同じ『周防国正税帳』天平10年に、
3,6月15日 太宰史生従八位上中臣東連益人
4,6月17日:大宰大監正六位阿倍朝臣子嶋
5,9月2日:大宰史生正八位下出雲臣君麻呂
6,10月6日:大宰史生従八位上川辺朝臣白足
7,10月21日:大宰史生大初位下檜前舎人連馬養
8,11月15日:大宰少典住七位上朝明史老人
の名を見る。いずれも「下伝使」もしくは「下船伝使」である。
したがって、「下船伝使」とあるので、防人たちの集団移動には「船便」が使われたらしい。
ところで、第3便では、別な資料で太宰府の官人たちの名を紹介したい。
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