正税帳から律令国家を考える
――ポスト・権限・利害・情報処理からみた律令国家の実像
我々の前提
1)はじめに――正税帳を誰が読んだのか
これまで、我々は正税帳を読む際、そこに記された数字そのものに注目してきた。
租・調・庸・正税・出挙稲・利稲・支出・残高――。
これらの数字が正しいか、計算が合っているか、帳簿相互の数字が一致するか。そして、制度上どのような帳簿であり、どの官衙に提出されたのか。もちろん、これらは正税帳研究の基本である。しかし、ここで一歩立ち止まってみたい。
その正税帳を読んだ人間は、何を考えたのだろうか。
帳簿を受け取った中央官僚は、そこに書かれた数字を単純に「読む」だけだったのだろうか。数字を見て、
何を確認したのか。
何を疑ったのか。
何を問い返したのか。
何を「問題なし」と判断したのか。
何を「処理済み」としたのか。
そして、その判断によって、
誰に責任が生じ、誰が評価され、誰が次のポストを得たのか。
この問いを導入すると、正税帳は単なる「地方財政の決算書」ではなくなる。そこには、古代国家の行政情報が、人間によって作られ、人間によって確認され、人間の判断によって処理されていく過程が存在していた可能性がある。
本稿は、その可能性を「現場のロジック」から考察する試みである。
Ⅰ 「誰が、どのポストを、誰に与えたのか」
律令国家を理解するとき、通常は、
中央 → 国司 → 郡司 → 郷・里
という行政組織と命令系統を想定する。この見方は制度史として正しい。
しかし、これだけでは、そこに生きていた人間の姿が見えてこない。そこで、問いを逆転させてみたい。
「誰が、どのポストを、誰に与えたのか。」
この問いから出発すると、これまでとは異なる問題が浮かび上がる。たとえば、
- どのポストが有利だったのか
- どのポストが大きな権限を持っていたのか
- どのポストが物資に接触できたのか
- どのポストが人を動員できたのか
- どのポストが情報を先に入手できたのか
- どのポストが数字を作成・集計できたのか
- どのポストが数字を照合・確認できたのか
- どこに裁量が存在したのか
- そのポストを誰が推薦・任命したのか
- 任期を終えた人物はどこへ移動したのか
という問いである。ここで重要なのは、我々が「古代官僚も私利私欲があっただろう」という単純な性悪説を採用しようとしているのではないということである。むしろ問題にしているのは、
制度上の役割と、人間の利害がどこで重なるのか。
ということである。官人は制度上の役割を果たす。しかし同時に、一人の人間でもある。
したがって、
ポストには、行政上の機能だけでなく、利益・権限・責任・リスク・情報・人的関係へのアクセスが付随していたのではないか。
この可能性を検討する必要がある。
Ⅱ 「利害」を「私欲」と同一視しない
ここでいう「利害」とは、必ずしも私腹を肥やすことではない。むしろ、
利害=そのポストに付随する利益・権限・責任・リスク・資源へのアクセス
と定義付けたい。例えば、ある官人が倉庫を管理していたならば、
そこには稲・穀物などの物資へのアクセスがある。
出挙に関係する人物ならば、元本と利稲の管理に関与する。
逓送に関係する人物ならば、交通と人員、物資の移動に関与する。
帳簿作成に関与する人物ならば、情報を数字に変換する過程に関与する。
検査する人物ならば、その数字を「正しい」「疑わしい」と判断する権限を持つ。
したがって、同じ「官人」であっても、
何にアクセスできるポストにいたのか
によって、その社会的位置は大きく違った可能性がある。この視点を導入すれば、「官職名」だけを見る研究から、
ポストそのものが持つ経済的・行政的価値を分析する研究
へ進むことができる。
Ⅲ 正税帳の数字の背後には誰がいるのか
この視点から正税帳を見ると、数字の意味も変わってくる。例えば、
「帳簿上の数字が合わない。」(アウトライアーoutlier=異常だが、意味を持つ可能性がある値)
⇒正税帳でいえば、 ①郡司家の利害操作②国司交代時の数字の書き換え③村落側の
負担調整④物資の横流し⑤特定氏族の勢力変動など
という事実があったとする。従来なら、
「誤記ではないか。」( mis-record: 欠損・記録漏れ・誤記・失敗 =意味を持たない可能性が高い値(または値の欠如)
⇒ 正税帳で言えば:①書記の単純な記載ミス②行政処理の混乱による欠損③紙背の
