以下は、『続日本紀』を出典とする「多治比県守」に関する記述一覧である。
まずは、(資料26)に見る天平九年(七三七)六月丙寅【23】条に
○丙寅。中納言正三位多治比真人県守薨。左大臣正二位嶋之子也。
とある薨伝からスタートするのが順当であろう。
直木孝次郎氏が説くように「皇親」の範囲を皇子、諸王、真人するに同意するものの、今しばらく真人は慎重に「準皇親」として取り扱い、多治比真人県守にしても「皇親」として人々に認識されていたと考えたい。
時間がない、時間がない、未定稿
(資料1)《慶雲二年(七〇五)十二月癸酉(廿七)》○癸酉。無位山前王授従四位下。丹波王。阿刀王並従五位下。正六位上三国真人人足。藤原朝臣武智麻呂。正六位下多治比真人夜部。佐味朝臣笠麻呂。藤原朝臣房前。従六位上中臣朝臣石木。狛朝臣秋麻呂。坂本朝臣阿曾麻呂。多治比真人県守。阿倍朝臣安麻呂。従六位下波多朝臣広麻呂。佐伯宿禰男。阿倍朝臣真君。田口朝臣広麻呂。巨勢朝臣子祖父。紀朝臣男人。正七位上大伴宿禰大沼田。正六位上坂合部宿禰三田麻呂。従六位下県犬養宿禰筑紫。正六位上坂上忌寸忍熊。船連秦勝。従六位下美努連浄麻呂並従五位下。
(資料2)《和銅四年(七一一)四月壬午(七)》○壬午。詔叙文武百寮成選者位。従五位上熊凝王。長田王並授正五位下。正四位下中臣朝臣意美麻呂。巨勢朝臣麻呂並正四位上。従四位上石川朝臣宮麻呂正四位下。従四位下息長真人老従四位上。正五位上猪名真人石前。路真人大人。大伴宿禰旅人。従五位上石上朝臣豊庭並従四位下。正五位下忌部宿禰子首。阿倍朝臣広庭。石川朝臣難波磨。石川朝臣石足。大宅朝臣金弓。太朝臣安麻呂。多治比真人三宅麻呂。従五位上笠朝臣麻呂並正五位上。従五位上多治比真人吉提。多治比真人吉備。上毛野朝臣安麻呂。佐伯宿禰百足。阿倍朝臣船守。采女朝臣比良夫。阿倍朝臣首名。大神朝臣狛麻呂。曾禰連足人並正五位下。従五位下藤原朝臣武智麻呂。藤原朝臣房前。巨勢朝臣子祖父。多治比真人県守。県犬養宿禰筑紫。小治田朝臣安麻呂。中臣朝臣人足。平群朝臣安麻呂並従五位上。正六位下池田朝臣子首。石川朝臣足人。従六位上阿倍朝臣駿河。従六位下粟田朝臣必登。正七位上中臣朝臣東人。正七位上高橋朝臣毛人。正六位上民忌寸袁志比。黄文連備。鍜師造大隅。道君首名。従六位上置始連秋山並従五位下。
(資料3)《霊亀元年(七一五)正月癸巳(十)》○癸巳。詔曰。今年元日。皇太子始拝朝。瑞雲顕見。宜大赦天下。但犯八虐。私鋳銭。盗人、常赦所不原者。並不在赦限。内外文武官六位以下。進位一階。又授二品穂積親王一品。三品志紀親王二品。従四位下路真人大人。巨勢朝臣邑治。大伴宿禰旅人。石上朝臣豊庭。多治比真人三宅麻呂。百済王南典。藤原朝臣武智麻呂並従四位上。正五位上大伴宿禰男人。太朝臣安麻呂。正五位下当麻真人桜井。従五位上多治比真人県守。藤原朝臣房前並従四位下。正五位下曾禰連足人。佐伯宿禰百足。百済王良虞並正五位上。従五位上笠朝臣吉麻呂。中臣朝臣人足並正五位下。従五位下台忌寸少麻呂。道君首名並従五位上。従六位上下毛野朝臣石代。当麻真人大名。紀朝臣清人。従六位下土師宿禰豊麻呂並従五位下。又授二品氷高内親王一品。
