2024年3月9日土曜日

三野城に関する小田和利説

 『続日本紀』文武天皇2年5月甲申(25日)条に、

「大宰府をして大野・基肄・鞠智の3城を繕治はしむ」

とあり、同3年12月甲申(4日)条に、

「大宰府をして三野・稲積の2城を修らしむ」

とある。名著『続日本紀』(日本新日本古典文学大系12,第1巻、21頁)には、この三野城は「未詳」とある。

中山平次郎先生はすでに

「三野城址と推定すべき一遺蹟」『考古学雑誌』第4巻第9・10号 1914年

で、この三野城を探し求めている。通説では、三野城は福岡市博多区、稲積城は福岡県糸島郡に比定する。

最近では、小田和利氏(九州歴史資料館)によって、

石垣高尾遺跡(久留米市田主丸町石垣所在)説

も提出されている。確証もないけれども、私はこの小田説に魅力を感じる。三野城でなかろうとも、この地理的位置に関心を抱く。


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