2026年9月20日日曜日

兵部省に関する人事情報

 兵部省

『続日本紀』全文から、兵部卿・兵部大輔・兵部少輔を軸に、民部省と同じ方式で整理したい。

兵部省の人事情報

今回の暫定集計は、

官職人数
兵部卿21人
兵部大輔24人
兵部少輔16人
61人

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1.兵部卿

現段階で確認できる人物は 21人です。

No.年月日人物兵部省での職関連する記事・その後
1大宝2・6・24大伴宿禰安麻呂兵部卿大宝2年に兵部卿任官。
2慶雲2・4・22下毛野朝臣古麻呂兵部卿その後、和銅元年に式部卿へ転任。
3和銅元・3・13息長真人老兵部卿同年の官制再編で兵部卿に就任。
4霊亀元・5・22阿倍朝臣首名兵部卿養老6年、衛士の勤務・交替問題について上奏した兵部卿。神亀4年薨。
5天平3・8・11藤原朝臣麻呂兵部卿参議に登用。天平9年、陸奥方面への征討で持節大使。
6天平9・12・12藤原朝臣豊成兵部卿参議。天平12~13年には留守を担当。天平16年にも恭仁宮留守。
7天平16・2・2大伴宿禰牛養兵部卿恭仁宮留守。天平17年の新京移転時には兵部卿として大楯・槍の設置を担当。
8天平18・11・5石川朝臣加美兵部卿同年兵部卿就任。翌年3月薨。
9天平19・11・4多治比真人広足兵部卿その後中納言。天平宝字元年、政治上の理由から中納言を辞して散位に。
10天平宝字元・6・16石川朝臣年足兵部卿神祇伯兼任。のち中納言。さらに東海道巡察・伊勢神宮奉幣など重要任務。
11天平宝字元・8・4巨勢朝臣関麻呂兵部卿紫微大弼・侍従・下総守を兼任。官号改易記事にも登場。
12天平宝字8・10・9和気王兵部卿恵美押勝の乱に際し、兵を率いて中宮院を包囲。
13神護景雲2・2・18石川朝臣豊成兵部卿宮内卿などを経て兵部卿。
14宝亀元・9・16藤原朝臣蔵下麻呂兵部卿近衛大将兼任。宝亀5年には兵部卿から大宰帥へ転任。
15宝亀2・7・23藤原朝臣田麻呂兵部卿参河守兼任。
16宝亀5・9・4藤原朝臣継縄兵部卿その後、左兵衛督を兼ね、中納言へ。宝亀11年にも兵部卿として中納言に昇進。
17天応元・5・7藤原朝臣小黒麻呂兵部卿陸奥按察使・中務卿等を歴任。
18天応元・7・10藤原朝臣家依兵部卿下総守兼任。
19延暦5・2・17大中臣朝臣子老兵部卿神祇伯兼任。
20延暦5・6・9石川朝臣名足兵部卿皇后宮大夫・左京大夫・大和守などを兼任。延暦7年薨。
21延暦7・7・25多治比真人長野兵部卿近江守兼任。同年参議。

