律令時代の文献に「売」という文字が頻出する。
今、これを土地に限って説明すれば、その「売」は土地の所有権移転を意味しない。
原則的に1年間、その土地を貸与する意味である。
加えて「賃」とは、農業用土地物件、つまり水田なり畑なりを貸借する契約時に、借りる前に使用料を支払うのを「賃」、そして借りた後に使用料を支払うのを「祖」と呼んだ。
つまり1年限りの耕作地の賃貸料は、一般的に春に支払わるのを「賃」、秋の収穫後に支払われるのを「祖」と区別した。ただし、支払期日、支払方法、延滞時の利率などは不明また自然災害などに伴う修繕は貸主なのか借主なのか不明であるが、借主の過失による損傷は借主負担であったのではないかと推測されるが、それは確証ない。
さて、その賃貸料。
規定では、『令集解』引用の「古記」(大宝令注釈書で、天平10年(738)頃のルール)
「公田不輸租。以十分之二地子為価也」
とあり。土地レンタル代金として収穫の20%であった。
ここでもう一点、資料の限界で未確認なのが、旱や台風などの自然災害、あるいは戦乱などの人災で収穫量が減少した時には、いかなる対策がなされたのかという点である。
世にいう徳政、あるいは王権の弱体化に伴う善行による救済策は取られたが、その実際例を追えないのを残念に思う。
ところで、資料には「黒米」と書かれたものもあるが、今でも精米後を「白米」と呼ぶか、精米前の「玄米」の段階を「黒米」と呼称した。
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