(1) 『類聚符宣抄』に、
「第6/雑例/12///大納言右大将藤原卿宣、左史生大海保平、右史生百済玄来、使部秋篠清蔭
等、不給俸料、多経日月、宜警将来、殊可勘免之由、仰弁官已了、同知此由、請印俸料符
者、/天慶六年八月十日/大外記兼近江権少掾三統宿祢公忠〈奉〉」
とある。
(2)確かに、この資料は史実の一端を語るに過ぎないが、我々の観点「現場のロジック」を導入すれば、次のように分析できるはずである。まずは、全文の概略を示すことで、同じ土俵での分析を展開したい。
「大納言右大将藤原卿の宣を受け、左史生・大海保平、右史生・百済玄来、使部・秋篠清蔭らについて、俸料が支給されないまま長期間が経過している。今後このようなことがないよう厳重に注意し、特に勘免すべきである旨を弁官に命じた。以上のことを承知し、この者たちの俸料を支給するための「俸料符」に印を請う――天慶六年八月十日/大外記兼近江権少掾三統宿祢公忠〈奉〉」
という案件である。年代は天慶六年(946)八月十日、つまり、我々の当面の対象である8世紀代の正税帳・郡稲帳などの地方文書そのものではなく、9~10世紀に入ってもなお、官司内部で「俸料を支給するための文書・承認・印」という行政プロセスの動きを知る史料であると、確認しておきたい。
(3)本資料で、まず注目したいのは「不給俸料、多経日月」である。
これは単なる「給料の未払い」という人事上の話として読めば、些少な史料にとどまるはずである。平安時代も、同様に供与未払いが発生していたと。
確かに律令制の弛緩にともない、国家財務の悪化から下級官人への俸禄(給与)支給が滞ったり、未払いに終わったりする事態が頻発し、その事例はいくつかの史料に散見する
史料①『意見封事十二箇条』(延喜14年・914年、 三善清行)
概要: 醍醐天皇に提出された政権批判・改革提言書。「第7条」において、官人の給料
にあたる「季禄(きろく)」が未払いや遅配となり、生活に困窮した官僚たちが
不正や犯罪に手を染めている実態を告発している。
これだけでも国家経済が破綻していたことは判明するものの、それ以外に正当な給与である季禄が給付されないため、公務への出席をボイコットする官人が出たことや、朝廷の儀式が実施できない様子が度々描いた、
史料②『小右記』( 藤原実資)
や、
史料③各種申文
には、朝廷や貴族に仕える下級官人や絵師・仏師などが提出した要望書・請願書などを見る。そこには、公務を行ったにもかかわらず報酬や布施が支払われないことに対し、「困窮して餓死寸前である」「支払われないなら今後の職務を辞辞する」といった直接的な切訴(訴え)が多く残されている。
(4)教科書的理解になるけれども、平安時代中期以降、地方からの租税が中央の公庫へ入らなくなり、国家が支給する「官人給与」のシステムが崩壊しました。そのため朝廷は、特定の国(受領)からの収益を直接特定官庁の財源に当てる「知行国制」などに頼らざるを得なくなった結果である。
したがって、給与体系の崩壊は、8世紀末〜9世紀にかけて進行した「律令財政の破綻」と直結していることは間違いない。その主な理由は、
1. 地方からの税収(調・庸)の激減
2. 「季禄」「位禄」の未払・遅配の常態化(9世紀末〜10世紀)
3. 人口課税から「土地課税」への移行
であったことも間違いない。しかしながら、崩壊後の官人たちとしても、彼らの生き残り策を立てることは必死であった。正当な給与が未払いであれば、官人・朝廷は生き残りをかけて以下のような新しい収益構造を模索した。これも教科書的理解の枠を抜け出していないので、陳腐な説明となるが、
A,)受領(地方官)による利権獲得: 国司のトップ(受領)として地方に赴任し、土地税
の徴収権を利用して巨万の富を築く下級・中級貴族が現れた。
B)知行国制の導入: 朝廷は特定の国(受領の収入)を、特定の特定官庁や皇族・上層貴
族にまるごと割り当て、そこからの収益を給与代わりに充てる仕組みを作り出した
C)成功・労働の直接対価: 私財を投じて寺社や宮殿を修復した者に官職を与える「成
功」や、個別の儀式・仕事ごとに「布施(報酬)」を直取する取引的な関係が主流とな
った。
以上の通説を念頭に置きつつ、上記の史料を、行政システムの視点から読むと違って見えないだろうか。
「俸料が給付されていない」⇒「長期間経過した」⇒「問題として認識された」⇒「大納言右大将から指示」⇒「弁官に勘免を命令」⇒「関係者へ周知」⇒「俸料符を作成」⇒「印を請う」⇒「俸料支給」
という、明瞭な処理フローを見て取れる。この史料は「俸料が遅れた」という事実以上に、