剥落④破損による読めない部分⑤計会帳との照合で明らかに矛盾する数字など
と考える。しかし、もう一つの問いを置いてみる。
「なぜ、この数字になったのか。」
さらに、
「この数字を作成したのは誰か。」
「誰が集計したのか。」
「誰が確認したのか。」
「誰が訂正できたのか。」
「誰がその数字について説明責任を負ったのか。」
と問う。そして最後に、
「この数字によって、誰が利益を得、誰が不利益を受ける可能性があったのか。」
と問う。ここで重要なのは、最初から不正を想定しないことである。「数字を書き換えた」と断定するのではなく、
誰が数字を作成・集計・照合・訂正する裁量を持っていたのか
をまず確認する。その上で、不自然な数字が発見されたなら、
「単なる誤記では説明できない可能性はないか」
と検討する。つまり、
不正を探すのではなく、裁量の所在を探す。
この方法ならば、「古代官僚は腐敗していた」という先入観からも、「古代官僚は公正無私だった」という先入観からも自由になる。
Ⅳ 「帳簿は人間を消し切れない」
正税帳には、基本的に人間の感情や人間関係は書かれていない。そこにあるのは数字のみである。しかし、その数字は人間の行政行為から生まれた。
①誰かが稲を数えた。
②誰かが収納した。
③誰かが運んだ。
④誰かが支出した。
⑤誰かが計算した。
⑥誰かが帳簿に記した。
⑦誰かが照合した。
⑧誰かが確認した。
したがって、いささかくどい説明となるが、
帳簿は人間を消しているように見えて、実は人間を完全には消し切れていない。
数字の背後には、行政行為を行った人間がいる。そして、その人間の存在は、
業務の痕跡 → 権限の所在 → 責任の所在 → 資源へのアクセス → 利害の可能性
という形で、間接的に復元できる可能性にチャレンジできるかもしれない。ここに、正税帳研究の新しい可能性がある。
Ⅴ 越前国郡稲帳から「ポストの価値」を考える
この問題を具体的に考えるために、我々は越前国郡稲帳を事例として取り上げたい。ここでは丹生・足羽・敦賀・江沼を、単なる四つの行政区画として見るのではなく、
「それぞれの郡は、何を握っていたのか」
という視点から見るという思考の転換である。現段階では仮説ではあるが、例えば、
- 足羽――出挙・財政資源
- 敦賀――交通・逓送・外部との接続
- 丹生――物資の集散・再配分
- 江沼――境界・物資・対外的接点
という機能差が想定しても構わないかもしれない。もし、この差異が史料的に確認できるならば、極めて重要な問題が発生する。
それは、
「郡司になった」だけでは、その人物の地位を評価できないのではないか。
ということである。問うべきなのは、
「どこの郡司になったのか。」
である。同じ「郡司」というポストでも、そこからアクセスできる資源、情報、交通、人員、物資が異なっていたならば、ポストそのものに価値の差が存在したことになる。これは、
官職研究から「ポスト研究」へ
という発想を移行させることである。
Ⅵ ポストは「資源へのアクセス権」
この視点をさらに一般化すると、官職とは単なる行政機能ではなかった可能性が見えてくる。例えば、
ポスト → 権限 → 資源へのアクセス
という関係である。そして、
資源へのアクセス → 人的ネットワーク
が生まれる。さらに、
人的ネットワーク → 次のポスト
へとつながる道も開ける。そこで、作業仮説として、次の循環を設定してみたい。
任官
↓
任地
↓
権限
↓
資源・情報へのアクセス
↓
人的ネットワーク
↓
評価
↓
次の任官
これを本稿では、
「利害循環モデル」
と呼ぶこととしたい。これは、古代官僚が腐敗していたという意味ではない。その可能性も一概に否定しないが、
人間が制度の中でポストを得、そのポストを通じて権限・資源・情報・人的関係を獲得し、それが次の人事につながる道への連続/不連続
を制度として考えるモデルである。
Ⅶ 「中央集権国家」の見方
このモデルを採用すると、「律令国家は中央集権国家だった」という説明も、少し違った角度から見直す要求に迫られるに違いない。従来のイメージでは、
中央 → 国司 → 郡司 → 地方社会
という一方向の支配が想定されやすい。しかし、中央が実際に地方を統制する方法は、必ずしも日々の行政を直接操作することではなかったのではないか。それどころか、
誰をどこに置くか。
