2016年7月9日土曜日

文明10年9月25日に、大宰府で大内氏と少弐氏との戦闘あり

豊後の大伴氏は鎌倉時代後期に筑前国怡土荘志摩および香椎を獲得した。怡土では柑士岳城が、そして香椎では立花城が軍事的拠点であった。
その後、建武政権から博多息浜も与えられる。

文明10年(1478)9月に、山口の大内政弘が九州に進軍し、9月25日に大宰府で少弐政尚軍に勝利し、筑前国を征討した。その後、文明10年(1478)10月に、大内政弘は代官として、
1,怡土荘志摩--谷川和泉守親貞
2,香椎ー大和次郎常長
3,博多息浜ー田原河内守貞成
を任じた。大宰府地域の行政官は誰であっただろうか。

その手がかりは、飯尾宗祇の紀行文にある。飯尾宗祇が太宰府に到着し、宿坊満盛院に宿泊したとき、大宰府の郡代深野筑前守(重貞か?)と面会したとある(『筑紫道記』)。

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