2026年9月18日金曜日

「富豪」とは何者だったのかーー財の所有者ではなく、資源を動かす主体

 

「富豪」とは何者だったのか

――財の所有者ではなく、資源を動かす主体

1 問題の出発点

「富豪」と聞けば、まず「財産を多く所有する人」を思い浮かべる。それだけの理解でよいだろうか、本稿の問題設定は、ここにある。その問題を解くカギを求めて、『類聚三代格』に現れる「富豪」の用例を並べてみると、この理解だけでは説明しきれないことに気づく。本稿では、まず『類聚三代格』に考察範囲を限定して、拙見を紹介したい。

①富豪は、郡司として選抜される。
②飢饉の際には、その財産を実録され、稲穀を困窮者に貸し付ける対象となる。
③良田を集中させる。
④疫病の際には私財を投じて病人・飢人を救済する。
⑤駄馬を利用した運送に関わる。
⑥銭を蓄積する。
⑦富豪宅には大量の稲が蓄積される。
⑧唐人商船の唐物を買い付ける。
⑨麦を売買・蓄積する。

ここで目を引くのは、「富豪」が所有する財の種類の多さである。

  「土地、稲、銭、麦、馬、交易品。」

しかし、もっと重要なのは財の種類ではない。それぞれの事例において、富豪の財が何らかの社会的作用を発生させていることである。

そこで、私は次のような作業仮説から出発したい。

富豪とは、単に大量の財を所有する者ではなく、一定規模の資源を蓄積し、それを保有・運用・交換・移送・貸付・供給することによって、地域社会において無視できない経済的作用を発生させる主体である。

したがって、「富豪」を理解するためには、

「どれだけ持っているか」

だけではなく、

「何を持ち、それをどう動かしていたか」

を見る必要がある。

2 富豪は行政資源

最も象徴的なのが、斉衡二年の恵奈郡の事例である。恵奈郡では、坂本駅と阿智駅との間の険しい交通事情によって駅子の負担が極めて重く、駅子の多くが疲弊していた。そこで中央政府は、

「諸郡司之中富豪恪勤者」

を選び、

「募以五位、期三年内令治件郡」

とした。注目すべきなのは、「富豪だから排除する」という発想ではない。むしろ逆である。

   富豪であることが、郡行政を担わせる条件の一つとして利用されている。

しかも単なる「富豪」ではない。「富豪恪勤者」である。したがって、この場合、国家が評価しているのは財産だけではない。資力と勤務能力の組み合わせである。富豪の資力を行政能力として利用する。これは、「富豪=国家の外側にいる在地有力者」という単純な図式を考え直す適切な例だと考える。

3 「国家財政の不足」はどこから補填する、富豪の財から。

承和七年の事例は、さらに直接的である。「飢饉によって倉廩が空になり、国家だけでは救済できない。」。そこで、

「宜遣使者実録富豪之財、借貸困窮之徒」

とする。「富豪の財産を調査し、それを困窮者に貸し付けるのである。」発想である。よく考えてみると、中央から派遣されてきた国司が困窮者に貸し付ける稲を持っているはずはない。確かに制度上では、自然災害やパンデミックなどで不足する米は、官衙の倉庫に「不動穀」などとして保存されている。そうした官倉にある穀物を困窮者に配布するにも、また官倉の鎰を開けるにしても、そのたびに中央の許認可が必要であったし、鎰そのものが中央にあった。

ここで富豪の財産は、単なる私有財産ではない。

国家の救済能力が不足したときに、地域社会に存在する余剰資源として把握され、動員される財が、富豪の財である。しかも対象は、

「王臣百姓」

を問わない。ここには、富豪の財を公的な救済システムに接続する発想を見ることができる。

富豪の財 → 国家による把握 → 困窮者への貸与

という資源移動を想定して良いだろう。富豪は「金持ちだから存在する」のではない。その富が、社会のなかで動かすことのできる資源だからこそ、国家にとって意味を持つのである。

