2026年9月17日木曜日

The Chiya no Muraji Tane:(千矢連種) Reading District Administration through the Sagami no Kuni Shichō

1,Abstract

This study examines Chiya no Muraji Tane, the district officer (gunji) of Kamakura District in Nara-period Sagami Province, as attested in the Sagami no Kuni Shichō 03740-series. Through a close analysis of seal arrangement, signature formulae, and administrative vocabulary, the paper reconstructs the hierarchical structure of Sagami’s district-officer network and identifies the Chiya lineage as the principal hereditary local elite. The placement of Tane’s seal immediately after the provincial seal demonstrates Kamakura District’s administrative primacy and the central role of the Chiya family in inter-district coordination. A genealogical model of the Chiya lineage is proposed, reflecting the hereditary nature of district-officer families and their multi-member operational structure. Furthermore, the study elucidates the functional division among Sagami’s four districts—Kamakura, Ōzumi, Ashigami, and Aikō—revealing a coherent administrative geography shaped by the Tōkaidō route, cadastral management zones, and mountain–coastal economic gradients. The findings establish a new standard model for understanding provincial governance and local elite lineages in Nara-period Sagami Province.

2,Keywords

Sagami Province; Nara period; district officers (gunji); Chiya no Muraji Tane; Kamakura District; provincial administration; seal arrangement; genealogical reconstruction; Ritsuryō state; administrative geography; cadastral management; local elite lineages.


++++++++++++++++++

<史料>

東大寺文書(重要文化財)03740番台、「相模国司牒」写本群。

■ 03740_0002」

  • 語彙:相模国司牒/清国調郡地牒事/造東大寺/地増銭

  • 国司名:仁智宣平藤原朝臣

  • 郡司名:千矢連種

  • 朱印多数 → 系列の中心写本(A1)

■ 03740_0003

  • 語彙:相模国司/造東大寺/地銭/郡地

  • 書式:行数・朱印配置が0002と同一:→ A1の直系(A1-1)

■ 03740_0004

  • 語彙:調庸・地券・郡地

  • 書式:牒形式(「事」字で区切る):→ A1の派生(A1-2)

■ 03740_0005

  • 語彙:造東大寺司/相模国司/地増

  • 朱印:郡司印→ 造東大寺案件特化(A2)

■ 03740_0006

  • 語彙:調庸/布/郡司名が複数

  • 書式:牒形式→ 調庸系(A3)

■ 03740_0007

  • 語彙:地券/境界/郡地→ 地券系(A4)

■ 03740_0008

  • 語彙:造東大寺/郡司/地銭→ 造東大寺系(A2-1)

■ 03740_0009

  • 語彙:調庸/布/海産物→ 調庸系(A3-1)

■ 03740_0010

  • 語彙:郡司名多数/地券/地増→ 地券系(A4-1)

「富豪」とは何かーー『類聚三代格』中の全用例

<議論の前提>富豪とは、既存の資源を別の価値へ変換する「目の付け所」を持ち、その変換を反復し、利益を再投資することで資源量そのものを増やしていった人間である。


問題設定:「富豪=単なる金持ち」ではなく、さまざまな現場で特定の機能を担うほどの資力を持った人々ではないか。

そこで、『類聚三代格』に見る11個の「富豪」例を、次のように分類することから我々の考察を始めたい。

例年代富豪が現れる場面富豪の具体的行為・位置
①斉衡2(855)郡行政・駅制富豪・恪勤者を郡司に選抜
②承和7(840)飢饉・出挙富豪の財・稲穀を実録し、困窮者へ貸与
③寛平6(894)正税・出挙・耕田富豪の門に良田が集中
④天長7(830)疫病救済富豪が私財を投入して飢病人を救済
⑤昌泰2(899)盗賊・交通坂東富豪が駄運・運送に関与、その一部が掠奪と結びつく
⑥貞観9(867)貯銭禁止富豪が銭を大量蓄積
⑦貞観10(868)租税・郡司富豪宅に稲を蓄え、王臣家の債務・封鎖の対象となる
⑧延喜3(903)唐物貿易富豪が唐人商船の物品を高値で買う
⑨弘仁10(819)麦・食糧富豪が麦を売却・蓄積する問題

ここに我々の問題設定をした理由がある。だれしも気づくことは、「富豪」は財産額によるカテゴリーではないのではないかという点である。

************************

<「富豪」の用例>『類聚三代格』

 ①

巻7/郡司事/23/太政官符/応択諸郡司中恪勤者令興治恵奈郡事/右得美濃国解偁、恵奈郡坂本駅与信濃国阿智駅相去七十四里、雲山畳重、路遠坂高、戴星早廃犯夜遅到、一駅之程猶倍数駅、駅子負荷常困運送、寒節之中道死者衆、朝庭悲之、殊降恩貸、永免件駅子租調、又去承和十一年挙郡給三年之復、頻雖施無限之恩、徒費公家曽無所息、前任良宰雖展治方、猶難興復、況後任愚吏更施何術、今検彼郡課丁惣二百九十六人也、就中二百十五人為駅子、八十一人輸調庸、比之諸郡衰弊尤甚、望請、択諸郡司之中富豪恪勤者、募以五位、期三年内令治件郡、謹請官裁者、右大臣宣、奉勅、依請、与奪之事一准去天長元年八月廿日格、/斉衡二年正月廿八日


②

巻14/出挙事/9/太政官符/応且実録且班給王臣并富豪百姓稲穀事/右検案内、太政官承和五年四月二日下大和国符偁、太政官弘仁十年二月廿日騰勅符偁、頻年不稔百世飢饉、倉廩空尽、無物賑胆、不預周給、恐忘廉恥、宜遣使者実録富豪之財、借貸困窮之徒、秋収之時依数睤報者、「右」右大臣宣、奉勅、量宜制権、随時施化、皇王令範、古今嘉猷、宜因循故実詳令実録、析此有余補彼不足者、宜不論王臣百姓皆悉令貸秋収睤報者、今被大納言正三位兼行右近衛大将源朝臣常宣偁、奉勅、播殖有時、宜仰於国司、因循旧例不論王臣百姓、令且実録且班給、来月卅日以前言上実録班給之状、但其代者秋収之後、依数返給、四畿内亦准此者、時臨東作不得延怠、/承和七年二月十一日

