出土 ノーベル賞受賞を祝福? 86年ぶり大隅さん祖父が発見の場所 [福岡県]

水城から木樋出土 ノーベル賞受賞を祝福? 86年ぶり大隅さん祖父が発見の場所 [福岡県]

『 西日本新聞』2017/02/18付 朝刊によると、大宰府市にある水城から、次の発見があったという。写真に有るとおり、

「土塁南側の深さ1メートル未満の浅い地中から、底板や脇板とみられる遺構が出土。脇板は腐食した状態だが、底板の保存状態は良好という。」

2017年2月15日水曜日

五卿一行のルート

慶応元年(元治2年)、三条実美(従三位権中納言)ら5人の尊王攘夷派らが大宰府に追放された。