2.兵部大輔

確認できる人物は 24人です。

No.年月日人物兵部大輔として確認できる動き
1養老4・10・9石川朝臣若子兵部大輔
2天平4・10・17中臣朝臣東人兵部大輔
3天平10・閏7・7石川朝臣麻呂兵部大輔
4天平18・9・20藤原朝臣乙麻呂兵部大輔
5天平勝宝元・8・10大伴宿禰稲君兵部大輔
6神護景雲元・3・20淡海真人三船兵部大輔
7神護景雲元・8・11榎井朝臣子祖兵部大輔
8神護景雲2・2・18大伴宿禰益立兵部大輔
9神護景雲3・12・10佐伯宿禰助兵部大輔
10宝亀2・閏3・1石川朝臣名足兵部大輔。後に民部大輔、さらに兵部卿。
11宝亀3・11・1佐伯宿禰真守兵部大輔兼造東大寺次官。
12宝亀5・3・5紀朝臣広庭兵部大輔
13宝亀7・3・6豊野真人奄智兵部大輔
14宝亀9・2・23高賀茂朝臣諸魚兵部大輔
15天応元・10・4布勢朝臣清直兵部大輔
16延暦元・2・7巨勢朝臣苗麻呂兵部大輔
17延暦2・4・26海上真人三狩兵部大輔
18延暦2・5・15大伴宿禰益立兵部大輔
19延暦3・4・2大中臣朝臣諸魚兵部大輔・少納言如故
20延暦3・7・13大伴宿禰真麻呂兵部大輔
21延暦4・1・15大伴宿禰潔足兵部大輔
22延暦4・7・6紀朝臣作良兵部大輔
23延暦5・2・17石上朝臣家成兵部大輔
24延暦8頃~藤原朝臣雄友・安倍朝臣家麻呂・伊勢朝臣水通など後期には兵部大輔が軍事・衛府官職との兼任関係を強める。

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3.兵部少輔

確認できる人物は 16人です。

No.年月日人物関連記事
1養老5・6・26御炊朝臣人麻呂兵部少輔
2天平13・8・9多治比真人木人兵部少輔
3天平15・6・30大伴宿禰三中兵部少輔
4天平17・9・18藤原朝臣乙麻呂兵部少輔
5天平勝宝元・閏5・1紀朝臣男楫兵部少輔
6天平勝宝6・4・5大伴宿禰家持兵部少輔
7天平宝字元・6・17藤原朝臣縄麻呂兵部少輔兼侍従
8神護景雲2・閏6・3巨勢朝臣公成兵部少輔
9宝亀元・12・28石川朝臣真永兵部少輔
10宝亀3・9・29佐伯宿禰真守兵部少輔
11宝亀8・1・25藤原朝臣菅継兵部少輔
12天応元・4・1藤原朝臣菅継兵部少輔。伊勢・美濃方面の関防を担当。
13天応元・5・25藤原朝臣継彦兵部少輔
14延暦2・7・25石川朝臣宿奈麻呂兵部少輔
15延暦7・3・21紀朝臣永名兵部少輔
16延暦8・3・16安倍朝臣枚麻呂兵部少輔