③

巻14/出挙事/15/太政官符/応准耕田数班挙正税并有対捍輩即科其罪事/右得紀伊国解偁、検案内、此国調庸租税并年料雑米、及例貢雑交易等之色、其数猥積、遷代国司無力弁済、空過秩限遂為身煩、伏尋由緒、惣依民不堪躬耕沽却口分田也、方今良田多帰富豪之門、出挙徒給貪弊之民、収納難済、官物自失、因斯承前国吏等准量田畴之数、班挙買耕之人、而或諸司官人雑任并良家子弟内外散位以下及諸院諸宮王臣勢家人等、多接部内領作田地、至于班挙正税、偏恃官位及本主、対捍国司曽無承引、望請官裁、不論土浪貴賎、准耕田数、段別五束以上班挙正税、若有対捍輩者、勘収所営之獲頴、填補不受之官稲、以為懲粛、曽不寛縦、謹請官裁者、中納言兼右近衛大将従三位行春宮大夫藤原朝臣時平宣、奉勅、依請、若懲粛之後猶不悛改、京戸子弟及浪人者、依寛平三年九月十一日格、勒還本郷、及移配遠処、不復留任、其当国人怙終之者、不論有官無職及院宮勢家人録名言上、殊処重科、諸国若有此類、同亦准之、/寛平六年二月廿三日


④

巻17/募賞事/3/太政官符/応養活疫病百姓者預出身叙位階事/右得陸奥出羽両国解偁、自去年十一月、所部之内、疫病流行、或挙家死去、無由葬歛、或駢頭痛苦、無人看養、雖勤鎮謝、有益無損、仍馳駅言上者、被左近衛大将従三位兼守権大納言行民部卿清原真人夏野宣偁、奉勅、如聞、郷閭之間、疫病発動、則称染着、曽不至問、因茲富豪之家積穀猶餓、況乎貧乏之輩有何生理、其死生有命、脩短禀天、嫌避而求生、觸就以致死者、事無所拠、仁靡不酬、徳必有報、豈行仁徳、還罹其咎、黎民之愚遂致斯惑、宜仰国司、重加誨諭、勤令医療、酬彼労効、其養活病者卅人以上、白丁者預於内考、自入色至初位、毎十人加一階、初位至八位已上、毎廿人加一階、外考入内考者減半、若養越此法者録名言上、量其形迹授以五位、但養二等以上親者不在此限、若富豪之室、異輸私物施飢病人、亦同報酬、其法白丁輸稲一千束者預入於内考、入色至初位、毎階二百束、初位至八位已上、毎階四百束、外考入内考者減半、若費養之物越此法者、量其形迹、授以五位者、仍須差専当官精加採訪、療養既訖具録言上、至於仲秋、惣従停止、/天長七年四月廿九日


⑤巻18/関并烽候事/4/太政官符/応相模国足柄坂上野国碓氷坂置関勘過事/右得上野国解偁、此国経年強盗鋒起、侵害尤甚、静尋由緒、皆出僦馬之党也、何者、坂東諸国富豪之輩、啻以駄運物、其駄之所出皆縁掠奪、盗山道之駄以就海道、掠海道之馬以赴山道、爰依一疋之駑害百姓之命、遂結群党、既成凶賊、因茲、当国隣国共以追討、解散之類赴件等堺、仍碓氷坂本権置遉邏、令加勘過、兼移送相模国既畢、然而非蒙官符、難可拠行、望請、官裁、件両箇処特置関門、詳勘公験、慥加勘過者、左大臣宣、奉勅、宜依件令置、唯詳拘姦類勿妨行旅、/昌泰二年九月十九日


⑥

巻19/禁制事/27/太政官符/応禁制貯銭事/右延暦十七年九月廿三日格偁、右大臣宣、奉勅、用銭之道取於軽便、有無均利彼此得宜者也、如聞、外国吏民多有貯蓄、京畿士庶還乏資用、既乖均利之義、亦失得宜之方、宜下厳制不得更然、所有之銭尽皆納官、仍用正税准価給之、送京之功亦用正税、如有蔵而不進為他被告、不論蔭贖科違勅罪、五分其物、一分給告者、四分没官、但伊賀近江若狭丹波紀伊等国不在禁限者、而今畿外諸国富豪之輩、不慎格旨猶事貯積、聞其由緒非充資用、徒奢富強之名各争聚集之夥、辺郡既無通用之理、朝家永増鋳作之労、静論其費誠須懲改、右大臣宣、奉勅、宜更下厳制一切禁断、其所有之銭依先格行之、若隠蔵不進、科罪亦如先格、唯告言者三分給一、国司仍須符到之後卌箇日内、勘録繦数専脚言上、夫捜勘無私言上合期、不論多少、特加褒擢、若乖違符旨延引無申、及許容不勘為他被告、同処違勅罪不曾寛宥、又伊賀近江等五箇国、先格已称不在禁限、宜聴其資用禁其貯蓄、/貞観九年五月十日」

⑦

巻19/禁制事/31/太政官符/一応禁制王臣家妨封郡司百姓等稲事/右撰格所起請偁、太政官去斉衡二年八月廿六日下五畿内諸国符偁、太政官去承和十二年六月廿三日下五畿内諸国符偁、得摂津国解偁、収納租税良由郡司、須先究官物後及私事、而頃年王臣諸家各出家印称有負物、競封郡司及富豪宅取其所蓄之稲、若国司相論却以他故、非只侵損部内、還似与公家相争、今須負諸家物人若在国中彼家牒国、国加追勘、拠法任理彼此得所、如此則公私共平、部内粛然、望請、早被下符永絶姦源、謹請官裁者、右大臣宣、依請、自余四箇国亦宜准此者、而諸国司等不慎符旨、已致違失、弥長姦濫、未聞改轍、凡人情矯偽非一、或侵冤細民多求私利、或仮力貴家巧避公責、国家之蠧莫大於斯、今被右大臣宣偁、其吏道以格式為先、棄而不行、豈循良之謂乎、宜早下知莫令疎漏者、件格可施七道何留五畿、伏望、下知諸国莫令矯濫者、/以前撰格所起請具件如右、中納言兼左近衛大将従三位藤原朝臣基経宣、奉勅、依請、/貞観十年六月廿八日


⑧

巻19/禁制事/45/太政官符/応禁遏諸使越関私買唐物事/右左大臣宣、頃年如聞、唐人商船来着之時、諸院諸宮諸王臣家等、官使未到之前遣使争買、又郭内富豪之輩心愛遠物、踊直貿易、因茲貨物価直定准不平、是則関司不慥勘過、府吏簡略検察之所致也、律曰、官司未交易之前私共蕃人交易者准盗論、罪止徒三年、令云、官司未交易之前不得私共諸蕃交易、為人糺獲者、二分其物、一分賞糺人、一分没官、若官司於所部捉獲者、皆没官者、府司須因准法条慎其検校、而寛縦不行、令人狎侮、宜更下知公家未交易之間厳加禁遏勿復乖違、若猶犯制者、没物科罪、曾不寛宥、/延喜三年八月一日


