『出雲国計会帳』を「一道」で読む
――五味先生との対話から生まれた15項目方式
1 「重箱の隅」に穴を開ける
五味晋先生:
僕が紹介する前に、すでに市大樹さんの論文を読んでいたので、少し驚いたよ。最近、頑張っているね。
私:
ありがとうございます。
最近、『出雲国計会帳』を読み直しているのですが、先生から以前いただいた山陰道節度使、多治比県守についてのアドバイスが、思いのほか大きかったんです。
それまで私は、節度使を、
「出雲国に命令を出した軍事官」
くらいに考えていました。ところが、計会帳を一つ一つ追っていくと、どうもそれでは収まりません。
節度使から出雲国へ、
- 人事
- 兵士
- 武器
- 馬
- 布帛
- 輸送
- 烽
- 公文書
- 規程
- 使者
に関する文書が送られている。一方、出雲国から節度使へも、解文などが送られている。
すると、節度使を単独の「軍事官」として見るより、
節度使を核として、人・物・情報・公文書が動くネットワーク
として見た方がよいのではないか、と思い始めました。
五味晋先生:
そうだね。
ただ、「ネットワーク」と言うだけでは、まだ抽象的すぎる。誰が、いつ、誰に、何を送り、それがどうなったのか。そこまで追ってみたらどうだい。
私:
つまり、
誰が命令を書いたのか
↓
誰が運んだのか
↓
どこを通ったのか
↓
誰が受け取ったのか
↓
何を処理したのか
↓
その結果、次にどんな文書が生まれたのか
まで追う。
五味晋先生:
そう。
制度としての「節度使」ではなく、
節度使という制度が、実際に仕事をした瞬間
を捕まえるんだ。
私:
なるほど。
先生が以前おっしゃった、
「重箱の隅もつついている感じがしても、錐で穴が開いたならば、そこから抜け出た世界は広い。その感動だよ、勉強は」
という言葉を思い出しました。
五味晋先生:
本気でそう思っているのかい?
私:
……疑われていますね(笑)。
2 まず「一道」に切ってみる
私:
そこで、計会帳を読む方法を変えてみました。全体をいきなり推計するのではなく、現存する記事を一つずつ切り出す。
まずは、まとまっている
「節度使符参拾弐条」
を取り上げました。
32条です。
たとえば、
天平五年八月二十日
符壱道
〈国造帯意宇郡大領外正六位上勲十二等出雲臣広嶋追状〉
以八月廿五日到国
とある。
これなら、
8月20日発信 → 8月25日到着
という一本の動きを確認できます。
そこで私は、これを、
S02=一道001
のように登録していくことにしました。
五味晋先生:
それはいい。
ただし、「一道」という言葉を、すぐに「一本の道路」と理解してはいけないよ。
私:
はい。
そこは重要だと思っています。
計会帳に「壱道」と記載されていること自体を、まずデータとして保存する。
「一道」が具体的にどのような送達単位なのかは、その後に考える。
五味晋先生:
その方がいい。
史料に書いてあることと、君の解釈を最初から混ぜないことだ。
3 「四巻二紙」をどう数えるか
五味晋先生:
では、少し難しい問題を出そう。
「申送公文肆巻弐紙」
これはどう数える?