誰にどの権限を与えるか。
誰に資源へのアクセスを認めるか。
を中央が統制する。そうであるならば、
中央集権とは、中央が地方のすべてを直接動かすことではなく、地方を動かすポストの配分権を中央が握ることだった
という国家像も考えられる。ここから、さらに大胆な仮説が導かれる。
ポストの配分は、人事政策であると同時に、権限・資源・情報・人的ネットワークの配分政策でもあったのではないか。
Ⅷ だから、正税帳
では、この人事・権限・資源の循環を、我々はどこから観察できるのか。ここで正税帳が重要になる。正税帳は、本来、地方財政を報告する帳簿である。しかし、その数字が、
収納 → 保管 → 出挙 → 収益 → 支出 → 残高
という行政活動の結果として形成されたものであるならば、その数字には、それを作り出した行政組織の痕跡が残る。したがって、
正税帳は利害循環そのものを記録しているのではない。
しかし、
本来は財政管理のために作成された帳簿が、その作成・確認・提出・訂正の過程を通じて、官人の権限配置、責任関係、資源へのアクセスの痕跡を結果的に残している。
この意味で、正税帳を「利害循環の痕跡」として読むことが可能になる。
Ⅸ 尾張国正税帳――「中央の役人の見方は」
ここで、尾張国正税帳を具体的に考えてみたい。問題は、
「尾張国正税帳には何が書かれているか」
だけではない。むしろ、それは当然として、
「中央の役人は、この帳簿をどのような順番で読んだのか」
である。現存する正税帳は完成された一冊の帳簿として我々の前に残っている。しかし、それが中央官衙に届いた瞬間には、そこに「読む人間」がいた。その人間は、帳簿を最初から最後まで文学作品のように読んだのではないだろう。おそらく、一定の業務上の順序が存在した。現段階では作業仮説として、次のような情報処理を想定したい。
第一段階――形式確認
最初に確認するのは、
「この帳簿は決算書として成立しているか」
である。
1,必要な項目が揃っているか。
2,国全体と郡別の数字が接続するか。
3,前年からの繰越と当年の収納・支出・残高がつながるか。
4,関連帳簿との照合が可能か。
つまり、細かな数字以前に、
「この帳簿を検査できる状態にあるか」
を確認しておきたい。
Ⅹ 第二段階――数字は合っているか
次に、
「数字は合っているか。」
を見る。
収納高、残高、出挙、利稲、支出などを相互に照合する。ここで重要なのは、
「尾張国が報告している数字」
と
「尾張国が保有しているはずの数字」
の一致である。したがって、「正税帳」という名称についても、
「正しい税帳」という意味だけではなく、中央がその正当性を検証できる帳簿
という側面から考えても、良いのではないだろうか。
Ⅺ 第三段階――「なぜ、この数字になったのか」
数字が合っていても、中央の作業は終わらない。例えば、
「今年は出挙利稲が少ない。」
とする。大前提は、「計算そのものは正しい」である。しかし、
「なぜ少ないのか。」
という疑問が生じたときとか、逆に、
「この郡だけ利稲が異常に多い。」
なら、
「なぜ、この郡だけなのか。」
と問う。ここで初めて、「異常値」(アウトライアー)という概念が登場する。
つまり中央が必要としていたのは、単なる「正しい数字」だけではなく、
その数字が生まれた理由を説明できる情報
だった。したがって、
異常値こそ、中央官僚が次に調べるべき情報だった
という仮説が成立する。
Ⅻ 第四段階――数字から行政行為へ
ここまで来ると、正税帳は単なる財務資料ではなくなる。ここで求められるのは、「異常値(アウトライアー)とスクリーニングと行政実務のリアリティ(行政合理性)」というコンセプトである。例えば、
- 収納は十分だったのか
- 出挙は適切だったのか
- 損失は発生していないか
- 支出は過大ではないか
- 災害や損田はなかったか
- 国司は必要な調査を行ったか
- 逓送やその他の行政活動は適切だったか
という問いが生まれる。つまり、
財務報告書 → 行政活動報告書
という転換が起こる。数字を読むことによって、その数字を生み出した行政活動が逆算される。そして、さらにその先に、
「この国司は地位と能力に見合った仕事をしているのか。」
という問いが現れる。
ⅩⅢ 正税帳と国司評価
ここで、重要な仮説を置くことができる。
正税帳 → 国司評価 → 人事