⑨

巻19/禁制事/46/太政官符/禁断売買麦■事/右去天平勝宝三年三月十四日格偁、大小麦寔能助夏乏、愚癡百姓不慮後欠、頓刈青■徒為沽失、自今以後、堅固禁断、若有違犯、必科重罪、又太政官去大同三年七月十三日騰勅符偁、如聞、富豪之輩不顧憲式、無頼之民尚暗法令、売麦忘食、積習為常、不革前失、依法科処、所司容隠随状貶黜、又太政官今年三月十四日下左右京職五畿内符偁、去年不登、百姓食乏、至于夏時、必有飢饉、救飢之儲不可不備、職国承知依件禁断者、今被大納言正三位兼行左近衛大将陸奥出羽按察使藤原朝臣冬嗣宣偁、奉勅、所在之官忘制無顧、愚暗之民忍法有犯、既違朝制、忽失民粮、静論其弊、深乖済民、又或民寄事坐臥、過刈其好、偏計少直不顧多損、凡是播蒔之時不図地膏、生長之日猶致此費、宜官長自臨蒔時検校、示以此旨莫致後損、若有違犯并播蒔乖宜者、所由官司随事貶考、違犯之人依法推決、/弘仁十年六月二日

2026年9月16日水曜日

『 出雲国計会帳』を分析する「一道データ・フォーマット」の調査研究

 <2026年8月16日成稿>

「一道データ・フォーマット」暫定私案

№

項目

何を記録するか

①

発信日

文書が出発した日

②

到着日

相手側に到着した日

③

発信主体

国府・郡家・節度使・中央官司など

④

作成官司

実際に文書を作成した官司・担当者

⑤

宛先

文書の直接の宛先

⑥

文書形式

解・牒・符・移・進上文書など

⑦

内容

何を伝え、何を要求・報告・照会したか

⑧

道数

どの駅路・伝路を何段階で移動したか

⑨

携行者

使者・大帳使・伝使など

⑩

経路

国府→○○→○○→中央など、実際の移動経路

⑪

到着後の処理

受領・確認・返却・回答・勘検・保管など

⑫

次に発生した文書

その文書を契機として発生した次の文書

⑬

証拠の強さ

A=直接史料、B=かなり確実、C=推定、D=仮説

⑭

一道の目的

報告・命令・照会・確認・請求・回答・催促など

⑮

行政上の結果

何が確定・変更・処理されたのか

我々が本当に知りたいのは、

その文書が行政の中で何を動かしたのか。

であるそして「一道」の単位をこう定義づけたい。了解をこう。たとえば、

A文書発生
↓
A
文書発送
↓
使者移動
↓
B
官司到着
↓
B
官司が読む
↓
疑義・確認
↓
C
文書作成
↓
C
文書発送
↓
A
文書の案件が処理される

ここまで「一道」として、我々の観点からすれば、

  一つの行政案件について、情報が発生してから処理結果に至るまでの、文書・人・交通

  の一連の動き

だと理解したい。このことによって、

「物資と情報が循環する行政システム」

への考えがより鮮明な理解へと至ると信じる。加えて、たとえば、

A文書
↓
「これについて確認せよ」
↓
B
文書
↓
「確認結果」
↓
C
文書

となっていたならば、A → B → C という「文書の連鎖」ができる。すると計会帳は、単なる

  「○月○日に○巻の文書を送った」

という発送記録のカテゴリーでは収まり切れず、

  古代国家の情報処理履歴

として理解すべきこととなる。だからこそ、我々の考察をもう一段進めるならば、この15項目を固定フォーマットにして、出雲国計会帳の全記事を入力して、最終的には、

道

発信

宛先

文書

携行者

経路

処理

次文書

証拠

道001

出雲国府

中央

○○解

○○

出雲→…

受領

○○牒

A

道002

節度使

出雲国府

○○符

○○

鎮所→出雲

命令受領

出雲解

A

道003

郡家

国府

○○解

○○

郡→国府

勘検

○○移

B

という形に仕上げることが可能であり、その私案を公表する心づもりである。

① 文書の平均到達時間

② 国府→中央と中央→国府の時間差

③ どの官司が最も多く発信しているか

④ どの官司が「返信」を生み出しているか

⑤ 一つの案件について何通の文書が発生するか

⑥ 文書が一方通行なのか、往復するのか

⑦ 同じ案件が何度確認されるのか

⑧ どの文書が「次の文書」を発生させるのか

そして最も興味深いのは、

  ⑨ 「到着したのに、次の文書が発生しない」ケース

である。これは「処理済み」なのか、それとも史料が失われただけなのか。逆に、

  ⑩ 一通の文書から複数の文書が枝分かれするケース

があれば、行政情報がどのように分配されたかも、確認することで、古代行政の実態解明に大きく貢献できるはずである。したがって、私はこの作業をこう名付けたい

   「出雲国計会帳・一道データ化」

そして最終的には、

   計会帳 → 道データ → 文書連鎖 → 行政処理ネットワーク

という4段階にする計画である。一言でいえば、「正税帳を読んだ人間が何を考え、何を疑い、何を命じ、何を確認し、そして何を『処理済み』としたのか」という問題へ直結したい。そのうえで、計会帳は「文書が動いた記録」、正税帳は「情報が処理された痕跡」として、同じ「古代行政の情報処理システム」を別方向から見ることができる。

なお、出雲国計会帳については、早川庄八「天平六年出雲国計会帳の研究」を収録した『奈良時代の文書』など、従来研究の蓄積もある。しかしながら、そうした幾多の優れた先行研究の上に、我々は『出雲国計会帳』の概説作業から、次の段階へと移行し、実際に『出雲国計会帳』の本文を一行ずつ拾い、一道001、一道002……とデータ化する段階に入るべきだと信じる。

 本稿は、その予告編である。本編の公表は近日中です。

Ancient Japanese History asks why they were made to balance.ーーAccounting tells us whether the numbers balance. --

<Summary>

We might say, somewhat provocatively, that a “bean counter” would stop when the numbers add up. My question begins there.

“Do the numbers add up?” is an accounting question.
“How did the numbers become authoritative?” is a historical question.

The Originality of My Research

The originality of my research lies not simply in applying quantitative analysis to early Japanese administrative records, but in developing a methodological framework for understanding how numerical information was produced, verified, and transformed into authoritative state knowledge.

