2025年8月16日土曜日

「空中有乘龍者」はどこから来て、どこへ行くのかーー斉明天皇紀元年5月条

『日本書記』斉明天皇条の、

元年春正月壬申朔甲戌、皇祖母尊、卽天皇位於飛鳥板蓋宮。

夏五月庚午朔、空中有乘龍者、貌似唐人着靑油笠而自葛城嶺馳隱膽駒山、及至午時、從於住吉松嶺之上向西馳去。

秋七月己巳朔己卯、於難波朝饗北北越蝦夷九十九人・東東陸奧蝦夷九十五人、幷設百濟調使一百五十人。仍授柵養蝦夷九人・津刈蝦夷六人、冠各二階。

八月戊戌朔、河邊臣麻呂等、自大唐還。

冬十月丁酉朔己酉、於小墾田造起宮闕擬將瓦覆、又於深山廣谷擬造宮殿之材、朽爛者多遂止弗作。是冬、災飛鳥板蓋宮、故遷居飛鳥川原宮。」

にある夏五月庚午朔、空中有乘龍者、貌似唐人着靑油笠而自葛城嶺馳隱膽駒山、及至午時、從於住吉松嶺之上向西馳去。」の記事に注目するのが本稿である。空中有乘龍者」は「空中に龍の背に乗る者」とあり、しかもその姿は「貌似唐人着靑油笠」とあり唐人の「靑油笠」姿であった。そのビジュアルをさらに説明するには、神話的想像力と共に古代文献に精通することが要求されるに違いない。

 そもそもその二つの要素に完全に欠けている本稿の筆者にとって、これらの文化的バックグランドを踏まえた説明は不可能である。

問題の所在①なぜ斉明紀に、しかもなぜ夏五月に「空中有乘龍者」は出現するのか。


問題の所在②その龍の背に乗る者は誰なのか。天子それともシャーマン、あるいは仏僧?

問題の所在③天空を飛びまわる「空中有乘龍者」とは何か。龍はどこから来て、どこでヒトを乗せて、どこへ去っていったのか。

問題の所在④「「貌似唐人着靑油笠」には「唐人」に顔が似るとはなぜか、そして「着靑油笠」とは何か、なぜ「青」で、なぜ「笠」を身にまとうのか。「笠」を身にまとうことは龍の背に搭乗出来る資格を有するのか。


問題の所在⑤「自葛城嶺馳隱膽駒山」とあり、「葛城嶺から嶺馳隱膽駒山」へ飛翔し、しかも午時に至り、「從於住吉松嶺之上向西馳去。」なぜ「西」なのか。どこから見て、「西」なのか。


今改めて、我が学の素養の無さを嘆き、あえて博雅の士に解答を委ねる。

唯一つ我が愚案を準備するならば、正使『日本書紀』に必ず記載しなくてはならない絶対的な理由があったと推定する。本質は、『日本書紀』編纂者や古代日本人とてその記述の不合理性を悟っていたに違いない。

つまり夢はあっても、「龍」の背に乗る人間など存在しないし、しかも存在しなかったと。

しかしながら、漢文を学び、さらには中国文献に精通する記紀の編纂者たちがその記述を進めたのは、記載を要望する者たちの願いを実現したかったからである。 

 結論から言えば、斉明天皇の即位が必然であると主張したい者たちの要望の実現に他ならない、皇極天皇の即位と退位=斉明天皇の重祚の妥当性と正当性と王権の絶対的確立を期待するものたちが、この記述を正史に書きとどめさせたと考えられる。

 逆な見方をすれば、斉明天皇の王権の弱体さを見抜き、その王権の絶対性を追求し、保証されたいと願う者たちが、その正史編纂時に存在したに違いない。


重大なミスを恐れずに言えば、その者たちは斉明天皇の系譜に属する人々である。斉明天皇の血縁的系譜を世に明示することで、社会的利益を入手する者たちである。


<参考資料 ①>

柳町時敏「斉明天皇に祟る「鬼」・『書紀』の方法についての覚書 『扶桑略記』研究余滴」『」 明治大学文芸研究会、



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