2026年9月17日木曜日

五味晋先生との対話 ――「越前国赤江庄の人々は、同じ稲を見て、なぜ人によって価値が違って見えたのか」

 

五味晋先生との対話

――「同じ稲を見て、なぜ人によって価値が違って見えたのか」

五味晋先生
いつもながら、精が出るね。


この夏休み前に、先生がプレゼントしてくださった資料に悪戦苦闘していました。

① 館野和己先生「越前国赤江庄の復元」
② 「越前国田使解申稲直請銭事」
③ 「越前国司牒造東大寺安都佐官所」天平宝字2年
④ 「越前国足羽郡少領生江臣国立解 申交易応進上稲事」天平宝字3年
⑤ 「越前国坂井郡司解 申応進上御料稲事」

今回の宿題は、越前国赤江庄を一つの事例として調査しながら、そこに暮らした人々を「現場のロジック」で考えなさい、というご指示だったと理解しています。

しかも先生の書簡の添え書きには、

「夏の終わりには、全国の正税帳断片を送るので、その心構えをしておきなさい。まずは『越前国正税帳』(天平2年)の断片を送ります」

とありました。

ですから、首を長くして待っています。

五味晋先生
ところで、今、私は日本律令下の「富豪列伝」に取り組んでいるんだ。

経済的な余裕が生まれた人間について調べているんだけれど、これが意外に面白い。

全国で、ざっと数えて80~90人くらいになるかな。

もちろん、資料が少ないから厳密な「富豪名簿」というわけではない。

「これは富豪と考えてよいだろう」と私が判断した人物を、とりあえずリストに入れている。


現在ならば、資産を金額に換算して「富豪列伝」を作ることができます。しかし、律令体制下では、そう簡単にはいきませんね。

五味晋先生
そうだよ。

「お金をたくさん持っていた」

「土地をたくさん持っていた」

というだけで富豪を数え上げるわけにはいかない。

むしろ、私は今、こんな作業仮説を考えている。

富豪とは、既存の資源を別の価値へと変換する「目の付け所」を持ち、その変換を反復し、得られた利益や余剰を再投資することで、資源量そのものを増やしていった人間ではないか。

まだ仮説だよ。

だから、これからどうなるかは分からない。


なるほど。

先生の作業仮説を踏まえて、館野先生の「越前国赤江庄の復元」を読み替えるなら、赤江庄では、

地子として集めた稲を、そのまま消費するのではなく、舂成して「黒米」「白米」という別の価値形態に変え、西大寺へ届ける。

という現象が見えてくる。

北庄の木簡には「地子」と明記され、南庄についても同じ性格が推定されている。

すると先生の仮説は、

価値変換 → 余剰 → 再投資 → さらに大きな価値変換能力

という循環にまで進められそうです。

五味晋先生
そう。

そこなんだ。

この「循環」を持った人間が、単なる「金持ち」と違って、やがて「富豪」になるのではないか、と考えている。

経済メカニズムとして整理すると、こうなる。

既存制度を見る

 ↓

制度の中で、まだ十分に価値づけられていない領域を発見する

 ↓

そこへ先行して資源を投入する

 ↓

新しい取引・交換・利用の仕組みを作る

 ↓

利益や余剰を得る

 ↓

それを次の分野へ再投資する

 ↓

規模を拡大する

つまり、最初にあるのは「財産」ではなく、何かを見る目なのかもしれない。

英語なら、

the ability to identify an underexploited value-conversion opportunity

くらいになるかな。

つまり、「まだ十分に価値化されていないものを見つける能力」だ。


先生のヒントを基にすると、古代の富豪研究の問いが、かなり変わりますね。

「この人は何町の土地を持っていたのか?」

ではなく、

この人は、社会の中のどこに「まだ十分に価値化されていない資源」を発見したのか?