私:
……。
これは、いきなり「六通」と数えてはいけないですね。
「四巻二紙」は、少なくとも、
- 記事
- 文書
- 巻
- 紙
という異なる単位を含んでいます。
したがって、
記事単位
文書単位
巻単位
紙単位
を分けて記録した方がよい。
五味晋先生:
そう。
そして、「一道」と「巻」と「紙」を同じ数字にしてはいけない。
これは後で非常に重要になる。
私:
そこで、データベースでは、
「何の記事か」
「何道か」
「何巻か」
「何紙か」
を別フィールドにすることにしました。
4 まず32道を並べてみる
私:
実際に32道を並べてみると、面白いことが分かってきました。
例えば、
8月20日発 → 8月25日着
は5日。
一方、
3月25日発 → 4月1日着
は7日。
さらに、
2月5日発 → 3月23日着
は46日。
そして、
4月12日発 → 5月22日着
は40日。
五味晋先生:
ずいぶん違うね。
私:
はい。
だから、
「節度使から出雲まで○日で届いた」
と平均値だけを出してしまうのは危険です。
むしろ、
なぜ46日なのか。
なぜ7日なのか。
なぜ40日なのか。
を調べなければならない。
五味晋先生:
その通り。
「平均」を出す前に、「異常値」を見なさい。
異常値には、行政の仕組みが隠れているかもしれない。
私:
まさに、先生の言う「錐の穴」ですね。
5 「一道」を並べると、文書がつながってくる
私:
さらに面白いのは、同じ人物や同じ案件について、複数の文書が現れることです。
例えば巨勢朝臣首名。
8月20日には、
介正六位上勲十二等巨勢朝臣首名鎮所参向事
という記事がある。
そして後には、
介正六位上勲十二等巨勢朝臣首名事訖却還任所状
が出てくる。
つまり、
参向
↓
任務
↓
事訖
↓
帰還
という一連の行政過程を考えられる。
五味晋先生:
そこだよ。
一通ずつ読むだけでは、「別々の記事」に見える。
しかし、人物や案件をキーにして結び直せば、
一つの行政案件が複数の文書を発生させた
ことが見えてくる。
私:
だから「次に発生した文書」という項目が必要になる。
6 「烽」を追う
私:
その典型が烽です。すでに先行研究もあるが、
例えば、
3月3日
「応置烽処状」
さらに、
3月25日
「置烽期日辰放烽試互告知隠伎相共試状」
4月1日到着。
そして、
4月6日
「出雲隠伎二国応置烽状」
4月12日到着。
さらに出雲側から、
「出雲与神門弐郡置烽三処申送事」
と送っている。
そして、
「烽相試状」
も現れる。
五味晋先生:
つまり、
命令
↓
実施
↓
試験
↓
結果報告
という流れが見える可能性がある。
私:
そうなんです。
一つ一つの「一道」をバラバラに数えるだけではなく、
一つの行政案件が何本の文書を生み出したか
を見る。
これが今回の一番大きな発見かもしれません。
7 12項目から始める
私:
そこで、最初は12項目にしました。
① 発信日
② 到着日
③ 発信主体
④ 作成官司
⑤ 宛先
⑥ 文書形式
⑦ 内容
⑧ 道数
⑨ 携行者
⑩ 経路
⑪ 到着後の処理
⑫ 次に発生した文書
五味晋先生:
うん。
でも、実際に史料を切り始めると、もう二つ必要になってくる。
私:
何でしょう?
五味晋先生:
⑬ 証拠の強さ
例えば、
- A=計会帳に明記
- B=他記事との照合でほぼ確実
- C=有力推定
- D=仮説
だ。
これを入れておかないと、あとで、
「これは史料に書いてあるのか?」
が分からなくなる。
私:
確かに。
そしてもう一つは、
⑭ 文書の状態
ですね。
- 現存記事
- 欠損
- 断簡
- 前後欠
- 文書束
- 巻
- 紙
- 道数明記
など。
五味晋先生:
そう。
史料の状態もデータにしておいた方がいい。
8 最後の一項目
私:
ところが、ここで私は迷いました。
12項目の中に、
⑪ 到着後の処理
があります。
ところが、実際に追跡してみると、
「文書を受け取った」
ことと、
「その文書によって人や物や別の文書が動いた」
ことは、どうも同じではない。
五味晋先生:
そこは分けた方がいい。
私:
例えば、
節度使符
↓
出雲国に到着
↓
国府が受領
