2023年7月8日土曜日

『類聚三代格』巻18収録「応大宰府放還、流来新羅人事」

 『類聚三代格』巻十八宝亀五年(774)5月17日太政官

太政官符

応大宰府放、還流来新羅人事

右被内大臣宣称、奉勅、如聞、新羅国人時、有来着。或是帰化、或是流来。凡此流来、非其本意。宜毎到放還、以彰弘恕。若駕船破損、亦無資粮者、量加修理、給粮発遣。但帰化来者、依例申上。自今以後、立為永例」



三月,庚子朔癸卯,讚岐國,飢。賑給之。
 但馬守-從四位下-安倍朝臣-息道,卒。
 是日,新羅國使禮府卿-沙飡-金-三玄已下二百卅五人,到泊大宰府。遣河內守從五位上紀朝臣廣純,大外記外從五位下內藏忌寸全成等,問其來朝之由。三玄言曰:「奉本國王教,請脩舊好,每相聘問。并將國信物及在唐大使-藤原-河清書來朝。」問曰:「夫請脩舊好每相聘問者,乃似亢禮之隣。非是供職之國。且改貢調,稱為國信。變古改常,其義如何?」對曰:「本國上宰-金-順貞之時,舟楫相尋,常脩職貢。今其孫-邕,繼位執政,追尋家聲,係心供奉。是以,請修舊好,每相聘問。又三玄本非貢調之使。本國便因使次,聊進土毛。故不稱御調。敢陳使旨。自外不知。」於是,敕問新羅入朝由使等曰:「新羅元來稱臣貢調,古今所知。而不率舊章,妄作新意。調稱信物,朝為修好。以昔准今,殊無禮數。宜給渡海料,早速放還。」為豐前守。外從五位下-秦忌寸-蓑守,為日向守。

2023年7月7日金曜日

大宰府を通過した外国人(天武朝以前)

 584年 百済から帰朝した鹿深臣が弥勒石造1体、佐伯連が仏像一体を持ち帰る

588年 百済使が来朝。仏舎利や僧、技術者を帯同。善信尼らとともに百済に帰国

595年 高麗僧慧慈、百済僧慧聡が来朝。

597年 百済王子阿佐が来朝。

598年 難波吉士磐金が新羅から帰国。新羅が孔雀を献上

599年 百済がラクダ1匹、ロバ1匹、羊2頭、白雉1隻を持参。

602年 百済僧観勒が来朝。高句麗僧僧隆が来朝。

610年 高句麗僧曇徴・法定が来朝。 

612年 百済より路子工が来朝、須弥山形・呉橋を建築。

615年 遣隋使犬上御田鍬とともに、百済送使と共に帰国

621年 新羅使が来朝

622年 新羅使・任那使が来朝

625年 高句麗僧恵灌が来朝

630年 高麗使。百済使が来朝

632年 遣唐使犬上御田鍬が新羅送使と共に帰国。唐使高表仁と共に。

630年 高麗使・百済使が来朝

635年 百済使が来朝

638年 新羅使・任那使・百済使が来朝

639年 新羅送使が来朝。遣隋使僧恵穏・恵雲とともに。

640年 百済。新羅送使が来朝


この一連の歴史的流れを大宰府の観点から整理しておきたい。

まず、最も大きな変化は東アジア情勢の転換点にあった618年である。この年、隋が滅亡し、唐が覇権を樹立する。

その歴史的変化に敏感に即応したが新羅であった。621年、それまで対日政策を司っていた「倭典」を組織改編し、唐をも含む対外政策全般を取り扱う「領客司」を設置し、新羅は唐そして日本へ、ほぼ同時に上表文を送付する。その上表文を作成する組織として「詳文師(司)」をも開設する。

 確かに高句麗は619年に、そして百済も新羅と同じく621年に使者を派遣している。しかしながら、新羅が高句麗や百済と大きく違うのは、唐風化である。649年の唐風衣装との一致、650年の唐式年号の布告し、併せて唐風の把笏制度の導入、そして極めつけは654年の唐の律令をモデルとした「理方府格」の制定である。つまり、新羅は唐帝国と一体化しながら、唐の信頼を得るとともに、律令による法の整備と実施主体(官僚組織)を確立することで、百済や高句麗との国力に差を付けるとともに、凌駕することに努めた。



2023年6月13日火曜日

新羅系商人と中国浙東系海商

九世紀半ばの東アジアの交易マーケットは、揚子江以北から山東半島 、遼 東半島を経て朝鮮半島にいたる海域で 、 莞 島 清 海 鎮 を 拠 点 にとする 張 保皐 の よ う な 新羅系商人と、 広州を拠点として波 斯 ・大 食 人 な ど が東南アジアから運搬する物品を交易する浙東海商との二分されていた。 

 したがって、史料に見える中国商人にしても、新羅系商人か浙東海商なのか。

次の史料は明白である。

『日本紀略』弘仁10年(819)6月16日条

「 大唐越洲人周光翰・言升則等乗新羅人船来 。 問唐国消息 、 光翰等対日 、 己等遠州鄙人 、 不知京邑之事 。 但去元和十一年 、 円洲節度使李師道反 、 所擁兵馬五十万、 極為精鋭 。」

 とある越州商人は新羅系商人の交易圏で動き回っていたようだ。


 そして次のような史料は考えさせる。例えば、

1, 「太政官給. 2 公験牒」

「(858年)6月8日 、 辞台州 、 上商人李延孝船 、 過海 、 17日申頭 、 南海望見高山 、 18日丑夜 、 至止山島 、 ……19日平 明 、 傍山行至、本国西界肥前国松浦県管曼美楽埼 、 天安2年6月12日 、 廻至大宰府鴻臚館 」


