(1)大宰府から豊前国へのルート
大宰府から穂浪、嘉麻二郡を経て豊前国に至るには、政庁から朱雀路を経て左郭の東南端にあたる22条から蘆城駅を経て、米ノ山峠を越えるルートがある。
以下は、
(2)大宰府から肥後国府に至る古代官道
肥後国から大宰府までは上り3日、下り1日半。
太宰府から長丘駅(御笠郡長崗郷)を経て基肄駅(基山)、そして筑後国府所在地の御井駅のルートであった。その内で、
*福岡市小郡市から佐賀県鳥栖市に至る8.5㎞に及ぶ直線道路
であった。
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立明寺地区遺跡C地点の古代道(北から)
城山道と立明寺地区遺跡の古代官道[立明寺]
「城山道」と呼ばれる古代道は、大宰帥(だざいのそち)であった大伴旅人(おおとものたびと)が任を終えて都へ帰った後に、筑後守(ちくごのかみ)葛井連大成(ふじいのむらじおおなり)が悲しみを詠んだ歌にのみ残されています。
今よりは 城の山道は寂しけむ 我が通はむと 思ひしものを(万葉集巻4-576)
そのルートはほとんど解明されていませんが、基肄城(きいじょう)の東麓を抜けて大宰府(だざいふ)と筑後国を結び、基肄駅家(うまや)を経由する直線道が推定されています。
平成20(2008)年6月から8月にかけて発掘調査した立明寺地区遺跡C地点で、奈良時代(約1,200年前)の古代官道と考えられる遺構が見つかりました。これは今日まで推定されていなかった未知の官道で、城山道につながる可能性があります。
遺跡周辺遠景(北から)
立明寺地区遺跡C地点の古代道(北から)
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西海道西路(小路)駅家比定地及び駅馬数 国名 駅家等 比定地 馬配置数
筑前
大宰府 太宰府市 兵馬20疋
肥前
基肄駅 基山町小倉 駅馬10疋
筑後
御井駅 久留米市合川町 駅馬 5疋
葛野駅 筑後市羽犬塚 駅馬 5疋
狩道駅 山川町尾野 駅馬 5疋
肥後 大水駅 南関町関下 駅馬 5疋
江田駅 菊水町江田 駅馬 5疋
高原駅 熊本市改寄町立石 駅馬 5疋
蚕養駅 熊本市黒髪 駅馬 5疋
球磨駅 城南町宮地 駅馬 5疋
豊向駅 宇城市豊野町糸石馬立 駅馬 5疋
片野駅 八代市妙見町 駅馬 5疋
朽網駅 八代市二見本町 駅馬 5疋
佐職駅 芦北町佐敷 駅馬 5疋
水俣駅 水俣市古城 駅馬 5疋
薩摩
市来駅 出水市武本 駅馬 5疋
英祢駅 阿久根市波留 駅馬 5疋
網津駅 薩摩川内市網津町 駅馬 5疋
国府 薩摩川内市御陵下町
田後駅 薩摩川内市向田本町 駅馬 5疋
櫟野駅 薩摩川内市樋脇市比野 駅馬 5疋
大隅
蒲生駅 姶良市蒲生町下久徳 駅馬 5疋
国府 霧島市国分
※比定地参考:武部健一2005『完全踏査 続古代の道 山陰道・山陽道・南海道・西海道-』
6757_20230504160658-1.pdfからの転載
肥後国府
①1期国庁 :久留米市合川町古宮地区 (7世紀末~8世紀中頃)
②2期国庁 久留米市合川町阿弥陀地区 (8世紀中頃~10世紀中頃)
③『肥後国交替実録帳』(仁治2年<1241>年
④筑後国の主要駅は御井駅、(御井町)上妻駅(福嶋)葛野駅(羽犬塚)狩道駅(山門郡山川村)井上駅(御原郡井上)を筑後国主要五駅といい各駅には駄馬五頭、伝馬五頭を備えていた。
⑤東山道駅路
推定東山道駅路下新田ルート(西から。)
郡家の南縁には、西は佐位郡(さいぐん。およそ現在の伊勢崎市地域。)、東は山田郡(やまだぐん。およそ現在の太田市東部と桐生市地域。)を結ぶ東山道(推定東山道駅路下新田ルート)が延びています。写真は、太田市新田市町の下新田遺跡で見つかった東山道駅路の遺構で、両側に側溝をもつ幅約12mの道路の跡です
<参考文献>
浅島武幹 1940『青柳村誌』(浅島武幹1973『青柳村誌』古賀町文化財研究会)
井英明編 2015『青柳篠林地区遺跡の調査(瓜尾・梅ヶ内古墳群と古代遺跡の調査報告)』(古賀市文化財調査報告書第66集)
今井隆博編 2011『名子遺跡1』(福岡市埋蔵文化財調査報告書第1123集)
大庭康時 2001「福岡市内検出の古代・中世道路遺構について」『博多研究会誌』9 pp.21-31
上角智希編 2002『高畑遺跡−第18次調査−』(福岡市埋蔵文化財調査報告書第699集)
神啓崇 2020「古代官道を掘る 名子遺跡5次調査の成果より」( 考古学講座・発掘調査速報編① )福岡市埋蔵文化財課、 2020.11.28 配布資料
岸本道昭 2006『山陽道駅家跡』(日本の遺跡11)同成社
岸本道昭 2017「山陽道の駅家と関連遺跡群」鈴木靖民・荒木敏夫・川尻秋生編『日本古代の道路と景観 −駅家・官衙・寺−』八木書店 pp.453-473
木下 良 2013『日本古代道路の復原的研究』吉川弘文館
坂上康俊 2018「阿恵遺跡の歴史的特質」西垣彰博編『阿恵遺跡』(粕屋町文化財調査報告書第43集) pp.110-134
重藤輝行 2020「古墳時代九州北部の排水溝付竪穴住居と渡来人」『福岡大学考古学論集3−武末純一先生退職記念−』 pp.367-382
永田英明 2004『古代駅伝馬制度の研究』吉川弘文館
中村太一 2001「地理資料にあらわれた古代駅路」『古代交通研究』10
中村太一 2017「古代の道路と景観」鈴木靖民・荒木敏夫・川尻秋生編『日本古代の道路と景観−駅家・官衙・寺−』八木書店 pp.23-61
山村信榮 1993「大宰府周辺の古代官道」『九州考古学』68 pp.65-81
山陽道の場合、大阪府高槻市の摂津国島上郡街跡の南の道路は奈良 時代では幅10mから12m以上あ
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