という回路である。中央は尾張国の財政状態だけを見ていたのではない。
その背後にいる、
「尾張国を誰に任せておくべきか」
という人事問題にも、関心を持ったはずである。もちろん、現段階で、
「正税帳は国司の勤務評定表だった」
と断言することはできない。それを直接証明する史料は、今のところ確認されていない。
したがって、これはあくまで、
正税帳が国司評価のための情報源として利用された可能性
を検証する作業仮説として置くべきである。しかし、もしこれが確認できれば、正税帳の性格は大きく変わる。
ⅩⅣ 「評価」とは何
中央が各国を評価するとき、それは単純な「良い/悪い」ではなかっただろう。むしろ、行政上のリスクを分類するような判断があった可能性がある。仮に、
A――安定国:収納・出挙・支出・残高が概ね正常。
B――注意国:数字は合っているが、収益率・支出等に異常がある。
C――問題国:欠損・未納・不整合などが確認される。
D――要調査国:数字だけでは説明できない異常がある。
という分類が可能となる。これはあくまで分析モデルであるものの、全国の国々を毎年、同じ濃度で調査することが現実的でない以上、
問題のない国は通す。
異常のある国に調査資源を集中する。
という行政合理性は十分に考えられる。ここで正税帳は、
中央が地方行政の「異常」(アウトライアー)を発見するためのセンサー
として理解できる。
ⅩⅤ そして「処理済み」という言葉
我々が以前から注目してきたのが、この問題である。帳簿が中央に届く⇒中央官僚がそれを確認する。⇒問題がなければ、大半は
「処理済み」
として次へ送る。問題があ発見されれば、
「説明せよ」
となる。さらに、
欠損・未納・損失がある
↓
「誰が補填するのか」
という問題が生じる。そこには、
責任の所在
が現れる。そして、その先に、
「この人物を次も使うか。」
「別の国へ回すか。」
「中央へ引き上げるか。」
「より重要なポストを与えてよいか。」
という人事判断が存在した可能性がある。ここで、
正税帳 → 勘会 → 評価 → 是正・責任 → 人事
という回路が想定できる。
ⅩⅥ 正税帳の再定義
以上の議論から、正税帳を単純に、
「地方財政の決算書」
と定義するだけでは、その機能を十分に捉えられないのではないだろうか。より広く定義付ければ、
正税帳とは、地方で発生した「カネ・物・労働・行政行為」を数字として中央に送り、中央がそれを読み取り、「正常/異常」「許容/不許容」「信用/要調査」などの行政判断へ変換するための情報装置だったのではないか。
という再定義が可能になる。ここで重要なのは、正税帳そのものが意思決定をするのではないということである。意思決定するのは、当然ながら人間である。したがって、
正税帳=情報
官僚=情報を読む人間
勘会=情報を検証する手続
評価=情報を判断に変換する行為
人事・是正=判断の結果
という構造を抽出できる。
ⅩⅦ 正税帳を「中央官僚の意思決定フロー」から読む
この視点から、尾張国正税帳を再度、読解する。問題は、
「何が書いてあるか」
ではなく、
「この帳簿を受け取った官僚は、どこから見たのか」
である。現段階では、次のような作業仮説を置くことができる。
① 形式確認
↓
② 総額確認
↓
③ 国―郡間の突合
↓
④ 前年度・当年度の比較
↓
⑤ 異常値の発見
↓
⑥ 異常の理由確認
↓
⑦ 国司・郡司の行政活動の評価
↓
⑧ 補填・是正・返却等の処理
↓
⑨ 次年度の行政・人事判断への利用
もちろん、この順番が史実として確定しているわけではない。この順序で正税帳を読んでみれば、帳簿の各項目が、
「中央官僚の頭の中で何を意味したのか」
を具体的に検討できることに気づくだろう。
ⅩⅧ 誰が最初に正税帳を読んだのか
ここで、さらに重要な問題が発生する。
「誰が最初に読むのか。」
本当に最初から太政官が読むのだろうか。
それとも、
国 → 正税帳使 → 民部省 → 主税寮 → 勘会 → 必要に応じて太政官
という情報処理の階層を想定すべきなのだろうか。
もし複数の官衙が関与していたのであれば、それぞれの官衙が同じ帳簿を同じ目的で読んだとは考えにくい。
例えば、
主税寮――数字・計算・帳簿の整合性を見る。
民部省――国の財政状態・租税行政を見る。
太政官――必要に応じて、それを政治的・行政的判断へ変換する。