2,『日本三代実録』元慶元年(877)8月22日には 、 

「先是 、 大宰府言 、 7月25日 、 大唐商人崔鐸等63人 、 駕一 隻船 、 来著管筑前国 、 間其来由 、 崔鐸言 、 従大唐台州 、 載貴国使 多安江(豊後介正六位下多治真人安江)等 、 頗費貨物 。 6月1日解纜 、 今日得投聖岸 。 是日勅 、 宜依例安置供給 。


2023年6月12日月曜日

韓朝彩は宦官であった

 韓朝彩については、『続日本紀』に

「《天平宝字八年(七六四)七月甲寅【十九】》○甲寅。新羅使大奈麻金才伯等九十一人、到着、大宰博多津。遣右少弁従五位下紀朝臣牛養。授刀大尉外従五位下粟田朝臣道麻呂等。問其由緒。金才伯等言曰。唐国勅使韓朝彩、自渤海来云。送日本国僧戒融。令達本郷已畢。若平安帰郷者。当有報信。而至于今日。寂無来音。宜差此使、其消息欲奏天子。仍齎執事牒。参大宰府。其朝彩者。上道在於新羅西津。本国謝恩使蘇判金容為取大宰報牒寄附朝彩。在京未発。問曰。比来彼国投化百姓言。本国発兵警備。是疑、日本国之来問罪也。其事虚実如何。対曰。唐国擾乱。海賊寔繁。是以徴発甲兵。防守縁辺。乃是国家之設。事既不虚。及其帰日。大宰府報牒新羅執事曰。検案内。被乾政官符称。得大宰府解称。得新羅国牒称、依韓内常侍請欲知僧戒融達不。府具状申上者。以去年十月。従高麗国。還帰聖朝。府宜承知即令報知」

とある。


私の関心は唐から新羅を経由して渤海へ行き、さらに渤海から直接に海を渡り、日本に帰ってきた日本僧戒融にあるのでもなく、また新羅使金才伯らが大宰府管下の博多津に到着 したという点にもない。

ただ一つ、韓朝彩の官位である。

『 陸宣公翰苑集』巻10・ 制詰 〔鉄券慰間勅書〕「 今故 遣、太常少卿兼御史大夫沈房及中使韓朝彩等」

とある記事を 、赤羽目匡由氏の高論「8世紀中葉における新羅と渤海との通交関係」37頁で知ったからである。「中使」とあることで、韓朝彩は宦官であるという


大宰府を通過した外国人:天武朝

 

天武2年(673)

閏6月

*耽羅,王子久麻藝・都羅・宇麻らを遣わして,朝貢す。

*新羅,韓阿飡金承元・阿飡金祇山・大舎霜雪らを遣して,騰極を賀せしむ。 あわせて,一吉飡金薩儒・韓奈末金池山らを遣わして,先皇の喪を弔わしむ。


8月

*高麗,上部位頭大兄椰子・前部大碩干らを遣わして,朝貢す。

 

 天武4年(675)

2月

*新羅,王子忠元・大監級金比蘇・大監 奈末金天沖・第監大奈麻朴武摩・第監 大舎金洛水らを遣わして,調進る。

3月

*高麗,大兄冨千・大兄多武らを遣わして,朝貢す。

*新羅,級飡朴勤修・大奈末金美賀を遣わして,調進る。

 

7月

*小錦上大伴連国麻呂を大使となし,小錦下三宅吉士入石を副使として,新羅に遣わす。

 

8月

*耽羅の調使王子久麻伎,筑紫に泊まれり。

 

天武5年(676)

11月

*新羅,沙飡金清平を遣わして,政を請さしむ。あわせて汲飡金好儒・弟監大舎金欽吉らを遣わして,調進る。

粛慎七人,清平らに従いて至れり。

*高麗,大使後部主簿阿干・副使前部大兄徳富を遣わして,朝貢す。

 

 天武6年(677)

5月

*新羅人阿飡朴刺破・従人三口・僧三人, 血値嶋に漂着せり。

 

8月

*耽羅,王子都羅を遣わして,朝貢す。

 

天武7年(678)

*新羅の送使奈末加良井山・奈末金紅世,筑紫に到りて,曰く「新羅の王,汲飡金消勿・大奈末金世世らを遣わして, 当年の調を貢上す。仍りて,臣井山を遣わして,消勿らを送らしむ。倶に暴風に海中に逢う。もって,消勿ら,皆 散れて,ゆく所を知らず。唯井山のみ, 僅かに岸に着くことを得たり」と。しかれども,消勿ら遂に来たらず。

 

 天武8年(679)

2月

 *高麗,上部大相桓父・下部大相師需婁らを遣わして,朝貢す。

10月

*新羅,阿喰金項那・沙喰薩蔓生を遣わして,朝貢す。

 

天武9年(680)

5月

*高麗,南部大使卯問・西部大兄俊徳らを遣わして,朝貢す。

 

11月

*新羅,沙償金若弼・大奈末金原升を遣 わして,調進る。すなわち,習言者三人,若弼に従いて至れり。

 

天武10年(681)

10月

*新羅,沙喙一吉飡金忠平・大奈末金壱世を遣わして,調を貢ず゜

 

天武11年(682)

6月

*高麗の王,下部助有卦婁毛切・大古昂加を遣わして,方物を貢ず

 

 天武12年(683)

11月

*新羅,沙喰金主山・大那末金長志を遣わして,調進

る

 

 天武14年(685)

11月 

*新羅,波珍償金智祥・大阿渡金健勲を遣わして,政を請す。仍りて調進る。

2023年4月5日水曜日

水城の社に1982年12月20日撮影

 水城の小さな祠に収蔵された巨根か?

その一つは昭和44年6月に奉納されたらしい。