2025年8月2日土曜日

高句麗系渡来人王広嶋が鋳銭司の鋳物師である意味は?

 『『大日本古文書』第5巻266頁には、

*岡田鋳銭司の鋳物師として王広嶋

の名がみえる。この王氏は高句麗系渡来人である。高句麗系氏族の拠点である相楽郡大狛郷に住居を置いていただろう。

『日本書紀』欽明天皇26年条に

*「廿六年夏五月、高麗人頭霧唎耶陛等、投化於筑紫。置山背國、今畝原・奈羅・山村高麗人之先祖也。」

とある。


あるいは、『日本三大実録』巻5,貞観3年(861)8月19日庚辰条に、

「○十九日庚申。左京人散位外從五位下伴大田宿禰常雄賜伴宿禰姓。先是。正三位行中納言兼民部卿皇太后宮大夫伴宿禰善男等奏言。常雄款稱。謹稽家諜。伴大田宿禰同祖。金村大連公第三男狹手彦之後也。狹手彦。宣化天皇世。奉使任那。征新羅。復任那。兼助百濟。欽明天皇世。百濟以高麗之冦。遣使乞救。狹手彦復爲大將軍。伐高麗。其王踰城而遁。乘勝入宮。盡得珠寳貨賂。以獻之。礒城嶋天皇世。還來獻高麗之囚。今山城國狛人是也。狹手彦再使海外。征伐兩國。盡力絶域。復立二國。身尊當時。功流後代。但古人朴質。除兩國盡力非私。皆賜別姓。是以子孫不得大部。別賜大田宿禰。而狹手彦之弟阿彼布古。承父爲大部連公。自斯而後。恐子孫之不廣。無復更賜別姓。今阿彼布古之後。歴代尊顯。而狹手彦之後。擧朱〓者。曠世無聞。一祖之枝。榮枯殊隔。沈淪之歎。告訴無止。常雄幸逢昌泰。新參花轂。門蔭中興。寔爲榮慶。刊大田兩字。同歸於一宗。然則外不辱功臣之序。内方敦孔懷之親。善男等伏検家記。所陳不虚。請刊彼兩字。直賜宿禰。控其〓入此本源。從之。」


とあることによっても、推定できる。

彼の妻は多治比須豆刀自であった。

ちなみに、「新撰姓氏録」には,山城諸蕃狛造の出自は「高麗国主夫連王之後也」であり、『智識優婆塞等貢進文』には「相楽郡戸主狛人麻嶋」の名を知る(正倉院文書)。

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