『優婆塞貢進文』を見ると、寺院や官庁に対して物品や度人を寄進した人に、越前と若狭に二人の秦人がいたとある。
越前国丹生郡大屋郷戸主秦人部国益口 秦人部床足(31歳)
若狭国遠敷郡丹生郷戸主可久麻戸口 秦人広山(24歳)
この記録で注目したいのは、列挙される優婆塞(在家の仏教信者、男性)の中に、明白に出家を目的としないで、仏教僧となることで官僚と同等の権利、課役の免除を目的とする一群の俗人が存在することである。
彼らは富を蓄積した人間であろうし、当該地の国司などに相当の金品を献上して『優婆塞貢進文』に名を連ねたに違いない、その二人が秦人部床足(31歳)であり、秦人広山(24歳)であったらしい。
いずれとも半島系渡来人であった。
蛇足ながら、『智識優婆塞等貢進文』には、
「葛井連廣往年十八(貫右京九条三房戸頭葛井連恵文之男)
読経
法華経1部 最勝王経1部
方廣経1部 涅槃経1部
僧伽叱経(『僧伽吒経』)1部 弥勒経3巻
仏頂経1巻 阿弥陀経1巻
誦経
理趣経1巻 薬師経1巻
不空羂索陀羅尼 仏頂陀羅尼
誦論
因明論1巻 百法論并唯識
唯識論2巻 解文 唱礼具足
天平6年7月27日」
などのように、本来であれば、読経・誦経・浄行などの信仰を記述するのが常である。
上記に挙げた越前の事例にはない。
参考文献
久留宮 圓 秀著「僧伽ロモ経におけるDharmabhanaka」
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