2025年8月2日土曜日

越前国丹生郡大屋郷と若狭国遠敷郡丹生郷の二人の秦人

 『優婆塞貢進文』を見ると、寺院や官庁に対して物品や度人を寄進した人に、越前と若狭に二人の秦人がいたとある。

越前国丹生郡大屋郷戸主秦人部国益口  秦人部床足(31歳)

若狭国遠敷郡丹生郷戸主可久麻戸口  秦人広山(24歳)


この記録で注目したいのは、列挙される優婆塞(在家の仏教信者、男性)の中に、明白に出家を目的としないで、仏教僧となることで官僚と同等の権利、課役の免除を目的とする一群の俗人が存在することである。

彼らは富を蓄積した人間であろうし、当該地の国司などに相当の金品を献上して優婆塞貢進文』に名を連ねたに違いない、その二人が秦人部床足(31歳)であり、秦人広山(24歳)であったらしい。

いずれとも半島系渡来人であった。


蛇足ながら、『智識優婆塞等貢進文』には、


「葛井連廣往年十八(貫右京九条三房戸頭葛井連恵文之男)

読経

 法華経1部 最勝王経1部

 方廣経1部 涅槃経1部

 僧伽叱経(『僧伽吒経』)1部  弥勒経3巻

  仏頂経1巻 阿弥陀経1巻

誦経

 理趣経1巻 薬師経1巻

 不空羂索陀羅尼 仏頂陀羅尼

誦論

 因明論1巻 百法論并唯識

 唯識論2巻 解文 唱礼具足

    天平6年7月27日」

などのように、本来であれば、読経・誦経・浄行などの信仰を記述するのが常である。

上記に挙げた越前の事例にはない。




参考文献

 久留宮 圓 秀著「僧伽ロモ経におけるDharmabhanaka」


0 件のコメント:

コメントを投稿