以下は、 沖松信隆「千葉県における縄文時代丸木舟の出土例について」
に全面的に依拠したことをあらかじめお断りしておきたい。
まず、縄文時代の丸木舟は、『千葉県史』によれば、
「弥生時代以降を除 く縄文時代の出土例は、時期不明を合わせて100例以 上になる(鈴木・山岸 2004)」
という。その報告から約20年経過した今、その数の増加を知らないが、相当な数に達していると推定する。
さて、沖松氏によると、栗山川流域遺跡群(香取郡多古町多古字九蔵503-1ほか)から出土した丸木船は
*かや材製で、「全長6.51m、最大幅0.57mで、舷側の残りも良く、 最大内深は25㎝である。大方の部位で舟縁まで遺存し ている。舟体の厚みは舟縁で2~6㎝、舟底で3~7 ㎝を測る。」
という。
*******************
さて、ここからは本稿の論者の管見である。
この船を排水量・喫水・かや材の浮力・乗船する人間の体重(約60~70㎏)などを勘案して、造船学の計算では3名~4名が妥当で、最大限6名までは乗船可能であるという。
理論上の上限(ハル・スピード)は、水線長 (m)から
で計算して、水線長を約 とすると、
しかしながら、このスピードはあくまでも一時的な最大速度さであり、平均して4km程度であっただろうと予想される。舟の幅は0.57mと細く不安定、しかもパドル/櫂が不明であり、その効率を測定できない上に、漕ぎ手の体力・技術、川か湖か湾か、潮流・風・波の条件などで、大きく異なる。専門家によると、この船で海上を航行するに、その自然条件の制約を想定しなくてはならないものの、沿岸航行では、逆風・逆潮では:3 km/h 以下になると想定した上で、漕ぎ手・波・風の条件さえよければ、
*通常は20~30km、最大で40kmの行程
は可能だそうである。
これまでの検討材料を前提として、
「古代下総国における丸木舟の交流圏」
の検討に移りたい。スタートは下総国府である。
(1)1日圏(20〜30km)=河川・潟湖・内湾の日常圏
● 中心となる水域
①下総台地の縁辺部に広がる水郷地帯
②手賀沼
③印旛沼
④内海(「香取海」「霞ヶ浦」など))
⑤利根川・江戸川・常陸川・鬼怒川・小貝川などの下流域
● 特徴
①丸木舟での移動が最も効率的な地形
②河川・沼沢・湿地が連続し、徒歩より舟の方が速い
● 行動の性格
①日常的な漁撈・採集・農業
②村落間の交流
③物資の小規模流通
(2) 3日圏(60〜80km)=香取海・利根川水系の広域ネットワーク圏
● 到達可能範囲
①古代の巨大内湾全域
②鹿島神宮(常陸国)
③下総国府(市川)〜香取海〜鹿島の三角ネットワーク
④利根川を遡って、古代の常陸国南部
⑤鬼怒川・小貝川流域の古墳群
● 特徴
①河川+内湾の複合ネットワーク
②風待ち・水位・流速の読みが重要
③香取神宮・鹿島神宮の祭祀圏
④国府行政圏 と密接に連動
● 行動の性格
①広域の祭祀交流(香取・鹿島)
②交易(塩・魚・木材・黒曜石・土器)
③国府への物資輸送
④古墳時代の首長間交流
(3) 3日圏(60〜80km)=香取海・利根川水系の広域ネットワーク圏
● 到達可能範囲
①香取海(古代の巨大内湾)全域
②下総国府(市川)〜香取海〜鹿島の三角ネットワーク
③利根川を遡って、古代の常陸国
④武蔵国の古墳群
● 特徴
①河川+内湾の複合ネットワーク
②風待ち・潮待ちよりも、水位・流速の読みが重要
(4)1週間圏(120〜150km)=東京湾・常陸国・上総国へ
● 到達可能範囲
①東京湾沿岸(市川〜船橋〜浦安〜品川)
②上総国(市原・木更津・袖ヶ浦)
③常陸国(鹿島灘沿岸)
④利根川を遡って、古代東国の内陸部(下野国・上野国)
● 特徴
① 東京湾は“内海”として航行可能
②「政治的・儀礼的」航行が中心
③国府と周辺国の物流ルート
④大規模祭祀(香取・鹿島・安房の海上交流)
⑤交易(塩・鉄・布・木材)
⑥古墳時代の首長間の儀礼的往来
⑦律令時代における租調などのモノ輸送・ヒトの交流・情報の往来などに活用
0 件のコメント:
コメントを投稿