(資料4)《霊亀元年(七一五)五月壬寅(廿二)》○壬寅。以従三位巨勢朝臣麻呂為中納言。従四位上多治比真人三宅麻呂為左大弁。従四位上巨勢朝臣邑治為右大弁。従四位上大伴宿禰旅人為中務卿。従四位下阿倍朝臣首名為兵部卿。従四位上阿部朝臣広庭為宮内卿。従四位下多治比真人県守為造宮卿。従五位上大伴宿禰宿奈麻呂為左衛士督。正五位上大神朝臣狛麻呂為武蔵守。従五位上阿倍朝臣安麻呂為但馬守。従五位下石川朝臣君子為播磨守。従三位多治比真人池守為大宰帥。
(資料5)《霊亀二年(七一六)八月癸亥【二十】》○癸亥。備中国浅口郡犬養部鴈手。昔配飛鳥寺焼塩戸。誤入賤例。至是遂訴。免之。是日。以従四位下多治比真人県守為遣唐押使。従五位上阿倍朝臣安麻呂為大使。正六位下藤原朝臣馬養為副使。大判官一人。少判官二人。大録事二人。少録事二人。
(資料6)《養老元年(七一七)三月己酉【九】》○己酉。遣唐押使従四位下多治比真人県守賜節刀。
(資料7)《養老二年(七一八)十月庚辰【二十】》○庚辰。大宰府言。遣唐使従四位下多治比真人県守来帰。
(資料8)《養老二年(七一八)十二月壬申【十三】》○壬申。多治比真人県守等自唐国至。
(資料9)《養老三年(七一九)正月辛卯【二】》○辛卯。天皇御大極殿。受朝。従四位上藤原朝臣武智麻呂。従四位下多治比真人県守二人。賛引皇太子也。
(資料10)《養老三年(七一九)正月壬寅【十三】》○壬寅。授従四位上路真人大人。巨勢朝臣邑治。石川朝臣難波麻呂。大伴宿禰旅人。多治比真人三宅麻呂。藤原朝臣武智麻呂。従四位下多治比真人県守並正四位下。従四位下阿倍朝臣首名。石川朝臣石足。藤原朝臣房前並従四位上。正五位下小治田朝臣安麻呂。県犬養宿禰筑紫。大伴宿禰山守。藤原朝臣馬養並正五位上。従五位上坂合部宿禰大分。阿倍朝臣安麻呂並正五位下。正六位上三野真人三嶋。吉智首。角兄麻呂。正六位下大野朝臣東人。小野朝臣老。酒部連相武。従六位上板持連内麻呂。従六位下石上朝臣堅魚。佐伯宿禰馬養。大宅朝臣小国。笠朝臣御室並従五位下。
(資料11)《養老三年(七一九)七月庚子【十三】》○庚子。従六位上賀茂役首石穂。正六位下千羽三千石等一百六十人。賜賀茂役君姓。」始置按察使。令伊勢国守従五位上門部王管伊賀・志摩二国。遠江国守正五位上大伴宿禰山守管駿河。伊豆。甲斐三国。常陸国守正五位上藤原朝臣宇合管安房。上総。下総三国。美濃国守従四位上笠朝臣麻呂管尾張。参河。信濃三国。武蔵国守正四位下多治比真人県守管相摸。上野。下野三国。越前国守正五位下多治比真人広成管能登。越中。越後三国。丹波国守正五位下小野朝臣馬養。管丹後。但馬。因幡三国。出雲国守従五位下息長真人臣足。管伯耆石見二国。播磨国守従四位下鴨朝臣吉備麻呂。管備前。美作。備中。淡路四国。伊予国守従五位上高安王。管阿波。讃岐。土左三国。備後国守正五位下大伴宿禰宿奈麻呂。管安芸周防二国。其所管国司。若有非違及侵漁百姓。則按察使親自巡省。量状黜陟。其徒罪以下断決。流罪以上録状奏上。若有声教条々。脩部内粛清。具記善最言上。