という役割分担があった可能性がある。この点は史料によって慎重に検証しなければならない。しかし、もし立証できるなら、研究対象はさらに一段進む。それは、
「正税帳という情報が、古代国家の意思決定システムの中をどのように移動したのか」
という一連の課題に直面する。
ⅩⅨ 「ポスト」と「情報」
ここで、冒頭の「誰が、どのポストを、誰に与えたのか」という問いに立ち戻りたい。
ポストは権限を生む。
権限は、特定の資源へのアクセスを生む。
そしてポストは、情報へのアクセスも生む。
例えば、
現場に近い者は、最初に情報を得る。
郡司は郡内の状況を知る。
国司は複数の郡を比較できる。
中央官僚は全国の国々を比較できる。
つまり、同じ数字であっても、
どの位置にいる人間が見るか
によって、その意味が変わる。
この点から見ると情報そのものもまた権力資源だったといっても、誤りではない。そして、
ポスト → 情報へのアクセス → 判断能力 → 次のポスト
という新たな循環が浮かび上がる。
ⅩⅩ 最終的な作業仮説――「正税帳の向こう側に人間を見る」
ここまでの議論をまとめるならば、我々の問題意識は次のようになる。
従来、正税帳は、
地方財政の決算書
として読まれてきた。
我々は、それを否定するのではないが、その上にもう一つの層を重ねたい。正税帳とは、
地方行政の結果を数字として中央に伝達する情報装置
であり、さらに、
その数字を作成・確認・承認・処理した人間の行政行為の痕跡
でもあると。したがって、
正税帳を読むとは、数字だけを読むことではない。
その数字が、
誰によって、どのような業務過程を経て作られ、
誰によって確認され、
誰が訂正する権限を持ち、
誰が責任を負い、
そして、その情報が最終的に誰の判断へ接続されたのか
を逆算することである。この意味で、「正税帳の数字の背後には、人間がいる」と書けば、お叱りを受けるかもしてない、あまりにも文学的な表現であるから。
誰が集めたのか。
誰が運んだのか。
誰が計算したのか。
誰が確認したのか。
誰が責任を負ったのか。
そして、我々の関心は
誰にとって、その数字が「正しい数字」である必要があったのか。
を論じることに逢着した。
おわりに――「律令国家」
ここまで来ると、我々が問うているのは、単なる正税帳の読み方ではない。それは、
律令国家を、制度ではなく、人間が制度を動かす現場として捉え直すこと
である。そこにいるのは、「律令国家」という抽象的な主体だけではない。
ポストを与える者。
ポストを得る者。
権限を持つ者。
物資を管理する者。
人を動かす者。
数字を作る者。
数字を確認する者。
責任を負う者。
そして、その結果を評価する者。
彼らはそれぞれ異なる立場にあり、それぞれ異なる情報と資源へのアクセスを持っていた。したがって、古代官僚を「善良で公平無私な行政官」として扱うことも、逆に「腐敗した官僚」として扱うことも、出発点として適切ではない。必要なのは、
「制度上の役割」と「人間の利害」が、どこで重なったのか
を史料から探ることである。その意味で、我々は次のような循環を仮説として提示できる。
任官
↓
任地
↓
ポスト
↓
権限
↓
資源・情報へのアクセス
↓
行政活動
↓
帳簿・数字
↓
勘会
↓
評価
↓
是正・責任
↓
人事
↓
次のポスト
この循環が実際にどこまで機能していたのか。それを解明することが、次の課題となる。
我々の次の課題は、
尾張国正税帳の各項目を一つずつ取り上げ、そこに記された数字が「誰の、どの業務」によって生み出され、その数字を中央の誰が、どのような目的で確認したのかを具体的にシミュレーションすることである。
そこからさらに、
その業務を担った人物は誰だったのか。
その人物はどのポストにいたのか。
そのポストは何を握っていたのか。
そして、その仕事の結果は、その人物の次の人事にどのようにつながったのか。
を追跡する。そうすれば、正税帳は単なる「国家財政の決算書」ではなくなる。それは、古代国家の中を流れた情報の痕跡であり、その情報を作り、読み、判断し、処理した人間の痕跡でもある。そして最後に残る問いは、極めて単純である。
誰が、どのポストを、誰に、なぜ与えたのか。
この問いから、律令国家をもう一度読み直してみた結果は、近い将来に発表する。
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