行政上の債務(俸料支給義務)が滞留したとき、それをどのような文書処理によって解消したのか
を記録しているからである。
(5)「勘免」
この資料には、さりげなく
「殊可勘免之由」。
とある。少なくとも、すぐさま「支給せよ」という命令を下しているのではない。「勘免」という語が、例えば、未給分について事情を勘案して免除・処理することなのか、あるいは「勘」のうえで免ずるという行政処理なのかは、この資料の前後の文脈が不明であるので、にわかに判断できない。しかし、どちらにしても重要なのは、俸料の未給付という異常状態に対して、一定の行政的な判断を加えて処理していることである。
(6)「請印俸料符」
私が関心を持つのは、「俸料の支払い」という個人的な請願書ではなく、
*俸料を支給するための「符」を作成し、その符に「印」を請うシステム
である。換言すれば、
給与債務の発生・未処理
↓
上級機関による判断
↓
正式な文書化
↓
公印による認証
↓
支給
という、行政上のワークフローが存在することを見逃してはならない。だからこそ、「現場のロジック」で、本史料を読解すべき理由がある。現代式の用語で説明すれば、
「給与未払案件を発見し、承認ルートに乗せ、決裁し、支給命令を正式文書化して、認証後に支払う」
という内部処理である。だからといって、これをそのまま「平安時代の給与システム」だと即断してはならない。しかし、
「俸料の支給には、一定の文書・承認・認証プロセスが必要だった」
という構造は、史料そのものから読み取れることは可能である。ハンコ行政は律令時代に見受けられたが、平安時代に定着していったらしい。
(7)「人」と「文書」の対応関係
本史料には、
- 左史生 大海保平
- 右史生 百済玄来
- 使部 秋篠清蔭
と、具体的な担当者が並ぶ。
これは非常に面白い。
つまり、この案件は「官司」という抽象的な組織だけではなく、
誰が対象者なのか
まで特定されている。さらに最後には、
「同知此由」
とある。つまり関係者にこの事情共有を求める仕掛けともなっており、
決裁 → 関係部署への通知 → 支給処理
という情報伝達ルートまでも記載している。したがって、この一件には、
人事情報
+給与情報
+行政命令
+文書認証
+情報伝達
+支給処理
が一つの案件史料にセットなって連結している。
(8)この史料の持つ意味
① 官僚制の実力
俸料の支給が単純な「上司から部下への現物給与」ではなく、文書処理を介して制度化されている。
② 内部統制
未給という異常状態を、
発見 → 勘案 → 命令 → 文書化 → 印 → 支給
という手順で処理している。
③ 情報・物流システム
ここでは「米」の物流ではなく、俸料という資源と、その支給情報の流れを見ることができる。
(9)今後の展開
これまで律令時代の正税帳や郡稲帳などで追っている「稲の流れ」と、本史料の「俸料の流れ」は、対象こそ違うが、背後にある行政原理は比較できる余地がある。
我が作業仮説は、天平期の正税帳・郡稲帳を分析して、
古代国家は、物資を集めただけではなく、それを帳簿化し、照合し、承認し、再配分する行政システムを持っていた
と論じた。ところが、この天慶六年の史料は、それより約200年後の史料にもかかわらず、
「天平期の特殊な帳簿処理だったのではないか」
という反論に対して、
「平安中期になっても、俸料支給という日常的な行政行為が、文書・承認・印というシステムを通じて処理されている」
という比較材料になると思う、もちろん制度の連続性を直接証明する史料はないものの、、
古代日本の行政において、資源の給付を個人的な授受ではなく、文書化された行政処理として管理するという発想が長期的に存在した
ことを考えるうえでは、面白い。それゆえに、
正税帳だけを見るのではなく、後代の行政文書と照合することで、「古代行政にどのような実務原理が持続したのか」を考える。
これは単なる会計学的解釈から、「行政システムの歴史」へ一歩踏み出すことになる。
なお、今回の検索ではこの条文そのものについて十分な校訂・注釈資料を確認できなかったため、「勘免」の具体的な法的意味や「俸料符」の制度的位置づけについては、現段階では断定せず、本文から確実に読める行政処理のフローを中心に評価した。そして『類聚符宣抄』関係資料に見る「請印」とは何か、官符・任符などとの違いは後日の課題としたい。
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