I approach tax registers, unit-price accounting records, population registers, and related administrative documents not merely as records that describe economic or demographic conditions, but as artifacts of administrative knowledge production. By reconstructing the processes through which figures were calculated, compared, questioned, corrected, and ultimately accepted, I seek to uncover the administrative logic that lies behind apparently routine numerical records.

This perspective shifts the central question from “Do the numbers add up?” to “Why do these numbers take this particular form?” In other words, I am interested not only in accounting, but in the process through which accounting became accountable. A numerical figure in an eighth-century administrative record was not simply a representation of an existing reality. It was the outcome of interactions among local officials, taxpayers, goods, documents, accounting procedures, and higher authorities. The study of such figures therefore provides a means of reconstructing how the ritsuryō state converted complex local realities into administratively manageable information.

This distinction is especially important when reading the Sōzei-chō (tax registers). A set of figures that “balances” should not automatically be regarded as the end point of the inquiry. The balance itself may be an administrative achievement that requires explanation. Who made the figures balance? By what procedures? On the basis of what evidence? Who checked them, questioned them, corrected them, or authorized them? And what happened when the figures did not correspond neatly to the realities of collection, storage, transfer, loss, or expenditure?

Methodologically, my research combines quantitative anomaly detection, administrative geography, documentary analysis, and the study of kinship-based power relations. These approaches are used not as separate analytical techniques but as mutually reinforcing means of reconstructing administrative processes. An anomalous figure, for example, may lead to the identification of a particular administrative action; the geographical distribution of that action may reveal the movement of goods or documents; and the officials involved may reveal networks of authority and interest that are otherwise difficult to detect.

This approach changes how administrative records should be understood. Rather than treating them as static fiscal statements, I regard them as surviving traces of a continuing process of investigation, verification, adjustment, and authorization. The important question is therefore not simply whether the figures were mathematically consistent, but how they were made acceptable as official figures. In this sense, the apparently mundane act of making an account “balance” becomes a historical source in its own right.

The broader contribution of my research is thus a new conceptual understanding of ancient governance. Numerical reasoning was not merely a technique for recording economic activity. It functioned as a technology through which the state rendered people, land, goods, and local resources legible, comparable, and administratively actionable. By tracing the movement and transformation of information through documents, officials, places, and numerical systems, my research seeks to show how the ritsuryō state produced knowledge about its own territory and used that knowledge to exercise administrative authority.

In this sense, the originality of my research lies in shifting the study of ancient administration from what the numbers recorded to how the numbers became authoritative. Numerical records should therefore be read not only as evidence of the past, but also as evidence of the processes through which a state constructed, verified, adjusted, and ultimately authorized its knowledge about the society it governed.

2026年9月14日月曜日

五味晋先生との対話:『出雲国計会帳』を「一道」で読む

『出雲国計会帳』を「一道」で読む

――五味先生との対話から生まれた15項目方式

1 「重箱の隅」に穴を開ける

五味晋先生:
僕が紹介する前に、すでに市大樹さんの論文を読んでいたので、少し驚いたよ。最近、頑張っているね。

私:
ありがとうございます。

最近、『出雲国計会帳』を読み直しているのですが、先生から以前いただいた山陰道節度使、多治比県守についてのアドバイスが、思いのほか大きかったんです。

それまで私は、節度使を、

「出雲国に命令を出した軍事官」

くらいに考えていました。ところが、計会帳を一つ一つ追っていくと、どうもそれでは収まりません。

節度使から出雲国へ、

  • 人事
  • 兵士
  • 武器
  • 馬
  • 布帛
  • 輸送
  • 烽
  • 公文書
  • 規程
  • 使者

に関する文書が送られている。一方、出雲国から節度使へも、解文などが送られている。

すると、節度使を単独の「軍事官」として見るより、

節度使を核として、人・物・情報・公文書が動くネットワーク

として見た方がよいのではないか、と思い始めました。

五味晋先生:
そうだね。

ただ、「ネットワーク」と言うだけでは、まだ抽象的すぎる。誰が、いつ、誰に、何を送り、それがどうなったのか。そこまで追ってみたらどうだい。

私:
つまり、

誰が命令を書いたのか
↓
誰が運んだのか
↓
どこを通ったのか
↓
誰が受け取ったのか
↓
何を処理したのか
↓
その結果、次にどんな文書が生まれたのか

まで追う。

五味晋先生:
そう。

制度としての「節度使」ではなく、

節度使という制度が、実際に仕事をした瞬間

を捕まえるんだ。

私:
なるほど。

先生が以前おっしゃった、

「重箱の隅もつついている感じがしても、錐で穴が開いたならば、そこから抜け出た世界は広い。その感動だよ、勉強は」

という言葉を思い出しました。

五味晋先生:
本気でそう思っているのかい?

私:
……疑われていますね(笑)。


2 まず「一道」に切ってみる

私:
そこで、計会帳を読む方法を変えてみました。全体をいきなり推計するのではなく、現存する記事を一つずつ切り出す。

まずは、まとまっている

「節度使符参拾弐条」

を取り上げました。

32条です。

たとえば、

天平五年八月二十日
符壱道
〈国造帯意宇郡大領外正六位上勲十二等出雲臣広嶋追状〉
以八月廿五日到国

とある。

これなら、

8月20日発信 → 8月25日到着

という一本の動きを確認できます。

そこで私は、これを、

S02=一道001

のように登録していくことにしました。

五味晋先生:
それはいい。

ただし、「一道」という言葉を、すぐに「一本の道路」と理解してはいけないよ。

私:
はい。

そこは重要だと思っています。

計会帳に「壱道」と記載されていること自体を、まずデータとして保存する。

「一道」が具体的にどのような送達単位なのかは、その後に考える。

五味晋先生:
その方がいい。

史料に書いてあることと、君の解釈を最初から混ぜないことだ。


3 「四巻二紙」をどう数えるか

五味晋先生:
では、少し難しい問題を出そう。

「申送公文肆巻弐紙」

これはどう数える?

