2016年6月28日火曜日

水城の土木担当者は百済系技術者であったか?

一般的な知識として、

*水城:全長約1キロメートル、基底部幅40メートル、高さ13メートル

であるが、では、古代の土木設計担当者が手にしていた「尺」はどのような物であったのか。
なぜ、13メートルか。

九州縦貫自動車道路建設に伴う、1972年6月から9月にかけて実施された水城の構造調査では、

1,土塁の台形状幅40メートル
2,高さ3メートルの積み土の中央部に幅23メートルに高さ7メートルの台形を積み重ねる2段築成
3,この積土をさらに切断すると、粘土と山砂を向後に積み上げる工法、つまり版築。
4,積土の最下層に基礎として厚さ0.8メートルの黒色粘土を使用

とあるが、この土木担当者ははたして百済系技術者であっただろうか。

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