市域は南北10.9km、東西6.4kmで面積は29.60キロ平方メートル。人口は71,521人(男は34,261人、女は37,260人。33,056世帯)ー以上は、2024年1月31日現在、太宰府市HP
太宰府市の最新総人口・世帯数 - 福岡県太宰府市公式ホームページ (dazaifu.lg.jp))掲載記事。
(3)太宰は、「だざい」なのか「ださい」なのか? そして漢字にしても「太宰」なのか「大宰」なのか?
(4)そのAccentは「だ↘ざい」であるが、和訓では「おおみこともち」。
(5)ちなみに作家「太宰治」(だざいおさむ)であり、『論語』にある「大宰問於子貢曰。夫子聖者與。何其多能也。子貢曰。固天縦之將聖。又多能也。子聞之曰。大宰知我乎。吾少也賤。故多能鄙事。君子多乎哉。不多也。牢曰。子云。吾不試故藝。」は「たいさい(大宰)」である。
(2)大宰府は昭和40年代から福岡市のベッドタウン化することで、流入人口が急増する。昭和35年が13,913人であったのに対して、昭和45年には2倍の26,155に達し、平成22年には7万人を越えるほどとなった。
(3)太宰は、「だざい」なのか「ださい」なのか? そして漢字にしても「太宰」なのか「大宰」なのか?
(4)そのAccentは「だ↘ざい」であるが、和訓では「おおみこともち」。
(5)ちなみに作家「太宰治」(だざいおさむ)であり、『論語』にある「大宰問於子貢曰。夫子聖者與。何其多能也。子貢曰。固天縦之將聖。又多能也。子聞之曰。大宰知我乎。吾少也賤。故多能鄙事。君子多乎哉。不多也。牢曰。子云。吾不試故藝。」は「たいさい(大宰)」である。
(6)「太宰」の初見は、『日本書紀』推古天皇17年4月丁酉(4日)条に、「筑紫大宰」(つくしたいさい」と訓む。大宰の語句は「吉備大宰」(日本書紀天武天皇8年3月条)にも見る。
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