小松原遺跡出土の土器に墨書文字「寒川」があった。本稿は、この「寒川」をめぐるメモである。
まず、栃木県小松原遺跡の紹介から始めたい。
「小松原遺跡
141 ~ 143
県営圃場整備事業によって開田され湮滅するため、県教育委員会文化課は、昭和五十二年一月~二月、同年九月~十月の二次にわたって記録保存のための発掘調査を実施した。第一次調査では奈良・平安時代の住居跡が三五軒発掘された。このうち、カマドをもたない住居が四軒、カマドをもつ住居跡が三一軒確認された(第84図)。前者は古墳時代のものであり、後者は奈良・平安時代のものである。とくに後者の六号・二四号住居跡とよんでいる平安時代の住居跡からは、内黒(うちぐろ)坏形土器、すなわち土器の内面が黒色で磨きがかけられ、ここに「寒川(さむかわ)」「厩(うまや)」と墨書した土師器が検出された(第85図)。「寒川」とは『和名抄』に記載されている下野国の九郡の一つである寒川郡を意味すること はいうまでもない。」(『大田原市史』141頁)【小松原遺跡】
なお、この文章中の「厩」に関する判読は保留されており、他の漢字を比定する可能性もあるという。
さて、地名「寒川」は何も那須だけではなく、古代における分布を、木簡庫で紹介したい。
(史料1)讃岐国寒川郡
①・讃岐国寒川郡長尾郷
| URL | https://mokkanko.nabunken.go.jp/ja/6AFFJF11000137 | |
|---|---|---|
| 木簡番号 | 0 | |
| 本文 | ・讃岐国寒川郡長尾郷□部・少足庸米六斗 | |
⇒②讃岐国寒川郡造太郷
| RL | https://mokkanko.nabunken.go.jp/ja/6BFKEM96000106 | |
|---|---|---|
| 木簡番号 | 0 | |
| 本文 | 讃岐国寒川郡造太郷□□□□庸米五斗 | |
| URL | https://mokkanko.nabunken.go.jp/ja/MK036019000003 | |
|---|---|---|
| 木簡番号 | 0 | |
| 本文 | ・讃岐国寒川郡・難破郷秦武成 | |
(2)備前国邑久郡方上郷寒川里
| URL | https://mokkanko.nabunken.go.jp/ja/6AAAFQ31000112 | |
|---|---|---|
| 木簡番号 | 0 | |
| 本文 | ・備前国邑久郡方上郷寒川里・白猪部色不知□二尻 | |
(3)下野国
| URL | https://mokkanko.nabunken.go.jp/ja/6ABHAS47000009 | |
|---|---|---|
| 木簡番号 | 12123 | |
| 本文 | ・鵇樢文倭利足梁田\安宗寒川都賀阿内・□〔塩ヵ〕□ | |
| 木簡説明 | 上端・左右両辺削り、下端切断。『和名抄』によると、下野国に梁田・安蘇・都賀・寒川の各郡がみえ、下野国の郡名を記したものか。「利足」は足利の転倒、「阿内」は河内の意、「塩」は塩屋の一字とみれば、やはり下野国の郡名となる。「文倭」は、倭文の転倒で、『和名抄』の下野国都賀郡委文郷にあたるか。諸本は、「秀文」(大東急記念文庫蔵本・高山寺本)、「秀父」(名古屋市立博物館蔵本)につくるが、いずれも「委文」の誤りと思われる。現在の栃木市志鳥町付近が当郷の遺称地と推測される。「鵇樢」は不詳。 | |
|---|---|---|
⇒『倭名類聚抄』巻7・国郡部第12・下野国第93・寒川郡・12丁表4行目 寒川郡
であったことを確かめることができる。
次に『倭名類聚抄』では、
④相模国高座郡寒川
⇒巻6・国郡部第12・相模国第82・高座郡・22丁裏6行目 寒川[佐無加波]
⇒上郷深川遺跡(製鉄工場)と猿田遺跡(製鉄工人集落)
巻7・国郡部第12・下野国第93・寒川郡・12丁表4行目 寒川郡
・4丁裏9行目 寒川郡
<参考情報>
茶臼塚古墳群 ; 小松原遺跡 : 県営圃場整備事業地内遺跡発掘調査報告
(栃木県埋蔵文化財調査報告, 第27集)
栃木県教育委員会, 1979.3
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