天武2年(673)
閏6月
*耽羅,王子久麻藝・都羅・宇麻らを遣わして,朝貢す。
*新羅,韓阿飡金承元・阿飡金祇山・大舎霜雪らを遣して,騰極を賀せしむ。
あわせて,一吉飡金薩儒・韓奈末金池山らを遣わして,先皇の喪を弔わしむ。
8月
*高麗,上部位頭大兄椰子・前部大碩干らを遣わして,朝貢す。
天武4年(675)
2月
*新羅,王子忠元・大監級金比蘇・大監 奈末金天沖・第監大奈麻朴武摩・第監
大舎金洛水らを遣わして,調進る。
3月
*高麗,大兄冨千・大兄多武らを遣わして,朝貢す。
*新羅,級飡朴勤修・大奈末金美賀を遣わして,調進る。
7月
*小錦上大伴連国麻呂を大使となし,小錦下三宅吉士入石を副使として,新羅に遣わす。
8月
*耽羅の調使王子久麻伎,筑紫に泊まれり。
天武5年(676)
11月
*新羅,沙飡金清平を遣わして,政を請さしむ。あわせて汲飡金好儒・弟監大舎金欽吉らを遣わして,調進る。
粛慎七人,清平らに従いて至れり。
*高麗,大使後部主簿阿干・副使前部大兄徳富を遣わして,朝貢す。
天武6年(677)
5月
*新羅人阿飡朴刺破・従人三口・僧三人, 血値嶋に漂着せり。
8月
*耽羅,王子都羅を遣わして,朝貢す。
天武7年(678)
*新羅の送使奈末加良井山・奈末金紅世,筑紫に到りて,曰く「新羅の王,汲飡金消勿・大奈末金世世らを遣わして,
当年の調を貢上す。仍りて,臣井山を遣わして,消勿らを送らしむ。倶に暴風に海中に逢う。もって,消勿ら,皆 散れて,ゆく所を知らず。唯井山のみ, 僅かに岸に着くことを得たり」と。しかれども,消勿ら遂に来たらず。
天武8年(679)
2月
*高麗,上部大相桓父・下部大相師需婁らを遣わして,朝貢す。
10月
*新羅,阿喰金項那・沙喰薩蔓生を遣わして,朝貢す。
天武9年(680)
5月
*高麗,南部大使卯問・西部大兄俊徳らを遣わして,朝貢す。
11月
*新羅,沙償金若弼・大奈末金原升を遣 わして,調進る。すなわち,習言者三人,若弼に従いて至れり。
天武10年(681)
10月
*新羅,沙喙一吉飡金忠平・大奈末金壱世を遣わして,調を貢ず゜
天武11年(682)
6月
*高麗の王,下部助有卦婁毛切・大古昂加を遣わして,方物を貢ず
天武12年(683)
11月
*新羅,沙喰金主山・大那末金長志を遣わして,調進
る
天武14年(685)
11月
*新羅,波珍償金智祥・大阿渡金健勲を遣わして,政を請す。仍りて調進る。
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