という問いになる。

例えば「稲」を見ても、人によって見えるものが違う。

普通の農民なら、

稲 → 食料

と考える。

しかし、別の人間なら、

稲 → 貸付 → 利息 → 再貸付

と考えるかもしれない。

あるいは、

稲 → 交換 → 必要物資

と見る。

また、

稲 → 加工 → 米 → 都市へ輸送 → 取引・信用

と考える人もいる。

さらに、

稲 → 貸付 → 人・労働・土地・債権

という方向へ展開することも考えられる。

五味晋先生
だから、

同じ「稲」でも、見える価値が違う。

ここが「才覚」なんだよ。

ただし、ここで一つ注意してほしい。

「稲を別の価値として見ることができた」だけでは、富豪にはならない。

そこを混同してはいけない。


なるほど。

つまり「才覚」と「富豪」の間には、まだいくつもの段階がある。

五味晋先生
そう。

だから私は、

目を付ける

 ↓

試す

 ↓

実務化する

 ↓

制度・顧客・取引相手との関係を作る

 ↓

利益を確保する

 ↓

利益を消費せず再投資する

 ↓

同じことを反復する

という過程を考えている。

英語なら、

foresight + execution + reinvestment

かな。

日本語なら、さしずめ、

着眼力+実行力+再投資

だね。


これは面白いですね。

そうすると、館野先生の論文からも、単に「地子米があった」というところで止まらず、

この米を、誰が、どの段階で、どのような「価値あるもの」として認識し、利用したのか。

と問い直すことができます。

館野先生の復元によって、

  • 地子米である
  • 5斗である
  • 6月・12月に貢進したと考えられる
  • 荘家側が管理していた

というところまで見えてくる。

しかし、その先にはまだ問いが残っている。

この米を、誰が「価値あるもの」として見たのか。

ここが違う。

五味晋先生
そうだよ。

そして、私はここから先を急いで「富豪」と結びつけたくはない。

赤江庄に富豪がいた、と今の段階で断定する必要はない。

むしろ、

価値変換がどこで起きていたのか

を一つずつ追いかけるべきなんだ。

その結果として、「富豪」と呼ばれる人間の形成過程が見えてくるかもしれない。


ところで、日本全国には、どのくらいの「富豪」がいたのですか。

ふと思い出したのですが、佐藤早樹子「八・九世紀の財物貢献と報賞制度」『史観』第182冊という論文があります。

五味晋先生
ああ、そうなのか。

私はこのところ最新研究を追いかけていなかったから、君に教えてもらって助かった。

私が注目していたのは、その論文とは別に、『類聚三代格』に見える「富豪」の用例だった。

例えば、

① 巻7「郡司事」23 「諸郡司之中富豪恪勤者」
② 巻14「出挙事」9 「富豪百姓」「富豪之財」
③ 巻14「出挙事」15 「富豪の門」
④ 巻17「募賞事」3 「富豪之家」「富豪之室」
⑤ 巻18「関并烽候事」4 「坂東諸国富豪之輩」
⑥ 巻19「禁制事」27 「畿外諸国富豪之輩」
⑦ 巻19「禁制事」31 「富豪宅」
⑧ 巻19「禁制事」45 「富豪之輩」
⑨ 巻19「禁制事」46 「富豪之輩」

