2026年9月4日金曜日

論評③Pattern「平川南「古代における里と村――史料整理と分析」ーー「現場のロジック」の観点からのコメント

 

平川南「古代における里と村――史料整理と分析――」論評

――制度論から行政実務・情報編成史への展望――

1.はじめに

平川南「古代における里と村――史料整理と分析――」(『国立歴史民俗博物館研究報告』第108集、2003年)は、古代日本における地方行政機構の末端をめぐる「里」と「村」の関係性について、史料上の用例と時期的変遷を精緻に検証し、長年の研究史に画期をなした論考である。

従来の律令国家論・地方行政史研究においては、「国―郡―里」という法令上の行政階層構造をそのまま基盤とし、「里=制度的単位」「村=その下位に位置する自然集落」とする階層的理解が支配的であった。これに対し平川氏は、豊富な古代史料における「村」表記の網羅的抽出と実態分析を通じ、両者の成立史的乖離と併存構造を明らかにし、固定化された行政階層モデルの相対化を果たした。

しかしながら、平川論文による「里」と「村」の概念整理は、決して当該領域における問いの完結を意味するものではない。むしろ同論文の真の学術的価値は、「村とは制度上いかに位置づけられるか」という従来の構造史・制度史的所見から、「村において国家行政はいかなる実務を展開していたか」という行政実務史・情報処理史的課題へ、研究の地平を不可逆的に推し進めた点にこそ求められるべきである。

本稿では、平川論文が到達した史学史的意義を厳密に再確認した上で、同論文が拓いた地平の先に残された課題について、「行政実務」「情報生成」「人的媒介」の三点から論理的展開を試みたい。

2.平川論文における学術的到達点

平川論文が達成した主要な学術的貢献は、以下の三点に集約される。

(1)律令行政階層モデルの相対化

第一に、律令法規に規定された「国―郡―里」という公式な統治構造と、地域社会における現実の社会編成とを直ちに同一視する姿勢を否定した点である。平川氏は、歴史的展開としてまず地域社会の基盤たる「村」が自律的に成立し、国家がそれを包摂・編制する過程で五十戸単位の「里」が導入されたという動態的モデルを提示した。これにより、「村」を「里」の単純な下位行政区分とみなす静的理解は排され、両者の複合的・重層的関係が立証された。

(2)史料論的手法による「村」の多様性の実証

第二に、「村」という概念に対する演繹的な抽象定義を避け、木簡や金石文、正倉院文書等を含む古代史料群において、いかなる文脈・時期・地域で「村」表記が出現するかを実証的に追跡した点である。史料上に立ち現れる「村」の多様性・多義性そのものを歴史的事実として把握する史料論的態度は、制度的ドグマに陥りがちであった既存の村落史研究に強い警鐘を鳴らした。

(3)歴史的動態としての重層構造の提示

第三に、「村の成立 → 五十戸編成による里の設置 → 里と村の併存」という一連のプロセスを想定した点である。これにより、「里」と「村」の関係は静的な行政組織図上の関係から、国家的行政編制が地域社会の既存構造と接触・折衝する過程で生じた重層的統治構造として再定立された。

3.制度史から「現場史・情報史」への課題の転換

平川論文が提示した最大の示唆は、律令国家の地方支配を上からの法令規定のみで説明することの限界を可視化した点にある。

古代国家が既存の「村」という社会体・地理的単位を置換・解体することなく、それを前提として行政編制を重ね合わせたとするならば、次に究明されるべきは、「国家行政は制度単位ではない『村』という現場を、いかなる具体的技法をもって補足し、動員・機能させていたのか」という実務的問いである。

平川論文の成果を継承し、さらに深化させるためには、以下の三つの分析視角が要求される。

(1)「存在形態論」から「実務機能論」への移行

史料上の「村」は、単なる地理的集落や居住単位にとどまらず、人件の把握、土地・生産物の登記、租税・出挙の徴収、徴発労働力の編制、治安および移動管理など、国家行政が発動される具体的な接触面であった。すなわち「村」とは、国家が地域実態を把握し、行政力を貫徹させるための「実務執行の最前線」として再定義されるべきである。

(2)「行政情報の生成・一次集約地点」としての再再考

律令国家における情報伝達系は、「地域社会(村) → 郡家 → 国府 → 中央官司」という多段的結節点を有する。中央および国府が必要とする各種行政データ(戸籍・計帳草案、正税・郡稲の管理データ、徴発名簿等)の原初的情報は、まさに「村」の現場において採取・生成されたはずである。したがって、村を単なる行政組織の端末とみなすのではなく、「生の社会的情報が行政文書・木簡等のデータへと一次変換される拠点」として捉え直す視角が不可欠となる。

(3)「村」と「郡」を結ぶ階層間媒介機構の解明

「村」が行政情報の生成地点であり、行政命令の執行現場であったならば、それら情報および命令を郡家との間で往還させた媒介者の存在が前提とされる。ここで問われるべきは、刀禰(とね)をはじめとする村落首長層や在庁的実務者の歴史的機能である。これは平川論文の欠陥を指摘するものではなく、平川氏が「村」を固定的な制度枠から解放したからこそ明確化された、階層間接続機構をめぐる不可避の研究課題と言える。

4.おわりに――「村」の三層構造モデルと展望

以上の考察に基づき、古代における「村」の歴史的実態は、以下の三層構造モデルとして捉え直すことが可能となる。

  1. 第一層:社会的・空間的実体としての村(生活・居住・共同生産の場)

  2. 第二層:行政情報の発生・変換拠点としての村(実務的データが採取・確認される現場)

  3. 第三層:広域行政ネットワークの末端結節点としての村(郡家・国府との間で命令・情報が還流する接続点)

「村は制度的行政単位ではない」という命題と、「村は国家統治にとって実質的に不可欠な拠点であった」という命題は矛盾しない。むしろ、法制上の公式単位ではないからこそ、国家行政が現実の地域社会に着地し、情報を吸い上げるための実務的『接点』として機能したという歴史的逆説が浮き彫りとなる。

結論として、平川南「古代における里と村」は、村落史研究を完結させた著作というよりも、制度史の枠組みを相対化し、古代国家の「行政実務史」「情報編纂・処理史」という新たな領域へと研究を押し進めるための確固たる出発点を構築した論考として高く評価されるべきである。

今後は、木簡・帳簿草案・郡符・正税帳などの多様な一次史料をこの「情報処理・実務」の文脈に再位置づけ、分析を加えることによって、古代国家と地域社会が交錯する現場の具体相が、より鮮明に解明されることが期待される。

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