4 富豪と良田

紀伊国の事例になると、様相は一変する。そこでは、

「良田多帰富豪之門」

とされる。良田が富豪の門に集中している。その結果、

「出挙徒給貪弊之民、収納難済、官物自失」

という問題が発生するのは当然である。富豪の存在が行政にとってむしろ悩みのたねとなる。ここでも重要なのは「富豪」という人間そのものではない。問題化したのは、

   良田が富豪に集中することによって、公的な出挙・収納の仕組みが機能しにくくなる

   こと

である。それゆえに国家が直面した課題は、「富豪が金持ちであること」ではなく、彼らが租庸調収税システムに対して大きな影響を与え始めたからである。

富豪への資源集中が公的システムにどのような影響を与えるか

なのである。「富豪」の両義性が現れたと言えるが、その一方で、国家にとって必要な資源を持っているからこそ富豪を利用することが、国衙・郡衙にとって不可欠となった。ただし、その資源が過度に集中すれば、公的な徴収・貸付システムを阻害する。同じ富豪が、

行政資源にもなり得れば、行政上の障害にもなり得る。

5 富豪宅の「稲」

貞観十年の事例では、

「富豪宅取其所蓄之稲」

という表現が登場する。この事例では富豪宅に稲が蓄積されている。しかし、その稲は単なる食料備蓄ではない。王臣家との私的債務関係のなかで、富豪宅の稲が封鎖・取得の対象となっていた。この稲は保有されている資産であると同時に、債務の決済に利用できる資源でもある。注目すべきは、富豪の特徴が一段と鮮明になり、富豪とは単に「稲を持っている人」ではない。むしろ、

大量の稲を蓄積し、それを貸付・徴収・債務決済などの経済関係のなかで動かすことのできる人

として人々に認識されている。それゆえに、もはや「富豪の富」は静止した財産ではない。関係のなかで動く資産なのである。


6 「貯める」ことと富豪の能力

ここで⑥の貞観九年の「貯銭」禁止令を取り上げたい。この史料では、

「畿外諸国富豪之輩」

による銭の大量の蓄積が社会問題化してきた。しかも畿外・諸国の富豪之輩とあるので、その数は決して無視できなかったはずである。この記事から判明する事実は、「富豪=富を動かす」という通説の補強材料でもあることだ。なぜなら、ここでの問題は「動かすこと」ではなく、むしろ貯蔵だからである。しかしながら、本稿の論者にとって、これだけで我々の作業仮説の反証材料となるとは考えない。

「富を動かす能力」の前提として、「富を蓄積する能力」がある

と考えた方がよいからである。

  •   土地を取得する。
  •   稲を蓄積する。
  •   銭を蓄える。
  •   商品を仕入れる。

 これらはすべて、資源を一時的に保有し、必要な時点まで保持する能力を前提としている。したがって、富豪を特徴づけるのは「流動性」だけではない。富豪の能力とは蓄積と運用の両方だからである。

7 富豪の経済活動は在地の外へ

さらに⑤を見ると、富豪の活動範囲は土地や農業だけではないことがわかる。昌泰二年の上野国解では、

「坂東諸国富豪之輩、啻以駄運物」

とある。富豪たちは駄馬を使って物資運搬に従事することで富を蓄積していた。ところが、その物資輸送が盗賊集団と結びつく。山道の駄を奪って海道へ運び、海道の馬を奪って山道へ向かう。ここでは富豪の経済活動は、

    物資 → 駄馬 → 運送 → 道路 → 市場

という流通回路のなかに位置している。これまで以上に関心を寄せるべきは、富豪らは農地を所有するだけの地主にととまっていないことである。

   物資を移動させる能力を持つ主体

でもあった。彼ら富豪の資力を考える際には、

   生産資源

だけでなく、

   流通資源

を考えなければならず、その利潤も相当高かったはずである。

8 唐物を購入する富豪

 延喜三年の唐物禁制の事例に移りたい。富豪らはさらに遠距離交易の世界へと駆け回る姿を映し題している。

唐人商船が来着すると、

「郭内富豪之輩心愛遠物、踊直貿易」

とされる。富豪は国内の土地や稲だけに縛られている存在では、もはやない。唐人商船がもたらした「遠物」を購買するだけの財力を蓄えていた。海外交易によって供給された商品を購入できるだけの購買力を持ちはじめた富豪らの商行為によって、商品価格や公的な交易秩序に影響を与えるほどの存在へと成長した。なお、この史料には、輸入物品のバイヤーと描かれているが、自然流れとして来日した唐人商船が「積載荷物なしのカラ状態」で帰国の土地についたとは想定しがたい。むしろ日本産の商品に着目して、その利益率の高い産品の可発を富豪とともに行うことも、十分に想定して良いン違いない。ここでも重要なのは財産額そのものではない。

