2024年3月3日日曜日

鎮西府印一面

 藤原広嗣の乱によって、天平14年(742)に大宰府は廃止された。

その結果、天平15年(745)12月に「鎮西府」が設置されてことによって、新たに天平16年1月に「鎮西府印一面」が支給された(「《天平16年(744)正月辛酉【26】》○辛酉。給鎮西府印一面。」『続日本紀』天平16年正月辛酉条)。

しかしながら早くも天平17年6月に大宰府が再設置されたことによって、同年 8月に「大宰府管内諸司」に印12面の支給があった(「《天平17年(745)6月辛卯【五】》○辛卯。復置大宰府。以従四位下石川朝臣加美為大弐。従五位上多治比真人牛養。外従五位下大伴宿禰三中並為少弐」および「《天平17年(745)8月己丑【丙戌朔四】》○8月己丑。給大宰府管内諸司印十二面。」『続日本紀』天平17年6月辛卯条・8月己丑条)

この印12面とあるが、その詳細が不明である。どこで隠れん坊をしているのやら。

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