2025年7月12日土曜日

「『出雲国風土記』にみえる阿志毘縁道」

 今津勝紀「『出雲国風土記』にみえる阿志毘縁道をめぐって」

を偶然に目にした。

以下はそれに触発されたメモである。

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鳥取県に日南町がある。

その位置は、町のHPによると、

中国山地のほぼ中央に位置し、西は島根、南は岡山、南西部は広島と3県に接し、山陰・山陽を結ぶJR伯備線の要路となっています。道路距離では米子まで37.5km、鳥取市まで128.0km、岡山まで110.0km、広島市まで148.5kmとなっています」

とある。

 出雲国風土記に、

通道。


通飯石郡堺漆仁川邊廿八里。即川邊有薬湯。一浴、則身體穆平。再浴、則萬病消除。男女老少、昼夜不息、駱驛往来、无不得験。故俗人號云、薬湯也。〔即有正倉。〕

通大原郡堺辛谷村一十六里二百卅六歩。

通伯耆國日野郡堺阿志毘縁山卅五里一百五十歩。〔常有剗。〕

通備後國恵宗郡堺遊託山卅七里。〔常有剗。〕

通同恵宗郡堺比市山五十三里。〔常无剗。但當、有政時権置耳。〕

とあり、 仁多郡の郡家・亀嵩を出た東南道は、比田 または竹崎を 経て、御墓山の 麓を通り下 毘縁から山上・ 茶屋方面に続く。 東南道の剗 (セキ)は 大菅峠に存在したと考えて異論はないだろう。

ところで、いくつかの論点が浮かび上がる。

その1)出雲国仁多郡郡家から伯耆国阿毘縁への「常に剗あり」設置の目的は何か。誰が、なぜ、その道を活用するだろうか。

その2)御墓山の両サイドで、たたらが生産されたとすれば、その間に技術的交流や技術者交流・製品交流・原材料供給・製品の運搬や販売などがあったかなかったか。つまり島根県(出雲国)奥出雲町(仁多郡衙)鳥取県南西部、日野川上流に沿って存在する奥日野地域との相互交流・通商である。


その3)




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