私:
……。

これは、いきなり「六通」と数えてはいけないですね。

「四巻二紙」は、少なくとも、

  • 記事
  • 文書
  • 巻
  • 紙

という異なる単位を含んでいます。

したがって、

記事単位
文書単位
巻単位
紙単位

を分けて記録した方がよい。

五味晋先生:
そう。

そして、「一道」と「巻」と「紙」を同じ数字にしてはいけない。

これは後で非常に重要になる。

私:
そこで、データベースでは、

「何の記事か」
「何道か」
「何巻か」
「何紙か」

を別フィールドにすることにしました。


4 まず32道を並べてみる

私:
実際に32道を並べてみると、面白いことが分かってきました。

例えば、

8月20日発 → 8月25日着

は5日。

一方、

3月25日発 → 4月1日着

は7日。

さらに、

2月5日発 → 3月23日着

は46日。

そして、

4月12日発 → 5月22日着

は40日。

五味晋先生:
ずいぶん違うね。

私:
はい。

だから、

「節度使から出雲まで○日で届いた」

と平均値だけを出してしまうのは危険です。

むしろ、

なぜ46日なのか。
なぜ7日なのか。
なぜ40日なのか。

を調べなければならない。

五味晋先生:
その通り。

「平均」を出す前に、「異常値」を見なさい。

異常値には、行政の仕組みが隠れているかもしれない。

私:
まさに、先生の言う「錐の穴」ですね。

5 「一道」を並べると、文書がつながってくる

私:
さらに面白いのは、同じ人物や同じ案件について、複数の文書が現れることです。

例えば巨勢朝臣首名。

8月20日には、

介正六位上勲十二等巨勢朝臣首名鎮所参向事

という記事がある。

そして後には、

介正六位上勲十二等巨勢朝臣首名事訖却還任所状

が出てくる。

つまり、

参向
↓
任務
↓
事訖
↓
帰還

という一連の行政過程を考えられる。

五味晋先生:
そこだよ。

一通ずつ読むだけでは、「別々の記事」に見える。

しかし、人物や案件をキーにして結び直せば、

一つの行政案件が複数の文書を発生させた

ことが見えてくる。

私:
だから「次に発生した文書」という項目が必要になる。


6 「烽」を追う

私:
その典型が烽です。すでに先行研究もあるが、

例えば、

3月3日
「応置烽処状」

さらに、

3月25日
「置烽期日辰放烽試互告知隠伎相共試状」

4月1日到着。

そして、

4月6日
「出雲隠伎二国応置烽状」

4月12日到着。

さらに出雲側から、

「出雲与神門弐郡置烽三処申送事」

と送っている。

そして、

「烽相試状」

も現れる。

五味晋先生:
つまり、

命令
↓
実施
↓
試験
↓
結果報告

という流れが見える可能性がある。

私:
そうなんです。

一つ一つの「一道」をバラバラに数えるだけではなく、

一つの行政案件が何本の文書を生み出したか

を見る。

これが今回の一番大きな発見かもしれません。


7 12項目から始める

私:
そこで、最初は12項目にしました。

① 発信日
② 到着日
③ 発信主体
④ 作成官司
⑤ 宛先
⑥ 文書形式
⑦ 内容
⑧ 道数
⑨ 携行者
⑩ 経路
⑪ 到着後の処理
⑫ 次に発生した文書

五味晋先生:
うん。

でも、実際に史料を切り始めると、もう二つ必要になってくる。

私:
何でしょう?

五味晋先生:

⑬ 証拠の強さ

例えば、

  • A=計会帳に明記
  • B=他記事との照合でほぼ確実
  • C=有力推定
  • D=仮説

だ。

これを入れておかないと、あとで、

「これは史料に書いてあるのか?」

が分からなくなる。

私:
確かに。

そしてもう一つは、

⑭ 文書の状態

ですね。

  • 現存記事
  • 欠損
  • 断簡
  • 前後欠
  • 文書束
  • 巻
  • 紙
  • 道数明記

など。

五味晋先生:
そう。

史料の状態もデータにしておいた方がいい。


8 最後の一項目

私:
ところが、ここで私は迷いました。

12項目の中に、

⑪ 到着後の処理

があります。

ところが、実際に追跡してみると、

「文書を受け取った」

ことと、

「その文書によって人や物や別の文書が動いた」

ことは、どうも同じではない。

五味晋先生:
そこは分けた方がいい。

私:
例えば、

節度使符
↓
出雲国に到着
↓
国府が受領
↓
人を召喚
↓
伝馬を出す
↓
返答文書を作る
↓
節度使へ申送る

という場合、

「到着後の処理」と「その結果として起こった行政行為」は違います。

五味晋先生:
その通り。

だから、

⑪ 到着後の処理

文書そのものがどう扱われたか

と、

⑮ 到着後の行政行為

その文書を契機として、人・物・金・情報・別の文書がどう動いたか

を分けたらいい。

私:
なるほど。

そうすると、この研究の対象は単なる「文書物流」ではなくなります。

文書が行政行為に変わる瞬間

を追える。

五味晋先生:
そういうことだ。


9 15項目「一道データ・フォーマット」

私:
では、最終的にこうしましょう。

No.項目何を見るか
①発信日文書が発信された日
②到着日相手側への到着日
③発信主体節度使・国司・中央官司・他国など
④作成官司実際の文書作成主体
⑤宛先文書の受信主体
⑥文書形式符・解・移など
⑦内容文書が扱う案件
⑧道数「壱道」「弐道」など
⑨携行者使・駅使・大帳使など
⑩経路確認できる送達経路
⑪到着後の処理受領・確認・保管・回答など
⑫次に発生した文書当該案件に続く文書
⑬証拠の強さA~D
⑭文書の状態完存・断簡・欠損・束・巻・紙など
⑮到着後の行政行為人・物・金・情報・文書に生じた変化