などだ。

昔はコンピュータも検索システムもなかったから、一枚一枚カードを作って集めたよ。

大変だったけれど、こういう寄り道が案外面白いんだ。


では、その「富豪」に注目されたことから、彼らがどのように蓄財したのか、その秘密を探り始めたわけですね。

五味晋先生
そう。

これだけ「富豪」が出てくるなら、単に個々人の才覚だけではなく、彼らを生み出す社会的・制度的条件もあったはずだ。

そこで今、

①資源 → ②変換 → ③制度の隙間 → ④再投資 → ⑤反復

という分析枠組みを考えている。

もう少し細かくすると、

① 何を資源と見たか

土地、稲、銭、労働、交通、情報、官職、信用……。

② 何に変換したか

米、銭、土地、権利、人的ネットワーク、政治的信用……。

③ どの制度的条件を利用したか

制度が禁止していなかった領域、制度が未整備だった領域、あるいは制度が十分に処理しきれなかった領域……。

④ 何に再投資したか

土地、人、輸送、貸付、開墾、政治的・社会的関係……。

⑤ それをどの程度反復したか

ここが重要だと思う。

一度儲けただけでは富豪とは呼べない。

反復して、蓄積が拡大していく。

そこに「富豪形成」のメカニズムがあるのではないか。


すると先生は、「富豪」を二種類に分けて考えようとしているのですね。

まだ試案ですが、

① 資源保有型

最初から土地・財産・家格などを持っていた人。

② 価値変換型

大きな財産を持っていなくても、

「これをこう変えれば価値になる」

という発見と実行によって富を形成した人。

先生の関心は、特に②にある。

五味晋先生
そう。

ただし、②の人間が成功すれば、やがて①へ移行する可能性がある。

だから、

小さな資源

 ↓

価値変換

 ↓

利益

 ↓

再投資

 ↓

資源蓄積

 ↓

大規模な土地・財産の保有

という循環が考えられる。

もしこれが史料によって確認できれば、「富豪」という結果だけを見る研究とは違った景色が見えてくる。


そうなると、赤江庄についても、慎重に考えなくてはいけませんね。

私はまだ、

「赤江庄には富豪が存在した」

とは言えない。

しかし、

地子稲を集める → 米に加工する → 定期的に西大寺へ送る

という価値変換と物流のシステムが存在したことは、館野先生の史料から見えてくる。

ならば、

そのシステムのどこで、誰が、どのような利益を得たのか。

という問いは残る。

五味晋先生
その通り。

そして、そこで「誰が儲けたのか」といきなり問うのではなく、

誰が、何を資源として認識したのか。

から始める。

私はこれが「現場のロジック」につながると思うんだ。


先生の好きな「なぜ」にすると、

Why did some people see value where others saw only rice?

でしょうか。

日本語なら、

「同じ稲を見て、食料しか見なかった人間と、富を見た人間がいたのではないか。」

となりますね。

五味晋先生
君はいつの間にか英語も習得したの。

……ああ、そうだった。

君はアメリカに留学したことがあったね。

すっかり忘れていた。


いや、恥ずかしい限りです。

むしろ、大学院入試の口頭試問で、

「英語・ドイツ語・フランス語、そして漢文は外国語科目には含めない」

と宣告されたときには、頭の中が真っ白になりました。

「これでは不合格間違いなしだ」と思いましたよ。

五味晋先生
ところで、これはなかなか良い論文題目だね。

Why Did Some People See Value Where Others Saw Only Rice?

若い研究者なら、「カッコいい」と言うかもしれない。

普通なら、

The Formation of Wealth in Ancient Japan

とか、

Landholding and Economic Development in Eighth-Century Japan

という題になる。

しかし、このタイトルは違う。

最初に、

rice

という極端に具体的なものが出てくる。

そこから、

value

という抽象概念へ飛ぶ。

そして、

some people

others

を対置する。

つまり、最初から「富豪」という結果を説明しようとしていない。

同じものを見て、なぜ人によって価値の見え方が違ったのか。

そこに「才覚」という問題が入ってくる。


そして、先生の研究らしいのは、これを単なる心理の問題にしないところですね。

だから、

Why did some people see value where others saw only rice?

から、

What did they do with that insight?

へ進む。

さらに、

How did they convert that insight into wealth?

