2024年3月17日日曜日

元慶8年の「彼格」ーー大宰帥らの離任後の「立つ鳥、跡を濁す」

元慶8年8月4日、上総国に対して勅を下し

「前司子弟不順国政、富豪浪人乖吏所行、至干勘納官物対桿国宰、陵冤郡司祖税多遁、調庸欠.貢職此之由、望請、准彼格放遂、但情願留住従国務者、量状貫附土戸、従之」 

とある。確かに地方へ赴任した国司が国内の郡司層の女子と婚姻を結んだり、あるいは現地妻(妾)を置くなどによって、国司と郡司との結びつきによる悪弊は、天平16年10月14日の官符で禁止しているものの、現実には上記の通りであった。

今、この引用に見る「彼格」とは、太宰府に下された延暦16年4月29日官符のことである。大宰帥、大宰大弐など王族や高官などが着任する大宰府にあって、「秩満解任」とか在地に残された子孫らが朝廷権力のつながりをひけらかしながら、さまざまな悪弊が生じていたと想定される。

 大宰帥などの離任後の後日談である。


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