五味晋先生:
これならいい。

そして大事なのは、最初から全部埋めようとしないことだ。

分からなければ、

「不明」

でいい。

推定なら、

「C」

と書けばいい。

私:
つまり、

空欄を恐れない。

五味晋先生:
そう。

分からないことを「分からない」と記録するのも、研究だよ。


10 「計会帳」の数字は最後に出す

私:
では、作業手順も決まりました。

第一段階
現存する記事を一つずつ「一道」に分解する。

↓

第二段階
発信日・到着日を付ける。

↓

第三段階
発信主体・作成官司・宛先・携行者を特定する。

↓

第四段階
同一人物・同一案件について文書を結び直す。

↓

第五段階
文書の連鎖から、行政行為を復元する。

↓

第六段階
最後に、公文書の総数や送達量を集計する。

五味晋先生:
それでいい。

数字は最初に決めるものではない。

データを作った結果として、数字が出てくる。

私:
なるほど。

そうすると、最終的に問えるのは、

「天平五~六年、出雲国府では何通の公文書が動いたのか」

だけではない。

むしろ、

「その公文書は、何のために動いたのか」

です。

五味晋先生:
そうだね。

そして、その先にもっと大きな問いがある。

文書は、行政の中で何をしたのか。

私:
……。

それは、かなり大きな問いですね。

五味晋先生:
だから面白いんだよ。


11 「一道」から見えてくるもの

『出雲国計会帳』を15項目の「一道データ・フォーマット」に置き換えると、計会帳は単なる文書の発送記録ではなくなる。

一つ一つの文書について、

発生
↓
発信
↓
移動
↓
到着
↓
受領・処理
↓
行政行為
↓
次の文書

という過程を追跡できるからである。

そして、ここから初めて、

「制度としての律令国家」ではなく、「文書を送り、人を動かし、物を動かし、返答を求め、確認し、次の文書を生み出す国家」

という、もう一つの律令国家像が見えてくるかもしれない。

私はこれを、仮に、

「現場のロジック」「現場の行政」

と呼んでみたい。「一道」とは、単なる文書の数え方ではない。

それは、

一つの行政情報が、どこから生まれ、誰によって運ばれ、誰に届き、何を動かし、次の情報を生み出したのか

を追跡するための、最小の分析単位なのである。

そして、この15項目方式を、私は正式に、

「一道データ・フォーマット」

と呼ぶことにしたい。

通称「天平十年上階官人歴名」調査メモーー天平9年の天然痘大流行から天平12年の藤原広嗣の乱へ至るタイムカプセル」

正倉院文書『続々修24ノ5断簡7(4)裏』、通称「天平十年上階官人歴名」の一部)を読む

正倉院文書・古代史研究の知見に基づき、この史料からは、次の特筆を認められる。

1. 史料からの「発見」

この史料から読み取れる最も重要な発見は、「天平10年(738年)当時、藤原広嗣が『大養徳守(大和守)』と『式部卿』を兼任していたこと」、そして「中央の主要省庁(式部省・兵部省)や畿内・諸国の長官(国司)として、藤原氏・大伴氏をはじめとする特定氏族の重要人物が集中的に配置されていたこと」である。史料冒頭の1行目に注目してほしい。

式部大丞大伴犬甘 兵部大丞大伴古万呂 大養徳守藤原広嗣〈兼式部卿〉

主なポイント:

  1. 藤原広嗣への権力集中
    • 藤原広嗣が「大養徳守」という畿内重要国の長官であり、中央の主要な官衙筆頭である「式部卿」を兼任していたこと。
  2. 大伴氏と藤原氏の武官・文官への重点的配置
    • 大伴犬甘(式部大丞)、大伴古万呂(兵部大丞)、大伴四綱(少掾)など、大伴氏の有力人物が軍事・式部関係の要職に名を連ねていること。
  3. 東国・北陸・南海など全国国司のリアルタイムな一覧
    • 遠江守(百済王孝忠)、越前守(藤原乙麻呂)、陸奥介(百済敬福)などをはじめとして、天平10年時点で、どの国の国司・官人が誰であったかが判明。

2. 「なぜ」そのようになっているのか(背景と理由の考察)

 なぜこのような官人配置になっていたのか、当時の政治状況(天平9年~10年の歴史的文脈)からを紐解きたい。

① なぜ藤原広嗣が式部卿と大養徳守を兼任していたのか?

  • 藤原四兄弟の相次ぐ全滅(天平9年の天然痘大流行): 天平9年(737年)、猛威を振るった天然痘(疱瘡)により、政権の中枢にいた藤原四兄弟(武智麻呂・房前・宇合・麻呂)がわずか数ヶ月の間に全員死亡した。
  • 藤原式家による権力掌握の焦り: 四兄弟の死後、政権は橘諸兄(橘諸兄政権)や玄昉・吉備真備らに移行していく。宇合の長男である藤原広嗣は、式家の惣領として藤原氏の勢力を維持・拡大するため、式部卿(人事権を握る超重要ポスト)と大養徳守(都の膝元である大和国の軍事・行政権)を兼任し、一時的に強力な権力基盤を握った。しかし、橘諸兄政権との対立が激化したことで、それも風前の灯火でしかなかった。

② なぜこの直後に「広嗣の乱(天平12年)」が起きたのか?

  • この史料(天平10年)の直後、橘諸兄政権によって広嗣は中央(式部卿)から追放され、大宰少弐へと左遷される。
  • 大宰府への左遷に強い不満を抱いた広嗣は、天平12年(740年)に玄昉や吉備真備の除名を求めて九州で挙兵した(藤原広嗣の乱)。この史料に見る見る「大養徳守 兼 式部卿」という肩書は、広嗣が失脚・左遷・挙兵へと向かう一連の事件直前の姿を瞬間的に捉えている。

③ なぜ大伴氏(古万呂・四綱ら)が要職に配置されているのか?

  • 大伴氏は伝統的な軍事氏族である。日本各地を襲ったパンデミックによって社会・政治が極度に混乱した天平9~10年において、藤原氏のライバルである大伴氏は橘諸兄政権支持勢力として、藤原氏を牽制する役割も担っていたと想定される。

したがって、この断簡は、単なる名簿ではなく「古代史の巨大な転換点(天平9年の天然痘大流行から天平12年の藤原広嗣の乱へ至る過渡期)の政治構造をそのまま切り取ったタイムカプセル」である。

2026年9月13日日曜日

正税帳は地方財政報告書にすぎないかそれとも人事情報装置か?

 我々の前提

正税帳を読んだ人間が何を考え、何を疑い、何を命じ、何を確認し、そして何を「処理済み」としたのか


ここで、次のような問いを設定したい。

「誰が、どのポストを、誰に与えたのか」

たとえば国司・郡司を単なる「行政官」として見ると、

   中央 → 国司 → 郡司 → 里

という命令系統しか見られない。しかし、これを人間の利害関係から逆向きに見れば、次のリストが思い浮かぶ。

  • どのポストが「儲かる」のか
  • どのポストが「権限を持つ」のか
  • どのポストが「物資に接触できる」のか
  • どのポストが「人を動員できる」のか
  • どのポストが「数字を書き換えられる」のか
  • どのポストが「数字を確認する側」に回れるのか
  • そして、誰がそのポストを獲得したのか
  • 誰がそのポストに任命できるか

 とはいえ、ここで注意を喚起したいが、われわれは「古代官僚も私利私欲があっただろう」と言う単なる「性悪説」を考えているのではなく、正税帳そのものを、人間の利害が制度の中で残した痕跡として読むという分析視点の構築である。

ここまで行くと、正税帳理解はまったく異なったベクトルに向かう。ここで「現場のロジック」で考えてみると、例えば、

  「帳簿上の数字が合わない。」⇒「なぜだ?」⇒「単なる記載ミスなのか」

それとも、

  「誰かにとって都合のいい数字だったのか。」=「どのポストが「数字を作成・集計・確認・訂正できる」のか」

という推測さえも思い浮かぶ。これまでの「平和で、善良な古代官僚」の理解はいったん保留して、古代官僚の「利害」(the vested interests of ancient officials)をキーワードとして、正税帳を一覧してはどうだろうか。その視点に立てば、「国司は何をしたか」ではなく、

