治部省――まず全体像
延暦10年までに確認できる人員は、
| 官職 | 人数 | 備考 |
|---|---|---|
| 治部卿 | 15名 | 兼任を含む |
| 治部大輔 | 13名 | 同一人物の再任は1名として集計 |
| 治部少輔 | 19名 | 明記例+文脈上明らかな例を含む |
| 計 | 47名 | 重複人物は各官職内で整理 |
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1.治部卿
| 年月日 | 人物 | 任官 | 備考 |
|---|---|---|---|
| 和銅元・3・13 | 弥努王 | 治部卿 | 初期の治部卿 |
| 和銅元・9・4 | 安八万王 | 治部卿 | 弥努王から交替 |
| 養老5・6・26 | 坂合部王 | 治部卿 | |
| 天平3・12・21の記事 | 門部王 | 治部卿 | 神馬・祥瑞奏上に登場 |
| 天平11・3・21の記事 | 茅野王 | 治部卿 | 対馬の神馬奏上 |
| 天平12・9・11 | 三原王 | 治部卿 | 伊勢大神宮奉幣 |
| 天平18・3・7の記事 | 石上朝臣乙麻呂 | 治部卿 | 白亀奏上 |
| 天平18・4・11 | 安宿王 | 治部卿 | |
| 天平19・3・10 | 藤原朝臣八束 | 治部卿 | |
| 天平宝字元・6・16 | 文屋真人智努 | 治部卿 | |
| 神護景雲元・11・17 | 山村王 | 治部卿 | 薨去時の官職 |
| 神護景雲2・7・1 | 多治比真人土作 | 治部卿 | 左京大夫・讃岐守如故 |
| 宝亀2・12・6 | 文室真人大市 | 兼治部卿 | 大納言兼任 |
| 宝亀5・3・5 | 藤原朝臣家依 | 治部卿 | |
| 延暦元・2・14 | 壱志濃王 | 治部卿 | 讃岐守如故 |
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和銅元年の
従四位下弥努王為治部卿
と、同年9月の
従四位下安八万王為治部卿
また、宝亀2年12月には、
大納言従二位文室真人大市為兼治部卿
とあり、治部卿が兼官している。
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2.治部大輔
| 年月日 | 人物 | 任官 | 備考 |
|---|---|---|---|
| 天平9・12・23 | 神前王 | 治部大輔 | |
| 天平13・7・3 | 紀朝臣浄人 | 治部大輔兼文章博士 | |
| 天平16・2・2頃 | 紀朝臣清人 | 治部大輔 | 平城宮留守 |
| 天平19・9・23 | 佐味朝臣虫麻呂 | 治部大輔 | |
| 宝亀元・10・23 | 豊国真人秋篠 | 治部大輔 | 甲斐守如故 |
| 宝亀3・4・20 | 大伴宿禰潔足 | 治部大輔 | |
| 宝亀11・4・20 | 藤原朝臣黒麻呂 | 治部大輔 | |
| 延暦元・8・9 | 藤原朝臣黒麻呂 | 治部大輔 | 再任・確認 |
| 延暦元・9・9 | 大中臣朝臣継麻呂 | 治部大輔 | |
| 延暦3・4・2 | 藤原朝臣菅継 | 治部大輔 | |
| 延暦4・1・15 | 中臣朝臣常 | 治部大輔 | |
| 延暦6・3・22 | 紀朝臣作良 | 治部大輔 | |
| 延暦7・3・21 | 粟田朝臣鷹守 | 治部大輔 | |
| 延暦8・3・19 | 中臣朝臣常 | 治部大輔 | 再任 |
| 延暦8・9・12 | 藤原朝臣黒麻呂 | 治部大輔 | 再任 |
| 延暦9・7・24 | 藤原朝臣是人 | 治部大輔 |
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例えば藤原黒麻呂は複数回、
- 宝亀11年4月
- 延暦元年8月
- 延暦8年9月
と治部大輔に任じられていることは特徴的である。
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3.治部少輔
A.「治部少輔」と明記される人物
| 人物 | 年月日 | 証拠 |
|---|---|---|
| 阿倍朝臣吾人 | 天平10・閏7・7 | A |
| 県犬養宿禰古麻呂 | 天平18・9・20 | A |
| 高向朝臣家主 | 神護景雲2頃 | A |
| 多治比真人豊浜 | 宝亀2・11・19 | A |
| 安倍朝臣常嶋 | 宝亀8・1・27 | A |
| 安倍朝臣謂奈麻呂 | 宝亀8・10・13 | A |
| 高倉朝臣殿嗣 | 宝亀11・3・17 | A |
| 三嶋真人大湯坐 | 天応元・5・25 | A |
| 安倍朝臣草麻呂 | 延暦2・11・12 | A |
| 高倉朝臣石麻呂 | 延暦4・3・11 | A |
| 百済王元信 | 延暦9・3・26 | A |
| 菅野朝臣真道 | 延暦10・1・28 | A |
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①大原真人今城
天平宝字元年6月16日の人事記事では、
文屋真人智努為治部卿、従五位下大原真人今城為少輔
と連続するので、これは治部卿―治部少輔という一組の人事と読むのが自然であろう。
②石川朝臣名継
宝亀5年3月5日の記事では、
藤原朝臣家依為治部卿、従五位上石川朝臣名継為少輔
とある。これも治部省の人事として扱うべきだろう。
③小野朝臣東人
天平19年9月23日、
佐味朝臣虫麻呂為治部大輔、従五位下小野朝臣東人為少輔
とある。これも治部大輔+治部少輔のセット人事と見る根拠が強い。
④文室真人真屋麻呂
延暦6年3月22日、
紀朝臣作良為治部大輔、従五位下文室真人真屋麻呂為少輔
とある。これも同じ構造だろう。
⑤文室真人大原
延暦9年7月24日、
藤原朝臣是人為為治部大輔、従五位下文室真人大原為少輔
とある。
この5れうからの推測であるが、一つのフォームがあったに違いない。
「~~為治部大輔、従五位下~~為少輔」
⑥任官記事はないが、大宅朝臣金弓が治部少輔として葬儀監護となっているので、数えて良い
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ところで、治部省の業務として、
① 祥瑞の「情報処理」
天平3年には治部卿門部王らが甲斐国からの神馬について奏上しています。
また天平11年には治部卿茅野王らが、対馬で得られた神馬について奏上しています。
さらに天平18年には治部卿石上乙麻呂らが、河内国から出た白亀について奏上しています。
つまり治部省は、
地方 → 国司 → 治部卿 → 天皇
という情報経路の途中にある、この点は、
地方行政文書 → 中央官司 → 情報の加工・照合 → 判断 → 行政行為
というモデルにか合致する例であろう。
② 外交・儀礼だけではない
治部省について一般的には、氏姓・外交・儀礼・僧尼・雅楽・陵墓などが職掌として挙げられている
しかし『続日本紀』の人事を追うと、少なくとも奈良時代には、
「中央政府が地方・外国・寺社・氏族などから受け取った、意味づけを必要とする情報を処理する官司」
という側面がかなり見えてくる。白亀や神馬を単に受け取るのではなく、
それは何を意味するのか
瑞図と合致するのか
天皇の徳との関係はどうか
それをどう天皇に奏上するか
という情報の意味づけ作業が発生しているからである。
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