(資料12)《養老四年(七二〇)九月戊寅【廿九】》○戊寅。以播磨按察使正四位下多治比真人県守為持節征夷将軍。左京亮従五位下下毛野朝臣石代為副将軍。軍監三人。軍曹二人。以従五位上阿倍朝臣駿河。為持節鎮狄将軍。軍監二人。軍曹二人。即日授節刀
(資料13)《養老五年(七二一)正月壬子【五】》○壬子。授正三位長屋王従二位。正四位下巨勢朝臣祖父・大伴宿禰旅人。藤原朝臣武智麻呂。従四位上藤原朝臣房前並従三位。従四位下六人部王従四位上。従五位上高安王。門部王。葛木王並正五位下。従五位下桜井王。佐為王並従五位上。正四位下多治比真人県守。多治比真人三宅麻呂。正五位上藤原朝臣馬養並正四位上。従五位下藤原朝臣麻呂従四位上。従五位下下毛野朝臣虫麻呂。呉粛胡明並従五位上。」以大納言従二位長屋王為右大臣。従三位多治比真人池守為大納言。従三位藤原朝臣武智麻呂為中納言。」又授従三位県犬養橘宿禰三千代正三位。
(資料14)《養老五年(七二一)四月乙酉【九】》○乙酉。征夷将軍正四位上多治比真人県守。鎮狄将軍従五位上阿倍朝臣駿河等還帰。
(資料15)《養老五年(七二一)六月辛丑【廿六】》○辛丑。以正四位下阿倍朝臣広庭為左大弁。正四位上多治比真人県守為中務卿。従五位上石川朝臣君子為侍従。従五位下紀朝臣為臣麻路為式部少輔。従五位下下毛野朝臣虫麻呂為員外少輔。従四位下坂合部王為治部卿。従五位下御炊朝臣人麻呂為兵部少輔。従五位下当麻真人大名為刑部大輔。従四位下門部王。従五位下紀朝臣国益並為大判事。従五位下布勢朝臣広道為大蔵少輔。阿倍朝臣若足為木工頭。従四位上藤原朝臣麻呂為左右京大夫。従四位上百済王南典為播磨按察使。従四位上石川朝臣石足為大宰大弐。従五位下県犬養宿禰石次為右衛士佐。」割信濃国始置諏方国。
(資料16)《天平元年(七二九)二月壬申【十一】》○壬申。以大宰大弐正四位上多治比真人県守。左大弁正四位上石川朝臣石足。弾正尹従四位下大伴宿禰道足。権為参議。巳時。遣一品舍人親王。新田部親王。大納言従二位多治比真人池守。中納言正三位藤原朝臣武智麻呂。右中弁正五位下小野朝臣牛養。少納言外従五位下巨勢朝臣宿奈麻呂等。就長屋王宅、窮問其罪。
(資料17)《天平元年(七二九)三月甲午【四】》○甲午。天皇御大極殿。授正四位上石川朝臣石足。多治比真人県守。藤原朝臣麻呂並従三位。従四位上鈴鹿王正四位上。従四位上長田王。従四位下葛城王並正四位下。従四位下智努王。三原王並従四位上。正五位下桜井王正五位上。無位阿紀王従五位下。従四位下大伴宿禰道足正四位下。正五位下粟田朝臣人上正五位上。従五位上車持朝臣益。佐伯宿禰豊人並正五位下。従五位下息長真人麻呂。伊吉連古麻呂。県犬養宿禰石次。小野朝臣老。布勢朝臣国足並従五位上。外従五位下中臣朝臣名代。巨勢朝臣少麻呂。阿部朝臣帯麻呂。坂本朝臣宇頭麻佐並従五位下。正六位上巨勢朝臣奈〓[氏+一]麻呂。紀朝臣飯麻呂。大神朝臣乙麻呂。三国真人大浦。正六位下小治田朝臣諸人。坂上忌寸大国。正六位上後部王起。垣津連比奈並外従五位下。」以中納言正三位藤原朝臣武智麻呂為大納言。
(資料18)《天平三年(七三〇)八月丁亥【十一】》○丁亥。詔。依諸司挙。擢式部卿従三位藤原朝臣宇合。民部卿従三位多治比真人県守。兵部卿従三位藤原朝臣麻呂。大蔵卿正四位上鈴鹿王。左大弁正四位下葛城王。右大弁正四位下大伴宿禰道足等六人。並為参議。
