2025年8月20日水曜日

若狭国遠敷郡青郷の秦氏

 

個人による調貢進として、著名な木簡がある。

*「若狭国遠敷郡青郷秦人安古御調塩三斗」

 ・「   ■■■■   」(木補三五)

である。

ここで関心を引くのは、「秦人安古」の分解である。可能性としては、次の3種類。

1,秦人+安古

2,秦+人安古

3,秦人安+古 

上記の3種の読みのうち、「秦人+安古」の読みに軍配を上げたいのも、「秦人」の2文字の結合は離れがたいと考えるからである。

さて、その若狭国遠敷郡青郷に半島系渡来人の「秦氏」が居住していたこと、そして一人単独で調貢献できる財力を有していたことに注目したい。

とはいえ、「安古」にも音をあげる理由は、「安+古」と分析できたとしても、とても「秦人+(姓)安氏+(名)古」とは考え難いからである。

資料①から判断して、丁酉年、即ち文武元年(六九七年)以前から若狭国遠敷郡(小丹生評)青郷(丹生里)に居住する半島系渡来人秦氏も姓を有しなかったと理解するしかない。

逆に言えば、「秦人」の呼び名で何の不都合がなかったと言えよう。

後考を俟つ。


<資料①>


URLhttps://mokkanko.nabunken.go.jp/ja/6AJEKM32000124
木簡番号182
本文丁酉年/若佐国小丹〈〉生里/秦人□□□〔己ヵ〕○二斗∥
寸法(mm)131
16
厚さ3
型式番号011
出典荷札集成-117(飛20-27上・藤原宮1-182・飛2-10上(74))
文字説明「酉」は異体字を使用。
形状上削り、下削り、左削り、右削り。上下両端緩やかな圭頭形。
樹種ヒノキ科♯
木取り追柾目
遺跡名藤原宮跡北面中門地区
Fujiwara Palace Site (Northern Side of the Central Gate Sector)
所在地奈良県橿原市醍醐町
調査主体奈良国立文化財研究所飛鳥藤原宮跡発掘調査部
Department of Asuka and Fujiwara Palace Sites Investigations, Nara National Research Institute for Cultural Properties
発掘次数藤原宮第18次
遺構番号SD145
地区名6AJEKM32
内容分類荷札
国郡郷里若狭国遠敷郡丹生郷若狭国小丹生評□生里
人名秦人□□(己)
和暦(丁酉年)文武1年
西暦697(年)
遺構の年代観694-710
木簡説明丁酉の年は文武元年(六九七年)にあたる。腐蝕がはなはだしく下半分は墨がおいにくい。
DOIhttp://doi.org/10.24484/mokkanko.6AJEKM32000124

■研究文献情報


<資料②>



URLhttps://mokkanko.nabunken.go.jp/ja/6AADEL27000102
木簡番号0
本文・若狭国遠敷郡/青郷秦人安古/御調塩三斗∥・○〈〉
寸法(mm)163
28
厚さ5
型式番号011
出典城19-22上(197)
文字説明 
形状 
樹種 
木取り 
遺跡名平城宮内裏東方東大溝地区
Heijō Palace (Royal Residence, Eastern Side, Eastern Big Ditch Sector)
所在地奈良県奈良市佐紀町
調査主体奈良国立文化財研究所平城宮跡発掘調査部
Department of Heijō Palace Site Investigations, Nara National Research Institute for Cultural Properties
発掘次数172
遺構番号SD2700
地区名6AADEL27
内容分類荷札
国郡郷里若狭国大飯郡阿遠郷若狭国遠敷郡青郷
人名秦人安古
和暦 
西暦 
遺構の年代観710-790
木簡説明 
DOIhttp://doi.org/10.24484/mokkanko.6AADEL27000102


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