2026年9月20日日曜日

治部省とは何か?

 

治部省――まず全体像

延暦10年までに確認できる人員は、

官職人数備考
治部卿15名兼任を含む
治部大輔13名同一人物の再任は1名として集計
治部少輔19名明記例+文脈上明らかな例を含む
47名重複人物は各官職内で整理

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1.治部卿

年月日人物任官備考
和銅元・3・13弥努王治部卿初期の治部卿
和銅元・9・4安八万王治部卿弥努王から交替
養老5・6・26坂合部王治部卿
天平3・12・21の記事門部王治部卿神馬・祥瑞奏上に登場
天平11・3・21の記事茅野王治部卿対馬の神馬奏上
天平12・9・11三原王治部卿伊勢大神宮奉幣
天平18・3・7の記事石上朝臣乙麻呂治部卿白亀奏上
天平18・4・11安宿王治部卿
天平19・3・10藤原朝臣八束治部卿
天平宝字元・6・16文屋真人智努治部卿
神護景雲元・11・17山村王治部卿薨去時の官職
神護景雲2・7・1多治比真人土作治部卿左京大夫・讃岐守如故
宝亀2・12・6文室真人大市兼治部卿大納言兼任
宝亀5・3・5藤原朝臣家依治部卿
延暦元・2・14壱志濃王治部卿讃岐守如故

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和銅元年の

従四位下弥努王為治部卿

と、同年9月の

従四位下安八万王為治部卿

また、宝亀2年12月には、

大納言従二位文室真人大市為兼治部卿

とあり、治部卿が兼官している。

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2.治部大輔


年月日人物任官備考
天平9・12・23神前王治部大輔
天平13・7・3紀朝臣浄人治部大輔兼文章博士
天平16・2・2頃紀朝臣清人治部大輔平城宮留守
天平19・9・23佐味朝臣虫麻呂治部大輔
宝亀元・10・23豊国真人秋篠治部大輔甲斐守如故
宝亀3・4・20大伴宿禰潔足治部大輔
宝亀11・4・20藤原朝臣黒麻呂治部大輔
延暦元・8・9藤原朝臣黒麻呂治部大輔再任・確認
延暦元・9・9大中臣朝臣継麻呂治部大輔
延暦3・4・2藤原朝臣菅継治部大輔
延暦4・1・15中臣朝臣常治部大輔
延暦6・3・22紀朝臣作良治部大輔
延暦7・3・21粟田朝臣鷹守治部大輔
延暦8・3・19中臣朝臣常治部大輔再任
延暦8・9・12藤原朝臣黒麻呂治部大輔再任
延暦9・7・24藤原朝臣是人治部大輔

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例えば藤原黒麻呂は複数回、

  • 宝亀11年4月
  • 延暦元年8月
  • 延暦8年9月

と治部大輔に任じられていることは特徴的である。

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3.治部少輔

A.「治部少輔」と明記される人物

人物年月日証拠
阿倍朝臣吾人天平10・閏7・7A
県犬養宿禰古麻呂天平18・9・20A
高向朝臣家主神護景雲2頃A
多治比真人豊浜宝亀2・11・19A
安倍朝臣常嶋宝亀8・1・27A
安倍朝臣謂奈麻呂宝亀8・10・13A
高倉朝臣殿嗣宝亀11・3・17A
三嶋真人大湯坐天応元・5・25A
安倍朝臣草麻呂延暦2・11・12A
高倉朝臣石麻呂延暦4・3・11A
百済王元信延暦9・3・26A
菅野朝臣真道延暦10・1・28A


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①大原真人今城

天平宝字元年6月16日の人事記事では、

文屋真人智努為治部卿、従五位下大原真人今城為少輔

と連続するので、これは治部卿―治部少輔という一組の人事と読むのが自然であろう。

②石川朝臣名継

宝亀5年3月5日の記事では、

藤原朝臣家依為治部卿、従五位上石川朝臣名継為少輔

とある。これも治部省の人事として扱うべきだろう。

③小野朝臣東人

天平19年9月23日、

佐味朝臣虫麻呂為治部大輔、従五位下小野朝臣東人為少輔

とある。これも治部大輔+治部少輔のセット人事と見る根拠が強い。

④文室真人真屋麻呂

延暦6年3月22日、

紀朝臣作良為治部大輔、従五位下文室真人真屋麻呂為少輔

とある。これも同じ構造だろう。

⑤文室真人大原

延暦9年7月24日、

藤原朝臣是人為為治部大輔、従五位下文室真人大原為少輔

とある。

この5れうからの推測であるが、一つのフォームがあったに違いない。

「~~為治部大輔、従五位下~~為少輔」

⑥任官記事はないが、大宅朝臣金弓が治部少輔として葬儀監護となっているので、数えて良い

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ところで、治部省の業務として、

① 祥瑞の「情報処理」

天平3年には治部卿門部王らが甲斐国からの神馬について奏上しています。

また天平11年には治部卿茅野王らが、対馬で得られた神馬について奏上しています。

さらに天平18年には治部卿石上乙麻呂らが、河内国から出た白亀について奏上しています。

つまり治部省は、

地方 → 国司 → 治部卿 → 天皇

という情報経路の途中にある、この点は、

地方行政文書 → 中央官司 → 情報の加工・照合 → 判断 → 行政行為

というモデルにか合致する例であろう。

② 外交・儀礼だけではない

治部省について一般的には、氏姓・外交・儀礼・僧尼・雅楽・陵墓などが職掌として挙げられている

しかし『続日本紀』の人事を追うと、少なくとも奈良時代には、

「中央政府が地方・外国・寺社・氏族などから受け取った、意味づけを必要とする情報を処理する官司」

という側面がかなり見えてくる。白亀や神馬を単に受け取るのではなく、

それは何を意味するのか
瑞図と合致するのか
天皇の徳との関係はどうか
それをどう天皇に奏上するか

という情報の意味づけ作業が発生しているからである。


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