(資料19)《天平三年(七三〇)十一月丁卯【廿二】》○丁卯。始置畿内惣管。諸道鎮撫使。以一品新田部親王。為大惣管。従三位藤原朝臣宇合為副惣管。従三位多治比真人県守為山陽道鎮撫使。従三位藤原朝臣麻呂為山陰道鎮撫使。正四位下大伴宿禰道足為南海道鎮撫使。
(資料20)《天平四年(七三二)正月甲子【二十】》○甲子。正四位上鈴鹿王。正四位下葛城王並授従三位。無位小治田王従五位下。従四位下榎井朝臣広国従四位上。従五位下石上朝臣乙麻呂。藤原朝臣豊成並従五位上。」以従三位多治比真人県守為中納言。以従五位下角朝臣家主為遣新羅使。
(資料21)《天平四年(七三二)八月丁亥【十七】》○丁亥。以従四位上多治比真人広成為遣唐大使。従五位下中臣朝臣名代為副使。判官四人。録事四人。正三位藤原朝臣房前為東海・東山二道節度使。従三位多治比真人県守為山陰道節度使。従三位藤原朝臣宇合為西海道節度使。道別判官四人。主典四人。医師一人。陰陽師一人。
(資料22)《天平六年(七三四)正月己卯【十七】》○己卯。授正三位藤原朝臣武智麻呂従二位。従三位多治比真人県守。藤原朝臣宇合並正三位。無位小田王。野中王並従五位下。正五位上小野朝臣老従四位下。従五位下紀朝臣麻路従五位上。正六位上石川朝臣乙麻呂。正六位下藤原朝臣仲麻呂並従五位下。従六位下三国真人広庭。正六位下当麻真人鏡麻呂。正六位上大伴宿禰麻呂。大伴宿禰老人。小野朝臣鎌麻呂。波多朝臣安麻呂。従六位下田中朝臣浄足並外従五位下。内命婦無位大市女王。神社女王並従四位下。正五位下播磨女王正五位上。従五位上新家女王正五位下。従七位上秦忌寸大宅外従五位下。以従二位藤原朝臣武智麻呂為右大臣。
(資料23)《天平七年(七三五)二月癸丑【廿七】》○癸丑。遣中納言正三位多治比真人県守於兵部曹司。
(資料24)《天平七年(七三五)十一月乙丑【十四】》○乙丑。知太政官事一品舍人親王薨。遣従三位鈴鹿王等監護葬事。其儀、准太政大臣。命王親男女。悉会葬処。遣中納言正三位多治比真人県守等就第宣詔。贈太政大臣。親王、天渟中原瀛真人天皇之第三皇子也。
(資料25)《天平七年(七三五)閏十一月壬寅【廿一】》○壬寅。天皇臨朝。召諸国朝集使等。中納言多治比真人県守宣勅曰。朕選卿等、任為国司。奉遵条章、僅有一両人。而或人以虚事求声誉。或人背公家向私業。因此。比年、国内弊損。百姓困乏。理不合然。自今以後。勤恪奉法者、褒賞之。懈怠無状者、貶黜之。宜知斯意、各自努力。
(資料26)《天平九年(七三七)六月丙寅【廿三】》○丙寅。中納言正三位多治比真人県守薨。左大臣正二位嶋之子也。
(資料27)《宝亀十一年(七八〇)七月丁丑【十五】》○丁丑。勅。安不忘危。古今通典。宜仰縁海諸国。勤令警固。其因幡。伯耆。出雲。石見。安芸。周防。長門等国。一依天平四年節度使従三位多治比真人県守等時式。勤以警固焉。又大宰宜依同年節度使従三位藤原朝臣宇合時式。
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