  なぜ、その人物が、その場所の、その職に就いているのか。

を問うことになる。

 突然に時代を現代に戻せば、唐突すぎるとは知っているが、現代の政治家にとっても、

  • 物資(カネ)を握る者は人を集める

  • ポストを握る者は人を従わせる

  • 人脈を持つ者は次のポストを得る

  • ポストは再び物資と人脈を生む

つまり、古代律令制とても、正税帳はこの循環の“痕跡”を記録した帳簿 として読むことに無理はないはずである。重ねていえば、我々の視点を導入すれば、古代官僚を「善良で、公平無私な行政官」として扱う従来の理解をいったん停止し、

  利害循環モデルを導入して正税帳を読み直すべきだ

という問題提起に逢着する。古代律令社会が生み出したのは、

任官 → 任地 → 権限 → 物資への接触 → 人的ネットワーク → 次の任官

という循環が存在した可能性である。すると、「律令国家は中央集権国家だった」という教科書的な一枚絵が崩れる。中央が地方を完全に支配していたのではなく、

  中央が地方のポストを配分することによって、地方の人的ネットワークを統御していた

という別の国家像が見えてくるからである。さらに大胆に言えば、

ポストの配分こそが、律令国家の人事政策であると同時に、利害関係の配分政策だったのではないか。官職は単なる「行政機能」ではなく、資源へのアクセス権である。

我々は、「古代官僚=腐敗官僚」だと認定するつもりはない。研究対象にすべきなのは、

「制度上の役割」と「個人的・集団的利害」がどこで重なるのか

だと考える点にある。たとえば、

  • 郡司にとって郡稲は何を意味するのか
  • 国司にとって正税・出挙稲の管理は何を意味するのか
  • 倉庫担当者にとって「入庫・出庫の確認」は何を意味するのか
  • 運送担当者にとって「逓送」は何を意味するのか
  • 検査する官人にとって「数字の不一致」は何を意味するのか

このようにみると、利害=私欲ではなく、

利害=そのポストに付随する利益・権限・責任・リスク

として分析できると考えられ、静態的な正税帳研究から、その先の古代律令国家の本質の一端を把握できる糸口となるはずだという信念さえ生まれる。先に、正税帳はこの循環の“痕跡”を記録した帳簿だという作業仮説を提起した。その意味は、「正税帳が利害循環そのものを記録している」という意味ではなく、

本来は財政管理のために作成された帳簿が、その作成・確認・提出・訂正の過程を通じて、官人の利害関係や権限配置の痕跡を結果的に残している

だと認識しているからである。その点では、帳簿は人間を消しているように見えて、実は人間を消し切れていないと言えば、言い過ぎだろうか。様々な数字の背後に、

  • 誰が数えたか
  • 誰が確認したか
  • 誰が承認したか
  • 誰が責任を負ったか
  • 誰にとってその数字が有利だったか

が残っていると考えたい。したがって、我々の観点を越前国郡稲帳分析に重ねると、さらに興味深い事実を指摘できる。丹生・足羽・敦賀・江沼を単なる行政区画として見るのではなく、それぞれの郡が「何を握っていたのか」の視点の導入である。

足羽は出挙。

敦賀は交通・逓送。

丹生は物資の集散・再配分。

江沼は境界・物資・外交的接点。

もしこうした差異が実際に確認できるなら、

郡司にとって、すべての郡が同じ価値だったとは限らない。

となる。「郡司になった」という事実だけでは足りない。問うべきは、「どこの郡司になったのか」である。古代の官職研究を、官職名の研究から「ポストの経済価値」の研究へ転換する発想の逆転である。だからこそ、我々の問いは

そのポストは、だれが、いつ、どんな形で配分し、その結果は?

へとつながる。これまでのように、「誰が任命されたか」という人名表を作るだけでは足りない。より積極的に、

① ポストの種類
↓
② そのポストが握る物・人・情報・権限
↓
③ そのポストを誰が推薦・任命したか
↓
④ 任期中に何をしたか
↓
⑤ どの帳簿に、その人物の仕事の痕跡が残るか
↓
⑥ 任期終了後、その人物がどこへ移ったか

まで追跡すれば、正税帳は単なる「国家財政の決算書」ではなくなるだろう。

  「人間関係の痕跡を残した行政データベース」

と定義づけてもよいレベルに到達すれば、次は

正税帳を読むとは、数字を読むことではない。

その数字を作った人間を見ることである。

誰が集めたのか。

誰が運んだのか。

誰が計算したのか。

誰が確認したのか。

誰が署名したのか。

そして、誰にとって、その数字が「正しい数字」でなければならなかったのか。

そこまで考えたとき、正税帳の向こう側に、初めて人間が現れる。

そこにいるのは、「律令国家」という抽象的な国家ではない。

カネを必要とし、権限を求め、ポストを欲しがり、仲間を作り、親分を選び、子分を抱え、ときには制度の隙間を利用する、生身の人間である。

だからこそ、次の問いが生まれる。

そのポストを、いったい誰が配ったのか。

いつ、誰に、何を期待して与えたのか。

そして、その人事によって、古代国家のカネと権限は、実際にはどのように流れたのか。

 

となり、「律令国家の制度史」ではなく、ポストをめぐる人間の歴史として、考える視覚が求められる。だからこそ、

  「尾張国正税帳が中央に届いた瞬間、中央官僚の頭の中では何が始まったのか」

という問いも設定される。これは事実である、従来の説明通りに、

国司が正税帳を作成する
↓
中央へ提出する
↓
民部省・主税寮が勘会する

は間違いないからである。実際、制度上、正税帳が民部省主税寮で監査を受け、問題があれば損益帳が作られ、正税帳が返却されるというシステムが機能していたはずである。しかしながらその「勘会」というブラックボックスを開けるならば、次のような段階的な情報処理をしたと推定している。

1 第一段階――「これは信用できる帳簿か?」

最初に見るのは、細かな数字ではない。帳簿そのものの成立条件である。尾張国正税帳は、天平6年(734)度のものが現存し、冒頭に国全体の収支、その後に郡別の収支が並ぶことが確認できる。したがって、中央側からすればまず、

必要な項目が揃っているか?

国全体の数字と郡別数字がつながるか?

前年からの繰越・当年収納・支出・残高が連続しているか?

添付される枝文・関連帳簿と照合できるか?

