2016年7月8日金曜日

大宰府特産品「鍋とガラス」の復活を

大宰府条坊東部の鉾の浦遺跡や観世音寺周辺(主に左郭9条6坊など)に同時期に鋳造工場が存在した。大宰府は九州最先端のテクノタウンであった。13世紀後半から14世紀初めのことである。砂型鋳造とは、溶かした金属(溶湯)を砂で作った鋳型に流し込んで製造する方法。冶工具に原材料をセットし、プレス機(ハンマー)で叩きながら、成型をするので、少量多品種の素材形状を得たい場合に適切である。したがって、小ロットでもコストメリットが出る。
さて花瓶・錫杖・環・鈴などの小型仏具は2カ所で製造されたが、愚見では観世音寺では高級品、鉾の浦では廉価品を製造したとみている。大伽藍を誇った観世音寺では多数の仏具が使用されただろうし、信者達も争って求めたに違いない。

ただし鉾の浦では梵鐘・灯籠座などの大型仏具なども制作されたらしいが。それは大量生産の必要も無く、また大型の製作スペースも必要となったので、観世音寺周辺で製作しなかったようである。
注目すべきは鉾の浦では鍋などの生活品を、観世音寺周辺ではガラス製品などの奢侈品を特産品としていたことである。当然ながら巨大な宗教タウン観世音寺への納品でもあり、また大宰府内の生活実用品でもあったが、九州全域への販売も視野に入れるべきであろう。
突然の提案であるが、もう一度、「大宰府特産品」として鋳造された生産品やガラス工芸品を復活してはどうだろうか。我と思もわん方は、大宰府商工会などに問い合わせてみたならば、どうだろうか。

なお、文治5年(1189)に大宰府鋳物師蔵人平井宗明が九州鋳師政所職に任ぜられたことが判明している(真鍋文書)。忘れてはならないのは、大宰府の名工丹治恒頼である。



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