へ進む。

つまり、

価値を発見したのか

 ↓

その発見を何に変えたのか

 ↓

それをどのように富へ転換したのか

という三段階です。

五味晋先生
そう。

そして、その三段階を史料で追えるかどうかが勝負だ。

「才覚があった」と言って終わったら、歴史学ではない。

何を見て、何をしたのか。

そして、

その結果、何が残ったのか。

そこまで史料から追い込まなくてはいけない。


そう考えると、主題+副題という構成も考えられますね。

例えば、

Why Did Some People See Value Where Others Saw Only Rice?
The Making of Wealth in Ancient Japan

あるいは、

Why Did Some People See Value Where Others Saw Only Rice?
Land, Labor, and the Transformation of Agricultural Surplus in Ancient Japan

あるいは、

Why Did Some People See Value Where Others Saw Only Rice?
The Mechanisms of Wealth Accumulation in Ancient Japanese Society

この中なら、私は第一案が一番好きです。

ただ、先生の現在の研究内容まで考えると、第二案もかなり怖い。

先生が見始めているのは、

土地 → 労働 → 稲 → 地子 → 米 → 交換・輸送 → 再投資 → 富

という変換過程だからです。

五味晋先生
なるほど。

でも、私はやはり「rice」が気に入ったよ。

moneyでも、

landでもない。

riceなんだ。

古代日本では、米は単なる食料ではない。

税にもなる。

交換財にもなる。

地子にもなる。

人を動かす資源にもなる。

中央へ運ぶこともできる。

加工することもできる。

蓄積することもできる。

そして、別の価値へ変換することもできる。

だから、

Rice was not merely a crop. It was a potential source of value.

となる。

そして最後には、

Who saw that potential, and how did they turn it into wealth?

という問いになる。


先生、これは「富豪論」というより、

「富豪になる前の人間」を追う研究

なのかもしれませんね。

「富豪」という結果から出発するのではなく、

まだ富豪ではなかった人間が、どこで他人とは違うものを見たのか。

そこから始める。

五味晋先生
うん。

それなら、面白くなる。

富豪というのは、最後に見える姿だからね。

研究者が本当に見たいのは、

「富豪になる前に、何が起きていたのか」

だろう。


そうなると、先生の研究の「なぜ」は、

Why did some people see value where others saw only rice?

から始まり、

What did they do with what they saw?

へ進み、

最後に、

How did repeated value conversion become wealth?

へ至る。

これはかなり大きな研究になりそうです。

五味晋先生
だから、急いではいけない。

まず赤江庄をやりなさい。

一つの庄の、一つの米から始めればいい。

その米が、

誰のものなのか。

誰が集めたのか。

誰が加工したのか。

誰が運んだのか。

誰が受け取ったのか。

どこで価値が変わったのか。

一つずつ追いなさい。

その先に「富豪」が見えてくるかもしれない。

あるいは、見えてこないかもしれない。

それも研究だよ。


分かりました。

では、赤江庄を「富豪の庄」として見るのではなく、

「稲が、どのように価値へ変換されたのかを追跡する実験場」

として読み直してみます。

五味晋先生
それでいい。

それから、もう一つ。

タイトルは良いが、長い講義は駄目だよ。

君たちの世代は我慢したかもしれないが、今の若者はそうはいかない。

だから、

Why rice?

