宗祗は、文明12(1480)年9月6日に山口を出発し、長門の豊浦・赤間関から九州の若松に上陸、芦屋・木屋瀬を経て、太宰府天満宮に9月16日に到着。
天満宮、観世音寺、都府楼
などをめぐり、横たわる山のようであったと形容した水城跡(みずきあと)を見ながら、9月20日には次の目的地博多に向かいました。
この旅の過程で、この世は憂(う)き世という人生観、水城造営に対する批判や若い守護代(しゅごだい)のために詠んだ発句「ひろく見よ民の草葉の秋の花」など、宗祗の政治観も語られています。
(出典:http://museum.city.fukuoka.jp/archives/leaflet/308/index.html)
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