を確認するだけでよいはずである。これは現代で言えば、「この経費は妥当か?」を議論するのではなく、決算書として成立しているかを最初にチェックするのが、一般的なやりかたである。

2 第二段階――「数字は合っているか?」

ここから、計算。中央官僚にとって最も重要なのは、

収納高
+ 前年度からの残高
+ 出挙による収益
- 支出
= 現在高

という基本的な関係が成立しているか。そして、国全体の数字と郡別数字が一致するか。「尾張国が報告している数字」と「尾張国が本当に持っているはずの数字」の一致を確認する作業は不可欠である。「正税帳」という名前の意味を改めて考えると、「正しい税帳」だから正税帳なのではなく、中央が「正しい」と判定できることが重要だったと言い換えるべきである。

3 第三段階――「その数字は、なぜそうなった?」

帳簿というのは、「数字が合った」で終わることはない。例えば、「今年の出挙利稲が少ない」

とする。すると中央官僚は、「計算は合っている。でも、なぜ少ない?」と考えるだろう。その逆もある。「この郡だけ異常に利益が多い。」ならば、

「なぜだ?」

という論理法である。中央が欲しがったのは単なる「正しい数字計算」ではなくて、

数字の背後にある行政活動の説明

だったのではないだろうか。だからこそ、中央官衙には、「異常値こそ、中央官僚が次に調べるべき情報だった。」となる。

4 第四段階――「その国司は業務に精励しているか?」

話題を変えるが、正税帳が人事資料に変換すると考える発想に転換できないだろうか。尾張国の財政状態を見てみよう。すると、

  • 収納は十分か
  • 出挙は適切に運用されているか
  • 不足はないか
  • 支出は過大ではないか
  • 災害・損田などの事情はどうか
  • 国内巡行をきちんと行っているか

などが列挙される質問が飛び出したはずである。浮かび上がるのは、天平期の正税帳には残る国司の国内巡行である。彼らはその旅費支出を通して、各地の収穫状況や損害調査などの行政活動を確認したはずである。すると正税帳は、

  財務報告書 → 行政活動報告書

へと移行する。そして、その先に、待ち構えているのは、太政官による

  「この国司は有能なのか?」

という評価である。

5 正税帳 → 国司評価 → 人事

私はここで、さらに一段踏み込みたい。中央官衙は尾張国正税帳を見ても「尾張国の財政状態」だけを評価したのではない。むしろ、「尾張国を誰に任せておくべきか」という判断材料にすることも十分に想定できる。それゆえに、正税帳 → 国司評価 → 人事という回路である。繰り返すが、天平6年の尾張国正税帳について、これを直接「国司の勤務評定表だった」と証明する史料は、今の段階で見つかっていない。したがって、除目が開催されたと証拠づける史実として断言するのではなく、あくまでも正税帳が国司評価に利用された可能性にとどまるものの、一つの作業仮説として置きたい。

6 では「評価」は何を意味したのか?

とはいえ、国司に対して、国の財政運営が「良い/悪い」という単純な評価ではなかったにちがいない。むしろ中央の評価基準は各国を、大-上-中-小などの郷数で分類しているものの、それは中央にとって、人事を実施するに、どの国に何名の国司を派遣すればよいかを算定する基準にすぎなかった。最も関心を寄せたのは、

A 安定している国:収納・出挙・支出・残高が正常

B 注意を要する国:数字は合うが、収益率・支出等に異常

C 問題国:欠損・未納・不整合がある

D 要調査国:数字だけでは説明できない

という行政上のリスク分類であっただろう。中央各官衙の役人にとって、全国を毎年すべて同じ濃度で地方行政調査を実施する必要も、関心も、人員も、ましてや時間もなかったはずです。むしろ、

問題のない国は通す。

異常のある国だけ、慎重にみる。

という行政合理性を採用したはずである。


7 そして最も面白い「その次」

次の問いは、

「さらにその評価をいかに活用しただろうか」

である、この問いは次の4点に分かれる。

① 返す:問題なし⇒「処理済み」

② 問い返す:数字がおかしい。⇒「説明せよ」

③ 補填させる」欠負・未納・損失があれば、⇒「誰が埋めるのか」となり、責任の所在論が発生する。

④ 人事に利用する:「この人物を次も使うか?」「別の国へ回すか?」「中央へ引き上げるか?」「この人物には、もっと重要なポストを与えてよいか?」

である。

8 「正税帳」の再定義

従来は、正税帳=地方財政の決算書だと説明して、だれも疑いを持たなかった。しかしながら、常識的にみて、正税帳=地方財政を中央が評価するための情報装置だと考えるならば、さらに大胆に言えば、

正税帳とは、地方で発生した「カネ・物・労働・行政行為」を中央が読み取り、それを「正常/異常」「許容/不許容」「信用/不信用」へ変換するための行政情報システムだった。

とみなせるならば、われわれは古代の官僚組織はあらたな側面から照射できるに違いない。

9 「尾張国正税帳」再読の試み

さて、我々の観点から尾張国正税帳を「何が書いてあるか」ではなく、

   「中央の役人がどの順番で読むことを想定して作られているか」

という視点で読み直したい。本稿の論者にとって、仮に次の順番を置きたい。

① 形式確認

↓

② 総額確認

↓

③ 国―郡間の突合

↓

④ 前年度・当年度の比較

↓

⑤ 異常値の発見

↓

⑥ 異常の理由確認

↓

⑦ 国司・郡司の行政能力の評価

↓

⑧ 補填・是正・返却等の処理

↓

⑨ 次年度の行政・人事判断への利用

ここまで行けば、正税帳は単なる「決算報告書」ではなくなる。中央官僚の意思決定フローを逆算できる史料になると言って、無理はないだろう。それを踏まえれば、

  誰が最初に見るのか。

本当に「まず最初に太政官が読む」のか、それとも、

国 → 正税使 → 民部省 → 主税寮 → 勘会 → 必要に応じて太政官

という情報処理の階層があったと想定すべきか。というのは、各官衙の、それぞれの部署で、異なる階層で「読む目的」が違ったのではないかという見込みに逢着するからである。

   主税寮は数字を見る。
   民部省は国の財政状態を見る。
   太政官は、その結果を政治・人事・統治判断へ変換する。

もしこの役割分担が史料的に立証できるならば、

「正税帳という情報が、古代国家の意思決定システムの中をどう移動したか」

という研究にも発展できるのではないだろうか。だからこそ、次の課題として浮かび上がるのは、、尾張国正税帳の各項目を一つずつ取り上げ、「中央の役人なら最初にどこを見るか」を実際にシミュレーションする段階に到着していると考えるが、それは後日にゆだねたい。