所沢市東の上遺跡
古代道路幅12メートルの遺構
所沢市 東の上遺跡報告書 - 検索 画像
以下は、『多摩市史』の転載
令制の成立にあたって関東の諸国が東海・東山の両道に分属したのは、古来関東地方に入る道として、駿河国から足柄の坂を越えて相模に入る道と、信濃国から碓氷の坂を越えて上野に入る道とがあったことによる。武蔵国は東山道に属しており、東山道の駅路は上野国の新田駅(群馬県新田郡)から南へ、五駅を経て武蔵国府に達することになっていた。このいわゆる東山道武蔵路は、側溝をもつ幅約一二メートルの堂々たる直線的道路であったことが、武蔵国分寺跡西北の地域をはじめ、府中市・国分寺市、および所沢市東の上(あずまのうえ)遺跡など埼玉・群馬県内の数か所の遺跡の発掘によって判明している。
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