小結①日本古代の財政担当官司である民部省・主計寮の官人たちは9つの算術書をマスターして、それらを駆使して財政・管理などのファイナンシャルを担当していた。
小結②なかでも軍政・財政・物資管理に関する取扱いに不可欠な『五曹算経』などは財務官僚の座右の書であった。
小結③平城京建設や大規模寺院建築物、大規模土木工事などには、『海嶋算経』などで構造計算がなされた。
『三国史記』巻38雑志7職官上 には、
[資料①] 「差算学博士若助教一人、以綴経三開九章六章 教授之」
とある。
この記述は、古代中国数学テキストである『孫子算経』『五曹算経』『九章算術』『海島算経』『綴術』『周髀算経』、『六章』『三開重差』『九司』などを想起すれば、氷解する。
即ち「綴経三開九章六章」は『綴術』・『三開重差』・『九章算術』・『六章』の4テキストを指す。
ところで、古代日本の場合、
資料②「凡算経孫子。五曹。九章。海嶋。六章。 綴術。三開重差。周髀。九司。各為一経。学生分経習業」
とあり、新羅の上記4テキストと比較すれば、
『孫子算経』・『五曹算経』・『海嶋算経』『周髀算経』『九司』
の5テクスト多く学習している。新羅か日本が先かの争いは無用である。中国算術に見当たらない『三開重差』が両地域で算術テキストとして利用されていることを見逃さないでおきたい。何のエビデンスもないままであるが、やはり『三開重差』は新羅算術界で成立し、日本に新羅系渡来人の手で持ち込まれた。その後、遣唐使などを経由して中国算術界の新しい動きに接することで、新羅経由ではなく中国経由で算術の新しいテキストを日本にもたらし、さらに深化させたと考えるのが無難ではないだろうか。
古代文化は何でもかんでも半島から日本に流入したという、戦後の「渡来人史観」に見られた教条的な考えから早く脱皮しても良いはずである。「臨機応変」に対応したいと考える。
ところで日本人の面白いのは、算数の試験問題の出題までも記録していることである。
資料③「学生、弁明術理、然後為通、試九章三条、 海嶋・周髀・五曹・九司・孫子・三開重差各一条、試 九、全通為甲。通六為乙、若落九章者、雖通六、猶為 不第、其試綴術六章者、准前、綴術六条、六章三条、 試九、全通為甲、通六為乙、若落経者、雖通六、猶為 不第」
つまり、「九章三条」(『九章算術』より三問)、「海嶋。周髀。五曹。九司。孫子。三開重差各一条」(『海嶋算経』・『周髀算経』・『五曹算経』・『九司』・『孫子算経』・『三開重差』より各1問)の全9問が出題されている。『九章算術』は出願者を振るい落とす、基礎数学の役割を果たしていたらしい。
(1)『九章算術』
紀元前1世紀ごろに成立したテキストであると伝えられており、三国時代の魏の劉徽が263年に注釈本で世に知られた。 9章246問からなる問題集形式。
算木(竹の棒)を使った計算に特徴。正負の数を色や配置で表現。
円周率は、3.14。
章名 | 内容 | 実用例 |
---|---|---|
方田 | 面積計算、分数の四則演算 | 農地の測量 |
粟米 | 穀物の交換、比例計算 | 物々交換 |
衰分 | 財産の分配、利息計算 | 商業・税制 |
少広 | 平方根・立方根の計算 | 土地の辺長測定 |
商功 | 土木工事の体積計算 | 城や運河の建設 |
均輸 | 租税の計算 | 輸送・徴税 |
盈不足 | 鶴亀算、復仮定法 | 過不足の問題解決 |
方程 | 連立一次方程式 | 負の数の導入もあり |
句股 | ピタゴラスの定理 | 測量・幾何学 |
(2)『海嶋算経』
三国時代の数学者・劉徽の数学書。測量技術と幾何学的思考と微積分に特徴。第一問が「海島の高さと距離を測る問題」であることで、「海嶋算経」と命名。現代の三角測量の原型。正192角形や正3072角形を内接させることで、円周率は3.1416。
問題例:海の中の島の高さを測る
