本稿の目的は、平城宮推定造酒司出土木簡(6AADOB15000104)の釈読を試みることにある。この試論を通して、官司・人名・物資の構造化、さらには『延喜式』等の文献史料や他出土木簡との高度な比較・横断に至り、史料の細部(文字解読)からマクロな問題(律令国家の物資管理・情報処理システム)へと論点を深めることで、いささかでも木簡古代史研究に貢献したいと願うからだる。
平城宮出土「縫殿・御服所請」木簡の研究――人名構造・命婦権限・物資供給システムを中心として――
1 はじめに
本稿で取り扱うのは、平城宮推定造酒司宮内道路南側溝より出土した以下の木簡(奈良文化財研究所『木簡庫』ID: 6AADOB15000104)である。
【史料(釈読文)】
(面A)縫○御服所請/鯵壱拾陸隻/小鰯一升∥
(面B)○/安倍庭女○都努稗田/石川尾張○安倍藤子∥○已上四人日料依命婦・宣所請如件
(面C)○五月廿二日勝安麻呂\○別当史生阿閇
本木簡は、古代宮廷における女性労働力への食糧(日料)支給と、それをめぐる官司・命婦の行政手続を示す極めて高度な情報を含んでいる。以下、本史料を9つの視角から精査し、最終的に古代の行政実務・物資供給システムの中へ再位置づけを試みる。
2 史料の解析と構造化
第1視点:一次史料の表記単位抽出
木簡の墨書文面を、行政的意味を持つ単位(語・句・行政語彙・人名・数量)ごとに分割・構造化する。
- 【第1群:請求命令・物資】
- 縫○御服所請(請求官署・部署)
- 鯵壱拾陸隻(物品・数量)
- 小鰯一升(物品・数量)
- 【第2群:対象者・支給根拠】
- 安倍庭女/都努稗田/石川尾張/安倍藤子(支給対象者4名)
- 已上四人日料(支給目的:日給・食糧)
- 依命婦・宣所請(法的・行政的手続根拠)
- 【第3群:日付・担当官吏】
- 五月廿二日(発給日)
- 勝安麻呂(実務担当者)
- 別当(決裁)/史生阿閇(木簡墨書記入官人)
第2視点:語彙の機能別分類
上記抽出語彙を機能別に再整理し、文書の基本的性格を把握する。
- 行政語彙: 御服所、日料、依命婦・宣、所請、別当、史生
- 人名語彙: 安倍庭女、都努稗田、石川尾張、安倍藤子、勝安麻呂、阿閇
- 数量・物資語彙: 鯵壱拾陸隻、小鰯一升、已上四人
この分類から、本木簡の主目的が「特定の女性勤労者4名に対し、命婦の宣(伝達・命令)に基づき、しかるべき官司から日料(副食品としての魚介類)を請求・支給した行政請書(請求木簡)」であることが判明する
。
3 人名構造と「命婦」の行政機能分析
第3視点:女性名の構造分析(氏族名+識別マーカー)
本木簡に登場する4名の女性名は、「氏族名 + 識別名(職名・地名・植物名等)」という統一的な法則性をもって構成されている。
- 安倍庭女(あべ
の にわめ):
- 「安倍」氏
+「庭女(宮廷の雑役・清掃等を担う女性労働者)」。大和国安倍郡を本拠とする安倍氏、あるいは伊勢国安濃郡等の出仕女性か。職名がそのまま固有名の識別に用いられている。
- 都努稗田(つの
の ひえだ):
- 「都努(角・都濃)」氏
+「稗田(農耕・雑穀名)」。都努氏は周防国都濃郡を本拠とし、天武13年(684)に朝臣姓を賜った氏族(『古事記』『倭名類聚抄』等に散見)。采女あるいは宮廷に出仕する同氏出身の女性と考えられる。
- 石川尾張(いしかわ
の おわり):
- 「石川」氏
+「尾張(地名・国名)」。近江系石川氏の一支族が尾張あるいは美濃方面に居住・縁故を持っていた可能性を示す。
- 安倍藤子(あべ
の ふじこ):
- 「安倍」氏
+「藤子(藤原氏等と縁故・系統名)」。
このように、律令宮廷における女性下級労働者の命名体系は、単なる個人名ではなく「出身氏族の統制」と「職務・出身地等の識別マーカー」の組み合わせというシステムのもとに管理されていたことが窺える。
第4視点:命婦の行政的統括権限
文中の「依命婦・宣所請」は、歴史学的に極めて重要である。
これは、宮廷の上級女官である「命婦」が、庭女ら下級女性勤労者(ワーカー)4名の「日料」支給に関する伝達・指示(宣)を発し、それに基づいて実務官司が物資を請求した手続きを示している。
- 命婦は単なる名誉職ではなく、女性労働力(庭女・采女等)の現場統括者であった。
- 命婦は宮廷物資の配分に関して「発議・給与請求の行政権限」を行使していた。
第5視点:統治構造のモデル化
本木簡が示す女性労働管理と物資支給の構造は、以下のようにモデル化できる。