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特徴的な官人を4名列挙したい。

阿倍首名

→ 兵部卿
→ 諸府衛士の逃亡・勤務制度について上奏
→ 制度改定

②藤原麻呂

→ 兵部卿
→ 陸奥の情勢を受けて持節大使
→ 出兵・征討

兵部少輔菅継

→ 越前への派遣
→ 関の警備

石川名足

→ 兵部大輔
→ 民部大輔
→ 大宰大弐
→ 左右大弁
→ 兵部卿


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この4名ほか、兵部省の特徴は後日に回す。

民部省とは何か?ーー民部卿14人+民部大輔17人+民部少輔17人=48人

 民部卿14人+民部大輔17人+民部少輔17人=48人

1)民部省人事・第一段階

現時点で『続日本紀』で確認できたものを、まず固定したい。

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民部省人事・

1)第一段階

現時点で全文から直接確認できたものを、まず以下の通りに固定したい。

年月日人物位階任官職兼官等人事の性格証拠
慶雲2・4・22巨勢朝臣麻呂従四位上民部卿任官A
和銅1・3・13多治比真人池守従四位下民部卿任官A
養老4・10・9大伴宿禰道足正五位上民部大輔任官A
養老4・10・9高向朝臣大足従五位下民部少輔任官A
天平10・1・26巨勢朝臣奈弖麻呂従四位下民部卿任官A
天平11・4・21巨勢朝臣奈弖麻呂従四位下民部卿春宮大夫兼官確認A
天平13・7・10藤原朝臣仲麻呂従四位下民部卿任官A
天平14・8・21多治比真人牛養従五位上民部大輔任官+臨時職A
天平18・3・10橘宿禰奈良麻呂正五位上民部大輔任官A
天平18・3・5紀朝臣麻呂従四位下民部卿任官A
天平18・4・11多治比真人土作従五位下民部少輔任官A
天平19・12・4当麻真人鏡麻呂従五位上民部大輔任官A
天平宝字8・9・25文室真人大市正四位上民部卿任官A
天平神護2・5・10百済王三忠従五位下民部少輔任官A
宝亀1・6・16田中朝臣多太麻呂正四位下民部大輔任官A
宝亀1・12・28紀朝臣広継従五位下民部少輔任官A
宝亀2頃石川朝臣真永従五位下民部少輔任官A
宝亀期石川朝臣名足正五位上民部大輔任官A
宝亀期多治比真人長野正五位上民部大輔任官A
宝亀期石川朝臣清麻呂従五位上民部大輔任官A
宝亀期石上朝臣家成正五位下民部大輔任官A
延暦期布勢朝臣清直正五位下民部大輔任官A
延暦期多治比真人宇美従五位上民部大輔任官A
延暦期粟田朝臣鷹守正五位下民部大輔任官A
延暦期和気朝臣清麻呂従四位上民部大輔摂津大夫兼官A
延暦6・10・24佐伯宿禰葛城従五位下民部少輔下野守兼官


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第2段階



一、民部卿――14人

No.人物民部卿の記事関連記事・その後読み取れること
1巨勢朝臣麻呂慶雲2・4・22、民部卿和銅元・3・13には左大弁民部卿→左大弁という中央上層官人間の移動
2多治比真人池守和銅元・3・13、民部卿天平2・9・8薨民部卿経験者がその後も中央上層に位置
3太朝臣安麻呂養老7・7・7、民部卿として卒卒伝によって民部卿在任が確認できる
4多治比真人県守天平3・8・11、民部卿同日、参議民部卿→参議。民部卿が政治中枢への入口になっている
5藤原朝臣房前天平9以前、民部卿天平9・4・17薨。10月に正一位左大臣追贈民部卿が参議・大臣級人物の職歴に組み込まれる
6巨勢朝臣奈弖麻呂天平10・1・26天平11・4・21「民部卿兼春宮大夫」民部卿+春宮大夫という兼官
7藤原朝臣仲麻呂天平13・7・3京都百姓宅地班給、平城留守、近江守兼任等民部卿が具体的な土地行政・京務を担当
8紀朝臣麻呂天平18・3・5同年9月、右衛士督兼任民部卿+軍事官司の兼任
9紀朝臣麻路天平勝宝元・4・5伊勢大神宮への奉幣を担当民部卿が国家祭祀案件にも投入される
10文室真人大市天平宝字8・9・25後に大納言・弾正尹等民部卿から上級官人層へ
11藤原朝臣縄麻呂宝亀初期参議・勅旨大輔・侍従、近江守兼任民部卿+参議+勅旨大輔+侍従という複合型
12藤原朝臣小黒麻呂天応元・7・10陸奥按察使、左京大夫等兼任民部卿と地方軍政・京職の接続
13佐伯宿禰今毛人延暦4・7・6参議・大宰帥へ民部卿→大宰帥という中央財政系官人の地方最高職への移動
14藤原朝臣継縄延暦5頃民部卿+東宮傅+造東大寺司長官延暦6には大納言兼民部卿として国家祭祀を担当