と聞かせる。

そして、答えは史料で見せる。

長々と説明してはいけない。


最後まで「現場のロジック」ですか。

五味晋先生
そう。

問いは短く。

史料は細かく。

結論は急がない。

それが一番いい。


なるほど。

では、今回の宿題は「富豪を探すこと」ではなく、

「稲を見ていた人間の目を探すこと」

だったわけですね。

五味晋先生
そういうことだ。

そして、その目が本当に富を生み出したのか。

そこまで追えたら、また話そう。


対話を終えて

今回の五味先生との対話で、私自身の「富豪」についての見方が少し変わった。

これまでは、富豪という言葉を聞くと、

どれだけの土地を持っていたのか。
どれだけの稲を所有していたのか。
どれだけの銭を蓄えていたのか。

という「蓄積された財産」の側から考えがちだった。

しかし、五味先生の問いは、その前段階に私を引き戻す。

同じ稲を見て、なぜ人によって違うものが見えたのか。

この問いから考えると、「富豪」は突然出現した人物ではない。

ある資源を発見し、それを別の価値へ変換し、その変換を実務として成立させ、利益や余剰を次の活動へ投じ、それを反復する。

その長い過程の「結果」として、やがて富豪が現れる。

もちろん、これはまだ作業仮説にすぎない。

また、古代社会に現代的な「市場」「投資」「利益最大化」といった概念を、そのまま持ち込むことにも慎重でなければならない。

だからこそ、赤江庄のような具体的な事例から始める必要がある。

地子として集められた稲。

それが、

加工され、

米となり、

運ばれ、

受け取られ、

別の価値を持つ。

その過程のどこに、人間の判断があったのか。

誰がその可能性を見たのか。

誰が実行したのか。

誰が利益を得たのか。

そして、その利益は何に再投入されたのか。

そこまで追跡できたとき、初めて「富豪形成」という問題を、人物の資産量ではなく、人間の行為の連鎖として描くことができるのではないか。

そう考えると、五味先生が最後に言われた、

「問いは短く。史料は細かく。結論は急がない。」

という言葉が、今回の宿題への答えなのかもしれない。

そして、私の当面の問いは、やはりこれである。

Why Did Some People See Value Where Others Saw Only Rice?

古代の富豪を探す旅は、案外、一粒の米から始まるのかもしれない。

++++++++++++++++++++

<余談>

五味晋先生
君はいつの間にか英語も習得したの。

……ああ、そうだった。

君はアメリカに留学したことがあったね。1回目は東海岸、2回目は西海岸へ。

すっかり忘れていたよ。


いや、英語を習得したなどと言われると、恥ずかしい限りです。

そもそも、私が大学院に入ろうとしていた頃のことを思い出します。

口頭試問で先生から、

「英語・ドイツ語・フランス語、そして漢文は、外国語科目には含めない」

と宣告された。

私は、

「えっ?」

と思いました。

これだけでも十分に衝撃だったのですが、先生はさらに、

「ギリシャ語もやりなさい」

とアドバイスをくださった。その瞬間、

「これは合格、それとも不合格?」

と、瞬間的に考えました。

五味晋先生
そうだったかな。


先生、忘れたのですか(笑)。

あの頃の私は、本当に不勉強でした。先生が何を要求しているのか、その意味さえ分かっていなかった。大学院時代、先生の説教もしくは忠告、アドバイスは続きましたが、私はその一つ一つを、ほとんど理解していなかったのだと思います。ところが、今になって振り返ると、不思議なものです。あれほど苦労させられた時代が、妙に懐かしい。

当時は、

「なぜ、そこまでやらなければならないのか」

と思っていた。今なら、少しだけ分かる気がします。「一にも、二にも、史料。」が先生のモットー。そして

「眼光紙背に徹す」

そうおっしゃっていたのではないでしょうか。

五味晋先生
……。

若い頃には、そのありがたさがわかりませんでした。先生の説教も、半分も理解していなかった。ただ、言われたから苦労した。

でも、その苦労が何十年も経ってから、自分の中で別の意味を持ち始める。これは不思議なものですね。

五味晋先生
そういうものだよ。師の言葉は、その場ですべて理解する必要はない。あとになって、

「ああ、あれは、こういうことだったのか」

と思うことがある。


先生、今日はずいぶん良いことをおっしゃいますね。

五味晋先生
君が歳を取っただけじゃないのかね。


……なるほど。

最後まで厳しい(笑)。でも、そうかもしれません。あの頃の私は、先生の「なぜ」が分からなかった。今になって、少しずつ分かるようになった。そして、今度は私が「なぜ」を学生やAIに問い返している。そう考えると、あの無茶な時代も、案外悪くなかったのかもしれません。

あれだけ苦労させられた時代が、今では懐かしい。

それは、師からもらった一番大きな贈り物だったのかもしれません。

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