2024年2月4日日曜日

腹赤魚とは何か

 『延喜式』巻39に、

「腹赤魚、筑後、肥後両国所進出、其数随筆得、以上別貢」

とある。

 この腹赤魚が現代の魚名では、鱒とも鰚(にべ)だともいうが、定説はない。

中島 淳「筑前国続風土記において貝原益軒が記録した福岡県の淡水魚類 」2013年、伊豆沼・内沼研究報告 3号, pp (jst.go.jp)

「1.腹赤魚(はらか?)=サクラマス Oncorhynchus masou masou 「鱒」であると記されており,「春月是を取」との記述や,次に記されている「榎の葉」が「鱒とは別」とされ ていることから,春に河川を遡上する生態を持つ回遊型のサクラマスのことを指すものと考えられる.「今 上座川に在」と記されているので,当時に筑後川中流域と有明海を行き来する個体群が存在したことを示 唆する貴重な記録である. 本文には「昔太宰府より朝廷に貢せし」とあり,これは古代にあった「腹赤の奏(はらかのそう)」と呼ばれ た儀式のことを指すものと考えられる.この儀式については,平安時代末期に作成されたとする作者不詳 の軍記物語である源平盛衰記の巻之二十五において,天智天皇が皇太子時代に筑後地域を来訪した 際に「はらか」を食べた話が基とされており(古谷 1910),古くからこの地域で何らかのマス類が採集され 食用にされていたことが伺われる. これまでに筑後川における回遊型サクラマス個体群の存在は記録されていないが,青柳(1957)は筑 後川水域から海産型のマスを記録しており,木村・塚原(1969)は有明海流入河川においても条件によっ ては回遊型の生活史を持つ可能性を指摘している.したがって,本書の記述とあわせて考えると,1700 年頃には筑後川に回遊型サクラマス個体群が存在していた可能性は高い.」

ところで、古代、腹赤魚を贄として宮中に貢進していたことに由来し、地名の由来は
*(熊本県玉名郡長洲町)腹赤
だという。

なお肥後は長洲町、筑後はみやま市瀬高町だと考え、多くの先学の教えの通り、釣殿宮が鎮座する付近一帯が貢進の場所だと想定するのが自然だろう。
社名:釣殿宮
所在地:福岡県みやま市瀬高町太神2686

この想定を裏付けるように、以下に素晴らしい地図が掲載してあるので、荘福様のHPを紹介したい。



余計なお世話であるが、長洲町はこのエピソードを用いて、みやこ町と共に、
*町おこし
に活用するのはどうだろうか

ブランド名は「古代皇室献上魚」。




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