  富豪の購買力・交易品開発力が市場に作用していることである。

9 麦をめぐる富豪

弘仁十年の麦売買禁止も同じである。

ここでは、

「富豪之輩不顧憲式」

とされ、

「売麦忘食、積習為常」

とある。

富豪は麦を売る。

あるいは麦を蓄積する。

その行動が、凶作・食糧不足の時期には社会全体の食糧供給に影響する。

ここでも富豪の問題は「金持ちであること」ではない。食糧という重要資源を一定規模で保有し、それを売買する能力を持つことが問題になっている。したがって、

土地・稲・銭・麦・唐物・駄馬

という一見ばらばらな史料は、実は一つの視点から結びつけることができる。それは、

「誰が、どの資源を、どれだけ蓄積し、どのように動かすことができたのか」

という問いである。

10 「富豪」は地域経済のノード

ここまで11例を横断すると、富豪の姿がかなり変わってくる。

富豪は、

  • 土地を持つ。
  • 稲を蓄える。
  • 稲を貸す。
  • 銭を蓄積する。
  • 麦を売る。
  • 馬を使って物資を運ぶ。
  • 唐物を買う。
  • 私財を救済に投入する。
  • 場合によっては郡行政そのものを担う。

これらを一枚の図にすれば、

土地 → 生産 → 稲穀 → 蓄積 → 貸付・交換 → 銭・商品 → 運送 → 交易

という複数の資源循環が見えてくる。

もちろん、すべての富豪がこの全過程を一人で担ったという意味ではない。

重要なのは、富豪がその一部あるいは複数の回路に接続できるだけの資力を持っていたことである。

だから私は、「富豪」を

地域経済のノード

として捉えることを提案したい。

国家から見ると、富豪は地域社会の内部に存在する巨大な資源集積点である。そのため、国家は富豪を無視できない。

11 国家は「富豪」をどう扱ったのか

こうしてみると、国家の富豪に対する態度が一見矛盾している理由も理解できる。

国家は、

  1. 富豪を登用する。
  2. 富豪の財を調査する。
  3. 富豪の財を救済に利用する。
  4. 富豪の資産を徴収対象にする。
  5. 富豪の銭蓄積を禁止する。
  6. 富豪の土地集中を問題視する。
  7. 富豪の交易を規制する。
  8. 富豪の麦売買を禁止する。

この対応は、「富豪に対する国家の評価が揺れていた」と見る必要はない。

むしろ一貫している可能性がある。

国家が問題にしているのは、

富豪そのものではなく、富豪が保有・運用する資源が、公的システムに対してどのような作用を及ぼすか

だからである。

  1. 公的システムを補完するなら利用する。
  2. 公的な徴収や食糧供給を阻害するなら規制する。
  3. 救済に役立つなら報賞する。
  4. 交通を支えるなら利用する。
  5. 交易秩序を乱すなら禁止する。

このように見ると、「利用」「規制」「徴収」「登用」「報賞」は別々の政策ではなくなる。

すべて、

地域社会に蓄積された資源を、国家行政との関係のなかでどう処理するか

という一つの問題として理解できるのである。

12 富豪とは「富の量」ではなく「富の社会的作用」である

以上から、「富豪」というカテゴリーについて、ひとつの仮説を提示したい。

富豪とは、単に大量の財産を所有する人間ではない。一定規模の資源を蓄積し、それを保有・運用・交換・貸付・移送・供給することによって、地域社会に無視できない経済的作用を及ぼす主体である。