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3)民部大輔――17人

No.人物確認できる記事関連する行政行為・後職
1佐伯宿禰石湯和銅2・3・5、民部大輔征越後蝦夷将軍
2大伴宿禰道足養老4・10・9、民部大輔その後、右大弁等
3多治比真人牛養天平14・8・21、民部大輔装束司・後次第司
4橘宿禰奈良麻呂天平18・3・10、民部大輔後に政治中枢へ
5当麻真人鏡麻呂天平19・12・4民部大輔
6中臣朝臣益人天平勝宝元・8・10、兼民部大輔神祇大副との兼任
7石川朝臣名人天平勝宝6・4・5民部大輔
8石川朝臣人成神護景雲2・2・18民部大輔
9大和宿禰長岡宝字初、民部大輔後に河内守・右京大夫
10田中朝臣多太麻呂宝亀元・6・16民部大輔
11石川朝臣名足宝亀2・7・23民部大輔。後に造東大寺長官等
12多治比真人長野宝亀8・10・13民部大輔
13石川朝臣清麻呂宝亀11・3・17民部大輔
14石上朝臣家成天応元・5・25民部大輔
15多治比真人宇美延暦2・6・21民部大輔
16粟田朝臣鷹守延暦4・1・15民部大輔
17和気朝臣清麻呂延暦5・8・8民部大輔+摂津大夫+中宮大夫


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4)民部少輔――18人

No.人物確認できる記事備考
1巨勢朝臣真人養老4・3・4征隼人副将軍
2高向朝臣大足養老4・10・9民部大輔道足と同時任官
3多治比真人国人天平10・閏7・7民部少輔
4多治比真人土作天平18・4・11後に兼官・他官へ
5藤原朝臣宿奈麻呂天平宝字元・6・16民部少輔
6百済王三忠天平神護2・5・10民部少輔
7紀朝臣広継宝亀元・12・28民部少輔
8石川朝臣真永宝亀2・閏3・1民部少輔
9佐伯宿禰久良麻呂宝亀2・7・23民部少輔
10多朝臣犬養宝亀8・10・13民部少輔
11多治比真人継兄宝亀11・3・17民部少輔
12紀朝臣作良宝亀10・9・28民部少輔
13多治比真人宇美延暦2・2・25民部少輔
14紀朝臣豊庭延暦2・6・21民部少輔
15中臣朝臣常延暦2・7・25民部少輔
16巨勢朝臣人公延暦6・2・8民部少輔
17佐伯宿禰葛城延暦6・10・24民部少輔+下野守
18大伴朝臣?※この欄は現段階では追加確認を要する

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この記録を通覧すると、民部省内の祖式は、



大輔

少輔

という縦型組織として理解できるが。実際の動きは大きく異なる。

民部卿:土地・京・留守・祭祀・地方統治

民部大輔:装束司・後次第司・地方行政・水利・郡域問題

民部少輔:軍事動員・地方官・下野守などとの兼任

というように、かなりことなる業務分野をカバーしている。

そして何より、

  民部省の官人が民部省だけに専管していないこと

に注目したい。たとえば、

  • 中臣益人:神祇大副+民部大輔
  • 和気清麻呂:民部大輔+摂津大夫+中宮大夫
  • 藤原継縄:民部卿+大納言+東宮傅+造東大寺司長官
  • 藤原縄麻呂:民部卿+参議+勅旨大輔+侍従
  • 藤原小黒麻呂:民部卿+陸奥按察使
  • 佐伯今毛人:民部卿→大宰帥

と見るように、民部省の高官たちに要求された能力は多彩であった。これまでの

①年月日
②人物
③位階
④前職
⑤任官職
⑥兼官
⑦後職……

に加えて、

⑬「任官後、何の行政情報を扱ったか」

を入れなくてはならないほどである。

たとえば、

藤原仲麻呂

民部卿

京都百姓宅地班給

平城留守

近江守兼任

多治比牛養

民部大輔

装束司

後次第司

和気清麻呂

民部大輔+摂津大夫

河内・摂津水利問題

河西百姓の郡域問題

実際の工事担当

という「行政履歴」に変換すると、、

官職 → 情報 → 判断 → 行政行為 → 次の官職

という人事ラインが引ける。

律令時代の各官衙の人事関係記録統一フォーマット

 

