大谷大学所蔵の『高野雑筆集』がそれである。
空海の遺文を集めた書簡集。全72編。編者・成立年は未詳。内容は、空海が唐から請来した密教経論の複写や仏法流布への援助、紙や筆の所望などで、空海の思想が窺える。奥書から平安後期の勧修寺理趣院範杲の書写で、朱印記から高山寺旧蔵であることがわかる。本品は現存最古の写本。
■員数
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2冊
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■材質
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紙本墨書
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■形状
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粘葉装
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■法量
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各縦28.0×横15.9
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■時代
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日本・平安時代(承安元=1171)
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本書は空海研究に重要だが、その一方で本書下巻に義空宛書翰18通が所収されていることに注目したい。
高木訷元氏の研究によって判明していることであるが(「唐僧義空の来朝をめぐる諸問題」『高野山大学論叢』16合、1981年)、
1,徐公直から義空(5月27日)
2,徐公直から義空・道昉(5月27日)
3,徐公祐から義空(9月11日)
4,唐僧雲叙から義空(大中3年6月7日)
5,日本僧真寂から義空(9月13日)
6,李隣から義空(4月3日)
7,唐僧志円から義空(3月29日)
8,唐僧趙度から義空(5月27日)
9,唐僧趙度から義空(5月27日)
10,唐僧法満から義空(月日欠)
11,唐僧無無から義空(10月14日)
12,廖公著から某(9月14日)
13,徐公直から義空(大中6年5月22日)
14,徐公祐から義空(閏11月24日)
15,徐公祐から義空(10月15日)
16,徐公祐から義空(6月30日)
17,徐公祐から胡婆(6月30日)
18,徐公祐から義空(10月21日)
この16番(下巻27丁うら)には
「吾6月初発明州之□(弐拾)到鴻盧館」
とあり、徐公祐は明州を6月初めに出発し、20日に大宰府鴻盧館に到着したという。なお、同書簡には、徐公祐の「蘇州田稲32年全不収、用本至多」とあり、彼の出身地が蘇州であったと推定して良いだろう。17番には「州宅中婆満福、何父母並満福」ともあり、蘇州の自宅に一族が居住していたと考えて誤りは無い(「天台宗延暦寺座主円珍伝」『続群書類聚』巻212)参照のこと)。
18番(下巻28丁おもて)には、
「即此公祐在客之下、諸弊可悉、前月中京使至、竟謝垂情、特賜札示」
とあり、9月に京から唐物使が大宰府に到着した。それゆえに、徐公祐は6月20日から同年10月21日頃までは確実に大宰府に滞在していたらしい。その確実な滞在期間は不明であるが、例年、唐人商客らは6月に来訪し、10月から11月に帰国したので、それに反しない。貿易商人にとって、京都からの唐物使による購入が完了すれば、大宰府滞在の要はない。
ところで『日本三大実録』元慶3年(879)10月13日に、
「先是、府司申請、毎唐人来、募貨物直、借用庫物、交関畢後、以砂金、准官給綿、惣計返納」
とあり、その唐物購入の支払い方を推測させる。
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