北野信彦著「古代木造建造物におけるベンガラ塗装の研究(Ⅰ)--豊後国風土記に記された「赤湯泉(あ かゆ)の温泉沈殿物に関する基礎的調査-」『考古学と自然科学』54号、35-52頁、2006)を起点として、若干の私見をまとめた。
『豊後国風土記』速見郡条に
「赤湯泉。【在郡西北。】此湯泉之穴,在郡西北竈門山。其周十五許丈。湯色赤而有埿。用足塗屋柱。埿流出外,變為清水,指東下流。因曰赤湯泉」
さて、この「赤湯泉」に関して、『豊後国風土記』の記述から見て、その赤泥は速見郡衙(8世紀代の遺物が多く出土する別府市北石垣の石垣八幡宮付近か)の外観塗装に使用したと推定される。もちろん赤湯泉に隣接する木造建築物、例えば郡寺などにも使用したに違いない。
何も郡衙や国衙だけではなく、『続日本紀』神亀元年11月条に、平城京でも
とあるように、五位以上の全員と裕福な庶民には「板家草舎」ではなく、「瓦葺きの家屋」の建築許可を与えている。そしてその壁や柱に「赤」色塗装が命じられている。
この記述と符合するように、古代の都や地方官衙の庁屋や寺院伽藍などの大型木造建築物の外観にベンガラが塗装されていたことは明らかである。北野信彦氏によると、そもそもベンガラとは「赤い色相を呈する酸 化第二鉄(CM-FeO3)を発色の主成分とした」顔料(「歴史的な木造建造物の ベンガラ塗装に関する研究(I)-文献史料に登場する「赤土」に関する基礎的調査一」1頁)だという。
その目的は、「朱や丹という顔料は金属を原料としているので、虫害・腐食から建物自身を守る役割もあります。」であり、「創建当初には建築部材の表面保護の目的から、さらにはこれに権威の象徴や荘厳性を高める目的 が付加されて、何らかの外観塗装が施されていた。建造物部材に外観塗装された材料、結果とし て視覚的に表現される建造物外観の色調は、それぞれの建造物自体のイメージを大きく左右する。 そのため、各木造建造物が創建された当初、創建に直接携わった人々、とりわけ為政者側はその 色調に極めて注目したことが想定される。」(北野信彦、平安宮内建造物群のベンガラ塗装に関する一知見」で良いはずである。
その外観塗装の方法は、下記の通りである。
「丹塗りの工程は、最初に古い塗装をへら等の道具によって丁寧に削り、汚れや埃を拭き取る掻き落し作業を行います。次に礬砂(どうさ)と呼ばれる、膠水に明礬(みょうばん)を溶かした液を塗布します。さらに、砥之粉(とのこ)・おがくず・漆で練った刻苧(こくそ)を傷んだ部分や虫食いの穴に充填して埋め、均一な木地を再生します。そして最後に鉛丹(えんたん)の粉を膠水で溶いた丹で塗り上げます。
伝統的な丹塗りは、現代の塗装に比べ何倍もの手間暇がかかりますが、本来あるべき姿に修復するためには必要なことです。鮮やかな丹・朱色、そして丹塗りという伝統技術を次の世代へと伝え残していかなければなりません。」(丹塗|一般社団法人 社寺建造物美術保存技術協会)
ところで、肝心なベンガル塗装の原料はどこで入手したのだろうか。
ちなみに「本草綱目啓蒙)」に は、
「アカツチ 山ヨリ イヅル色赤キ土 一名 緒垂 今世俗二赤土 ト言ハ黄土ナリ。黄 土 ヲヤキタルヲ丹土と云,壁 二用ユ」
とある。
<参考資料>
- 」[ 膠 ]動物の皮から抽出した接着剤
- [明 礬]硫酸塩とアルミニウム・クロム・鉄などが化合したもの
- [砥之粉]風化した岩石を粉末に加工したもの
- [鉛 丹]金属鉛を加熱し酸化させて作る赤色の顔料
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