2024年2月25日日曜日

大宰府のランドスケープーその2

 大君の遠(とほ)の朝廷(みかど)とあり通ふ島門を見れば神代し思ほゆ」(304番歌)

「大君の遠の朝廷としらぬひ 筑後国に泣く子なす」(794番歌)

 この歌の「遠の朝廷」は大宰府だと定説化している。柿本人麻呂や山上憶良の歌であり、また各種のガイドブックや観光パンフレットなどに文字化されているだけに、この言葉はよく人口に膾炙されている。

確かに計画都市大宰府は、「大宰府条坊は南北22条、左郭12坊、右郭8坊で条坊1区画は約90メートル四方」(井上信正説)である。そして大宰府の中心部に政庁が存在したのは事実である。「西の都 大宰府」のキャッチフレーズが幸いして、あたかも壮麗な宮殿群が建設され、各種の役所の建物が林立し、日本でも有数な都市人口を有していたという漠然としたイメージがある。

 はたして、その通りであろうか。

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