今後の統一フォーマット


項目内容
①年月日『続日本紀』の年月日
②人物任官者
③位階任官時の位階
④前職「○○為△△」から判明する場合
⑤任官職卿・大輔・少輔・丞・史生等
⑥兼官「兼」「如故」など
⑦後職次に確認できる人事
⑧人事の種類新任・昇進・転任・兼任・再任・解任等
⑨関連人物同時に動いた人物
⑩記事の性格任官/叙位/制度変更/人事評価等
⑪史料上の意味その記事から確認できること
⑫証拠の強さA=直接、B=強い関連、C=推定

『式部省に関する人事情報ーー『続日本紀』に見る式部省関連記事分析を通して

  式部省には、

国司の功過・行能・景迹

考状

式部省

巡察所見との勘会

人物の銓衡・黜陟

太政官

という、かなり明瞭な情報処理回路が史料上で確認できる。

さあ、その組織は、

   ①式部卿

②式部大輔
③式部少輔
④式部員外大輔・員外少輔
⑤式部少丞・大丞
⑥式部省官人の兼官・転任・死亡
⑦人物伝に現れる式部省在任歴

1)まず「任官記事」の時系列化

年月日人物位階式部省職記事の性格
大宝2・正月17日大伴宿禰安麻呂従三位式部卿任官
慶雲3・7月11日巨勢朝臣太益須従四位上式部卿任官
和銅1・3月13日下毛野朝臣古麻呂従四位上式部卿任官
養老2・9月19日藤原朝臣武智麻呂従四位上式部卿任官
同日穂積朝臣老正五位上式部大輔任官
同日中臣朝臣東人従五位下式部少輔任官
同日波多真人与射従五位下式部員外少輔任官
養老4・10月9日大伴宿禰祖父麻呂式部少輔任官
同日巨勢朝臣足人従五位下式部員外少輔任官
養老5・6月26日紀朝臣為臣麻路従五位下式部少輔任官
同日下毛野朝臣虫麻呂従五位下式部員外少輔任官
天平13・7月23日紀朝臣麻路正五位上式部大輔任官
天平15・6月30日大原真人麻呂従五位下式部少輔任官
天平17・9月13日巨勢朝臣堺麻呂従五位上式部少輔任官
天平18・3月5日藤原朝臣仲麻呂正四位上式部卿任官
天平18・3月10日平群朝臣広成正五位上式部大輔任官
天平18・11月5日巨勢朝臣堺麻呂従五位上式部大輔昇進・転任
天平勝宝6・7月13日阿倍朝臣小嶋従五位下式部少輔任官
天平勝宝?※要本文照合
天平宝字8・10月29日石川朝臣永年従五位下式部少輔任官
神護景雲1・3月20日紀朝臣広名従五位下式部大輔任官
同日藤原朝臣小黒麻呂従五位下式部少輔任官
神護景雲1・8月29日布勢朝臣人主従五位上式部大輔任官
宝亀元・6月3日藤原朝臣家依正五位上式部大輔任官
宝亀元・9月16日藤原朝臣宿奈麻呂従三位式部卿任官
宝亀元・10月23日多朝臣犬養従五位下式部少輔任官
宝亀2・閏3月1日藤原朝臣家依従四位上式部大輔再任・転任
宝亀2・11月19日紀朝臣古佐美従五位下式部少輔任官
宝亀5・3月5日藤原朝臣是公正四位下式部大輔兼任兼官
宝亀7・3月6日多朝臣犬養従五位下式部少輔任官
同・3月24日石川朝臣真守従五位上式部少輔転任
宝亀10・9月28日藤原朝臣雄依従四位下式部員外大輔任官
天応1・6月27日藤原朝臣是公正三位式部卿兼中衛大将任官
延暦1・8月25日石川朝臣真守正五位下式部大輔任官
延暦2・5月15日紀朝臣古佐美従四位下式部大輔任官
延暦2・7月25日藤原朝臣種継従三位式部卿兼近江按察使任官
延暦4・8月14日笠朝臣江人従五位下式部少輔任官
延暦5・2月17日紀朝臣船守従三位式部卿兼任
同日大中臣朝臣諸魚正五位上式部大輔任官
延暦6・3月22日安倍朝臣広津麻呂従五位上式部少輔任官

