2020年4月12日日曜日

572番まそ鏡見飽かぬ君に後れてや朝夕にさびつつ居らむ~573番ぬばたまの黒髪変り白髪けても痛き恋には会ふ時ありけり

太宰帥大伴卿の京に上りし後、沙彌満誓、卿に贈る歌2首

572番 まそ鏡見飽かぬ君に後れてや朝夕にさびつつ居らむ
573番 ぬばたまの黒髪変り白髪けても痛き恋には会ふ時ありけり

(1)沙彌満誓
笠氏の出身。父母等は未詳。俗名は麻呂。

笠朝臣麻呂が資料に初見するのは、『続日本紀』の下記の条である。

この日、太朝臣安麻呂らと共に従五位下に昇叙される。文字通り貴族の一員となった。彼の生年が不明だけに、この時の年齢を推測するしかないが、私見だが40歳前後でなかっただろうか。
 
その後、『続日本紀』慶雲3年

に任ぜられ、その職は、『続日本紀』養老4年の
冬十月,庚辰朔戊子,以從四位上-石川朝臣-石足,為左大辨。從四位上-笠朝臣-麻呂,為右大辨。從五位上-中臣朝臣-東人,為右中辨。從五位下-小野朝臣-老,為右少辨。從五位下-大伴宿禰-祖父麻呂,為式部少輔。從五位下-巨勢朝臣-足人,為員外少輔。從五位上-石川朝臣-若子,為兵部大輔。正五位上-大伴宿禰-道足,為民部大輔。從五位下-高向朝臣-大足,為少輔。從五位上-車持朝臣-益,為主稅頭。從五位上-鍜治造-大隅,為刑部少輔。從五位下-阿倍朝臣-若足,為大藏少輔。從五位下-高橋朝臣-安麻呂,為宮內少輔。從五位下-當麻真人-老,為造宮少輔。從五位下-縣犬養宿禰-石次,為彈正弼。從五位下-大宅朝臣-大國,為攝津守。從五位下-高向朝臣-人足,為尾張守。從五位上-忍海連-人成,為安木守。

に免ぜられるまで、14年間にわたり、美濃守の職にあった。一般的に国守の在任期間が3年から4年であったので、彼の任期は異様に長かった。彼の行政マンとしての有能さを高く評価されたからであろう。
野村忠夫氏の整理によると、つぎのようになる。

①中央集権の具体的な一方策である国名用字の改定で、全国的に唯一といえる再度の改定をみたミノで「美濃」の幼児を公定した。
②「関国」美濃とよばせる三関のひとつ。美濃不破関の整備を行った
③越後方面に通ずる「政治の道」として吉蘇路の難工事を完成し使、「殊功」として論功行賞受けた
④全国的にも数少ない、数郡にわたる広域条里を設定し、また中央政府の方針にもとずいて席田郡を建置した
⑤養老改元につながる元正女帝の醴泉行幸を右大臣藤原不比等の四男、介(守の輔佐官)の藤原朝臣麻呂とはかって在地で演出し、極位である従四位上を特授された。
⑥地方行政の監察強化のために全国的に按察使が布かれると、美濃守として尾張・参河・信濃を管轄する按察使になった。


、右大弁といえば、現在の内閣官房長官であろう。この異例な抜擢は元明太上天皇の重用であっただろうが、さほど名門の家柄ではなかっただけに、

 辛亥,令七道按察使及大宰府,巡省諸寺,隨便併合。
 壬子,詔曰:「太上天皇,聖體不豫,寢膳日損。每至此念,心肝如裂。思歸依三寶,欲令平復。宜簡取淨行男女一百人,入道修道。經年堪為師者,雖非度色,並聽得度。」以絲九千絇,施六郡門徒,勸勵後學,流傳万祀。
 戊午,右大辨-從四位上-笠朝臣-麻呂,請奉為太上天皇出家入道。敕許之。