したがって、富豪を測る尺度は単純な「財産額」ではない。

  1. 重要なのは、
  2. 何を持っているか。
  3. どの程度蓄積できるか。
  4. それを誰に貸せるか。
  5. どこへ運べるか。
  6. 何と交換できるか。
  7. どれほどの購買力を持つか。
  8. 公的システムにどの程度影響を与えるか。

という点にある。

この視点からすれば、「富豪」は固定的な社会階層名というよりも、資源が一定の規模に達し、それが社会的・行政的な作用を発生させる段階で把握された存在と考えることができる。

13 そして、次の問いへ

しかし、ここで議論を止めてはいけない。

「富豪とは富を動かす人だった」と結論するだけでは、まだ半分しか見えていない。

本当に知りたいのは、

その富は、どこから来たのか。

である。

さらに、

最初の資源を、どのようにして次の資源へ変換したのか。

という問題がある。

  1.   土地を稲に変える。
  2.   稲を貸付資本に変える。
  3.   貸付によってさらに稲を得る。
  4.   稲を銭に変える。
  5.   銭によって商品を買う。
  6.   商品を運送する。
  7.   交易によってさらに資源を増やす。
  8.   そして、その資源の一部を国家や地域社会に供給する。

もしこのような循環が史料から確認できるならば、「富豪」は単なる「古代の金持ち」ではなくなる。

そこには、

資源を蓄積し、別の資源へ変換し、その過程を反復することで、さらに大きな資源を形成していく経済主体

が見えてくる。

そして、この段階ではじめて、最初に提示した

既存の資源を別の価値へ変換する『目の付け所』」

という仮説が、単なる現代的比喩ではなく、古代の富豪を史料から読み解くための分析概念になる可能性がある。問題は、彼らが「いくら持っていたか」ではない。

  富豪が何を見つけ、何を蓄え、何に変え、誰と結び、どこへ運び、そして何を再び手に  

  入れたのか。

そこに「富豪になる」という史実の実態が隠れているのではないだろうか。



*******************

<「富豪」の用例>

 ①

7/郡司事/23/太政官符/応択諸郡司中恪勤者令興治恵奈郡事/右得美濃国解偁、恵奈郡坂本駅与信濃国阿智駅相去七十四里、雲山畳重、路遠坂高、戴星早廃犯夜遅到、一駅之程猶倍数駅、駅子負荷常困運送、寒節之中道死者衆、朝庭悲之、殊降恩貸、永免件駅子租調、又去承和十一年挙郡給三年之復、頻雖施無限之恩、徒費公家曽無所息、前任良宰雖展治方、猶難興復、況後任愚吏更施何術、今検彼郡課丁惣二百九十六人也、就中二百十五人為駅子、八十一人輸調庸、比之諸郡衰弊尤甚、望請、択諸郡司之中富豪恪勤者、募以五位、期三年内令治件郡、謹請官裁者、右大臣宣、奉勅、依請、与奪之事一准去天長元年八月廿日格、/斉衡二年正月廿八日


14/出挙事/9/太政官符/応且実録且班給王臣并富豪百姓稲穀事/右検案内、太政官承和五年四月二日下大和国符偁、太政官弘仁十年二月廿日騰勅符偁、頻年不稔百世飢饉、倉廩空尽、無物賑胆、不預周給、恐忘廉恥、宜遣使者実録富豪之財、借貸困窮之徒、秋収之時依数睤報者、「右」右大臣宣、奉勅、量宜制権、随時施化、皇王令範、古今嘉猷、宜因循故実詳令実録、析此有余補彼不足者、宜不論王臣百姓皆悉令貸秋収睤報者、今被大納言正三位兼行右近衛大将源朝臣常宣偁、奉勅、播殖有時、宜仰於国司、因循旧例不論王臣百姓、令且実録且班給、来月卅日以前言上実録班給之状、但其代者秋収之後、依数返給、四畿内亦准此者、時臨東作不得延怠、/承和七年二月十一日