海の中の島の高さを測るために、海岸線上の2地点A・Bから島の頂点を観測する。
- 点Aからの仰角:α
- 点Bからの仰角:β
- 点Aと点Bの距離:d(海岸線に沿った水平距離)
求めたいのは、海の中の島の高さ h。
解法:重差法の幾何学的アプローチ
この問題の解法は、三角形の相似。
- 点Aと点Bから海島の頂点に向かって視線を伸ばすと、それぞれの視線と地面がなす角度が仰角αとβ。
- それぞれの視線と地面が作る直角三角形を考えると、以下の式が導ける:
\tan(\alpha) = \frac{h}{x}, \quad \tan(\beta) = \frac{h}{d - x}
ここで、xは点Aから島の垂直線までの水平距離。
- 2式から h を消去して連立方程式を解くと:
x = \frac{d \cdot \tan(\beta)}{\tan(\alpha) + \tan(\beta)}
h = x \cdot \tan(\alpha)
具体例
- α = 30°
- β = 45°
- d = 100m
平城京建設には、この算術などがフル回転したにちがいない。
’(3)『周髀算経』
中国古代の天文学と数学の融合。上下2巻。天文観測・な測量・暦学・幾何学が融合した編成。
概念 | 説明 | 応用 |
---|---|---|
一寸千里法 | 影の長さ1寸の差が地上距離1000里に相当するという測量法 | 緯度差の測定、地球規模の距離推定 |
勾股弦の法 | ピタゴラスの定理を用いた三角測量 | 天体の高さや距離の計算 |
用矩の法 | 相似三角形による距離・高さの推定 | 建築・天文観測 |
蓋天説 | 天は笠のように地を覆うという宇宙観 | 暦学・天文学の基礎理論 |
一寸千里法の問題例(夏至の太陽観測)
- 8尺の棒を立てたとき、影の長さが1寸違えば、南北の距離は1000里。
- 例えば、洛陽で影が16寸、南1000里で15寸、北1000里で17寸。
- この差から、太陽の仰角や地球の緯度差を測定する。
(4)『五曹算経』
軍政・財政・物資管理に関する実務官僚に必読な計算問題集。財務官僚などが駆使した算法。
内容と特徴
巻 | 主題 | 内容例 |
---|---|---|
兵曹 | 軍事 | 兵士の人数、兵糧の配分、布・絹の支給量など |
集曹 | 飲食 | 席数と客数の関係、醤や酒の分配計算 |
金曹 | 財政 | 銭の支給、物価換算、給与計算 |
倉曹 | 穀物管理 | 粟から精米への換算、穀物の交換比率 |
市曹 | 市場取引 | 雉や梨の購入、物々交換の比率計算 |
同書に掲載された問題例1
「ある官吏に月俸として絹3疋と銭500文を支給する。絹が不足して2疋しか用意できない場合、残り1疋分を銭で支給するには、絹1疋=銭180文としたとき、追加で何文支給すべきか?」
解法:
- 絹1疋=180文
- 不足分:1疋 → 180文
- 既定の銭支給:500文
- 合計支給額:500 + 180 = 680文
解法:
- 1人1日:2升
- 総量:500人 × 15日 × 2升 = 15,000升
- 換算:1斛 = 10升 → 15,000 ÷ 10 = 1,500斛
つまり、遠征に必要な兵糧は 1,500斛 。
(5)『九司』
現存しないので、詳細は不明。
項目 | 内容 | 備考 |
---|---|---|
官司別算術 | 各官庁(兵曹・金曹など)に対応した実務計算 | 『五曹算経』との類似性がある |
比例・換算 | 物資・貨幣・人数などの按分 | 科挙試験向けの実務問題 |
度量衡 | 升・斛・斤などの単位換算 | 和算にも影響を与えた可能性あり |
問題形式 | 「答曰く」「術曰く」形式 | 『九章算術』と同様の記述スタイル |
どうやら升・斛・斤などの単位換算などに活用されたらしい。
問題例ある村に3町5段2畝の田地がある。これを歩数に換算すると何歩か?