の出家は自然の流れであった。しかしながら養老7年(723)2月に至り、



とあり、大宰府観世音寺の造営別当を命じられた。彼は60歳をはるかに越していたに違いない。

満誓が記録に残る最後は、天平2年(730)正月13日、太宰帥大伴旅人の家で開催された宴歌である。その時、満誓は早や70歳を超えていたと推定される。

ところで、この満誓も罪な男であったらしく、70歳を過ぎて、観世音寺の家女である赤須に子をもうけた。

《卷十二貞觀八年(866)三月四日庚辰》○四日庚辰。太宰府解。觀音寺講師傳燈大法師位性忠申牒。寺家人清貞。貞雄。宗主等三人。從五位下笠朝臣麻呂五代之孫也。麻呂天平年中爲造寺使。麻呂通寺家女赤須。生清貞等。即隨母爲家人。清貞祖夏麻呂。向太政官并大宰府。頻經披訴。而未蒙裁許。夏麻呂死去。清貞等愁猶未有止。寺家覆察。事非虚妄。望請。准據格旨。從良貫附筑後國竹野郡。太政官處分。依請。(『三代実録』)







未定稿

(1)   まそ鏡
原文は「真十鏡」。「麻蘇鏡(まそかがみ)」(万葉集904番)、「真十鏡(まそかがみ)」(万葉集2987番)、「末蘇可吾彌(まそかがみ)」(万葉集4221番歌)と同一。「真十見鏡(まそみかがみ)」(万葉集3314番)、「真墨乃鏡(ますみのかがみ)」(万葉集3885)、「白銅鏡<万須美乃加々見>」(神代紀上)も同一語。
見る・磨ぐ・掛けるなどの枕詞。
古代の鏡面に太陽光を当て壁に反射させると、壁に投影した反射光の中に鏡の背面に刻んだ文様が浮かび上がる現象を前提としなくてはならない。この歌の「見飽かぬ鏡」とは、その文様を見続けて、時間を忘れたからであろう。

(2)   後(おく)れてや~~居(を)らむ
  「や~む」は詠嘆疑問形。
(3)   さびつつ
「さび」は上二段活用。「さぶし(不楽・不怜>)とか「さびし」も、「さび」と同根。複合語「あれすさぶ」、(万葉集172番)、「うらさぶ」(万葉集4214番)、「おきなさぶ」(万葉集4132番)、「かみさぶ」(万葉集4380番)など。
(4)   ぬばたま
枕詞、「黒」「夜」にかかる。「あかねさす昼は物思ひぬばたまの夜は」(万葉集3732番歌)とか、「ぬばたまの黒き御衣をまつぶさに」(記神代)など。大系には、「ヒオウギの実が黒いによる」とある。ヒオウギ(檜扇、学名:Iris domestica)はアヤメ科アヤメ属の多年草。東アジア原産。日本にも自生し、やや大型の夏咲き宿根草。厚みのある剣状の葉が何枚も重なり合い、扇を広げたように見えることから、この名前がついたか。力強く端正な草姿で、古くから庭植えや生け花材料として親しまれてきました。花が次々と咲き続け、その後に袋状の大きなさやができ、熟すと割れて、中から5mmくらいの黒いタネが出てくる。その「黒いタネ」に興趣を覚えて枕詞となったと推定しておきたい。

(5)「黒髪変り、白髪ても」
   「黒髪」は「くろかみ」、「白髪」は「しらけ」と読む。「くろかみ」は「白妙の袖折り返しぬばたまの久路可美敷きて長き日を待ちかも恋ひむ」(万葉集4331番)とあり、「しらけ」は下二段活用動詞「しらく」の連用形。
なお名詞「白髪」は、「わが黒髪のま白髪になりなむきはみ」(万葉集481番)、「ますらをはをち水求め白髪生ひにたり」(万葉集627番)、「白髪生ふる事は思はず」(万葉集628番)などの用例があり、「白髪白、志良加」(新撰字鏡)から清音「カ」であったと考えるべきだろう。
   
(6)「痛き恋」

   大系は、「逢いたいとはげしく思う心」。

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