14/出挙事/15/太政官符/応准耕田数班挙正税并有対捍輩即科其罪事/右得紀伊国解偁、検案内、此国調庸租税并年料雑米、及例貢雑交易等之色、其数猥積、遷代国司無力弁済、空過秩限遂為身煩、伏尋由緒、惣依民不堪躬耕沽却口分田也、方今良田多帰富豪之門、出挙徒給貪弊之民、収納難済、官物自失、因斯承前国吏等准量田畴之数、班挙買耕之人、而或諸司官人雑任并良家子弟内外散位以下及諸院諸宮王臣勢家人等、多接部内領作田地、至于班挙正税、偏恃官位及本主、対捍国司曽無承引、望請官裁、不論土浪貴賎、准耕田数、段別五束以上班挙正税、若有対捍輩者、勘収所営之獲頴、填補不受之官稲、以為懲粛、曽不寛縦、謹請官裁者、中納言兼右近衛大将従三位行春宮大夫藤原朝臣時平宣、奉勅、依請、若懲粛之後猶不悛改、京戸子弟及浪人者、依寛平三年九月十一日格、勒還本郷、及移配遠処、不復留任、其当国人怙終之者、不論有官無職及院宮勢家人録名言上、殊処重科、諸国若有此類、同亦准之、/寛平六年二月廿三日


17/募賞事/3/太政官符/応養活疫病百姓者預出身叙位階事/右得陸奥出羽両国解偁、自去年十一月、所部之内、疫病流行、或挙家死去、無由葬歛、或駢頭痛苦、無人看養、雖勤鎮謝、有益無損、仍馳駅言上者、被左近衛大将従三位兼守権大納言行民部卿清原真人夏野宣偁、奉勅、如聞、郷閭之間、疫病発動、則称染着、曽不至問、因茲富豪之家積穀猶餓、況乎貧乏之輩有何生理、其死生有命、脩短禀天、嫌避而求生、觸就以致死者、事無所拠、仁靡不酬、徳必有報、豈行仁徳、還罹其咎、黎民之愚遂致斯惑、宜仰国司、重加誨諭、勤令医療、酬彼労効、其養活病者卅人以上、白丁者預於内考、自入色至初位、毎十人加一階、初位至八位已上、毎廿人加一階、外考入内考者減半、若養越此法者録名言上、量其形迹授以五位、但養二等以上親者不在此限、若富豪之室、異輸私物施飢病人、亦同報酬、其法白丁輸稲一千束者預入於内考、入色至初位、毎階二百束、初位至八位已上、毎階四百束、外考入内考者減半、若費養之物越此法者、量其形迹、授以五位者、仍須差専当官精加採訪、療養既訖具録言上、至於仲秋、惣従停止、/天長七年四月廿九日


⑤巻18/関并烽候事/4/太政官符/応相模国足柄坂上野国碓氷坂置関勘過事/右得上野国解偁、此国経年強盗鋒起、侵害尤甚、静尋由緒、皆出僦馬之党也、何者、坂東諸国富豪之輩、啻以駄運物、其駄之所出皆縁掠奪、盗山道之駄以就海道、掠海道之馬以赴山道、爰依一疋之駑害百姓之命、遂結群党、既成凶賊、因茲、当国隣国共以追討、解散之類赴件等堺、仍碓氷坂本権置遉邏、令加勘過、兼移送相模国既畢、然而非蒙官符、難可拠行、望請、官裁、件両箇処特置関門、詳勘公験、慥加勘過者、左大臣宣、奉勅、宜依件令置、唯詳拘姦類勿妨行旅、/昌泰二年九月十九日