↓
人を召喚
↓
伝馬を出す
↓
返答文書を作る
↓
節度使へ申送る
という場合、
「到着後の処理」と「その結果として起こった行政行為」は違います。
五味晋先生:
その通り。
だから、
⑪ 到着後の処理
文書そのものがどう扱われたか
と、
⑮ 到着後の行政行為
その文書を契機として、人・物・金・情報・別の文書がどう動いたか
を分けたらいい。
私:
なるほど。
そうすると、この研究の対象は単なる「文書物流」ではなくなります。
文書が行政行為に変わる瞬間
を追える。
五味晋先生:
そういうことだ。
9 15項目「一道データ・フォーマット」
私:
では、最終的にこうしましょう。
| No. | 項目 | 何を見るか |
|---|---|---|
| ① | 発信日 | 文書が発信された日 |
| ② | 到着日 | 相手側への到着日 |
| ③ | 発信主体 | 節度使・国司・中央官司・他国など |
| ④ | 作成官司 | 実際の文書作成主体 |
| ⑤ | 宛先 | 文書の受信主体 |
| ⑥ | 文書形式 | 符・解・移など |
| ⑦ | 内容 | 文書が扱う案件 |
| ⑧ | 道数 | 「壱道」「弐道」など |
| ⑨ | 携行者 | 使・駅使・大帳使など |
| ⑩ | 経路 | 確認できる送達経路 |
| ⑪ | 到着後の処理 | 受領・確認・保管・回答など |
| ⑫ | 次に発生した文書 | 当該案件に続く文書 |
| ⑬ | 証拠の強さ | A~D |
| ⑭ | 文書の状態 | 完存・断簡・欠損・束・巻・紙など |
| ⑮ | 到着後の行政行為 | 人・物・金・情報・文書に生じた変化 |
五味晋先生:
これならいい。
そして大事なのは、最初から全部埋めようとしないことだ。
分からなければ、
「不明」
でいい。
推定なら、
「C」
と書けばいい。
私:
つまり、
空欄を恐れない。
五味晋先生:
そう。
分からないことを「分からない」と記録するのも、研究だよ。
10 「計会帳」の数字は最後に出す
私:
では、作業手順も決まりました。
第一段階
現存する記事を一つずつ「一道」に分解する。
↓
第二段階
発信日・到着日を付ける。
↓
第三段階
発信主体・作成官司・宛先・携行者を特定する。
↓
第四段階
同一人物・同一案件について文書を結び直す。
↓
第五段階
文書の連鎖から、行政行為を復元する。
↓
第六段階
最後に、公文書の総数や送達量を集計する。
五味晋先生:
それでいい。
数字は最初に決めるものではない。
データを作った結果として、数字が出てくる。
私:
なるほど。
そうすると、最終的に問えるのは、
「天平五~六年、出雲国府では何通の公文書が動いたのか」
だけではない。
むしろ、
「その公文書は、何のために動いたのか」
です。
五味晋先生:
そうだね。
そして、その先にもっと大きな問いがある。
文書は、行政の中で何をしたのか。
私:
……。
それは、かなり大きな問いですね。
五味晋先生:
だから面白いんだよ。
11 「一道」から見えてくるもの
『出雲国計会帳』を15項目の「一道データ・フォーマット」に置き換えると、計会帳は単なる文書の発送記録ではなくなる。
一つ一つの文書について、
発生
↓
発信
↓
移動
↓
到着
↓
受領・処理
↓
行政行為
↓
次の文書
という過程を追跡できるからである。
そして、ここから初めて、
「制度としての律令国家」ではなく、「文書を送り、人を動かし、物を動かし、返答を求め、確認し、次の文書を生み出す国家」
という、もう一つの律令国家像が見えてくるかもしれない。
私はこれを、仮に、
「現場のロジック」「現場の行政」
と呼んでみたい。「一道」とは、単なる文書の数え方ではない。
それは、
一つの行政情報が、どこから生まれ、誰によって運ばれ、誰に届き、何を動かし、次の情報を生み出したのか
を追跡するための、最小の分析単位なのである。
そして、この15項目方式を、私は正式に、
「一道データ・フォーマット」
と呼ぶことにしたい。
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