解法:
- 3町 = 3 × 3,000 = 9,000歩
- 5段 = 5 × 300 = 1,500歩
- 2畝 = 2 × 30 = 60歩
- 合計 = 10,560歩
- 内容構成:上・中・下の三巻
- 主な特徴:
- 算木(算籌)による計算方法の詳細な記述
- 四則演算、分数、開平法(平方根の計算)などを扱う
- 「中国剰余定理」や「鶴亀算(雉兎同籠)」の原型も登場
『孫子算経』に登場する有名な算題の一つで、**中国剰余定理(Chinese Remainder Theorem)**の応用例。
求める数 x は以下の3つの条件を満たす:
- x \equiv 2 \mod 3
- x \equiv 3 \mod 5
- x \equiv 2 \mod 7
中国剰余定理によると、
この範囲内で条件を満たす最小の自然数を求める。
ステップ1:候補を探す
x | x \mod 3 | x \mod 5 | x \mod 7 |
---|---|---|---|
1 | 1 | 1 | 1 |
2 | 2 ✅ | 2 | 2 ✅ |
3 | 0 | 3 ✅ | 3 |
... | ... | ... | ... |
23 | 2 ✅ | 3 ✅ | 2 ✅ |
答えは 23
問題例
「:「ある数は、」
- 5で割ると 4余る
- 7で割ると 2余る
- 9で割ると 8余る
この数のうち、100未満で最小の自然数を求めよ。
解法
この問題は以下の条件に従って数 x を探す
- x \equiv 4 \mod 5
- x \equiv 2 \mod 7
- x \equiv 8 \mod 9
3つの法はすべて互いに素なので、**中国剰余定理(CRT)**を使えば、
最小公倍数は 5 \times 7 \times 9 = 315。
(8)『三開重差』と『綴術』と『六章』
中国の算術書ではない。新羅と古代日本での本書使用例が認められる。大学寮算科の教科書。
個別の特徴
算経名 | 内容の推定 | 教育的役割 | 中国文献への記載 | 備考 |
---|---|---|---|---|
三開重差 | 「三開」は平方・立方・高次根の開法、「重差」は級数展開や測量術と推定 | 測量術の教材 | 記載なし | 新羅でも使用 |
綴術 | 円周率や球体積などの高等数学を扱う(祖沖之撰) | 円理・解析的手法の教材 | 唐代文献に記載あり | 日本では祖沖之の注釈本が使用された |
六章 | 『九章算術』の応用編 | 中級数学教材 | 記載なし | 九章のうち六章のみを扱ったか |
「問題例①:円弧の長さを求める(弧背術)
- 直径 d = 10
- 弦の高さ(矢) c = 5
このとき、円弧の長さ s を求める。
解法の特徴:
- 弧背の半分の平方 (s/2)^2 を「半背冪」と呼び、冪級数展開によって近似値を求める
- 建部は微積分を使わずに、累進増約術や**零約術(連分数展開)**を用いて高精度な近似を実現
- 現代のテイラー展開と一致
数式例
\left(\frac{s}{2}\right)^2 = cd + \frac{c^3}{8d^3} + \frac{c^4}{15d^4} + \frac{c^5}{32d^5} + \cdots
- これは逆正弦関数の平方のテイラー展開に相当
- 建部はこの展開を観察と数値実験から導出し、証明なしに規則性を見抜く
問題例③:算脱の術(継子立)
問題設定:
- 黒石1個と白石 n 個を円形に並べる
- 一定の数 m ごとに石を取り除いていく
- 最後に残る石の位置を求める
解法
- 現代のヨセフス問題に相当
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