19/禁制事/27/太政官符/応禁制貯銭事/右延暦十七年九月廿三日格偁、右大臣宣、奉勅、用銭之道取於軽便、有無均利彼此得宜者也、如聞、外国吏民多有貯蓄、京畿士庶還乏資用、既乖均利之義、亦失得宜之方、宜下厳制不得更然、所有之銭尽皆納官、仍用正税准価給之、送京之功亦用正税、如有蔵而不進為他被告、不論蔭贖科違勅罪、五分其物、一分給告者、四分没官、但伊賀近江若狭丹波紀伊等国不在禁限者、而今畿外諸国富豪之輩、不慎格旨猶事貯積、聞其由緒非充資用、徒奢富強之名各争聚集之夥、辺郡既無通用之理、朝家永増鋳作之労、静論其費誠須懲改、右大臣宣、奉勅、宜更下厳制一切禁断、其所有之銭依先格行之、若隠蔵不進、科罪亦如先格、唯告言者三分給一、国司仍須符到之後卌箇日内、勘録繦数専脚言上、夫捜勘無私言上合期、不論多少、特加褒擢、若乖違符旨延引無申、及許容不勘為他被告、同処違勅罪不曾寛宥、又伊賀近江等五箇国、先格已称不在禁限、宜聴其資用禁其貯蓄、/貞観九年五月十日」

19/禁制事/31/太政官符/一応禁制王臣家妨封郡司百姓等稲事/右撰格所起請偁、太政官去斉衡二年八月廿六日下五畿内諸国符偁、太政官去承和十二年六月廿三日下五畿内諸国符偁、得摂津国解偁、収納租税良由郡司、須先究官物後及私事、而頃年王臣諸家各出家印称有負物、競封郡司及富豪宅取其所蓄之稲、若国司相論却以他故、非只侵損部内、還似与公家相争、今須負諸家物人若在国中彼家牒国、国加追勘、拠法任理彼此得所、如此則公私共平、部内粛然、望請、早被下符永絶姦源、謹請官裁者、右大臣宣、依請、自余四箇国亦宜准此者、而諸国司等不慎符旨、已致違失、弥長姦濫、未聞改轍、凡人情矯偽非一、或侵冤細民多求私利、或仮力貴家巧避公責、国家之蠧莫大於斯、今被右大臣宣偁、其吏道以格式為先、棄而不行、豈循良之謂乎、宜早下知莫令疎漏者、件格可施七道何留五畿、伏望、下知諸国莫令矯濫者、/以前撰格所起請具件如右、中納言兼左近衛大将従三位藤原朝臣基経宣、奉勅、依請、/貞観十年六月廿八日


19/禁制事/45/太政官符/応禁遏諸使越関私買唐物事/右左大臣宣、頃年如聞、唐人商船来着之時、諸院諸宮諸王臣家等、官使未到之前遣使争買、又郭内富豪之輩心愛遠物、踊直貿易、因茲貨物価直定准不平、是則関司不慥勘過、府吏簡略検察之所致也、律曰、官司未交易之前私共蕃人交易者准盗論、罪止徒三年、令云、官司未交易之前不得私共諸蕃交易、為人糺獲者、二分其物、一分賞糺人、一分没官、若官司於所部捉獲者、皆没官者、府司須因准法条慎其検校、而寛縦不行、令人狎侮、宜更下知公家未交易之間厳加禁遏勿復乖違、若猶犯制者、没物科罪、曾不寛宥、/延喜三年八月一日


19/禁制事/46/太政官符/禁断売買麦/右去天平勝宝三年三月十四日格偁、大小麦寔能助夏乏、愚癡百姓不慮後欠、頓刈青■徒為沽失、自今以後、堅固禁断、若有違犯、必科重罪、又太政官去大同三年七月十三日騰勅符偁、如聞、富豪之輩不顧憲式、無頼之民尚暗法令、売麦忘食、積習為常、不革前失、依法科処、所司容隠随状貶黜、又太政官今年三月十四日下左右京職五畿内符偁、去年不登、百姓食乏、至于夏時、必有飢饉、救飢之儲不可不備、職国承知依件禁断者、今被大納言正三位兼行左近衛大将陸奥出羽按察使藤原朝臣冬嗣宣偁、奉勅、所在之官忘制無顧、愚暗之民忍法有犯、既違朝制、忽失民粮、静論其弊、深乖済民、又或民寄事坐臥、過刈其好、偏計少直不顧多損、凡是播蒔之時不図地膏、生長之日猶致此費、宜官長自臨蒔時検校、示以此旨莫致後損、若有違犯并播蒔乖宜者、所由官司随事貶考、違犯之人依法推決、/弘仁十年六月二日

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