2024年3月25日月曜日

日本古代の人口推定ー鎌田元一先生によると約450万人

 古代日本の人口を推定した研究が数多く発表されている。その中の代表的研究は次の通りである。

澤田吾一『奈良朝時代民政経済の数的研究』(冨山房、1927 年)

鎌田元一「日本古代の人口」(『律令公民制の研究』塙書房、 2001 年)。

坂上康俊「奈良平安時代人口データの再検討」(『日本史研究』 536、2007 年)。


まず鎌田元一の研究を追えば、鎌田の着眼点はあくまでも法的制度からの推定を試みる点に特徴がある。

 ①天平 19 年の太政官奏及び『延喜式』の記述から、1 郷あたりの法定課口数が正丁 4 人 × 50 戸の 200 人

②この 4 丁は正丁だけでなく次丁(60 歳以上)も含んだとして、様々な手続きを経て、結論から言えば、1郷あたりの良民人口 1052 人だとする。

③日本全体の郷数は 4041。4041×1052=(良民人口総数)425 万 1132 人を求める。

④8世紀前半の良民と賤民の比率調査を踏まえて、賤民人口 18 万 7050 人だと推定。

⑤考古学などの調査などを総合的に加味して、平城京人口は 推定10 万人。

⑥日本国全体の人口は、計約450万人

ここで鎌田が推定する日本国全体の人口約450万人はあくまでも「律令国家日本」内だという。慧眼な鎌田だからこそ、彼の視線は日本列島全体の人口推定(蝦夷・隼人・奄美など)にも及んでいたはずだが、私も鎌田と同様に、ここで断念する方が賢明であろう。


なお「川副町史」には、先の鎌田の計算フォーマットとは異なるが、

延喜式によれば、肥前国の正税20万束、公かい20万束。前者は町別獲稲500束につき22束、後者は獲得稲の五分の1であるから、総収穫量は554万五千束。これを今に換算すると11万2500石、これが平安時代の肥前国全体の生産量。仮に住民一人当たり1石を要するならば、約10万人。松浦郡11郷の半数。彼杵郡四郷、高来郡九郷を引くと、佐賀県50郷の人口は、推定七万人となる。」

(「川副町史」昭和54年.78頁)

とある。鎌田フォーマットでの計算は省略する。


なお、別なフォーマットであるが、5畿内諸国に関する桑原公徳氏や木下良氏の推定によると、

        郷数  和名抄田積 郷当田積 推定人数  郷当人口

山城 73   8961    115 99600   1277

大和 89    17905     201  130300    1464

河内    80 11337    142    94200    1180

和泉    24    4568     190   26700     1183

摂津    78    12525   161    112800   1450

近江    93 33402 359     141900   2072

伊賀 18   4051    225       37300     1526




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