4 官司復元と物資循環・サプライチェーンの展開
第6視点・第9視点:欠字復元と官司の性格(「縫○御服所」)
冒頭の「縫○御服所請」の欠字「○」については、律令官庁の体系から「縫殿(ぬいでん/ぬいづかさ)」あるいは「縫司」の表記が充当される可能性が高い(「縫殿御服所」など)。
宮内省被管の「御服司」は、袞冕・冠服・宝髻衣など天皇・宮廷の正式な被服・素材管理を担当する専門官司である。本木簡において「御服司」ではなく「御服所」と表記されている点は、法令上の官司名称というより、現場の実務作業所・部署名として現場官吏(史生等)の間で常用されていた用語であることを物語る。
なお、本木簡が「造酒司」周辺の溝から出土した理由は、造酒司周辺が宮廷内における食料・日料の支給拠点(人給所的機能)に近接しており、衣服製作・管理に従事する女性たちの食料調達手続き文書が同地で処理・棄てられたためと解釈できる。
第7視点・第8視点:衣服製作から「国家的サプライチェーン」への拡張
「御服所」の機能を単なる服飾製作として狭義に捉えるのではなく、「原材料・労働力・情報の管理機構」として再定義する必要がある。
御服の調達には、絹・布・綿のみならず、染色用の「紫草」などの原料が大量に消費される。『延喜式』民部省式「交易雑物」条等を分析すると、東国(常陸3,800斤、相模3,700斤、武蔵3,200斤等、全20,400斤中約79%)および大宰府管内(5,600斤)、九州南部(日向・大隅)から広域的に紫草が正税取引・貢進を通じて平城京へ流入していた。
すなわち、古代律令国家においては、以下の巨大な国家的サプライチェーン(物資循環システム)が確立されていた。
本木簡に記された「鯵16隻・小鰯1升」という小さな日料請求は、この巨大な国家的サプライチェーンの最末端において、現場の女性労働者たちを維持・駆動させるための実務的エネルギー給付の記録にほかならない。
5 出土類似木簡との比較(付記データの統合)
他遺跡出土木簡との比較(『木簡庫』検索データ)により、本木簡の物資・人名表記の位置づけがより明瞭となる。
- 「鯵(アジ)」表記:
長岡京出土木簡や平城京長屋王邸出土の「山田郡贄阿遅」等の例があり、摂津国住吉郡や讃岐国等からの貢進・交易品として宮廷に蓄積され、日料等の人給用に払い出されていたことが確認される。
- 「鰯(イワシ)」表記:
藤原京出土の「与射評大贄伊和(志)」や若狭国青郷の「青郷御贄伊和志腊」、長屋王邸木簡などに頻出する。特に「人給所請○鰯肆拾隻」(平城宮出土)や「轆轤所請鰯」など、宮廷内の特定作業所・労働者への給与(人給・湯料)として鰯が一般的に多用されていた実態と、本木簡の「小鰯一升」は完全に一致する。
- 担当者「勝安麻呂」の背景:
発給に関与した「勝(すぐり)」姓の勝安麻呂は、渡来系氏族の技術的・実務的官吏であり、こうした末端行政実務・帳簿管理の現場に渡来系実務官人が深く組み込まれていた状況を力証している。
6 結論(テキスト復元案の提示)
以上の多角的分析を踏まえ、本木簡の全体像および本来の行政的文脈を以下のように再構成・復元する。
【平城宮出土「縫殿・御服所日料請求木簡」復元文】
(面A:物資・請求)
縫殿御服所請
鯵壱拾陸隻 小鰯一升
(面B:対象者・行政根拠)
安倍庭女 都努稗田 石川尾張 安倍藤子
已上四人日料 依命婦宣所請如件
(面C:日付・署名)
五月廿二日 勝安麻呂
別当 史生阿閇
本論考のまとめ
本木簡は、単なる「魚類の請求書」ではない。
- 宮廷女性労働者の管理: 氏族名と識別コードによる人名管理システムの存在。
- 女性行政権限: 命婦という上級女官が持つ「宣」を通じた物資動員・給与発議権限。
- 行政実務と物資循環: 地方から中央へ流入する貢物・物資が、御服所という実務拠点を通じ、最末端の現場労働者(庭女)の日料へ分配されていく律令国家情報・物資処理システムの凝縮。
本木簡の分析は、法令上の組織図(制度史)にとどまらない、「現場で情報と物資がいかに処理されていたか」という古代行政実務史の具体相を鮮やかに証明する一級の史料である。
残された課題も多い。なによりも、なぜ命婦は4名の采女らに褒章として「鯵と鰯」を与えたのかという問題も解明されなくてはならないが、後日に回したい。
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