このうち、たとえば養老2年9月19日の記事は、卿・大輔・少輔・員外少輔を一挙に配置しているので、式部省の組織構成を見るうえで、重要視して良い。


また、養老4年10月9日には式部少輔と員外少輔が同時に置かれ、養老5年6月26日にも少輔・員外少輔がセットで現れます。


2)「人事の流れ」

1 式部卿は、最初から「別格の人事ポスト」

大宝2年の大伴安麻呂から始まり、慶雲3年の巨勢太益須、和銅元年の下毛野古麻呂へと続きく、一連の人事を時系列でみると。

特に和銅元年3月13日の記事は、

中納言

左右弁

式部卿

治部卿
民部卿
兵部卿……

という形で六省卿が一斉に配置される記事となっている。しかも、『続日本紀』の和銅6年の記事には、

「銓衡人物。黜陟優劣。式部之任。務重他省。」

とありる。この記述によると、「式部省の職掌説明」ではなく、人事権を扱う官司として式部省を国家自身がどう位置づけていたかを示す一次史料と言わざるを得ない。


2)「人事情報データ」との接続

たとえば、

藤原家依

を見ると、

  • 宝亀元年6月3日 式部大輔
  • 宝亀2年閏3月1日 式部大輔
  • 宝亀元年の別記事では兼官
  • その後さらに別官へ展開

というように、単発の「任官記事」ではなく、

式部大輔というポストを経由して、その人物がどこへ動いていくか

を追える。宝亀2年閏3月1日の式部大輔任官も本文で確認できます。

同じことが紀古佐美にもできる。

  • 宝亀2年11月19日 式部少輔
  • 延暦2年5月15日 式部大輔
  • 延暦4年10月12日 式部大輔兼参議
  • その後も式部大輔として「如故」

という少輔→大輔→参議級官人という移動ルートを追える。宝亀2年11月19日の少輔任官、延暦2年5月15日の大輔任官

3)「式部省人事」と「人事そのもの」の関係

『続日本紀』には式部省について、

「凡国司。毎年実録官人等功過行能并景迹。皆附考状申送式部省。省宜勘会巡察所見。」

という記事に出会う。国司について、

国司の実績記録
→ 考状
→ 式部省
→ 勘会
→ 人事

という回路が史料上確認できる。さらに和銅6年には、

「銓衡人物。黜陟優劣。式部之任。」

と明記される。我々にとって、

「正税帳を読んだ人間が、何を疑い、何を確認し、何を評価したのか」


人事評価

任官・除目

という問題と、かなり強く接続する。

4)「式部省表」の4層構造

A ポスト

式部卿/大輔/少輔/員外大輔/員外少輔/少丞……

B 人物

誰がそのポストに就いたか。

C 前後の人事

その人物が

どこから式部省へ来たのか
式部省からどこへ出たのか
兼官したか
昇進したか
死亡したか

D 式部省がその人物について何をしたか

ここが本丸です。

たとえば、

考状

式部省の勘会

銓衡

黜陟

任官

という**「人事情報の処理過程」**まで拾う。

単なる官職表ではなく、

式部省は、どのような情報を受け取り、誰について判断し、その判断がどのような人事記事として『続日本紀』に現れるのか

を追いたい

5)式部省の「人事記事」と「式部省の職務記事」

例えば大宝元年には、

「本司月終移式部。然後、式部抄録。申送太政官。」

とあり、これは式部省が他司から人事情報を受け取り、抄録して太政官へ送る処理である。

さらに大宝3年には、

「巡察使所記諸国郡司等、有治能者。式部宜依令称挙。」

とあり、巡察情報から式部省が人材を挙げる。そして和銅元年には、式部史生の不正・審査漏れまで問題になる。式部省そのものの人事記録

だけでなく、

式部省が「人事情報を処理した記録」

がある。。